ドリフターズ

文字数 20,781文字

 トマス・クシャランが聖刀(せいとう)インギスを夜の御遣い(ナイトフリッカー)に向けると、それに反応して化け物は此方に襲い掛かってくる。其の強襲さえまるで意に介さないかのように、クシャランは瞑目(めいもく)し正対していた。まさしく怪物が其処まで迫ってきた其の時、聖刀インギスの切っ先が風に揺れるように右へ左へと動いた。クシャランの解読不明な古代語が口から漏れ聞こえるにつれ、刀の軌道は今まさに神々しく発光し、黄金色の帯を作る。本能と衝動のみに支配された怪物は其の動作の意味を考慮する事もなく、只獲物に見える一人の人間に襲い掛かるのだった。
 夜の御遣い(ナイトフリッカー)がクシャランの首元へ食らいつこうと飛び掛かった刹那、聖刀インギスの作る黄金の帯に触れたかと思うと、其の触れた上半身は一瞬で蒸発して白い湯気と化した。上半身が綺麗に消し飛んだ後の化け物の身体は今や下半身のみとなり、その後バランスを失ってだらしなく地面に倒れた。
「へー、人間もやるモンだねェ。」
 隣で腕組みをしながら品定めするようにクシャランの戦いの一部始終を見ていたのは魔女ディナトワだった。魔族の女が人間のパーティに加わっている事自体が奇妙な縁ではあるが、ディナが合流して既に二週間が過ぎようとしていた。
「お前等、魔族のように自由自在に魔術を使うとまでは行かんが、術式については俺達にも其れなりの歴史があるのさ。」
 クシャランは左手の親指で鼻の下を少し擦りながら云った。
「面白い。聞かせておくれよ。」
 右手に持った緩くカーブを描いた細長いパイプをクシャランに向けながら、ディナが言葉を即す。魔族の長い歴史とは比べ物にならない程の矮小な人間の歴史から、どうやってこのような技術が生まれたのか。其処には邪な意識があった訳ではなく、只単純に知的好奇心ゆえの言動だった。
「はは、お前が人間の事に興味があるなんてな。俺達と付き合ってちょっとは人の暮らしにも慣れてきたのか?」
 揶揄(からか)うように云うクシャランの言葉に対して、ディナは目線を上に向けて呆れたように少しだけ首を横にした。
「そんなに気になるのなら、俺の故郷へ帰った時にウタラ寺院を見て回るが良い。かつての俺の全てはあそこにある。あの場所こそ、数多の十字軍(クルセイド)の源流。人間が太古の昔、お前等魔族から魔術や呪術を学び、そして天、すなわち聖術へと昇華した最初の地(エピックモーメンツ)なのさ。」
「ふうん。まぁ、人間にしちゃ、大したもんだよ。」
 世辞抜きにディナは云った。短命の時間(とき)の中で此れほど濃密に連綿と受け継がれてきた聖術の、星屑のような人類の歴史に対する敬意だった。
「此れは此れは、身に余る光栄です。」
 元十字軍(クルセイド)出身のクシャランが、当時の高貴なる名残を残すかのような華麗な礼をディナに見せる。ゆっくりとクシャランが左手の平を差し出すと、ディナも興が乗ったのか軽やかにその手の上に右手を乗せ、軽く足を曲げて返礼した。
「で、お前はその故郷に用事があるんだろ?」
「… ……あぁ。すまないな。」
 見上げたクシャランの顔が、ディナの顔にぶつかる。其の顔は、既に決意を固めている表情だった。
「別に構やしないよ。… …… ……あんたたちには感謝してる。もう一度こうやって自分の二本の足で歩いて行ける事に。だから此の旅は、あたしが望んだものさ。」
 ディナはひざまずいているクシャランに向かって穏やかに云った。
「…… …… …其れで、あんたの恩師を殺した奴の目星はついてるのかい?」
「ああ。」
「魔族かい?」
「イヤ、人間だ。… …名は、ポーティス・ユーズ。俺と同じ十字軍(クルセイド)

