私たちのあつ森

文字数 4,312文字

 友人の女性があつ森にはまっているのだと、私に向かって云う。
 ほほぉ、良いね。そうか。そいつは良かった。夢中になれるものがあるってのは、まじで好い事だと思うよ。趣味ってまじで人生を豊潤にするうえで必須の嗜みだよね。いやぁまいった。グラッチェ。コングラチュレーション。ぶつ森まじ至極。ぶつ森まじ最高。と、此方としてはありったけの語彙で賛美奉り、此れ以上の引き出しを引き出せないところを、(イヤ)、其れだけではぬるい、そんな小手先の感想等要らぬ、もう少し詳細に話を聞け、とでも云いたげな剣呑な雰囲気を身に纏い、今日一の昂揚(テンション)でもって尚も私をガン見してくるものだから、そのようなボールを放られた此方としましては、曲がりなりにも社会の末端に必死で縋りつく一社会人として、そういう人間の機微だって無碍にはできないという気持ちは多分にある。多分にあるものだから、私はそういった多分な気持ちを奮い立たせ、マッタク興味の無いあつ森についてもう少し話を引き延ばす必要があったのである。
 だが、既に中年の真っただ中をひた走る私だって、只無謀に年を重ねてきた訳ではない。薄く平べったく糞の役にも立たない人生の中にも、それなりの人生経験(レパアトリイ)はある。であるからして、私は其のとびっきりの人生経験(レパアトリイ)でもって、件の状況にも或いは対応できるかもしれない。そういう訳であったので、知ってる人は最早愚問であるので読み飛ばして貰って構わないのであるが、まずはあつ森についての説明が必要なのではないかと、私個人としては、ぐぐぐっと、そう考えた次第である。
 通称あつ森という其れは、正式名称を『あつまれどうぶつの森』と云い、此れはつまりテレビゲームのことである。家庭用ゲーム機、任天堂押下(ニンテンドヲスヰツチ)専用のゲームであり、ウィッキペディアによると二千二十年三月二十日に発売済であり、彼是、発売から既に一年半以上が経過している。
 私はゲームが趣味であるので知っているのであるが、大体ゲームなんてものは精々半年、もって一年くらいで興味が失せる。其れは今迄夢中になっていたのが嘘であるかのように或る時ふっと、あれ、私は今迄何をしていたんだっけ、と云う、夢、というよりも何か不浄な催眠状態から漸く覚めたような冷徹さを伴って突然止めてしまうのであった。そうして、次の新作ゲームに夢中になるというのが通常のサイクルなのである。そういうサイクルから勘案すると、今回のあつ森は一年半を過ぎた今もユーザが此の上ない熱血をもってプレイしているという状況はかなり異常なのであって、どうやら件の友人の女性は今、引いては今後も其の情熱は衰えそうにないのであった。つまり、私は既に、昂揚(テンション)が上がりまくっている彼女に対してかなり引いていたのである。
 では其処まで彼らを虜にしてしまう、あつ森というゲームは一体どういったゲームなのであるのか。何か新手のデバイスドラッグか、新興宗教発のデジタルトランスゲームなのか、というと、何の事はない。本ゲームは只単に、プレイヤー自身がどうぶつの森に住み生活をするだけのゲームなのである。其れ以上の事件は特に起きない。姫が宿敵に攫われることもないし、恐怖の大魔王が世界を壊滅すべく暗躍することもない。どうぶつの森に住むプレイヤーである彼らは、只ひたすらに、どうぶつの森で、どうぶつの友人と会話をし、桃の実を集め、魚を釣り、木を切り開き、食物を植え、家を建て、家具を買い、服を縫い、という、文字にしてもいよいよもって心が滅入ってしまいそうになるが、つまりは態々ゲームと云う非日常体験の中に於いて、砂を噛むような日常を好き好んで疑似体験するという、極めて被虐性欲的(マゾヒスティック)な謎ゲームなのであった。因みに此処で一つ告白をすると、私は実のところどうぶつの森の経験者なのであった。私はかつての名機、任天堂六十四式(ニンテンドヲ64)でのプレイ歴があるのである。任天堂六十四式(ニンテンドヲ64)のどうぶつの森が恐らく初代なのである。そして、恐らく其れがぶつ森の伝説の始まりであったのだ。此のゲームのコンセプトは前述したとおりプレイヤーである彼らがどうぶつの友人と会話をし、桃の実を集め、魚を釣り、木を切り開き、食物を植え、家を建て、家具を買い、服を縫い、という、つまり任天堂が云うところの超絶微速生活(スロウライフ)をテーマとしており、悲しいことに其の主眼は私の体質に全く合致することが叶わなかった。何方かと云うと私は、コントローラを操作して内弁慶なる持ち前の狂暴さを遺憾なく発揮して魔物等を虐殺し、其の大量殺戮が結果的に世界の為になり、王や姫に賛美奉られん系のゲームが好物なのであった。そういう訳であるので、やがて私はどうぶつの森の中での自身の家を放置する事が多くなり、家は徐々に荒れていった。其れから数か月後、久々に任天堂六十四式(ニンテンドヲ64)の電源を入れぶつ森の世界に戻った私は、自宅の部屋が大量のピーに支配されるというトラウマを植え付けらるるという結果になった。そして、此の経験が私を無事ぶつ森卒業へと誘ったのであった。
 これらの私の経験から導き出せるのは、此のゲームはまさしくまごうことなき超絶微速生活(スロウライフ)を謳歌する為に作られたものであって、其の証明として、子供のみならず女性のプレイヤーがぶつ森へとどっと押し寄せたのであった。つまり、プレイヤーたる虐殺者である自身が、本能の赴くままに敵をぶち殺して王から絶賛され大団円を迎えるという此れまでのゲーム性と違い、誰も虐殺する必要のないぶつ森と云った世界観に女性が引きつけられたのは自明の理と云っても過言はなかったのである。そういうことを、初代ぶつ森経験者である此の私は、云わば先輩ぶつ森エンサーとして既に知っていたのであった。つまり、此れが私の人生経験(レパアトリイ)の一つだ。此の先輩ぶつ森エンサーの引き出しでもって、件のうざい友人女子と話を続けることができたのである。
「へぇ。其れで、ぶつ森っても、発売からもう幾分か時期が経ってンじゃないのかい」
「彼是、一年と半ほど」
「もうすっかり飽きが来ないのかい」
「其れが、来月早々に大規模改修工事(大型アツプデエト)があるのです。其れにより、別荘等が更に増えるのです。まだまだ、やることが多くて困りますわ」
 やることが多くて困りますわ、と云いつつ、(ちっ)とも困っているように見えないのは此の手の人間には良くあることである。
「そうかい。然し、僕も経験者ではあるのだが、あの世界観はどうも僕の気性に合わん。一体、君達はどういったところに琴線が触れているのだろうね?」
 経験者である私は十分に此のゲームのコンセプトは理解しているのであった。つまり、件のゲームコンセプトは極めて被虐性欲的(マゾヒスティック)超絶微速生活(スロウライフ)の甘受、否、享受である。であるはずなのであるが、女子から語られた其の回答は、其の私の想像を全くもって覆すような、極めて異質なるものであった。
「そうね…。此のゲームの好いところは、如何に改善して目下の課題(タスク)を迅速に処理するかに腐心するところね」
「えっ」
 私は其の時、アメリカンを口に含もうとしてカップを持ち上げてたところであった。だが、友人の女性の発言を聞くにあたり、私は不図、其の動きを止めて友人の顔をまじまじと見た。其の私の表情は極めて怪訝なものであったろう。
 得意げな友人の顔を見ながら考える。今、彼女はなんと云ったか。此のゲームの好いところは、

