コロナについてのAtoZ

文字数 3,882文字

「… ……フィッ!… ……フィッ!!… ………」
「… …… ……マスクしてよね。」
「……フィッ!… ……ふ、ふいっ!…… …… …ふ、…フィッ!… …フィックション!!」
「… …… ……なにそれ。カトちゃんかよ。」
「……この物語は誰が何と云おうと完全にフィクションです。なので、此の読み物を一読の際は用法用量を正しく守って安全にご利用下さいませ。」
「… …… …… ……フィクション?…… あんたさ、さっきから食堂の窓に向かって何ぶつくさ云ってんの。熱でもある?てか、止めてよね。あんたと一番仕事やってんのあたしなんだからね。り患されると、あたしもノーコーセッショクシャになるんだからね。…… …。…… …あ、いけない。もうこんな時間。あたし先、仕事戻るね。」
 まず身近な所から話を始めると、僕は本を読むのが好きである。一冊の本の中には僕のまだ知らない物語があって、体験があって、知らない町がある。そして、それは必ず紙媒体である事が前提であり、そこについて今は言及したい。
 タブレット端末が普及してから電子書籍が急速に普及して、其れは其れで便利な物であるには違いない。タブレット一枚を持っていれば、其の中に何十冊もの雑誌データが入っており、定期購読やサブスクで契約しようものなら、その気になれば毎月読み切れないほどの雑誌を読み漁る事も可能だ。其れに、紙媒体と違ってモノ自体はタブレット一枚だから其の重量だって500グラムほどだ。だから旅行には非常に持ってこいである。ミニマリストには持ってこいなのではないだろうか。字面で利点を書くと、此の極めて効率化を図った資本主義の粋とも云うべきシロモノは大いに魅力的である。だけれども、そういう風な時代においても、僕はやっぱり紙媒体が好きなのである。
「で、お前、次、何食べるのよ。」
「え?」
「いやだから。さっきから横の壁に向かってぶつくさ云ってるけど、俺の事無視すんなっての。もう女と電話終わったから。」
「そうなの?」
「おうよ。アァ、でも俺疲れちまったよ。一途な女ってやつも考えものだぜ。可愛いやつなんだけどよ。だけど、時折息がつまっちまう。欲を云えば、もうちょっと女友達と遊んでてほしいんだけどさ。依存するのは、やっぱりなんにせよ良くは無いよ。」
「ふうん。ハイハイ、ごちそうさま。」
「良いって。ところで、此の店、相変わらず人多いいよなぁ。まじで。まぁ、良いんだけど。面白いから。」
 では、紙媒体の良さは一体どういうところなのだろう。僕が紙媒体の好きな所を羅列してみますと、まず手触りですね。本の紙の手触りは非常に良いと思います。つるつるしてたり、ざらざらしてたり、色々あります。其の色々な感触が手に伝わる。一口メモですが、ハードカバーのつるつるはひんやりと冷たいので暑い夏の日に触れると若干の涼がとれます。
 それから紙媒体には匂いがあります。新刊等は、無造作にページを開いて其処に顔を突っ込んで深呼吸してみれば、清廉なインクの匂いがして、脳みそ全体にマイナスイオンのように降り注ぎます。此れには極めてリラクゼイション効果が期待できるでしょう。知らんけど。また、古書には古書の独特のかび臭さや紙臭さが密集した何とも言えない饐えた匂いがして、其れは其れで此方も新書に負けずとも劣らない良い匂いがします。今思いつきましたが、右手に新書もって左手に古書を持って匂いまくれば、其れは其れは匂いの幸せ者、つまり匂い将軍になれるのではないでしょうか。まぁ、面倒なので僕はやりませんが。
 其れに、紙媒体はしおりを挟む事ができます。しょうもないしおりでも良いし、思い出の写真でも良いでしょう。自分好みのしおりを本日の成果の箇所に記録としてぶっ刺し込むが良い。そしてまた明日は其処から読み進めるのです。
「うん?」
「うける。」
「何が?」
「どうすんの?時間、なくなっちゃうよ?」
「うーん。」
「そんなに独り言が楽しいワケ?私は別に良いんだけどね。楽して稼げるワケだし。」
「うーん。」
 昼間に公園のベンチに寝っ転がって本を読んでいれば、眠くなる事もあるでしょう。そういう時は其の開きっぱなしの本を顔に被せて日光を遮りながら眠る事ができます。また、沢山の本を頭の後ろに積めばあら不思議、枕の代わりにもなってくれます。
 つらつらと紙媒体の良い所について述べて見ましたが、これらはタブレットにはできません。タブレットの表面を物欲しそうに触ってもつるつるなのには変わりないし、タブレットのディスプレイに鼻の先をおしつけくんくんしても、真剣に匂ってみても電子機器の匂いがするのみでしょう。しおりを挟もうにも、データしおり(こいつについては、まったくもって存在意義がない)を挟む事になるでしょうし、日光を遮る為に顔面にタブレットを置くとバランスを保つのに苦労して昼寝どころでは無い。唯一、タブレット端末を10枚ほど重ねると枕にはなるかもしれませんが、其処に唯一の欠点を見出してみるとすれば、其れをするには膨大な費用が掛かってしまうという事です。
