練習後

文字数 4,184文字

 合わせたばかりのムギゴロウのギターリフに達也が怪訝な顔をしている。其れはほんの目筋の変化だったが、サマジは変拍子を叩きながらでもしっかりと確認できて、あぁまた始まったかと思ってメンバーの誰よりも先だって達也に心底辟易していた。また、今()ってる曲のタイトル名が「ザンネン」というところがまた、何の因果か自身の境遇を正しく言い表しているようで『このアテイがなんの因果かマッポの手先』なんて五代陽子の科白を爆音に紛れて口ずさんでいたのであった。ベースの木下はそんな事が起こっているとは露知らず、というよりも、コイツはそもそもどんな事態に陥っても食欲の事しか興味が無いものだから、まぁそんなメンタルだからずっとこのバンドに居れるのだろうが(木下のメロディセンスは悪くは無い)、そういう訳で実際のところ全てのけつ拭きや心配事で頭を悩ませるのは決まってサマジの担当だった。
 一通り合わせ終わると、何時もの如く一瞬しんとする。その間は達也の感想待ちなのだ。達也は顎に手を掛けながら、少しく俯いて何かしらを考えている、なーんて事は実は無く、これは何をしているかというと、ムギゴロウへの不満の一部始終を全て今からぶつけて奉らんという事で、今しがた頭の中の文句全てを整理整頓している最中なのであった。そんなことまで最早付き合って長い幼馴染のサマジは分かってしまう自分が悲しかった。曲が終わった途端に木下は自分のリュックから蒟蒻ゼリーの小さいパックを鷲掴みして片っ端から食い散らかしている。ムギゴロウと言えば、己のギタープレイに大満足しているようで、軽く息を弾ませてハツラツとした汗を額に光らせていたが、実際の所ムギゴロウの奏でるメロディラインはメタル由来のマッチョな超絶技巧をナルシストに吐き出すオナニーに相違なかったので、サマジは黙っていたがこいつさっぶーと思っていた。で、そうサマジが思っていたところで達也がムギゴロウの方に少しく近づいていった。ムギゴロウは自身のプレイに大満足であるから何にもやましいところは無かったので、達也が近づいてくるのを正面に見て笑顔を見せていたが、目の前まで来た達也はその笑顔に向かってまんまるく固めに固めた拳骨を一発丁寧にお見舞いした。
 ムギゴロウが後ろの鏡に向かって弾むように飛んでいきぶつかった。床に散らばっていたシールドやらアンプががっちゃんがっちゃんと拍子で色々な音を出している中を隆志はムギゴロウを見下ろしながら言った。
「てめぇなんか、なぁッ!!!!」
 そういう時間が少しく過ぎて、つまり本日のギターメンバー募集のセッションも御破談となって終了したのであった。サマジはこの光景、最近で何回目だっけ、と独り言のように夜10時を回ったビルの間の月明かりの下で言うと、それを隣で聞いていた木下がカロリーメイトを二袋ペロリと平らげながら
「5回目っすね。」
 と言った。サマジは、カロリーメイトって多分そういう食べ方するものぢゃないよな、という意味で木下に向かって苦々しい顔を返したが、木下はふてぶてしい顔で、ほっといてんか、という風に返事をした。
 達也はムギゴロウと取っ組み合いになった傷跡を摩りながら、忌々し気にムギゴロウの帰っていった路線方面を見て、何かしらの思案の後、ツバを吐き捨てた。
「… …達也さぁ」
「んだよ。」
「お前、もう少し柔らかくできないの?」
 達也に何を言っても変わらないのは知っている。すでに慣れっ子だ。だけれども、もう少しマシにならないのか、だなんて忠告をしてしまう。達也に期待しちゃ不可(いけ)ない。期待してちゃ、こいつと付き合いなんて続かない。何せ、必ず裏切られるからだ。達也と付き合えば友人であれ恋人であれ必ず何度も裏切られる事になる。幼少の頃から達也と付き合って以来サマジは、他人に対して過剰な期待はしちゃ不可ない、もし思い通りに成ってくれたらそれは奇跡だ、棚ぼただ、超超ラッキーだ、くらいに思えという、大人になれば誰しもが思い知らされるしょっぱい 処世術について、既に高校生くらいから理解していたのだった。
「あんな、脳筋バカ、こっちから願い下げだ。」
 達也は右拳を左の手の平に叩きつけ言った。
「いや、だから、センスが合わないからって、相手をあそこまでこき下ろす必要は無いって言ってんだよ。」
「何言ってんだよ。お前もアイツのプレイ見たろ?アイツのプレイは表現なんてものからは程遠い、俺のすんごい所、皆見てくれぇ!俺の恰好良いところ、褒めてくれぇ!っつう。承認欲求丸出しの稚拙な自己実現しか持ち合わせてねーんだよ。そういう奴、心底虫唾が走る。」
「いや、だからァ」
「あー、煩い煩い煩い!…お前だってホントは分かってるくせに。俺からしたら、お前が黙ってるのが不思議だよ。」
「… …木下も黙ってるケド」
「コイツはなーんも考えてねーモン」
 サマジは木下を見る。木下もカロリーメイトを口一杯に頬張りながら、サマジを見て、口に含んだものをごっくりと飲み込んだ。まぁ、確かにそれもそうだなァ…、とサマジと木下は思った。
「だけどな、最近のお前はちょっとやりすぎだっつってんの。ムギゴロウだって、アイツ、結構顔広いぜ。今日あった事、きっと四方八方に言いふらされちまう。多分、あいつの周りと対バンすんの、もう無理だぜ。」