男で、恩師(ティーチャー)ハマリオの弟子。… ……そして、かつて、… …俺の親友だった男だ。」
 呟くように、然し決然とした言葉でクシャランは云った。
「親友… …。其の親友って奴は、余程性根の腐った奴なんだろうね。あたしが云うのもなんだけど、無抵抗な奴の背中を滅多刺しにするなんて。」
「いや、アイツは心優しい男だった。… ……だが、あの時のポーティスはまるで別人だった。… ……まるで俺の事を知らないかのような口ぶり… …」
「一昨日のドゥーハ渓谷だね。男が現れた時のあんたの表情で何かあるとは思っていたけれど、まさかあれが例の探してた仇だったなんて。ただ、あの子達にも早く云ってあげた方が良いんじゃないか?」
「ああ、そうだな。…きっと、誰かに聞いてほしかったんだな、俺は。二年前、恩師(ティーチャー)ハマリオがポーティスに殺されて以来、俺の人生の目的は奴を探し出す事になった。探し出して、胸倉掴んで必ず理由を問いただしてやる。其の事に比べれば十字軍(クルセイド)なんてどうでも良かったんだ。そして、やっと掴みかけた一昨日の邂逅。もう一度、故郷に戻れば奴と会えるかもしれない。… ……心の整理が中々追い付かなかったが、アイツらにもやっと話せそうだ。」
 クシャランは立ち上がると薄く笑みを浮かべる。
「おーい!… …おーい!」
 少し甲高い、一声聞いただけで其の性質が伺いしれるかのような快活な声を上げて此方に走ってくるのは、エリザベス・エリクソンだった。現在は日も傾き、夕方を少し回っている。見渡しのきく荒野とは云え此処はまだ町からほど遠い魔物の住む危険地帯に変わりはない。にも関わらずエリーはトレードマークの大きな革製のリュックを片時も離さず背負っている為、その重量に終始フラフラとした足取りでやってくるのだった。やはりエリーに戦闘をさせるのは無理だな、とクシャランは其の姿を見ながら一人得心していた。
 クシャランとディナが見守る中、両手はリュックの肩ベルト(ショルダーハーネス)を定位置に、息も絶え絶えエリーが二人の前に到着した。遥か遠くに見える大きな岩陰から走ってきたようで膝に手をつき項垂れながら、しばらく話す事ができないようだった。
「… …あんた、お守りはどうしたんだ?」
 項垂れているエリーの背中に向かってディナが云う。其の言葉で自身の境遇に浸っていたクシャランも不図我に返った。
「そうだ、エリー。アルはどうした!魔物を片付ける間、あいつの事見ててくれって云ったろ。」
 クシャランは行方不明になったアルフレア・バシムの事をエリーに尋ねる。心なしか自身でも思ってもみないような大きな声が出た。少し責めるような口調になった事を悔いたところで、すぐにディナが其れを引き取った。
「まぁ、ちょっと待ちなよ。エリー、アルはどうしたんだい。ゆっくりで良いから話しな。」
「… ……ハァ、ハァ、ハァ。… … ……う、うん。…… ……アル、あいつ、また私の目を盗んで行っちゃった… …多分、あの大岩の向こうにあるガナツェ遺跡に行ったんだと思う… …ハァ、ハァ。」
「チッ、あいつ、ほんとに心配ばっか掛けやがって。」
「私も、今度は絶対に逃げられないように、見張ってたんだよ!だけどさ、アイツ、また罠を張って私を煙に巻くんだもの」
「… ……今度は何されたんだ?」
 クシャランはまたかとウンザリしたが、一応エリーの話を聞いてみる事にした。エリーは其の問いに答える前にまずリュックの側面についた深めのポケットから古びた硬貨を二枚出した。
「此れなの。此れ、此処のフチの所、分かる?よーく見ないと分かりづらいんだけど、鳥の羽が幾つも重なったような紋章があるんだよ。此れがね、な、なーんと。かつてこの辺りに一大文明を築き上げていたイシリス王国時代に使われていた硬貨なの。すごいでしょ。でも、此の時代に使われていた硬貨って、此れだけじゃないの。季節によっても全く違う硬貨を使って売買を行っていたみたいだし、此の生活様式って云うのは、此れからもっと調べていく必要があるわ。だけど、私の現時点での見解は… …」
「エリー。」
「あ!ごめんなさい。硬貨の話だったわね。で、此の私の持ってる硬貨は其のイシリス王国時代に使われていた硬貨の中でも、とりわけ貴重な硬貨なの。私も此の硬貨は文献でしか見た事がなかったわ。此処までの物、此の前、皆で立ち寄ったレアス教国の中央広場の大マーケットでも見た事がなかったわね。あの大マーケットだよ?あそこはユーフォリア大陸全土の品物が揃うところなのに。私は此の硬貨を見た時、鳥肌と震えが止まらなかったわ。何故って、世界はまだこんなにも私の知らない物で溢れ返ってるんだから!」
「エリー!」
「それでこそ!この私、エリザベス・エリクソンが探検するに値する世界だと思わない?!」
「エリー!!」
「ハイっ!」
 クシャランの一喝でエリーはやっと目が覚めたように背筋がぴんとなった。其れに合わせて赤毛で外巻のクセ毛がふわりと揺れる。
「要点!」
「あ、はい。… …えっとー、だから、アルが此の硬貨を見つけてきたのよ。其れで、本を読んでる私の眼の前でこれ見よがしにチラチラと見せつけてきたの。だけど、私だって前のようには行かないと思って充分警戒したわ。」
 エリーは話ながら自身の持った二枚の硬貨を交互に見比べる。
「前にって、何なのさ?」
 ディナが小声で隣にいるクシャランに聞く。
「アルがまた骨董品の分厚い聖書みたいなモンに糸を括りつけてエリーを釣ったんだよ。俺には良く分からんが、エリーに云わせれば大層な代物だそうだ。で、其れでまんまとそのまま廃墟の牢屋に誘導され、閉じ込められちまった。泣きそうになってるエリーを見てアルは腹を抱えて笑ってたそうだ。だけど、あの時は魔物が現れて、結構危なかったんだぜ。まぁ低級だから良かったけど。」
 クシャランとディナが話しているのを他所に、エリーは如何にも口惜しそうに唇を尖らせて話を続けている。
「で、アルはこうやって二枚を私に見せてくるの。ちょっと見てみて。ね、此の二枚の硬貨、どう思う?綺麗でしょう。此れさ、どっちかが本物で、どっちかが偽物なの。全然分からないよね。私でも、かなり見極めるのが難しかったんだけどさ、実はこっちが偽物なの。トレードマークのフチの紋章までおんなじなんだもの。普通の人じゃ、とてもじゃないけど見分けられないわ。で、アルが二枚見せながら私に云うの。此れってどっちが本物なんだろう?って。

、って云って、悪戯っぽく笑うの。そう云われた途端私、火がついちゃって。…で、そうなったらもう後の祭り。本物が分かって得意満面で顔を上げたときには、もうアルの姿は無かったわ。」
「アラアラ… …。」
 ディナが小さく笑みを浮かべる。その隣でクシャランは深い溜息をついた。
「… ……ハー。…… ……了解。んで、アルの今回の目当ては、えーっと… …」
「ガナツェ遺跡だよ。此の硬貨も其の近くに落ちてたんだって。」
「ふーん。其の、ガナツェ遺跡って所にアルは行ったんだな。全く、遺跡なんて所に一体何があるって云うんだ。壊れかけの石の山じゃないか。あとな、エリー。お前ももう18なんだから、あんな11歳のガキに良いように遊ばれてるんじゃないぜ。」
「だーってぇー!」
 それじゃ、さっさと探しに行くぞ、とクシャランが歩き始めようとした所で、ディナが突然声を上げた。
「… …ちょっと待ちな!」
「うん?」
 普段マイペースなディナの珍しく大きな声に、クシャランとエリーは条件反射のようにぴたりと歩を進めるのを止めディナの方を振り向いた。
「… …どうしたんだ、ディナ?」
「… ……此の辺りは、夜の御遣い(ナイトフリッカー)の生息地だよ。」
「… …あぁ。其れがどうかしたか?」
「奴等の根城は、神殿や

殿

だと聞くじゃないか。…エリー。ガナツェ遺跡って、あそこ確か… …」
 ディナの言葉を聞いて、エリーが手をぽんと叩いて答える。
「そうだ、ディナ。あそこ、確か神殿跡だよ!」
「そう。其れに… …。」
「… …!… ……あぁ、そういう事か、ディナ。… ……エリー、懐中時計は今何時だ?」
「…… ……うん。… ………もうすぐ17時だよ。此処から遺跡まではちょっと掛かりそう。」
「夜になると奴等、見違えるように活発になっちまうからね。急がないと面倒な事になるよ」
 何時になく真剣なディナの表情によって、パーティ全体に事態の深刻さが刻み込まれた。クシャラン達は落ちていく太陽を横目にガナツェ遺跡へと急いだ。

