屋上

文字数 4,442文字

 風の音が耳元で鳴り響く。ばたばたと止めどなく吹くものだからそろそろ好い加減に諦めたら良い物の、何処の誰にも言われた訳でもないのに依然として動かないところを見て我ながら度し難い気質を思い知らされる。そう思い至って、多少なりともその料簡を改善できれば良いなぁとゆっくりと仰向けの態勢から左側を下へ横に向いた所で、その思いとは裏腹に屋上の冷たい床面と頭との間が狭くなった所為でその隙間を通る風はより一層の元気を取り戻す。つまりは先ほどよりも大音量で僕の耳の中を風圧が劈く。僕はあまりの不愉快さにうわっと勢いをつけて上半身を起こした。空からは暑くないくらいの丁度良い太陽が晴天の真ん中で我が校舎とその周辺を照らしていた。
 現在は昼休憩であって、僕は何も友達が居ない訳では無いのであるが、と云って偶にこのように孤独を求めて閉鎖されている屋上に忍び込んで月間ムーを熟読しているのを考えるにつけ、やっぱり本質は団体行動が苦手なのだなぁと思う。こういう所も大人に云わせれば、少しずつ部活や行事等で訓練をしてコミュニケ―ション能力を養っていく事が重要なのだろうが、やはりそればっかりだと疲れてしまうのは屹度元々そっちの分野には向いていないのだろう。本当の集団行動ができる連中というのは、それこそ四六時中でも友達と何時までも何時までもいるのが楽しいのだと思う。だけど、僕からすればそんなに綿密な人間関係だとしたら隠し事だって出来やしない。自分のプライベートは一体どこにあるのか。なんて、そういう考えも極論なのだろうか。
 ともかく今こうして、あぁ、ちょっともう一度俯せに向き直って、自宅でくつろいでいるような態勢になって月間ムーと対峙している所を満喫するにつけ、僕はやはりこのような時間が心底好きなのだなぁと思ったりする。で、僕はもってきた水筒をストローでぐいと飲み、こちらの中身はポカリスウェットであるからして、ごくごくと続けて飲んだ後、食堂で買ったホットドッグを一口ぱくりと齧っている僕に太陽は光をゆっくりと浴びせていた。
 あぁ、後2時間昼休みが続けば良いのに。後2時間あったら… ……いや、2時間あったからと云って現状の事態が何どうしようと変わる事はなく、2時間後もきっと今と同じようなぐうたらが続くのだろうことは想像に難くないのであるが、そんな生産性が無さげな2時間についての効能について一つ成果があるとするならばつまり、それだけぐうたらしたら満足感を得られ心身の健康を得られるといったところだろう。そこまで考えたところで僕は今高校2年生という自身の世界的なカテゴライズを唐突に想起せられその圧倒的な現実感に頭がくらくらした。そういう事を突如思い出させる僕の頭さん性格悪いんじゃないでしょうか。
 良くあるでしょう。ひょんなことから閉鎖せられている屋上の鍵を偶然見つけ、それ依頼その屋上が孤独な自分の唯一の居場所みたいな。今はサブスク時代だ。そういうシチュエーションなんて有り触れたテンプレートだ。で、そこでくつろいでいる所に或る日突然、気になる同級生の女が現れて、その子が高嶺の華って感じだったけど喋ると案外気が合う、みたいな。知っているよ、僕。だけれど、僕の場合はそんな風なドラマチックには当てはまらないのであった。只単に担任がちょっと前に屋上の廃材の整理をするとかなんとか言って、手伝ったのが縁で此処の鍵の在り処を僕が知っただけ。んじゃ、そんな物を失敬するなんて校則違反で不良だ!なんて思うかもしれないけれども、そもそもこの屋上自体年末の大掃除の時期にやっと思い出して開けられるくらいの場所であって、今は5月。ウチの教師たちは毎日の授業の用意に追われて屋上どころではない。なので鍵の事なんて気にしていないのである。屋上の鍵を管理しているのがウチの担任であって、その担任が忘れ去られたように普段は開けられない教室の隅の茶色い引き出しの中に無造作にしまい込んでいるのを知っているのは僕だけだったのである。座っている席が窓際の一番前って所もあって、何かと担任の手伝いに駆り出される悲しい運命の僕だったが、それにより何時の間にか学校での担任の大体のパターンなんて頭に入ってしまったのだった。そういう一連の至って個人的なスキルの御陰で今こうして誰もいない屋上を満喫しているのである。
「あー、ハツラツとした太陽の下でムーを読むチグハグさが堪らんなぁー」
 僕はわざと大声を出して件のような科白を地球に向かって云ってみる。そうすると依然として校舎の周りや僕の周辺をぐるぐると暴れ回る透明の風が僕の言葉ごと、眼下の町の方までそれらを全部運んで行ってしまう。だから、何か悩みなんかがあればここで吐き出してしまえば良い。それらは全部、この町にまかせてしまおう。そういう事が出来ちまうのが高台にあるこの高校の特権だ。まるっきり朝なんて本当に大変なんだぜ。うまく時間があえば商店街の隣から高校前までバスで登る事ができるけれど、それだって朝は満員だから必ず乗れるものじゃない。そうなると後は持ち前のこの二つの足で頑張って歩くしかないのさ。僕は何時も思うんだけれど、屹度ウチの高校の連中は男子も女子も結構な脚力を有している、そんじょそこらの下界に住む高校の奴らに比べたら、50m走のタイムの平均も勝ってると思う。これは結構大真面目でそう思う。
