プレゼントにはリボンをかけて 第7話

文字数 2,772文字

 押しあてられた唇は冷たくて。びくっと身を退きかけたけれど、後頭部を掴まれて逆に引き寄せられる。その拍子に、目のあたりに固いものがあたって痛みを感じた。
 ふっと圧迫がなくなる。
「すみません」
 低くそういって片手で眼鏡を外し、それをテーブルに置くと、若月さんはふたたび唇を重ねてきた。
 体温が馴染むのを待つように触れるだけのキスが繰り返されたあと、唇の隙間から熱い舌が滑り込んでくる。くすぐるようにわたしのそれを撫でて、戯れるように絡みついてくる。
 緩急をつけて触れてくるその動きに、身体から力が抜けていく。
 ずるり、と崩れ落ちかけたわたしの身体を若月さんが支えた。彼は無言のままわたしの頬に、額に、こめかみに口づける。そうして最後にわたしの顔を覗き込んだ。
 眼鏡越しではないまっすぐな瞳。薄いレンズ一枚を取り払っただけで、若月さんの視線は鋭さを増す。彼はしばらくじっとわたしを見つめたあと、ゆっくりと深いため息をついた。
「すみません」
「どうして、謝るんですか」
「あなたにそんな顔をさせて」
 思わず自分の顔を触る。とても熱い。
「どんな顔、していますか」
「いまにも泣きそうです」
 若月さんの言葉にびっくりする。そんなつもりはないのに。

「すこし、頭を冷やしてきます」
 そういって立ちあがろうとした若月さんの手を掴んで引き留める。わたしの行動が予想外だったのか、若月さんは驚いた表情で固まった。中途半端な体勢だったわたしは、若月さんにしがみついたまま起きあがり、居住まいを正してソファのうえに正座をする。
「桜庭さん?」
「あの」
 わたし自身、自分の行動に驚いていた。考えるより先に身体が動いて若月さんに縋りついていた。
 誤解、されたくない。
 キスされたことがいやだったわけじゃない。
「違うんです。あの、わたし」
 若月さんの手を掴んだままうつむく。
「好き、なんです。でも、な、慣れて、なくて。若月さんが好きなのに、ぜんぜん、ダメで。好き、なのに、なにもできなくて」
 若月さんが息を呑むような気配がした。
「いつも、してもらってばかりで、若月さんのために、なにもできなくて。今日も、プレゼント、なにをあげたら喜んでもらえるのか、わからなくて、選べなくて」
 わたし、なにをいってるんだろう。
 頭のなかがぐちゃぐちゃで沸騰しそうだ。

「だから、あの、わたし、なんでもします。なんでも、若月さんの、いうとおりにします、から。若月さんの、好きなように、なんでも、いってください」

 沈黙がおりた。
「それは、」
 すこし掠れた声で若月さんがつぶやく。
「ぼくの勘違いでなければ、あなたを、ぼくに、プレゼントしてくださる、という意味に聞こえますが」
 あらためてそう言葉にされると、ものすごく恥ずかしい。顔をあげられない。うつむいたまま、こくりとうなずく。
「そう、です」
 さらに、沈黙。
 なにを馬鹿なことを、と呆れられたんじゃないかと急に怖くなって、わたしは手を引っ込めようとした。その手を掴まれる。
 びくっとして思わず若月さんを見あげる。わたしは目を瞠った。

 若月さんは、信じられないものをまえにしたときのように、てのひらで口許を押さえてわたしを凝視している。その頬が、朱を刷いたように赤く染まっている。いつも冷静沈着な若月さんのそんな顔を見るのははじめてだった。

「これは、驚きました」
 ほんとうに驚いた、という声で若月さんがぽつりとつぶやく。
「まさか、あなたの口からそんな言葉を聞くなんて。まったく予想外です。ぼくは、夢を見ているのでは」
「すみません。夢じゃ、ないと思います」
「ほんとうに?」
「はい」
 わたしを見据えたまま、若月さんはふうっと息を吐いた。
「いまなら死んでもいい、と一瞬、本気で思いました」
「えっ」
「思っただけです。まだ死ねません」
 掴んでいた手を離して、両手でわたしの顔を包み込むようにそっと触れる。
「ものすごいサプライズプレゼントですね。ありがたく受け取らせていただきます」
 ふだんどおりの落ち着いた表情に戻って、若月さんはそういった。
 わたしはほっとして、でもしどろもどろに伝えた。

「あ、あの、来年は、もっとちゃんとしたものをプレゼントします」

 若月さんは何度か瞬いたあと、ふっと笑ってわたしの頬を撫でた。
「もうじゅうぶんです。いま、あなたは、ぼくが望んでいたものをすべて与えてくれた」
「え」
 若月さんが望んでいたもの。それは、あのとき、口にしてしまうと叶わない気がする、といっていたものだろうか。
「桃さん」
 名字ではなく名前を呼ばれてはっとする。
「無粋なことを聞きますが、このプレゼントはどなたの発案ですか。まさか、あなたの発想ではないでしょう?」
 答えをためらうわたしをとらえたまま、確信に満ちたようすでいう。
「小沢さん、ですか」
 わたしは観念してうなずいた。
「小沢さんと、智兄です」
 若月さんは意外そうに目を見開く。
「高村さんが?」
「はい。男のロマンだって、いっていました」
「ふ」
 目を伏せて、若月さんは息を吐くようにして笑った。その笑いが苦笑へと変わる。
「参りましたね。小沢さんだけならまだしも、まさか高村さんまで。あのお二方には頭があがりません」
「すみません」
「また謝る」
「あ」
 あわてて口を押さえたけれど、もう遅い。今日一日だけで、いったい何度、若月さんに謝っただろう。
 若月さんはすこし意地悪な目つきをして笑うと「ちょっと失礼します」といってわたしから離れた。いったん寝室へ消えて、ふたたび戻ってきたときには、細長い箱のようなものを手にしていた。
 ソファのうえに正座したままのわたしの向かいに座ると、すこし困ったような表情でいった。

「ほんとうはもうすこしあとで渡す予定でしたが。受け取っていただけますか」
「え」
 わたしはとまどいながら若月さんとその箱に視線を向ける。柔らかそうな赤いリボンがかかった長方形の箱。それはどう見ても贈り物――プレゼントだった。
 若月さんが、わたしに?
 呆然とするわたしに、若月さんが言葉を重ねる。
「ご迷惑でなければ、受け取ってください」
「め、迷惑なんて、そんな」
 急いで首を振っておずおずと手を伸ばす。両手でそれを受け取り、若月さんを見あげる。
「ありがとうございます」
 びっくりして、そうお礼をいうのがやっとだった。若月さんへのプレゼントを考えるのに頭がいっぱいで、まさかこうして自分に贈り物を用意されているなんて思いもしなかった。
「気に入っていただけるといいのですが」
「開けても、いいですか」
「もちろんです」

 若月さんの許可を得て、きれいに包装されたリボンをほどき、包みを開いていく。あらわれた白い箱の蓋を開けると、なかにはさらに箱が収まっていた。それを取り出して、蝶番(ちょうつがい)で閉じられた蓋を開く。
 わたしは息を呑んだ。
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