寝起きにて

文字数 1,726文字

 朝目が覚めると頭が痛い。それが何時もの事だと言われればそれまでだが、この副作用というにはあまりにも小規模な反作用についてどこの会社も依然として対策を講じようとしないのは、どうしても解消が難しい技術的困難なのか、或いは民衆には与り知らないなんらかの利権が関与しているのか、と云っても頭痛の利権なんて製薬会社くらいなものだが、そんな馬鹿な利権があって堪るかと思った所で、そんなどうでも良い思案に痛む頭をこき使った自分に対して心底呆れた。
 深夜どうしても思い立って、ネットに電脳を繋いで外記憶(メモリ)を検索した。酔ってた勢いもあって、どうにも気持ちが乗ってしまったのである。探した外記憶(メモリ)は高層ビルから自殺するキオクだ。出来るなら都会の真ん中から飛び降りる奴が良いだろうなんて、しばらく探すとそれなりに手頃な値段で都心のオフィスビルの屋上から落下するのがあった。値段は二万円。電子通貨(キャッシュ)で払ってすぐに落としてみる。容量は大体7Gほど。この手の物では平凡だ。頭の中にジワリとデータが流れてくる感覚が一瞬あって、頭の中の脈が暖かくなる。元の記憶は何もしないでいれば徐々に劣化していくのに比べ外記憶(メモリ)は劣化というものが無いので任意にそして鮮明に思い出す事ができる。要らなくなればメディアに落として机の隅にでも突っ込んでおけばいい。
 こういう所謂グロ物を見た事はなかった。つまり僕の中で実はこういう類を経験()るのは初めてだったのである。幾ら時代が発展して他人の記憶を売買で手にする事ができるようになったとはいえ、何もかもを一個人が許容するわけではない。何を手に入れ、何を捨てるかは個人の趣味嗜好に委ねられるのは何時の時代も同じだ。昔と変わったのはかつてインターネットが僕たちに個人主義と引き籠り生活を劇的に推奨したようにその範囲がまた暴力的に拡大しただけで、昔の人たちがSF生活で夢見たような生活は僕等の生活には訪れなかった。ここにあるのは昔の延長線上の生活だけであり、例えば旅行が大好きな人は外記憶(メモリ)によって実際に旅行に出かけるよりも遥かに安価に世界中を旅する記憶を手にし、マニアックな奴らはそのマイノリティな趣味を更に深堀している。で、御多分に洩れず僕もその恩恵をそれなりに受けているのでありポルノは一通り体験しているものの、だからといってこういうグロ系に手を出した事はなかった。ていうか、一体誰がすき好んで痛かったり怖かったりするものを体験しようと思うのだろう。僕はこういう類の人種とは一生付き合っていきたいとは思わない。
 そう思いつつもでは何故そのような物に手を出してしまったのか。今となっては記憶が朧気ではあるが、そういや、大して親しくもなかったが昔学生の頃に同級生だった女が、ビルの上から飛び降りたといった話を風のウワサで聞いた事が、今思えば発端だったような気もせんでもないのであるが、これがいかんせん酔った勢いっていうのだから、好い加減人類という奴はどれだけテクノロジーが発展していってもやってる事は昔と変わらないのだという事を思い知らされる。んで、まぁ、その記憶を見た感想はあまり良い気持ちがするものではなかった。落ちている最中は信じられないほどのスピードで風を切って落ちるところが怖くもあり快感でもあったが、アスファルトに激突する瞬間というものはなんとも気持ちが悪いものだ。勿論、知覚遮断(カット)してあるので実際の痛みや衝撃等、記録に残っている部分の体感(バック)はないのだが、それにしてもやはり見終わった後は後悔が募った。即刻消してそこから打ち消すように酒を煽って前後不覚で眠ったってのが昨日の顛末だ。まぁこうなると本日の頭の痛みが酒の所為であるのか、それとも外記憶(メモリ)の所為なのか分からない、というところもあるのだが。いずれにせよ頭が痛いという事には変わりがないので、枕にうずまりながら朧気に時計を見ると時刻は午前10時。もう少し寝ようかと思ったところで女から電脳に通知が来る。読むまでもなく今日出かける予定を思い出してしまって、ゆっくり眠る事もできやしない自身の身体を呪った。幾ら動かずに色んなものが手に入るようになったとは云え、僕らは出掛ける事をやめることはできないようだった。
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