スロウ

文字数 3,266文字

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 女は男と違って、その個人の状況によって生まれたときからある程度の所作が求められる。
 それは人生の生活様式だったりだとか、処世術だったりだとか、多分呼び方は様々で、またそれは本人の意思とは無関係に要請を強いられる。平たく言うと、私たちはこの世の中に生を受けた瞬間からいくつかの生活パターンが否応なく定められていて(スヌーピーが言ってたところの、配られたカードによって決められていて)、私自身は私に課せられたパターンに合わせることで、なんとか社会と折り合いをつけて、生きていくことができる。こういう言い方をすると、悪いことばかりのような感じがするけれど、実際はそうでもなくて、得をすることもある。良くも悪くも、いずれにせよという話だ。
 ちなみに私のパターンで言えば、私は交通機関、特に電車では何かと他人に助けられることが多い。定期を落としたときは誰かが必ず拾ってくれるし(だから電車で物を落としても心配したことが一度もない)、急用で電車に乗るとき、注意散漫な私は家に財布を忘れることが多いんだけれど、そうすると券売機で慌てている私に必ずと言っていいほど男が声を掛けてくる。
「どうしたの?」
その妙に慣れ慣れしい問いかけに少し苛立ちながら、それよりも財布がなくて焦っている私は、ナンパなどどうでも良くて、とりあえずの受け答えをする。
「財布を忘れたかもしれないんです」
興味深そうに眺めている男を後目に、私はもう一度片道10分の道のりを戻って定期を取りに帰ろうと考えていると、男が私の肩を叩いて
「お金、幾ら要る?」
自分の財布を取り出しながら男が私に言う。そこに何等かの報酬を期待していることに気がつきながらも背に腹は代えられない私は、とりあえず2000円を借りてなんとか電車に乗ることができた。後日、この券売機前で会うことを約束してお金は返した。この一連のやりとりから、返済の際男はなんとか次の展開に繋げたそうな感じだったけれど、私は今、そういうのは間に合っているので丁重に辞退した。
 悪いパターンもある。私としてはいつも普段通りに生活をしているつもりなのだが、その普通の生活が、ある特定の層のグループに目を付けられやすい。しかし目をつけられやすいといっても、大体の場合はそのグループと関わり自体無いことが多いのだけれど、そういう人達は私のことを「生意気」と評価して、ありもしない悪評を流す。何やら私の目つきが気に要らないそうだ。
 一時は、そういった面倒なトラブルに巻き込まれない為に努力したこともある。いつも社内で笑顔を絶やさないように心掛けたし、出不精なところを改めて流行りのお店に出かけるように努めたりした。けれども、生まれもった性質はそう簡単に変えられるものではなく、三つ子の魂百までで、もう修正変更は手遅れなのかもしれない。私のこの改善の試みは一か月も持たず体調に異常をきたし、休養後大きくリバウンドした。つまり今まで以上に引き籠り癖が悪化した。その周期を五度繰り返した後、人には「できないこと」というものがあることを悟った。
 私には人生において、こういったパターンがある。誰もがそれぞれのパターンを生きているのだと思うし、私は私のそれが発生したときには、長年の人生経験から導き出したお馴染みの対処法を駆使して解決を図る。それは私の人生のノルマだと思う。

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 一般的に、きみ、という存在は暖かくて尊い。春の日の木漏れ日のように。
 例えば私の歴史上、一番深刻で悲しい出来事を、まったく無関係な、長年付き合っているきみと一緒に共有している。それはとても幸福なことだろう。いつも私の隣にいるきみは、私の優しいところを知っているし、私の食の好みを知っている。私が何について琴線が触れるのかをとてもよく知っているし、だから私が行きたくなるイベントをどこからか探してきて連れて行ってくれる。翻って私も、きみの性格のいろんな部分を全部知っている。でも、それはすべて身体的な、外見的な要因から手探りで発掘したものだ。私たちはお互いを慮った生活の長年の情報によって集めた、理解の集積でしか語り合うことができない。なのに私は、そこにぶら下がった性格や関係性や地位や名誉、思いやりや欺瞞や駆け引きといったもののことを考えずにはいられなくなる。
 私の中に存在する、私が子供のころから引きずる、この悲しさの本質は、誰のものでもなく、まったくプライベートな私の持ち物だと思う。そのことについてきみは理解できるはずがないし、分かってほしいとは思わない。でも分からないからこそ、その無責任さに何度も救われている。私は私の持ち物に傷がつかないでいられることで、私を留保する。

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 鍵についていつも考えている。
 鍵は閉める為に必要なものであると同時に、別の世界に通じるドアだと思う。わたしの世界は、鍵二つ分。自宅の鍵と、車の鍵だ。つまり自宅の世界と車に乗った向こう側の世界。私には世界への二つの視点がある。いつの頃からか私は、出会った人の鍵の所有数に目がつくようになっていった。
 考えてみると、過去に付き合った男の中には、牢屋の鍵かと思うくらい、10個以上の鍵を腰からじゃらじゃらと下げたやつが居て、当時は中二病臭さに辟易していた。
「恭子ちゃん、今日どこ行くよ?」
今考えると話し方も髪型もイラつく男の、一体どこがよくて付き合ったのかも忘れてしまったが、アイツは鍵10個以上分の世界と繋がっていた男だった。仕事場、車、自宅、倉庫、シェアハウス、集会所、etc。いろんなところの鍵。その鍵の先には、様々な網の目の広がりと繋がりがあって、関係性がある。本人はその関係性の中に含まれた個人として存在している。そして、それはとても正しいことなのかもしれない。

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 私のことを一切知らない、きみ、について、私はあまり考えない。
 きみは私のこれまでの履歴について触れようとはしなかった。今日で会うのは三回目だったけれど、やっぱりきみは私についてフラットで、だけどその目線はいつも慈しみを秘めていて、同じ空間にいるという事実だけで心が落ち着いた。
 隣を少し離れて歩いているとき、首の後ろを軽く触りながら、あの船に、
「船に乗ろうよ」
夕方から運行している次の便に乗りたいと、子供染みた誘いだけどと、きみは自嘲しながら言った。
「お互いのことなんにも知らないから、知らないということが、僕にとってとても良いんだ」
偶然に出会ってからずっと私が考えていたことについて、この人は一言一句違いのないことを口に出した。私は、恋人でも友達でも、心理カウンセラーでもなく、私のことを何も知らない誰かに、私のことを聞いてほしかった。すべての繋がりから離れているどこかで。
 これまでのお互いの履歴を参照することなく、これからもしない。私個人の網の目の繋がりの、外にある関係。すべての繋がりから隔離された関係。間違いなく私の目の前にいるのに、私のことを何も知らないきみだから、私はすべてをきみに話すことができる。
 白紙のきみは、だけどその相槌の打ち方や、受け身な話し方、長い指先など、外見的な情報から私は心地よいと感じている。きみも多分、そんな風に考えているんだろう。私と付き合いたいと言ったけれど。
「あなたと付き合ってみたいけれど、そうすることはできないよね」
「そうだね」
「あなたは、優しい人なんだと思う」
「違うかもしれないよ。きみこそ、優しい人なんだろうな」
「僕は、悪いやつだよ」
正直、きみとセックスはしたかったけど、結局しなかった。私たちは世間の規範から離れようとしていたけど、結局それ以上のことはできなかった。三回目に会った後すぐに、きみの転勤が決まった。
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