                   ****

 ガナツェ遺跡は聖ユーフォリア大陸の南西に位置する、岩と崖の地クレステインに存在する。
 正式な年号は不明であるが大凡1000年程前はこの地も豊かな緑と潤沢な水に覆われ、生命の満ちた土地であったと古い文献は伝えている。然し今となっては最早その面影は無く、只ガナツェ遺跡のように当時確かに存在したであろう豊かだった頃の記憶の残影が此の土地の其処彼処に細々と居座り続け、人々の記憶から風化し忘れ去られていくのを辛うじて拒否しているかのようであった。
 荒涼とした岩肌と赤土の道がやがて真っ白く整然とした石道へと様相を変えていく。そして其の頃にはつい先刻まで赤々と大地を照らしていた太陽も遥か遠くに見える山々の稜線に姿を隠しつつあった。
「着いたか?」
 石道に入って少し歩いたところでクシャランが誰に云うともなく云った。直ぐ前を歩いていたエリーがクシャランの方を向いて頷く。其の顔を見た後、視線をその儘エリーの後方に向けると、其処には豪奢で精密な造形が施された大きなアーチ型の門が待ち構えていた。其の威風堂々とした重厚な構えにクシャランは思わず息を呑む。
「… …… …こいつは、中々…。」
「壊れかけの石の山も悪くないだろう?」
 ディナがまるで此の遺跡の関係者かのように自慢気に云う。
「なんで魔族のお前が神殿の良さを語るんだよ。」
 クシャランはそんなディナに奇妙な劣等感を覚え、(いささ)か反抗的に返した。
「ふん、美しさの黄金比を審美する(センス)に天使も悪魔も無いさね。此の世にいるのは分かる奴と分からない奴だけさ。… …それじゃ軽口は此れくらいにして、急いでアルを探そうじゃないか。陽も大分落ちてきてる。」
「おう。でも、こりゃ思ったより敷地が広いな。無闇矢鱈に探すより、ある程度当たりをつけて捜索した方が良さそうだ。エリー、何か良い案はないか?」
 クシャランはエリーにアルフレア捜索の方針判断を委ねた。エリーが真剣な表情で答える。
「まかせといて。ちょっと調べてくるね。」
 エリーことエリザベス・エリクソンは冒険家(エクスプローラ)である。
 彼女は10歳にも見たない頃から既に単独で世界中を歩き周り、世の中のありとあらゆる場所に訪れている。そして、その持ち前の好奇心を武器に数々の文献を読み漁り、又、其の真偽を証明すべく現地調査(フィールドワーク)を行う事で、彼女の世界に対する知見は既に卓越した技術(スキル)領域にまで達していた。
 彼女は普段からそうしているように、まず門を潜って遺跡正面から全体を俯瞰する。
 神殿に限らず建物には、其処に必ず建立する意味が存在する。神殿を建てた場所や建物の形、其れに

だ。敷地の中にどういった空間構成を行い、配置を行うか。其処には必ず人々の意思や思い、そして意図が存在している。エリーはそういった砂埃で覆われた事実を一つ一つ解きほぐして解明するという力に長けていた。
 神殿はかなりの広さを誇っており、中央に大きな神殿がある。そして、其れを取り囲むように一回り小さい五つの神殿が建っているのだった。
 また、驚くことに此の神殿群は長い年月が経過しているにも関わらず、所どころ崩れてはいるものの当時の意匠を其の儘に、未だ訪れる事のない信者を待ち続けているかのようだった。何処から種が飛んできて居座りついたのか、現在のクレステインの地ではあまり見られない青々とした植物が神殿の柱にまとわりつくように絡まって成長し、其の静謐とした佇まいにある種の有機的な印象を与えている。
「中央に神殿… ……。周りに五つ。…… …そして、此のアルが持っていた硬貨… …… 」
 エリーが近くにある柱を右手で撫でると長年積みあがった砂埃がごっそりと剥がれ、中から白々とした石肌が姿を現した。其れを穴の空くほど確認した後、神殿への導線となっている道にも座り込み観察を続ける。
 夢中になっているエリーの後ろからクシャランとディナが追い付いた。
「エリー、どうだ?」
 覗き込むクシャランにエリーが声だけで返答する。
「… ……大体分かってきたわ。此処は、太陽を祀る神殿ね。所謂、太陽神殿って奴。ホラ、あそこ。」
 エリーが埃だらけで黒々と汚れた指を向けた先には、中央に(そび)える大神殿があった。クシャランとディナはエリーの説明に只じっと耳を澄ましていた。
「あの神殿の上に紋章みたいなものがあるでしょ、まあるい形の奴。一見、満月のようにも見えるけど、あれは太陽なの。太陽信仰は、太陽を世の中のあらゆる事象の理とみなして万物の神と考える。大きく分けてこの世の中を構成する五つの仕組み、つまり、地・水・火・風・空は全て太陽に繋がっているの。其れを現しているのが、此の神殿群ってワケ。真ん中が太陽神殿、其れを取り囲む五つの神殿って配置ね。五つの神殿から真っすぐ導線が伸びて大神殿へ繋がっていくというように、此処を訪れた人たちが視覚的に分かるように考えて建てられてる。… …それで、」
 エリーの指先は引き続きゆっくりと西側に動きやがて一つの神殿に止まる。其れからもう片方の手をポケットに突っ込み、取り出した硬貨を其の止めた指先の隣にかざして見せた。
「此の硬貨にも真ん中にも模様が描いてあるんだ。其れが… …あそこの模様とおんなじ。つまり、風、ね。」
「あの左奥の神殿か。」
「うん。風を司る神殿。アル、今日ずっとそわそわしてたんだよね。其れに、硬貨見てるときもそう。私にも硬貨を見せるんだけど、それ以上にアルも此の硬貨をずっと見ていたわ。今考えると、此の硬貨の風の模様を見ていたんだと思う。だから、あの子、理由は分からないけど、あそこに用があるんじゃないかしら。」
「風の神殿… …、了解。では、まずは其処から捜索だ。既に太陽もほぼ見えなくなってる。逢魔が時だ。エリー、俺とディナの間を離れるんじゃないぞ。其れから、視界が悪くなってるから懐中電灯を照らしておけ。夜を味方につけた夜の御遣い(ナイトフリッカー)は狂暴だが、その分光に弱くなっているから防衛手段になるだろう。ディナの方は… …」
「あたしは夜目が利くから光量なんて要らないよ。只まぁ、お前さん等が動くのに不自由だろうから、周辺は照らしといてやる。」
「オッケー、助かるよ。では、行こうか。警戒を怠るなよ。」
 クシャランの指示を受けエリーは直ぐ様リュックから懐中電灯を取り出し胸の前に両手で構えた。エリーの少し恐れを含んだ真剣な表情とは裏腹に、懐中電灯の光が穏やかな円を作り薄暗くなった前方を照らす。その横でディナが指先を一度鳴らすと、彼女の左上辺りに小さな球体が現れ、頭上からパーティ全体をぼんやりと明るくした。
 クシャランを先頭にエリー、ディナの列を作り遠目に見える風の神殿を目指して歩く。
 町からほど遠い此のガナツェ遺跡をわざわざ訪れる者等居ない。其れを象徴するかのように神殿の彼方此方に設置された小ぢんまりとした祭壇には供えられた花等も無く、最早原型を留めていない塵のような物が薄く積もるのみだった。
 しんと静まり返る遺跡群の中をクシャラン達の足音だけが薄く木霊している。エリーが左右を恐る恐る警戒して歩く。ディナは前方をゆったりと見据え進んでいたが、目の前に風の神殿が大きく見えてきたところで口を開いた。
「… …来たね。」
 ディナの顔は前方を向いたまま目線だけを右に向けた。エリーがその言葉を聞いて背中を瞬間的にびくっとさせる。
「ああ。俺達の明かりに気づいて寄ってきたみたいだな。虫と変わらないな、全く。」
 クシャランはそう冗談めかしながら聖刀インギスを鞘から抜いて中段に構える。既に薄ぼんやりとして見通しの悪くなった周辺に敵の姿はまだ見えない。続いて、ディナがしゃがみ込んで片手に収まるほどの石ころを拾った。視線を落として眉間に皺を作り石ころに念じると、石の表面に薄く白い膜のようなものが発生した。
「エリー。此れ、持ってな。低級の連中には、此れかざしてやれば十分だから。」
「うん、ありがとう。」
 エリーはその石ころを両手で受け取とりしっかりと胸の前で祈るように握る。
 クシャランの前方から石道を真っすぐに直進してくる四足歩行の足音が聞こえたかと思うと、其の音が暗闇の中で一瞬途切れた。
「… …見え見えなんだよっ!」
 クシャランが前方斜め上に片手で聖刀インギスを振うと、其の軌道に沿って綺麗な半円上の光が発生し、中空に向かって真っすぐ飛んで行った。
 暗闇の中で蒸発するような音が響き、次の瞬間裸の人間に似た醜悪な化け物の死体が落ちてきた。夜の御遣い(ナイトフリッカー)だった。奴等は牙と両手両足の爪が異常に発達していて、待ち伏せして死角から旅人の喉元を狙う。白い肌と皺だらけの顔、そして緑色に光る眼が特徴の低級な魔物だ。ただし夜間に此の魔物に出会ったら要注意が必要である。奴等は其の俊敏な性能を存分に発揮し夜の霞に紛れて襲ってくる。夜間には身体能力が向上しているので其の分脅威であり、実際の所、此の魔物による旅人への被害は夜間に集中していた。魔物であるにも関わらず神殿を好んで根城としている性質から、奴等は没落した神官の成れの果てだとかいう噂が街中でまことしやかに囁かれているが真偽のほどは定かではない。
 クシャランが胸の前で聖刀インギスの刃を見せつけるかのように横手で構える。後方ではディナが手に持っていた細長いパイプに口をつけ、吸い込んだ煙を吹き付けるように吐き出すと、其処から猛烈な炎が発生し蛇のようなうねりを伴って襲ってきた夜の御遣い(ナイトフリッカー)の身体に一気に絡みついた。
「キシャァアアッ!!」
 魔物が目の前で滅多矢鱈(めったやたら)に腕を振り回し抵抗するが、炎は魔物の身体を容赦なく焼け焦がしていき、やがて真っ黒になった魔物の身体は力無く其の場に倒れ動かなくなった。其れを契機とばかりにパーティの周辺を数匹の魔物の足音が聞こえ始める。
「ふん。準備運動にもなりゃしないけど、あたしがお前等の相手をしてやるよ。」
 ディナは口角を歪ませそう云うと、両腕をゆっくりと広げた。指先の爪が毒々しく赤に光り始める。
「クシャラン。あんた、エリーを連れてアルを探しに行きな。あたしはこいつ等と暫く遊んでやるよ。」
「しかし… …」
「大丈夫だよ。こんな連中にあたしが遅れを取るとでも思っているのかい。随分、あたしも見縊(みくび)られたものだね。」
「… …任せていいんだな。」
「くどいね。」
「わかった、すまん!エリー行くぞ。」
 そういうと、クシャランはエリーの肩をぽんと押し、もう目の前に見えて居る風の神殿の入口を目指し走り始めた。エリーも其れに続く。走りだす直前、エリーが心配そうにディナの顔を見ると、ディナは其の顔に向かって小さくウィンクし笑ってみせた。
「気を付けてね、ディナ。」
 エリーは口の中で小さくそう呟くと、前を向いてクシャランの背中を追った。

