通り過ぎる町

文字数 6,582文字

 高速道路を下りると、両脇を雑草で覆われた古びた道路に出た。
 すぐ脇には何かの鉄工所があった。隣を通り過ぎるとき、トタン板の壁がとても錆びているのが見えた。休憩中なのかそれとも既に廃業しているのか、人気はなく機械も稼働していない。
 しばらく車を走らせたが辺りは山々に囲まれ民家もほとんどなく、飲食店などは何処にも見当たらなかった。ここは一言でいうと、何も無い町だった。
 「気持ち良いね。」
 助手席のユミが目を瞑って言う。車の中に差す陽の光のことを言っていった。抜けるような青空には筆で掻き毟ったような薄い雲が浮かんでいる。
 灰色のニットを着た胸元がゆっくりと動いて深い息を立てる。暖房が暑いのか車に乗り込んだ時からジャケットを脱いでしまっていた。
 「眠たい?」
 「… …ちょっとだけ」
 人差し指の甲で丸眼鏡の縁を上げながらユミが言う。
 僕は車を減速しながら辺りを見回す。どこかにラブホテルの看板がないか探してみるが、中々見つからない。目に入るのはくたびれた一軒家や敷地の広い木材集積場、それから煤けた背の低いビルくらいだ。こんなところに暮らしている人がいるのかと不図疑問に思った。
 観光地でもなく、有名な都市でもない。高速道路の焦点を目指しながら、目の端で忘れ去られてしまうような街。そういう所だと思った。
 車を何処まで走らせても相変わらず周囲を山々が囲んでいる。その山はもはや青さはほとんど無く茶色や赤色が目立つ。陽の光は先ほどから冷たい輝きを放ってフロントガラスを照らしていた。
 「そういや、ユミちゃんって何才だっけ」
 ふと思いついて口にする。
 「18だよ」
 リクライニングを倒しているユミは左腕を額に乗せている。僕はまだユミという名前と年齢しか彼女のことを知らない。


 「ここで降りようよ。」
 何処までも続いていくような、真っすぐな高速道路を走っているとき、ユミが突然言い出した。
 「え、どゆこと」
 目の端でユミの方を見るともなく見る。彼女は深く背もたれに身体を預け、外の風景を眺めていた。
 「別に何処でも良いんでしょ?」
 そう言いながら、今度は顔だけをこちらに向ける。肩まである黒髪がフロントガラス超しに柔らかい陽を受ける。
 最初は冬の海を見に行こうという話だった。今日は平日だけど僕は仕事休みだし、彼女も時間はあるというから、市内からここまで高速道路を走っていたのだ。
 「それはかまわないけど、海は良いの?」
 一瞬だけユミを見た。相変わらず表情の読めない顔で、僕の方を凝っと覗き込んでいる。しかし僕の問いかけを聞くと、彼女は結んだままの口を横に広げ困ったような顔をした。
 「うーん。確かに見たいんだけど… …。なんだか、窓から外見てたら、降りたい気分になっちゃった。」
 「窓から外見てたらって、一体何を見ていたの?」
 「町の景色」
 「町?」
 「うん。この今横に見えてる景色。畑と一軒家と工場しかない町ね。普通、降りないでしょ、こんなところ。」
 ユミはもう一度外の景色に顔を戻して、流れていく風景を目で追っている。
 「そうだなぁ。この辺りには、特に何にも用事が無いからね。」
 「いつも通り過ぎてしまう町、って感じだよね。」
 「そうだね。」
 「だから、降りてみたいなぁ、なんて思って。」
 そう言いながら、ユミは何故だか少し恐縮したような仕草をした。手元にあった小さなリュックを両手で軽く抱きしめた。
 「なんとなく、その気持ち分かるかも。」
 「ほんと?」
 「こんな場所に一体どういう人が住んでるんだろう、とか。ここにはどんな時間が流れているんだろうとか、そういうの、たまに考える。」
 「あ、そうそう、そんな感じ。そうなんだ。あたしも昔っから。そういう、どうでも良いことが気になっちゃうんだよね」
 「僕もおんなじ」
 ユミのテンションが僅かに上がる。と言っても彼女と同世代くらいの女の子なら、こういう時もっと騒がしくなるんだろうが、彼女は比較的おとなしい子だった。そして、こういう彼女の感受性は電話で話した時から感じていた。ユミと僕はそんな、どうでも良いところで気が合った。根本的な性質が似通っているのかもしれない。
 「んじゃ、満場一致でまとまった事だし、ちょっと降りてみる?」
 「うん!」



