其の後²

文字数 2,675文字

 二千三十年の暮れに起こった首都圏での大規模な爆発は、或る一定の層の人々を死に至らしめた。死亡した者の内訳は、貧困に見舞われていた者、悪事を働く者、高齢者、そして愚かな者だった。其れにより、世の中は少しだけ平和になった。国は貧困対策や高齢者の為に予算を湯水のように投入する必要は無くなった。生き残った首都の人々は、貧しい人々の為に心を痛める必要もなくなり、又、事程左様に悪事を働く者の為に怒れる必要もなく、愚かな者に足を引っ張られることもなくなった。残った人々のストレスフリーな社会が実現されつつあった。
 一定の標的を対象とする爆発兵器についてはかなり昔から開発が進んでいたが、其の技術が飛躍的に進んだのは或る若い天才的な科学者が現れた為であった。
 元々、彼が研究していたナノテクノロジーは、同世代の研究者が医療分野への貢献に対し研究を進めている中で、彼は其れを主に軍事応用する目的で研究を重ねていた。まだ学生だった彼の研究論文を発見した政府の人間によって、彼は瞬く間に時代の寵児となり、日本の軍事技術は飛躍的に進歩を遂げていった。
 二千三十年十二月二十五日。ジザス・クライストの生誕日と云われる此の日、日本は珍しいホワイトクリスマスとなった。そして、其れを手向けとするように、白い地面の上に前述した者たちの死体がばたばたと積もった粉雪の上に倒れて行った。
 彼らの脳内には超微細のナノ爆弾が設置されており、其れが血中から脳の血管を通り過ぎるのを検知して爆発飛散したのだった。其の爆発は脳内の血管を破る程度の小規模な爆発であり、傍から見れば其れは持病で倒れた風と変わりがなかった。只、道端のそこら中に死体が転がった為、其の日は首都圏ではジザス・クライストを祝うどころではなかった。皆絶叫に身を悶えさせ、一刻も早く自宅に帰っていったのであった。其れから一週間程は、政府による緊急会見によって、懇切丁寧に国民に対しての説明が行われ、政府は通常の人々には危害がないとする理解を得る為の対応に腐心した。人権団体等の多少の抵抗はあったものの、其の後の眼に見えての数々の改善点を目の当たりにするに従って、国民は皆、納得していった。皆、自身の人生の困難に精一杯であった為、少しでも世界についての心労が減る事を歓迎したのだった。
 ナノ爆弾に話を戻そう。此のナノ兵器はミクロの電子物質であり、遠隔から命令をする事によって、殆ど不自由なく操作することができた。未だ開発中であるナノメディシンは、身体の異常を素早く検知できる事が期待でき、ナノテックは頭脳の未知の領域に光を当てる分野として研究が進んでいたのであるが、天才科学者の推し進めた軍事に関して言えば、其れよりも既に何世紀も先を行っているのであった。だから、特定の人々を対象として血中に侵入する事等造作もないことであったし、できるだけ身体を損壊させることなく、人を死に至らしめること等造作もないことであった。その為、死亡した者たちの遺族等は、彼らを綺麗な姿の儘見送る事ができた。一時的には都内の葬儀会社の株価が爆上がりした。
 只、爆破後、世界は平和になり人々の心は皆穏やかになったものと思っていたのは、政府関係者、引いては天才科学者の思い過ごしであった。まだ、中には不幸な人々も存在していたのである。
 今や、美しい無菌な世界の中で、最初の爆発の時よりも追い詰められた者たち。其れは此の世界に生きる意味を見出せない者達だった。
 彼らは中流で美しく無菌な世界を憎んではいたものの、其れを決して表には表現せず、一見幸福そうに過ごすことができた。そして、今や大多数となった美しく無菌な人々の間でも、しばらくの間は笑顔で過ごす事ができたのである。
 然し、小さな歪を残した儘では居ることができない。彼らは何時しか、ネット社会の片隅で薄暗く凝り固まり、追い詰められていったのである。そして、どうしようもなくなった或る時、一通の投書が天才科学者の元に届いたのであった。其の投書を天才科学者は、婚約者とのディナーの後、帰宅した時に発見した。
 其の投書には、最初の爆発についての丁寧な感謝と同時に、然し、自分たちは其の爆発の所為で既に極限まで追い詰められている事が赤裸々に語られていた。天才科学者は其の切実なる市民の悲痛な言葉を、噛みしめるように、そして食い入るように読んだ。自身のあの爆発で世界は此れまでよりも、かなりの割合で平和になった。経済や財務状況も日々を追う毎に改善されてゆき、此の国の先行きは明るいものに思えていた。だが、其の全ては幻想だったことを思い知らされたのである。天才科学者は、是程までに平和になった世界の中で、否、是程までに平和になったからこそ苦しんでいる人々の事を考えた。彼らを救う為にはどうすれば良いのか。其の事について三日三晩寝ずに考えていた。
 元々政府は、首都圏に対してのナノ爆弾の成果を検証し、或る程度の成果が認められたところで、適用範囲を日本全国に広げようとしていた矢先の事であった。そして、首都の思った以上の成果を受けて其の施策は急ピッチで進められていたのである。スケジュールの変更は最早不可能であり、止めることはできないのであった。だから、残った不幸せな人々の思いを叶えるためには、現在のスケジュールに追加する形で、ナノ爆弾を早急に追加・修正する必要があった。
 それからというもの、天才科学者は寝る間も惜しんで研究開発に明け暮れた。日に日にやつれていく恋人の顔を見ながら、相手方は心を痛めていた。その度に天才科学者は優しい笑みを浮かべながら心優しい女性を気遣った。そして、奇跡が起こった。
 新たな設計はナノ爆弾に干渉を引き起こすこともなく組み込まれた。其れは天才科学者の力のみならず、彼を支えた準天才科学者たちの偉業であった。そして、ついに、爆発後の爆発の日が政府から告示されることとなった。
 告示はテレビを使って大規模に行われた。天才科学者は、其の放送の中で、一度目の爆発の所為で追い詰められてしまった人々に詫びた。そして、此れ以上、悲しく不幸な人々が居ないように、其の不幸な命を少しでも減らす事ができるように、切実なる心情でもって開発を続けてきた事を述べた。それらの演説は人々の心を強く打った。
 二度目のナノ爆発の日は一か月後だった。一度目の爆発後の、其の後。人々は幸せになる事を夢見るように其の日を待った。二度目の爆発後の世界を信じて。


 <エンドロール アーバンギャルド- 東京爆発、その後²>

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