                   ****

 風の神殿の入口を潜ると内部には広々とした空間が広がっていた。然し既に陽も落ちた屋内は見通しが悪く、奥の祭壇の方までは全く見通す事ができない。
「…暗いね。」
「そうだな。此の儘では何も分からない。… …エリー、お前がディナから貰った石っころ。ちょっと貸して貰えるか?」
「うん。」
 エリーがディナから託された石ころをクシャランに渡すと、クシャランは其の石に向かって古代語を唱え始めた。聖術を発揮する為の詠唱(オブリビオンズ)だ。
 次の瞬間石ころに新たな輝きが生まれたかと思うと、其の光の範囲が徐々に広がり始めやがて屋内全体を包んだ。神殿内の隅々にまで光が行き渡り、今や風の神殿の内部は其の佇まいを明らかにしていた。
 クシャランとエリーの立っている位置は訪れた信者が集結する空間である。其処から最奥部分には五段ほどの短い段差があり、広い壇上の中央には物々しい祭壇が安置されていた。此の壇上に立ち神官達は信者を導いていたのであろう。
 エリーはクシャランから返された石ころをまじまじと眺めてみる。屋内全体を輝かれるほどの大きな光にも関わらず、目の前で観察するエリーは少しも眩しさを感じなかった。むしろ、其の暖かな光を何時までも見ていたい気分にさせられる。
「此れで良し。さてさて、アルの馬鹿野郎は一体何処に居るのかなぁ、っと。」
「…… ……!……クシャラン! …あの段差を上がってすぐ、祭壇の前に倒れてるのアルだわ!」
 エリーの言葉を聞いてクシャランがすぐに壇上に眼を移すと、広々とした空間の中央祭壇の近くに確かに見た事のある小さな身体が横たわっていた。
「アル!!」
 クシャランは瞬間的に大声を出した。
 直ぐ様壇上に上がりアルの近くに駆け寄ると、(うつぶ)せになったアルを抱き起して頬を軽く叩いてみる。
「…… ………うん……… …」
 後から遅れてついてきたエリーもクシャランの隣にしゃがみ込んで心配そうにアルの様子を伺っていた。
「……。 ……… ………どう?」
「大丈夫。意識を失っているだけのようだ。脈拍も異状ない。」
 アルの頬に触れながらクシャランがエリーに云う。
「良かったぁ… …」
「ったく、世話焼かせやがって。」
 クシャランがアルの身体を抱き上げる。緊張がほぐれたのかエリーもフラフラと力無く立ち上がり、クシャランの腰のベルトに捕まりながら壇上を降り始めた。
「もう。ほんっとに世話が焼けるんだから、アルってば。屹度、思う存分神殿を走り回って何時の間にか疲れて寝ちゃったのね。心配して損しちゃったわ。」
「そうだな。起きたらたっぷり絞ってやらないとな。」
「そうよ。クシャランはアルに甘すぎるのよ。もっと厳しくしないと此の子つけあがっちゃうわ。本当に悪知恵だけは働く子なんだから。私、ちょっと此の子の将来が心配なの。変な事ばかり覚えて、仕舞には犯罪者になっちゃうんじゃかしら、なんて。」
「アハハ、分かったよ。俺からもしっかりと云っておく。エリーだって此奴(コイツ)のお守り大変だろうしな。」
「そうよ!アルの所為で私何度… …」
 エリーが無我夢中で話していたところで、身体がクシャランの背中にぶつかった。
 前を歩くクシャランのベルトに手を掛け彼の誘導のまま歩いていたエリーは、急遽立ち止まったクシャランの背中に思い切り鼻をぶつけてしまったのである。
「…()ったぁ… …。… ……どうしたの、クシャラン?」
 見上げたクシャランの顔を見てエリーは驚いた。彼の眉間には鋭い皺が刻まれ、周囲を警戒するかのように視線が忙しなく動いている。だが辺りを見回してみても室内は先ほどと変わらず静かであり、聞こえるのは窓や扉を通過する風の音ばかりであった。
「……… …クシャラン?」
「…… ……エリー。アルを頼む。」
「…え?」
「魔物が居る。…… …… …俺の聖術領域に存在できるなんて、只の魔物じゃない。… ……お前は隅の方に避難して、アルと隠れていろ。」
「…… …クシャランは?」」
 只事ではない剣士の雰囲気にエリーは身が(すく)む思いがした。だが、今は弱気になっている時間はない。
「俺は、魔物の相手をしないといけないからな。… …大丈夫。お前等には絶対に手出しはさせない。其れにお前には俺とディナの力の籠った其の石っころがある。其れさえあれば襲われはしない。安心しろ。」
 クシャランがエリーにアルを託しながら、静かに話す。
「… …分かった。」
「行け。」
「うん!」
 エリーがアルを抱きかかえながら神殿の奥、比較的柱に囲まれた死角に身を潜めた。
 クシャランは後方、両脇等に眼を何度も向けるが未だ魔物の姿は見当たらなかった。だが、未だ此の五感に纏わりついている不快感が拭えない。そして其れは此れまで魔物と戦った際に何度も感じた事のある化け物達の気配なのであった。
「… ……何処だ。」
 クシャランが聖刀インギスを中段に構えて瞑目(めいもく)する。
 中央十字軍(セントラル・クルセイド)で研鑽を重ねてきた剣術と聖術の数々の経験によって、トマス・クシャランは視界に頼らない空間認識を体得していた。目を瞑り其の感覚情感(リソース)を全身に行き渡らせる事で、通常の有視界では知りえない細かな機微や空気中の小さな変化までも感じとる事ができるのである。
 クシャランは眼の前の空間に淡い邪悪な気配をつかみ取った。其の気配の出どころを辿っていくと、其れはどうやら天井の方へ向かっている。目を瞑ったクシャランの顔が天井に視線を移し気配の動きを探っていく。そしてついに奥行のある天井が広がっている中で一か所、明らかに周囲の色合いと違い