 「あ、あそこ。」
 窓の外を指さしながらユミが僕に教えてくれた。こつこつと窓ガラスに人差し指の爪をぶつけて音を立てる。ユミの視線の先を追うと、如何にも郊外のラブホテルと言った風情のコンクリートの建物。遠目からでも見える派手な看板は、しかし時代を感じさせるほどに風化していた。
 「お。ナイス。」
 ユミに誘導されるがままにハンドルを切る。近づけば近づくほど、建物の老朽化が見て取れた。そもそも、営業自体行っているのか心配になるほどの外見だった。
 バックミラーを見たとき丁度何処からか陽の光が反射してきて、思わず目を細める。今日は晴天。冬の平日の空気は、他の季節よりも浄化されて綺麗な気がする。ユミの正確な誘導で現地に到着すると、そのままドライブインに車を入れた。
 「おつかれ」
 「はい。」
 ユミが両手で伸びをする。僕も首を一周回す。辺りを見渡すと、車が3台ほど止まっていた。やっぱり営業しているようだ。少しほっとした。
 「図らずも、こんな錆びれたラブホに来ちゃったけど」
 「結構、走ったよね。」
 伸びの後、欠伸をしながらユミが言う。
 「そうだなぁ。出発したの、何時だっけ。」
 「えーと、あたしがイッコ電車乗り過ごしたから… …。そうだ。9時35分くらいに待ち合わせ場所着いたんだ。」
 「そっか。んじゃそれからコンビニ行って、出発したの45分くらいだね。かれこれ一時間くらい走ったのか。」
 「凄い眠たかったー」
 「海は後もう一時間くらいかかるよ」
 「え、そうなの?」
 ユミがあからさまに怪訝な顔をする。
 「行く前にゆったじゃん。」
 「まさか、こんなに長いとは思わなかったよ。もし海なんか行ってたら、このまま眠るだけになっちゃうところだった。」
 「まぁ、それでも良いけどね。どうせ寝るだろうな、とは思ってたし。」
 「良くないよ」
 少し会話をして、それから車を降りた。駐車場はしんと静まり返っていて、外界の音はまったく聞こえてこない。代わりにラブホテルに備え付けられた空調の稼働する音が低く鳴り響いていた。
 ユミが辺りを探すように見回すので、僕は無言でラブホテルの入口の扉を指さすと、小走りに僕の後をついてきた。そのまま僕を通り過ぎて、ユミが自動ドアの床を両足で踏んづける。ドアが静かに開いていく。
 「いや、床を踏んづけて開くってシステムじゃないから。」
 「そうなの?」
 彼女に自動ドアのシステムを一から説明しながら店内に入る。
 店内はやはり外から見た雰囲気と同じで、目を落とすと全面に見える敷き詰められた絨毯も、何処か煤けていた。また無人のフロントの受付システム。要は部屋を選ぶパネル画面も、やっぱり黄ばんでいて所々ひび割れていた。
 「どれが良い?」
 ユミに部屋の写真を見てもらう。
 「うーん。」
 「気に行った部屋だったら、どれでも良いよ」
 「うーん。じゃあ、この部屋にしようかな。」
 「どれ?」
 「別に、どれでも良いんだけど。でもユニットバスはイヤかな。それ以外。」
 「あぁ、それはヤだね」
 「だから、ここで良い」
 「オッケー。じゃあ、押しちゃって。」
 「よっ!」
 ユミが声を出して勢い良くボタンを押す。
 しかし押したにも関わらず、画面は何の反応も返さない。ユミが眉間にシワを寄せて画面に顔を近づける。
 「どした?」
 「なんか、全然反応しない」
 「ウソ」
 「ほんと。ホラ」
 そう言いながら、ユミが何度もボタンを連打する。
 「ちょ!ちょっと、そんなに何回も押したら、何回も清算されちゃうじゃん」
 眉間にシワを寄せながら執拗に連打する彼女を見て、僕は少し焦る。僕の想定外の焦りの声を聞いたユミは、険しい顔をしたままこちらを向き、なおも連打を続ける。
 「ちょ!ちょっと!お前、良い加減にしろよ」
 ユミのその間抜けな動作に、半笑いになりながら声を張り上げる。
 「ふふふ!これで請求が何千万円になったら、どうしよう」
 「やめろ!」
 「ふふ。なんだこれー。壊れてるのかな。ホラ。カチカチカチ」
 押すたびにパネルの明かりが消えたり点いたりを繰り返し、一向に確定しようともしない。
 「ダメだなぁ。んじゃ、その部屋諦めようよ。その隣の部屋は?」
 「えー。あたしこの部屋が良かったのに」
 「さっき何処でも良いって言ったじゃん」
 「今はこの部屋に心奪われてるの!」
 「えー。そっか。んじゃ、店員さん呼んで直してもらおうか。」
 そう言いながら、辺りを見回して呼び出しボタンを探す。そうこうしていると
 『208号室です』
 システムから音声が流れてきた。別の部屋の音声だった。
 「店員は面倒臭いから、いいや。」
 パネル画面を凝っと見てから、ユミは先に走ってエレベータのボタンを押した。