 まとめましょう。紙媒体の良さは、色々申し上げましたが要は、其処にある実存なのではないでしょうか。物として紛れも無く私の眼の前に存在する。それ自体が紙媒体の本の良さです。
 寺山修司の書を捨てよ町へ出ようは、多分かつて読んだ事がきっとあると思うのだが、その内容についてはすっかり忘却の彼方であり、今となっては其のタイトルから内容を想像するしか無いのであるが、朧げな記憶を拾い上げて考えるに要は強度の話だろう。百の知識より一度の経験が重要なのであり、手で触れて、直で眼で見て、耳で聞いて、其の空間に身をおいて肌で其れを感じる。其れこそが人生の強度を作り上げる。そして、僕も今まで其れが正しい事だと思っていたし、実在に触れることが正しい態度だと思っていたが、其れが徐々にそうでないという雰囲気に変わってきたのは何時頃だろうかと考えると、其れはやはりSNSが主流になってきた頃だろうか。ラインで交際の別れを文字で告げるというのは、当時の自身の感覚にはなかったので非常に驚愕した。ことほど左様に、今まで面と向かって行っていた数々のコミュニケーションが時短と効率化という社会的な要請により強度という摩擦を削ぎ落したのだった。全ての事柄がセルフにおひとり様で行使可能となっていったのである。
「想像してみて。」
「何を?」
「私たちが、今、高層ビルから一緒に飛び降りてる所。さっき20階辺りを通り過ぎたわ。」
 僕はウーバーイーツの出現により、いよいよ持っておひとり様生活は極まったと思ったのである。今まで、家から出て面と向かって人と会話をして行っていたあらゆる出来事が、今はほぼ自宅で誰にも会う事なく完遂できる。子供の頃、人と出会ったら大きな声で挨拶をしましょうと云われ育ったが、今や僕等は挨拶もせず、人と面と向かう必要もなく生活する事が可能だ。そして、おひとり様なんて言語化してパッケージ化される事で其の価値観は多様性の大義名分の下で推奨されるのだった。其れは実感からの決別だった。
 コロナによって、其れこそ、今まで当たり前と思っていた価値観が天地のようにひっくり返ってしまった。かつて紙媒体を手にとって触れる実存こそが正しいと思っていた事が、今やあらゆる全てがディスプレイ越しに行われる事となった。かつて会議室で集まって行われた会議は、サテライトでウェブ会議で行われている。それどころか、出社していても、会議は個々人の机からやっぱりウェブ会議で行われる始末である。そして、不図、実感の名残を感じようとして有機ELディスプレイに触れてみても、其処で触れる事のできるのはやっぱりつるっとした質感のみであった。
「今さ、メール送ったから。」
「あ、そうなん。サンキュー。」
「なので、今、西宮くらいだと思う」
「ちょっと遅ない?あ、届いたわ。」
「ほら。」
「いやいや、」
 最近衝撃的な事があったのは、ユーチューブで2015年頃のフジロックのライブ映像を見た時だった。其処には、芋を洗うようにごった返した観客が激しくモッシュしていたのだが、僕は其の映像を見た時、其れこそもう、過去の歴史的記録映像を見るような、遥か大昔の映像を見たような気がした。そして、其の激しくぶつかり合う彼ら彼女らを見ながら僕は、密ですと思ったのである。コロナは何時の間にか僕の価値観さえも大きく変容させていたのだった。
 今や僕も其の効率的なシステムを享受しており、おひとり様で焼肉を食らい、友人とはテレビ電話で話し、ヴォイチャでゲームをする。私の本命は紙媒体ですと嘯きつつ、電子書籍を漁りながら近代最高と一人ほくそ笑んでいるのである。そしてから、スポティファイも近頃マニアックだなぁなんて言いながら、レコードの最高性を信じて疑わないのである。
 此の便利な物とレガシーな物ってのは、此れからも共存していくのだろうかってのが実は僕の最近の関心毎なのでして、此れからまたえらい東大卒の科学者たちが色々開発して、紙のような手触りの電子媒体やら、相手に触れる事ができるヴァーチャルリアリティが出来たら、其処にはまた実感、新たな強度が存在するのかなぁとか思ったりする。もしかしたら、此の便利な物とレガシーが共存している今の状況は、実は次の段階の過渡期であって、もうすぐ実感を伴ったネット社会が実現するのかもしれない。その時期が来たら或いは、いよいよもって僕はレガシーから決別できるのだろうか。

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