を見つけた。
 次の瞬間、クシャランは双眸(そうぼう)を其の邪悪な一か所に向け聖刀インギスを上段に構えた。口から息をつく暇も無いほどの詠唱(オブリビオンズ)が立て続けに唱えられる。
「… ……… ……。… …全ての邪悪よ、今すぐ退けッ。恵みの林檎(アヴァロン)!!」
 不思議な質量を伴った聖刀インギスをクシャランが力の限り振り下ろすと、其の軌道上に鋭い光線のような光の帯が発生し一気呵成に上方へ襲い掛かった。直視する事も叶わないほどの輝きを伴ってその光が天井に衝突する。
「ギャアアアアアアアアアッ」
 天井全体に衝撃が走り、大きな音と共に長年堆積した砂埃が舞い散る。其の中を叫び声をあげて落ちてきた異形の者が居た。
 人間と同程度の夜の御遣い(ナイトフリッカー)とは比べ物にならないほど身体が大きく、全体が黒々と薄汚れている。そして、奇妙な事に其の頭は動物のヤギに酷似していた。
「……なんっだ、此奴。」
 クシャランは目の前に居る化け物を見て発作的に言葉が出た。
 幼い頃から剣術に生き中央十字軍(セントラル・クルセイド)、そして退役後とクシャランは戦いをその生業としてきた。そして其の人生の中で魔物との闘いも数えきれないほど経験してきたのである。だが此の今目の前に居る魔物については、幾ら自身の記憶を思い起こしても見当たらなかったのである。
 呆気に取られているクシャランの眼の前で其の異形の化け物が身体を起き上がらせようとしていた。太く傷だらけの右腕が冷たい床の上に立てられ、身体が起こされる。次に左腕を立て残りの部分が起き上がり、両足で立ちあがった姿はクシャランを容易に見下ろすほどに巨大であった。
 表情の見えないヤギの顔が細かく振動するように右、左と動く。
「ロロロォ… ……」
 其の異形さは明らかに低級な魔物ではなかった。其の時クシャランはやっと気づいた。此れは罠だったのだと。
 確かにアルが此の遺跡に迷い込んだのは偶然かもしれないが、此の魔物はアルを殺す事なく救助が来るまで放置していた。また、クシャラン達がアルを助けた後ゆっくりと警戒心もなく歩き始めるまで辛抱強く待っていた。つまり此の魔物はアルだけを捕獲するよりもアルを餌として今よりも大きな利益を得ようと考えていたのである。其処には紛れもない思考の存在が感じられた。魔物である為、思考といっても其れは単純に本能に根差した反射的なものかもしれないが、ともあれ此の魔物は一筋縄で行かない可能性が高いとクシャランは感じていた。
「……まぁ、良いや。初物であっても俺がやる事はおんなじだ。アルは丁重に返してもらうぜ。」
 クシャランは異形の者に向かって再び聖刀インギスを構える。魔物はまだクシャランの様子を伺うように見下ろしている。
「… ……… ……来ないのか?では、行かせてもらう。」
 クシャランが一言云い放った時、もう其処に彼の姿は居なかった。
 次の瞬間には魔物の太い脛に大きな切り傷が発生し、其処から毒々しい血液のような液体が噴射した。
「ギャアッッツ」
 クシャランの姿は既に魔物の後方にあり、次の太刀の準備を始めていた。切っ先が右、左と流れるように動き、やがて黄金色の帯を発生させる。
「来いよ。」
 クシャランの初撃により目が覚めたような魔物が、重たそうに身体の方向を変え此方に向かってくる。どうやら動きはそれほど早くないらしい。魔物の右腕が無造作にクシャランに伸びていきもうすぐ光の帯に達するまで近づいてきた。
 ジュワっと肉の焼ける凄まじい音をさせ魔物の腕が光の中に入ってくる。が、其の腕は以前として勢いを止めず、其の儘クシャランの身体を鷲掴みした。
「……ガハッ!!」
 其の信じられない握力によりクシャランの身体が潰されそうになる。クシャランは吐血し、無造作に持ち上げられた其の身体は固い床に向かって思いきり投げ捨てられた。叩きつけられた身体が床で二三度跳ねあがった。
「……ゴフッ」
 神殿の白い床にクシャランの血が無情に飛び散る。
 其の光景を柱の隅で見ていたエリーは、思わずクシャランの名を叫びそうになるのを必死で抑えていた。
「わ、私… ……どうしたら良いの?… ……」
 エリーは両手で顔を覆って大粒の涙を流して泣いていた。ディナはまだ外で戦っている。アルの意識はまだ戻らない。今自由に動けるのは自分だけだ。だが、非力な自分に出来る事なんてあるのだろうか。戦う事が出来ない自分がクシャランの為に今出来る事としたら、あるいは。
 エリーは涙と鼻水と埃で汚れた顔をもう一度上げ、クシャランの方を見て身体を起こした。震える手を無機質な柱につける。
「… ……クシャラン、今、行くから」
 恐怖と混乱に支配され、(うずくま)りそうな身体を奮い立たせてる。一年前、自分のような向う見ずで無鉄砲な子供を命懸けで助けてくれたクシャラン。
 大抵の大人は小生意気で自分より知識のある子供を快く思わず、見て見ぬふりをされた事もあった。だが見ず知らずの街の酒場で本を読み耽っている自分の隣に、大柄で熊のような身体で興味深く本を覗き見てきた変な男は、取るに足らない本の中の疑問をまるで他意無く問いかけてきたのだった。そして、其処から此の男との旅が始まった。自分の人生が始まった瞬間だった。
 俯いたエリーの脳裏に様々な記憶が呼び起こされる。其れだけで力が沸き起こる気がした。今なら行ける。そう思い意を決して柱の陰から飛び出そうとした時、肩を思い切り掴まれた。
 エリーが驚いて振り向くと、其処には目覚めたアルが立っていた。