 僕は今、世間でいう所の青春って所にいると思う。僕が幾ら当事者だからと云って、その当事者が現時点をメタ的に認識する事だってありうるのだ。そして、今は本当に色々な事を覚える過程で、一生懸命アウトプットする所を大人に笑われても良い年頃なのだ。そういう事も知ってる。大体の事はインターネットを検索すればわかるし、ウィキペディアを調べれば大体の履歴は参照できるし、分からない事を聞けば見ず知らずの誰かが教えてくれる。だから、僕みたいな青い子供の頭にも色んなどうでも良い事が入りこんでいる。きっと筋肉少女帯なんて音楽に出会ってしまったものだから、所謂青春てのに気恥ずかしさが残るのだろう。この前田中が貸してくれた宮台真司だって、僕等のそういう青臭い中二病の証明だ。僕は実は最近この上なく鬱屈していたのを今知った。
 風速はざっと5メートルくらい。厳密に調べた事はないが屹度それくらいのものだろう。10メートルになると危険だというから、その半分って事。半分っていうと結構安心感が持てる。今度いつか休みの日とか、あまり校舎に人が居ない時があったら、こっそりと何かのチラシとかを大量にここから投げてしまえば、まるで花吹雪のようで綺麗なのかもしれない。僕はそういう光景をふと思いだして、何故だか知らないけれど去年見た岬の兄妹で妹がチラシを思いっきり投げ捨てて空に散らばってる所を思い出した。一体なんでだろ。ぜんっぜんあのシーン綺麗でもなんでもないのに。あのシーンに比べたらそれこそ校舎から投げ捨てる方がどれほど綺麗だろう。扉ががちゃりと音がして誰かが入ってきた。
 僕はその音で身体中の毛細血管が電撃を食らったように泡立った。すぐさま頭を下げる。僕は屋上の入口の上にいるから、屋上全体を見下ろす事ができる。だが、怖さのあまりしっかりと頭を下げちゃっているものだから、ここからは下の様子が見えないのである。耳元に相変わらず風が吹き荒れている。一体こんな時間に誰だ、なんて思ってみたけど、よく考えたら昼休憩に屋上にくるって発想をする奴もそりゃいるだろう。そしてそれはきっと僕みたいな人種だ。僕はそう考えて、まずやめてほしいのは教師。彼らで無い事をどうしてもお願いする!と思いながら両手の指をがっちりと組んでキリストにお祈りするようにした。それから恐る恐るしたの様子を伺いしてみた所で目に入ったのは黒いさらさらの髪の毛の頂点辺り。多分、女だ。集団で来られたらいやだなぁ。奴等はどこに行くにも集団で行動する、が、こんなところにも果たして奴等は集団行動するのだろうか、なんて一縷の望みをかけてみる。
 果たしてその女子は一人であった。そして僕はその女子に見覚えがあった。同じクラスメートではないが、良く見かけるしウワサにも聞く顔だ。間宮麻美。フルネームを知っている僕はすっごくヤバい。しかし、誰に言い訳をするわけでもないのであるが、このフルネームを知っているのは結構いる。しかもとりわけ男子の間でだ。つまり、間宮のウワサはあまりよろしいようなものでは無いのである。所謂ススンデイル子だった。世の中には僕の知らない世界があるようで、僕はその表面をインターネットで伺いしる事しか出来ない。つまり、そういう掲示板があって、間宮はそこに書き込んでいるという噂だ。で、当の本人は手足も長くてモデルみたいで、芸能人でいえば小松菜奈みたいな感じだけど、独特の雰囲気があってクラスの男たちも間宮とは仲良くなれないでいた。そういうわけで、正直今のこの僕が陥ったシチュエーションはきついのである。僕は息をひそめて少し様子を伺うのである。頭を下げているところから、もう一度様子を見るために頭を上げる… ……あ。目が合ったのである。そして、此れは時間の都合上ってやつだ。
 間宮は一瞬眼が点って感じの呆気に取られた顔をしながら、僕に向かって会釈をする。それにつられてこちらにつきましても、どうにも予想外の展開なのでどうする事もできない。この展開はグーグルで調べても出てこない、っていうか、調べる暇もない僕は、手の中のムーを密かに握りしめながら、オウム返しのように間宮に向かって会釈した。あまりにもキョドったような気が自分でもして、どうしようもなく恥ずかしくもあり失敬して帰りたくなったが、その僕の会釈を見て間宮が笑った。
「何やってるんですか?」
「… …えーっと、きゅ、休憩?」
「ふーん。寝てたの?」
「いや、あの。読書。」
「読書?本読んでるの?」
「うん。」
「いいじゃん。てゆうか、君がここ鍵開けたんだ。」
「うん。」
「ふーん。ここ、すごい気持ち良いね」
 間宮が屋上の広い空間を回転するように向こうに歩いていく。僕はその光景をなんともできずに只見ている事しかできなかった。多分というか、おそらくこれは僕の推測であるが、今のこの次の展開なんてのとか、効率の良い展開であるとかをグーグルとかで調べてみようとも、今は調べる時間が少なからずあるからといって、そうしてみても屹度答えなんか見つからない事は明らかなのだった。僕は絵にかいたような、漫画で見たような空間に今いる気が少ししていたが、かと云ってどうする事もできなくて、これからその漫画にありがちな間宮とのボーイミーツガールがあるだなんて、そんな青春みたいな展開は考えられないと思った。僕の手の中には、力いっぱい握った中でぐったりと形を変えたムーがあった。風はさっきよりも少しだけ穏やかになっていた。
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