と云った。此処で私は私の過去の経験を紐解く。ぶつ森というゲームは、超絶微速生活(スロウライフ)を楽しむゲームではなかったか。恐ろしい悪に対して、俊敏なコントロール捌きで悪の大魔王を打ち倒す必要もなく、ゆったりと気分の赴くままに、プレイヤーである彼らがどうぶつの友人と会話をし、桃の実を集め、魚を釣り、木を切り開き、食物を植え、家を建て、家具を買い、服を縫うゲームではなかったか。
「一つ聞きたいのだが、課題(タスク)とは何か?」
「…… …課題(タスク)って、其れは勿論、どうぶつの友人と会話をしたり、桃の実を集め、魚を釣り、木を切り開き、食物を植え、家を建て、家具を買い、服を縫うことよ」
 真顔で云いきる彼女の表情を見て、私は其の時不図気が付いた。云い忘れていたのであるが、此の友人の女性は会社であるところの管理職である人間であったのだ。
 私は曲がりなりにも社会の片隅になんとか縋りついてい生きているだけの地べたを這う平会社員である。そして、そう云う人間からしたら、会社の仕事等二の次で、誰にも邪魔されることなく自身の余暇に全力を費やすことこそが人生においてのメインテーマだ。其処には、最近あるあるである業務改善や、山積みになった課題(タスク)の解消といったデジタルトランスフォーメーションと云った糞戯け(くそたわけ)な事象等、蚊帳の外なのであった。好きなだけ、思うが儘に時間を浪費することこそが優雅なプライベートなのである。然し、こと管理職という人種については、最早、所謂改善という、それらが骨の髄まで沁みついており、あろうことか其の考えが日常を侵食しているのだった。つまり、私の生きている速度と彼女の生きている速度は、見ている景色という点においてまったくもって違う景色だったのだ。端的に云えば、どうぶつの森の住人との会話を課題(タスク)と言い放つ感受性に、私は此の上ない衝撃を受けたのだった。
「ぶつ森とは、超絶微速生活(スロウライフ)を楽しむものではなかったか?」
(イイエ)、其れは違うわ。ぶつ森は、如何に最短に、最善で日々の課題(タスク)を処理するかに掛かっているのですわ。今も改善の最中であるの。あんなに魂を燃やすゲームは無いわ」
「最短で日々の課題(タスク)をこなすことで、何かゲーム内で褒美のようなものが発生するのだろうか?」
「ないわ」
 ないわ、という返答は極めて端的で明瞭で、且つ断定的であった。つまり、彼女はゲーム内で褒美等を得る為ではなく、自らの意思で課題(タスク)の最短最善に邁進しているのであった。彼女のぶつ森に対する姿勢は、ぶつ森の精神に真っ向から対立しうる精神性で構成される営みであった。あまりにも彼女の流石管理者たる絶対の自信に裏打ちされた返答に、其の時私はまるで、此方側が何やら彼女に間違った質問を投げかけているかのような錯覚を覚え、内心に羞恥の内省を想起せられた。だが、直ぐに縋るようにインターネットを検索しても、其処から得られる情報については、先ほどから私の紹介している超絶微速生活(スロウライフ)をテーマにしているもののみであった。顔を上げた私に対して、彼女は極めて不気味で不自然な笑顔を、自然に向けた。効率を最重視する超資本主義社会の本質が、今正に眼前まで迫っていることに気づき、私の背骨はぶるると怖気に見舞われたのである。
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