                   ****

 クシャランは身体中に激痛が走り思うように身体を動かす事ができなかった。
 まさか、聖術を物ともしない魔物が居るとは。此れまでの人生の中でそのような魔物に出会った事がなかったクシャランは自身の認識の甘さに歯噛みした。少し動かすだけで痛みに軋む首を横に向けると魔物は既に此方に向けて歩を進めていた。
「… ……さて、どう…するかな… ……」
 聖刀インギスを床に突き立てて身体を持ち上げる。なんとか両膝で立つように起き上がる事が出来た。身体に力を入れると胃の中が逆流して又吐血した。真っ赤に染まった手の平を見てクシャランは自身が後どれくらい動けるかを予想していた。次の攻撃を食らえばもうダメだろう。奴を倒すには次の瞬間に賭けるしかない。
 そうクシャランが考えている間も魔物は進行を続けており、ついにその大きな腕を伸ばす動作を始めていた。やはり巨体なだけあって接近する速度が速い。クシャランは考えるまでもなく覚悟を決め最後の聖術を謳おうとした其の時、魔物の大きな背中へ小さな石ころが当たった。驚いて石ころが飛んできた方向に眼を移す。
 其処に居たのはアルだった。アルが辺りに転がっている崩れた壁や柱の破片を拾って魔物に向かって何度も投げつけているのだった。
「… …ばっ、馬鹿野郎!!…アル、お前、余計な事するんじゃねぇ!」
「其処から早く逃げて!僕がお化けの気を引くから!!」
 そういうとアルはクシャランがいる方向とは逆方向に走り始めた。視界からアルの姿が遠ざかっていく。クシャランは其の姿を見て気が気では無かった。自身の傷等構っている暇は無い。此の身体等いつ壊れても良いと思えるような切迫した思いが満ち溢れ、身体をなんとか起き上がらせる事ができた。
 クシャランは眼を瞑り、詠唱(オブリビオンズ)に身を委ねる。
 聖術が紡ぐ黄金の輝きは生命の宿る人間には危害を与えない。只、邪悪なる存在を消し去る為だけに存在する。クシャランは聖刀インギスを左真横に構え、心の奥底に眠る魂像(クオリア)に問いかけた。自身の信じてきたもの、守りたいもの、そして揺るぎない思いを。
 其の心を受け取るかのように聖刀インギスの鋭い剣先が強く光を放ち始め、やがて其れは次第に大きくなった。クシャランを中心として水平方向に光の帯が広がっていき、そして最後の詠唱が口をつく。
「…裏切り者の丘(イスカリオテ)
 左横に構えた聖刀インギスの刃が、まるで重力が消失したかのようにふわりと水平に走った。其の軌道上に突如として現れた大規模な黄金の帯は、さながら天に輝くオーロラのようであった。それらが神殿の室内全体に発生し、目の眩むような様相を呈する。アルを追いかけていた魔物の身体にも黄金のオーロラは覆いかぶさり、其れがまとわりつくように魔物の身体に沁みついていく。
「…ロロロォォ… ……」
 魔物の身体が突如動きを止める。アルが息を切らせながら其の姿を恐ろし気に見上げていたが、暫く動かない所を確認すると足早に此方に走ってきた。其のアルの姿の後ろで、ゆっくりと魔物が灰となって風に散っていった。
「クシャラン!!」
 聖刀インギスを杖のようにして辛うじて立っているクシャランを横から支えるようにアルが寄り添う。クシャランは荒い息をしながら、アルの頭に手を乗せた。
「大丈夫?」
「…ああ。お前こそ、ケガしてないか?」
「僕は大丈夫だよ。… ……ごめん。」
「… ………。宿に帰ったら説教するから覚えとけよ。」
 アルの頭を撫でながらクシャランは笑った。
「クシャラン!アル!」
 柱の陰からエリーが涙を流しながら走ってきた。床に転がった石の破片に躓きつつ必死に近寄ってくる。
「エリー!!」
 アルが手を振って大声でエリーに返事をする。アルとエリーの無事を一先ず安心する事ができた。エリーに向かってクシャランも小さく手を上げて返事をする。が、其の後ろに動く物を見てクシャランは絶句した。
 エリーが隠れていた柱の陰から壁を這いずる魔物が居たのだ。そして、其れはつい今しがた自身が何とか倒す事が出来た魔物と同種のモノだった。
 大きな巨体が壁に大きな手足を張り付けて留まっている。まるで重力という物を無視した姿は其の異形をより際立たせていた。ヤギに似た顔面がゆっくりと動いてエリーの姿を見下ろしている。
「…!!……エリー!!今すぐ其処から逃げろ!!後ろに魔物がいる!」
「え?」
「早く!!」
 クシャランは力の限り声を張り上げる。だが深手で聖術の型を放った身体は既に悲鳴を上げており、此の位置からエリーを救いに向かう事は不可能だった。
 エリーが振り向いた時、既に魔物は其の大きな手で彼女の身体に掴み掛からんとしていた。
「あぁ!!」
「エリー、逃げてぇー!」
 アルが割れるような叫び声をあげた、其の時。
 突如一筋の光が魔物の首筋を流れるように通過すると、先ほどクシャランが仕留めた魔物の時と同様壁に張り付いていた魔物は動きを止め、その後重力に吸い処せられるようにゆっくりと床に落ちた。重たい音を立てて埃の中に(うずくま)る魔物の身体が分厚い灰の山へと変わる。
 振り向いた姿勢のまま腰を抜かし床に座り込んでいたエリーの横に、一人の男が中空から降り立った。男は金髪で端正な顔立ちをしており、美しい模様をあしらった軍服を着ていた。青と白を基調にしたマントがふわりと風に揺れる。其の内側に見える右手には鋭い針のような奇妙な剣が握られていた。
「君、怪我は無いかい?」
 男はエリーに手を差し出し、声を掛けた。呆気に取られていたエリーはその言葉に不図我に返り、慌てて立ち上がった。
「い、いえ。大丈夫です。」
「そうか。其れなら良かった。少し膝を擦りむいているようだから、早めに処置しなさい。」
「はい… …」
 男はエリーに笑顔を見せた後、其の顔をクシャランの方へ向けゆっくりと歩き始める。
