サク山某氏について

文字数 2,814文字

 サク山チョコ次郎と云う人物について私は極めて無知であり、最初其の名を耳にした時は何処ぞの下手人か乞食の類であろうと決めて掛かっていたのであるが、改めて名を音読してみると何やら三流大衆誌に駄文を投稿する記者のような胡散臭い響きがある。
 名は体を表すと云うが、いずれにせよ尋常の者ではなかろうとinternetで調べてみれば、現れたのは全身が濃い体毛で覆われ、唇が異常に膨張した物の怪そのものであった。人で無しを想定していたとは云え、最早姿形から人では無かったと云う事実に私は驚愕した。
 ともあれ、私がなにゆえそのような化け物を好き好んで調べているのかと云えば、原因は細君である。家の細君が件の化け物、詰まりサク山チョコ次郎氏に大層ご執心なのであった。近頃、私が書斎で作業を行っている際に気配無く背後に現れた細君の、無言で突き出された両手の中に体良く収まっている其れは件のサク山某氏の縫い包みである。聞けば職場近くのconvenience storeで購入したらしい。
「此れが、最後の一つでしたの。」
 私にすれば化け物の縫い包みが売り切れようが売り切れまいが自身の生活に何の支障も無いのであるが、どうやら細君にとっては重大な要件のようである。毎日昼食を購入するconvenience storeの商品棚に縫い包みが陳列されて以来、彼女はいつも横目で其れを眺めて居たが、徐々に一人、又一人と消えて行き、ついには最後の一人となったところで我慢の限界に達し、衝動的に購入を試みたのだと云う。私は人助けをしたのです、と全くもって不可解な証言で当時の心境を語り、胸を熱くしながら彼女が化け物を愛でるところを見るにつけ、またいつもの事かと私は無言で考えて居た。
 何故だか分からぬが、細君は自身に良く似たものを愛でると云う習性を持って居る。苔玉に始まり、TVgameの登場人物であるslime、米国映画の登場人物であるMinion、東宝の特撮喜劇であるクレクレタコラに出演しているチヨンボ等、総じて彼女の御眼鏡に叶うものは形状の丸さが一際眼を惹くものばかりであった。翻って細君本人と云えば、昔職場の昼休憩で握り飯を頬張って居た際、隣に居た同僚に「共食いって感じやね」と云われた経験があると云う。詰まり、彼女も大いに丸いのであった。但し、其の丸いという表現は体積が過剰と云う意味に於いてでは無く、彼女の持つ雰囲気等を指して周辺がそう評して居ると云う事実は、彼女の名誉の為補足しておく必要があるだろう。ともあれ細君がサク山氏を愛でて居ると云う構図は、傍から見れば同類が仲間を愛でて居るようにしか見えず、然しよくもまあ次から次へと世界中に散らばった自身に瓜二つの仲間を何処からともなく上手に見つけてくるものだな、と其の探知能力には素直に感心した。
 で、日頃から私の頭を悩ませる小さな問題はと云えば、其れは彼女が愛でるべき仲間たちについての、詰まり、細君の愉快な仲間たちについて、それらがどれほどに尊くかけがえの無い存在なのかについて、あろうことか此の私に率直な意見を求めてくる事であった。
 一つ断っておけば私は件の丸いそれら界隈ついて専門的な知識は一切無く、全くのずぶの素人であり、例えば細君がサク山氏の手足の短さを絶賛したり、頭部の黄金比率的な優雅な輪郭について詳細な蘊蓄を講釈してくれたとしても、其処に何の感銘も生まれないのであった。屹度、私にはそれら界隈の感受性が皆無なのだろう。そして、そう云った事情にも関わらず彼女は相も変わらず私に意見を求めてくるものだから、私はなけなしの頭脳で捻出した素朴な感想を云うのであるが、当然、そのような張りぼての感想は受諾されないのであった。否、其れは違う。と云われ、其処から三十分、彼女の演説は延長さるるのであった。このような否定と講釈の繰り返しが延々と繰り広げられるのである。控えめに云ってかなん。非常にかなん。
 だが今回は少し様相が違った。私は此の時、或る知人から聞いた言葉を思い出して居たのだった。其れは、雷嫁と口論になった場合の対処法についてであった。知人は雷嫁と口論になった際は、必ず貝のように押し黙ってしまうと云う。其れが長年の経験で編み出した最善の策であると云うのだ。
「口の達者な嫁に対しては、最早我々に出来る事は何も無いよ。一言反論すれば十倍になって返ってくるからね。何も云わない事が肝要なのさ。マァ、云わなければ云わないで其れについての批判が十倍くるが、いずれにせよ十倍に変わりは無い。なあに。暫くすれば嵐は過ぎ去っていくよ」
 私は此の知人の金言を思い出し、いっちょ此の策を講じたろ、と思い、細君が何を云ってきても押し黙ってしまう事に決めたのである。そして其れを直ぐに実行に移した。
 細君がサク山氏についての講釈と其れに対する意見を幾度も求めてきたが、私は其れを悉く無言で貫き通した。最初、彼女はそんな私の顔色を多少伺う程度であったが、何度意見を求めても私がうんともすんとも云わなくなったにつけ、徐々に違和感を抱き始めたようである。矢張り、知人の金言は正しかったのだ。私は其の瞬間、心の中で拳をぐっと握ったのであるが、其れは時期尚早だったようである。
 予想外だったのは、細君の方も此方の戦法を理解し始めたようで、あろうことか彼女も此方を凝っと見つめながら無言を貫き通し始めたのである。そして、私の眼の前に件のサク山氏をかざしてふわふわさせ始めたのだ。其処で私ははっと気づいた。此の知人の私は貝になりたい戦法の唯一の弱点と云えば、其れは仮想敵である相手方が猛烈な超超攻撃型、詰まり拳で全力で殴りかかってくる相手に対しては、云わば太極拳で云う流水の如くにそれらを受け流すと云うところが此の戦法の肝なのであるが、事相手方が攻めるのを止めてしまった場合に、其れ以降の対処法が無いところに致命的欠陥があった。
 詰まり、サク山氏についての意見を暴力的に求めてくると云う攻撃があったからこそ成立し得た戦法であるのに、細君が其れをぴたりと止めてしまった今、私は再び何の策も無いずぶの素人に成り下がってしまったのである。尚且つ最悪なのは、言葉での攻撃を止めてしまった細君が今度は無言の攻撃を始めたところであり、其の未知の攻撃に対して、最早私には何の策も無かった。何の策も無かったものだから、私は無言であったがなんとか抵抗を試みてやろうと、眉と眉を逆八の字にしてぐっと睨みつけ威嚇的な表情で細君を見た。愚かな悪あがきである。鼬の最後っ屁的行動であった。が、恐ろしい事に其れに対して細君も同様に眉と眉を逆八の字にして此方をぐっと睨みつけ威圧的な表情をしてきたのである。
 そういう無言の攻防が私の書斎で暫く続いたのであった。平日の深夜である。静謐な書斎で、細君の手の中のサク山氏がふわふわと動いているのみであった。
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