 「こんにちわ。初めまして。遅れてごめんなさい」
 そう言ったユミは、最初はあまり目を合わせてこなかった。つい一時間ほど前のことだ。挨拶した後、僕の方も少し世間話でリラックスしようと思ったけど、ユミは一瞬目を合わせるとすぐに下を向いてしまう。
 昨日の電話口では、こうやってSNSで仲良くなった人間と会うのは初めてだと言っていた。まぁSNSなんて言っても、ツイッターやインスタグラムではなく、所謂そういった類のサイトだ。平たく言うとお友達掲示板。ひと昔前で言うと出会い系。
 「緊張してる?」
 僕は何気ない風に出来るだけ話した。
 「うん、かなり。」
 緊張しているみたいだけれど、かと言って話したくないって訳でもないらしい。何か楽しい話題はないかなぁと思って、ユミちゃんが好きだと言っていたロックミュージシャンの話を振ってみた。
 「そういや、昨日言ってたあの眼鏡のボーカル。滅茶苦茶恰好良いね。」
 「あ、見てくれたんですか?」
 「うん。電話切ってから、ユーチューブで見たよ。正直、一目惚れした。今もユミちゃん待ってる間、ずっと見てたし」
 そう言いながら、ユーチューブの画面を彼女に見せる。
 ユミは画面に顔を寄せながら、両手で口を覆って目を輝かせて見ている。
 「あー、この曲かぁ。うん。やっぱ、恰好良いですよね」
 「うん。僕、この曲がかなり好きかな」
 「あ、あたしも!」
 ユミとは割と色んな感性が同じだった。人の性質というものは、割と出会ったり話たりする瞬間から感じるもので、昔の言葉で言うとウマが合うという感覚だと思う。
 そういう意味でユミと僕はとてもウマが合った。SNSで一週間ほどやりとりした後、連絡先を交換した。それから昨日初めて電話した時から、すんなりとお互いの雰囲気に馴染むことができた。居心地がとても良かった。
 「ヒロさんは、オルタナ詳しいんですか?」
 「詳しいってほどじゃないけど、まぁ。基本、海外勢だからね。だから、国内にこんなに格好良いバンド居たの、結構、衝撃的なんだけど」
 「ふふふ」
 ふふふと言いながら、ユミは誇らしげに満面の笑みを作っていた。肩までの黒髪と丸眼鏡が良く似合っていた。
 「てか、外立ってるとやっぱ冷えるよね。車そっち止めてるから、とりあえず乗ろっか」
 「あ、ちょっとコンビニに寄って、ジュース買いたいです。」
 「オッケー。そうだね。僕もなんか買いに行こっかな」
 ユミもそれを聞いてにっこりと笑う。もう目線は合わせてくれていた。僕はその目線に向かって、手を伸ばした。先に歩き出していたユミは、それを見て後ろ手に手を繋いでくれた。