 魔物を倒したあの力は紛れもなく聖術だとクシャランは思った。ではこの男は軍の人間だろうか?だが、かつて居た中央十字軍(セントラル・クルセイド)でも此の男の顔には見覚えが無い。かといって自身が除隊した後に入った新兵には到底見えなかった。あの斬り慣れた手際の良さを見る限り、男の力はあまりにも傑出している。
 クシャラン達の方に徐々に男が近づいてきた。
「君達は大丈夫か!?」
 男はクシャランとアルに向かって声をあげて問いかける。其の姿が近くなるに連れ、男の胸元についている部隊章が目に入った。其れは見覚えのある物だった。
「……極東十字軍(イースタン)… …」
 クシャランの呟きにアルが反応し顔を見上げる。
 極東十字軍(イースタン・クルセイド)、異称をイースタンと云う。主にユーフォリア大陸の東エリア全体を管轄している軍である。
「何故奴等がこんな西側(トコ)にいるんだ?」
 クシャランが男を見て独り言ちている所で、男がすぐ目の前にやってきた。警戒してクシャランの腰にしがみついたアルを確認し、其れから顔を上げたところで目が合う。
「私は軍の者だ。君達を助けにきた。」
 男がクシャランの眼の前に手を差し出して握手を求めてきたが、クシャランは以前として黙秘していた。其の雰囲気を察して男がぐるりと周辺を確認すると、先ほどクシャランに倒され灰の山となっている魔物に気が付いた。其れを見た男はほんの少し眼を見開き驚いたような表情を見せると再びクシャランの方を向いた。
「… ……あれは、君が退治したのか。」
「…… …… ……。」
「… …驚いたな…。…… …見たところ、魔物(ヤツ)と真向から戦ったとお見受けするが… …」
 何が珍しいのか、男は心底感心しているように見えた。其の顔を見てクシャランは大きく溜息をついた後、顎をくいと少し上げて男に話す。
「……あぁ。かなりキツかったがな。だが一体、ありゃなんだ?生まれてこの方、あんな手強い化け物に出会ったのは初めてだ。」
 其の答えを受けて男の声色が少し上がった。
「で、では、やはり、魔物(アレ)と正面から戦って退治したというのか!?」
「… …え。…あ、あぁ。…だからそうだって。」
 クシャランが面食らっているのを見て、男は自身が取り乱していた事に気づく。
「あ、いや。……失礼。まずは私の名を。…私の名は、ルートヴィヒ・アウグスト。軍人だ。… …いや、然しまさか、異端の殉教者(ビリーヴァーズ)と真っ向から渡り合える者が居るなんて。」
異端の殉教者(ビリーヴァーズ)?」
「あぁ。奴らの呼称だよ。元々は暫定的な呼び名だったが、我々の間では定着している。」
「……? 云ってるイミが分かんねーな。あんただって、一撃で倒してたろ。丹念に込めた聖術で。」
 其のクシャランの言葉で、再度アウグストが驚きの表情を見せた。
「…… …もしや、君は西方十字軍(ウェスタン)なのか。… …そうか、道理で…… …」
「… ……。 …… …ほう。… …… ……一つ断っておく。西方十字軍(ウェスタン)では無い。中央十字軍(セントラル)だ。」
 クシャランの鋭い言葉を聞いて、目線を床に落とし一人で納得していたアウグストがはっと気づいたように顔を上げた。
「… ……あ、失礼。中央十字軍(セントラル)だったね、済まない。深い意味は無いんだ。西側の軍人(こちらのにんげん)と出会う事も全く無いし、ましてやこの様に個人的に話す経験も初めてなんだ。申し訳なかった、丁重にお詫びするよ。」
 そう云うと、アウグストは仰々しく詫びの礼をする。其れを見てクシャラン自身も厳しい戦闘と怪我の所為で少しく気が立っていた事を自覚し、気分を変えるように努めた。
「まぁ、俺はもう軍の人間では無いがな。二年前に除隊している。」
「そうだったのか。だが、君の其の力… ……相当なものだとお見受けする。軍に在籍していた時は、やはり…… …」
 そう話ながら男の目線がクシャランの聖剣にぴたりと止まると、再びアウグストの語気が強まった。
「此の刀… ……其の柄の模様と紋章… ……。そして、刃の表面を薄く包んでいるかのような黄金色の光… ……まさか、聖刀インギス?!」
「あ?… ……良く知ってるな。此れは恩師から貰った大事な刀だ。まぁ、今となっては形見みたいなモンだが……」
「… …無礼を承知で聞くが、もしや貴方はトマス・クシャラン殿では?」
 そう云ったアウグストの様子が先ほどとは変わり、軍律に乗っ取った同等か若しくは其れ以上の者に相対する場合の反応を見せた。
「…… ……な、なんだ?… ……あんた、何で俺の名前知ってんの。」
「…… ……クシャラン、有名人なんだね。」
 アルが下から合いの手を入れる。
「や、やはりクシャラン殿でしたか。… …お噂は予々(かねがね)聞いております。数々の武勇伝や隊で唯一、聖刀インギスを引き継ぎになったお方。そして、キルリスの大風の異名を持つ中央十字軍(セントラル・クルセイド)随一の騎士。」
「… ……やめてくれよ、恥ずかしい。良くもまぁ、そんな下らない与太話を人前で偉そうに講釈出来るな、あんた。」
 高らかに半ば興奮気味に語るアウグストに対して、其れよりも遥かに低い温度感で覚めたようにクシャランが返す。
「そんな事よりも、俺が気になってるのはあんた等の事だよ。なぜ極東十字軍(イースタン・クルセイド)が此の西の地に足を踏み入れているんだ。未だかつてそんな事はありえなかったはずだぞ?東と西は其々の領分を確実に受け持ち守る。其れだけが軍の原理であり決まりだ。」
 此の広大なユーフォリアに国が出来て以来、軍は共に歴史を歩んできた。だがその軍成立から現在まで一度として西側と東側は互いの領地に入る事はなかったのである。
 クシャランの問いにアウグストが静かに頷き、そして其の答えを紡ぎ始めた。
「はい。おっしゃる通り、我々西側と東側は此れまで一度も交わった事はありません。そして、それでも我々は其々の与えられた地を数々の災厄から守ってきました。… ……だが、此れは正確な日付は分かっていない事ですが… …それに、