 サマジは腕組みをしながら、達也に言った。スタジオの前の細い道でたむろしていると、沢山の人がサマジ達の隣を通り過ぎていく。
「良いんだよ、そんなの。クソみたいな奴と触れ合ってるとコッチの感性も腐っちまう。」
 いつもの達也の言い分だ。だが、ここ最近は少し攻撃性が強い。ありとあらゆるところに喧嘩をふっかけている為、色々なところからクレームが発生してきている。サマジだって自身の感性は大切だ。だが、だからと言ってそれが全てではないし、正しい訳でも無い。例えば自身とは真逆の感受性を持っているとしても、それは愛すべき隣人として、共存できてしかるべきではないのだろうか。相手を叩き潰してこちらの感性を押し付けて良い謂れは無い。
「…あー。とにかく、お前の感性は尊重してるけどな、だけど、もう少し抑えてくれ。でないと、俺も木下もこれ以上フォローできない」
 サマジは半ば呆れたように、子供に諭し聞かせるように達也に言った。達也は聞いているのかいないのか、何時の間にか煙草を取り出し火をつけていた。
「あー、ホンモン居ねぇかなぁ。」
「なんだよ、ホンモンって。」
「俺さ、あれやりたいんだよね。」
 達也は、今しがたの面倒の事なんてすっかりと忘れて、次の事を考えているようだった。
「あれ?」
「ノーウェイブ」
「はぁ?… …いや、無理だって。」
 サマジはまた始まった、と思った。
「骸骨野郎の音楽。俺、アートみたいなのやりたい。」
 ノーウェイブ。ロックが隆盛を極めた1980年代にひっそりと起こったカウンタームーブメントの事だ。DNAはアートリンゼイ率いるノーウェイブを代表するロックバンドであった。ギターボーカルのアートリンゼイはチューニングが合っていないギターで叫び狂う。ドラムのイクエモリはドラム初心者で、ひたすら一つのリズムビートを反復する。ベースのティムライトは唯一の演奏技術を持ったメンバーで、奇妙なベースラインでそんな無茶苦茶な楽曲を正調し彩りを与えていた。その緊張感の中に漂うあまりの自由奔放さは、ギリギリで楽曲として成り立っており、まさしく唯一無二のパンクだった。
「その事についても、散々は話したろ?俺達には無理だって。ああいう音楽って、時代背景とも思いっきり関わってるんだって。あの時代の、簡単に言えば、皆が皆、目立てばオッケーみたいな思いがあった、あの時代のデカい土壌があったからこそ生まれたんだよ。今みたいな、既にあらゆるジャンルがパッケージされた時代に()っても、それは只の懐古主義でしかありえないんだって。」
 達也とサマジは是までも、自身のパンクバンドの表現について何度も話をしてきた。その流れに木下も少なからず意見を出した。そして、其れがパンク表現として流れ出たのだ。だが、達也たちが目指すパンクは、パンクと言っても巷で見かけるトサカ頭やカメラに向かって威圧的な恰好をする、ビスがこれでもかと刺さっている黒い革ジャンを来ている人々の音楽とは違っていた。
 所謂ディスチャージ的、先祖はやはりセックスピストルズになるのだろうが、厳密に云えばセックスピストルズはパンクを体現していたが、彼らの影響で結果としてガワだけを模したファッションパンクが大流行し、そういうパッケージ音楽が増えたのである。どちらかと言えば達也たちは反体制等とは無縁の元々のパンクを目指していたのだった。
「出来るって。俺達がやりたい事、やれば良いんだよ。サマジ、お前、何を躊躇(ちゅうちょ)してんの。」
「躊躇してるとかじゃない。俺達は冷静に作らなきゃならないんだよ。お前の目指すのはきっと、俺達にしか出来ないオリジナルだろ?俺達が今居る時代は、既に方法論が出尽くしてしまった世界だ。後は、その中で既にある方法論を、ミキシングする中で化学反応させてくしかないんだよ。只単にモノマネやれば良い時代はもう終わった。ホラ、あれだよ、オーケンの。ホラ。… …俺みたいになるなよ、お前は、」
「… ……考えてやるのさ。」
「そうだよ。考えてやるんだ。ゆっくりとな。」
 達也は、サマジの言葉を聞いて、少しく冷静さを取り戻した。一しきり暴れて気持ちが晴れたようだった。
「… …ギターは、別に今入れなくてもよくね。お前がやれよ」
「えー、ボーカルはギター持たねぇんだよ。」
「るせぇよ。とりあえず、持って()れ。台所事情はキビシーんだよ、今ウチは。木下もなんか言ってやれって。」
「… ……ギターやってほしいな。」
 木下が絵にかいたようなぶりっこをして達也に笑顔で言う。言い忘れていたが、木下は性別的にには女性(フィーメル)で、おさげの眼鏡女子で普通体系だ。普段は無表情だけれど笑うとまぁまぁ可愛い。木下のたまにの笑顔は達也には割と効くようで、その顔をされると達也は動揺して俯いてしまう。
「ハイ、効いたー」
 サマジは、なるほどザワールドで愛川欽也がハイ消えたーというのを意識して言った。達也はその声を聞いて両頬をぷうと膨らました。


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