 部屋の中に入ると、少しカビ臭いような気がした。
 「窓、開けよっか」
 気になってテーブルにカバンを置いた後、左側の窓に手を掛ける。
 「ちょっとだけ、変な匂いがする。」
 「建物が古いからだね。仕方ないよ。シーツとかは綺麗だけれど、内装にはあんまり手を加えてないみたい」
 シーツの白さに目をやりながら答える。
 「まぁでも、あたしはそこまで気にならないかな。」
 テーブルにリュックを置いた後、ユミはベッドにダイブした。
 「はー。やっと寝床についたぁ」
 「なんだか、寝てしまいそう」
 うつ伏せのまま動きを停止してしまった彼女を見ながら、僕はジャケットを脱いだ。
 「うーん。眠ってしまいそう。」
 「いいよ、寝ても。」
 「ヒロさんも、こっちに来て一緒に寝よう」
 仰向けになって掛布団を探しながら、こっちを見てユミが言う。
 「さん、は要らないよ。なんだか、他人行儀だし」
 「じゃあ、ヒロ。あれ?そういえば、ヒロって何才ですか?」
 「28」
 「めっちゃ年上」
 「やめてよ。なんか、ショック受けるから」
 ユミの隣に入って彼女のお腹に手を回す。
 「あんまり年上の人を、呼び捨てにするのも、どうかなぁ」
 ユミは無意識に両手の平を天井に伸ばしている。僕は少し目を瞑る。
 「全然年上って思ってないクセに。」
 「ふふふ。実は、そう」
 「おいー」
 「うふふ」
 そういうと、それっきり僕らは何も言わなくなった。
 最初から電気をつけてなかった部屋には、窓から差し込む冬の陽が薄く差し込んでいた。その光に淡く照らされて、埃がキラキラと宙を舞っている。平日の薄暗い部屋の中で、まるで世界に二人だけになったような、ゆっくりとした時間が流れていた。
 「あのさ、」
 少ししてから、ユミが小さく口を開いた。
 「なんか、変な感じだよね。」
 「何が?」
 「あたしたち。今日、会ったばっかりなのに。」
 「イヤなの?」
 「イヤとか、そういうことじゃなくて。なんか不思議だな、と思って。」
 「そうだね」
 僕は目を瞑ったまま、ユミの言葉を聞いている。室内には彼女の声以外、何も聞こえない。
 「ヒロは、こうやって会うの、今回が初めてじゃないでしょ。」
 「そうだね。」
 「変な、繋がりだね。」
 「…変な繋がりだよ、ほんと」
 「… …でも、なんとなく分かるような気がするな。」
 僕の28年間の人脈の網の目が広がっている。それは長い年月を掛けて気づきあげてきた繋がりだ。そして、同じようにユミの方にも、彼女の18年間積み上げてきた人脈の網の目がある。そして、そんな網の目が日本の総人口の分だけある。それは、まるで考えられないほどの途方もなさだ。
 その中にぽっかりと開いた空間。今まで交差することのなかった交点。僕が掲示板からユミの書き込みを見た、その事自体はまったくもって偶然だった。その偶然から交わった線と線。この二つの線は、他のどの網の目にも続くことがない、どこにも繋がらないただ二つの線だった。
 「あたしは、ヒロのことを何にも知らないし、ヒロもあたしの事を何一つ知らない。」
 ユミが態勢を崩して僕の方を見つめる。僕の胸に両手を置いている。
 「ユミちゃんが、ロックが好きなことを知ってるよ。」
 「アハハ。…そうだね。うん。そうだ。… …」
 「どうしたの?」
 「知らないって言うことが、何か、良いというか。知らないから、ヒロに何でも言えるというか。」
 「うん。」
 「… ……うまく言えないけど。」
 「うん。分かるよ。」
 ユミが僕の胸の中に潜りこんでくる。それから、また静かな時間が流れる。
 不図、俯いているユミが眼鏡を掛けたままだと気づく。
 「… …ユミちゃん、眼鏡」
 ユミが僕を見上げるので、眼鏡を外してあげてベッドの台にゆっくりと置く。そして、それは多分。それぞれの人脈の網の目の、もっと外側の出来事。
 僕たちがここにいることは誰も知らないまま、そんなことに大して意味を見出す必要もないまま。そうしてまた、初めて目が合うとき。

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