分かっていないのです。… ……つまり、其処で先ほどの魔物の話に立ち返る事になるのです。」
「… …………。」
異端の殉教者(ビリーヴァーズ)。奴等が突如、此のユーフォリア大陸全土に出現したのです。調査の結果、其れはまるで、申し合わせたように同時多発的に発生したのです。」
「… ……あのヤギの化け物が?」
「… …はい。正確には、奴等の頭部の意匠については様々です。ヘビであったり、ウサギであったりとあらゆる種類の所謂、野生生物の頭部が乗っています。」
「… ……何か分かった事はあるのか?」
「一つ。我々は奴等を討伐していくにつれて、ある一つの共通点を見つける事ができました。其れは、彼らが

だという事です。」
「人間?」
「はい。そして更に、彼らは様々な宗教の敬虔な信者だという事。」
「おいおい、ちょっと待ってくれ。あんなに人間離れした化け物が、人間だと?何故そんな事になる。一体誰の仕業だ?」
「其れを調べるのが目下我々の課題です。そして、其れが今、私がこうして西の地に足を踏み入れている理由なのです。我々極東十字軍(イースタン・クルセイド)はこの度、長年の軍の戒律を飛び越え、中央十字軍(セントラル)と共闘し事態の収拾を図る事を目的として編成されました。」
 アウグストが厳格に、そして適格にクシャランへ説明する。クシャランは自身が軍を離れている間に起こっていた災厄に只驚きを隠せないのだった。
 そんなクシャランの心情を知ってか知らずか、アウグストが引き続き言葉を続ける。そしてこれから紡がれる言葉は、クシャランにとって思いもよらぬものであった。
「今現在、我々はこのクレステインの地を捜索中です。そして、今こうして皆様を救い出せた事も、本当に奇跡のような出来事でした。」
「あ!そういえば、ディナは!?」
 近くにいたエリーが不図思い出して声をあげるのだったが、それに対してもアウグストは笑顔で答える。
「外にいらっしゃった女性も心配には及びません。今私の部下が外に待機しています。と云っても、既に其の女性がほとんどの魔物を討伐してく下さっていましたが… …」
 エリーはアウグストの言葉を聞いてほっと胸を撫でおろす。此れで仲間全員の無事が確認でき、クシャランも安心する事ができた。
「クシャラン殿。」
「…… …?…」
 アウグストが突如、真剣な表情をしてクシャランの方に向かって話を始めた。
「今、世界は危機的な状況に陥りつつあります。其れは、我々が異端の殉教者(やつら)の存在に気づき対応を始めた時から、段々と其の規模を増しています。まだその数はユーフォリア全土から見れば少ないかもしれません。ただし事態は既に深刻なものであり、一刻の猶予も許されないのです。此の未曾有の災厄に対して、我々十字軍は東西の垣根を取り払って今集結を始めました。… …其処に、かつて名を馳せたトマス・クシャラン殿が加わって頂けるならば、此れ以上心強いものはありません。」
 其れは予想外の申し出だった。東西十字軍(クルセイド)の合流。世界を覆いつつある異端の殉教者(ビリーヴァーズ)。自身が軍を除隊して二年の間に、何時の間にか世界は急激に様相を変えている。
 其の時入口からディナが姿を現し、此方に向かってきた。皆の姿を見つけて手を振る。
 ゆっくりした足取り。若干の疲れは見えつつあるものの、身体に怪我は無いようだった。
「はぁーあ、疲れたよ。」
「ディナ、大丈夫だった?」
 エリーが嬉しそうにディナに近寄る。其の顔を見たディナは穏やかに微笑みエリーの肩に手を置いた。
「あぁ、問題無いよ。……あぁ、あんた。さっきはどうも。御陰で助かったよ。」
 ディナがアウグストに声を掛ける。アウグストもディナに向かって軽く会釈した。
「…いえ、とんでもない。お力になれて良かったです。御無事で何より。」
「ふん。」
 其の社交辞令のような言葉にディナはお愛想といった笑顔を向けた。
「… ………で、クシャラン殿。どうでしょうか?我々と共に戦っては貰えないでしょうか?」
 クシャランはアウグストの申し出を聞き、少しく考えた。だが、何度考えてみても答えは一つのような気がした。
「……… ………俺は二年前、除隊した。其れは俺の恩師を殺されたからだ。そして其れ依頼、俺は全てを失って、一から始めたんだ。そんな俺のどうしようもない状況で、死にかけた事もあった。……だが、今、俺にはこうして仲間がいるんだ。」
「… ………」
「…まぁ、こうやって見て見れば、とてもヘンテコな面子だがな。… ……だが、ともあれ俺は今、此のパーティに居る。そしてな。実は今、其のパーティでやらなければならない案件が、これでもかって云うくらいあるんだ。アル、エリー、ディナ、そして、俺にまつわるもの。それは全てが何よりも優先されるべきものだ。其れが例え、世界の危機よりもな。」
「… …… …」
「だから、悪い。あんたの申し出はとても有難いが、其の依頼は受けらんねぇ。まぁ、此のパーティの用事が全部済んだら、其の時考えるよ… …」
 クシャランの其の思いがけない答えに、アウグストが呆気に取られる。
「… …そ、そんな。… …世界の危機が其処まで来ているのに!」
「… …ああ。わりいな。」
「あなたは、中央十字軍(セントラル・クルセイド)の騎士なのですよ?!」
「俺は今は、只の放浪者だよ。… ……んじゃ、俺達、そろそろ行くわ。」
 クシャランはそういうと、アウグストの肩をぽんと叩き神殿の入口の方に歩き始めた。エリーとアルが笑っている。其の後ろからディナがついていき、アウグストに向かって後ろ手に手を振った。
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