甘いのがお好き? 第3話

文字数 2,897文字

 ほんの一時間ほど前。
 さんざん泣き腫らした顔で、痛々しい姿で、それでもまっすぐに若月を見つめて、彼を好きだと、別れたくないといってくれた。自分に都合のいい幻を見ているのかと疑ったほど、それは予想もしない展開だった。
 どんなときでも、真っ先に最悪の事態を想定する。それがもっとも被害を小さくする方法だからだ。若月はそういう人間だった。
 けれど、最悪の事態は回避された。それどころか、若月が望む以上の最善の結果をもたらした。
 桃がみずから若月の胸に飛び込んできた。

 あの瞬間。
 若月のなかでなにかが壊れた。
 若月の表層部を(つかさど)る、(たい)らかであれ、穏やかであれと、波風を立てることを好まない社交的な人格が困ったように振り向き、いいのか? と目で問うた。彼は(たて)であり(よろい)であり、(さや)でもあった。
 若月は本来、さほど温厚な人間ではない。むしろ逆で、それを抑えるために理性が発達しただけだ。抜き身ではあまりに危険すぎるので鞘をまとう。それと同じ道理で。

 だが、桃のまえでは、楯も鎧も鞘もまるで用をなさない。彼女はいともたやすくそれらをすり抜けて若月の核へと飛び込んでくる。それがどんなに危険なことなのか、おそらく彼女はわかっていない。
 鞘の役目をになう彼が振り向いて問いかけたのはそのためだ。彼は若月の本質を理解している。

 桃の涙の意味を、その涙が若月のために流されたものだと知り、ひどい罪悪感に襲われると同時にそれ以上の喜びを感じたことを、彼だけは知っている。
 泣かせたくない、大事にしたいと思いながらも、桃が自分のために一喜一憂する姿を見るのがたまらない、もっと彼女を揺さぶり乱してみたい。その身体に、心に、自分の存在を刻み込みたい。
 そんな穏やかならぬ思いを抱いていることを、若月の内側にいる彼だけが知っている。

 嫌われたくない。うしないたくない。
 こんなに貪欲で浅ましい自分を桃にだけは知られたくないと思ういっぽうで、彼女には、桃にだけは知っていてほしいという矛盾(むじゅん)した思いが、いまはたしかにある。
 彼女なら、こんな自分を受け入れてくれるのではないか、と。
 そんな身勝手な期待を、希望を。
 自分を理解してほしい、受け入れてほしいなどという、甘えのような思いをだれかに抱くのははじめてで。

 それを止めるすべを若月は知らない。

 だから、桃の目を見つめる。
 あれほど直視することを恐れた瞳が、いまは言葉よりも仕草よりも遥かに雄弁(ゆうべん)に、彼女の心を映し出す鏡だった。
 目を()らされることがいちばん恐ろしい。
「桃さん、目を開けてください」
 彼女の身体に指を(うず)めて熱い内部を探りながら若月はささやく。いつもより執拗(しつよう)な若月の行為に、桃は(すす)り泣きを()らしてぐったりしている。若月を見あげた目の縁から新たに透明な雫がこぼれ落ちた。濡れた瞳は熱を(はら)んで懇願するように力なく揺れる。

「若月さん」
 か細い声が若月の耳をくすぐる。
「痛いですか?」
 そっと尋ねると、微かに頭を振って否定する。そのまま、シャツをはだけた若月の胸に額を押しあてて、注意していなければうっかり聞き漏らしてしまいそうなほど小さな声でつぶやいた。
「……いじめないで」
 思わず手が止まる。身体の奥底から熱が噴きあげるのがわかった。あまりの熱さに目眩がする。
「あなたというひとは、」
 低く呻くようにいうと若月は身体を起こして桃から手を離した。いつになく乱雑な手つきでシャツを脱ぎ捨て、ベルトを外して身にまとったものをすべて取り払う。そして手早く準備をすませるとふたたび桃に覆いかぶさる。
 閉じられていた膝を割って開かせ、先ほどまでさんざんいたぶっていた箇所に自身の先端をあてがう。びくっと身をすくめた桃の身体に体重をのせて抵抗を封じると、大きく見開かれた目を覗き込んでささやいた。
「優しくできないと思いますが、許してください」
 あなたのせいだ、とつぶやくと、若月は桃のなかに自身を埋めていく。
「あっ……あぁ……っんん、」
 唇を塞いで、甘い声をすべて飲み込みながら腰を進めていく。熱い。たまらなく熱い。桃の両手が若月の背中を滑って縋りついてくる。彼女の頭を抱くようにして唇を貪り、ひと息に奥まで貫いた。
 ぎゅ、と。必死にしがみついてくる桃が愛おしい。身体が馴染むまで待ちきれずに抽挿をはじめる。桃いわく、若月がしつこく「いじめた」ので、彼女の身体はもうすっかり若月を受け入れる準備が整っていた。その証に、彼が動くたびに繋がった部分から淫靡(いんび)な水音が立つ。
 唇を離して桃を見つめると、泣きながらもとろけそうな表情を浮かべている。
「…………っ」
 そんな顔をされると下腹部に響く。桃にも伝わったはずだ。びくんと震える彼女をさらに揺さぶりながらささやきかける。

「ねえ、桃さん、いじめないで、なんて、そんな可愛い言葉、いったいどこで覚えてきたんです?」
「……っ、……え?」
 桃はとろんとした目でぼんやりと若月を見あげる。その顔がまた可愛らしくてたまらない。
 いや、でも、やめて、でもなく。いじめないで、なんて。それは拒絶ではない。
「それは、男を(あお)る言葉ですよ」
 いまの桃には届かないだろうと思いつつもそうささやく。案の定、彼女はなにをいわれたのかわからないというふうにぽやんとしている。
 桃は、行為の最中に会話をするのが苦手らしい。根が素直なためか、与えられる感覚に忠実でそちらに流されるあまり思考が鈍るようで。いつもより言動が緩慢になり、言葉が片言になる。それでもなんとかして若月の言葉を聞きとろうとする。
 若月も無粋な真似をするつもりはないが、そのようすがあまりに可愛らしくて、つい会話を仕掛けてしまう。
 だが、いまは若月自身、余裕がない。
 早々に会話を切りあげ、薄く開いたままの唇に触れるだけのキスを落として上体を起こし、桃の両足を折り曲げて抱えると腰を打ちつけた。
「あ、あ、あ」
 律動にあわせて桃の唇から吐息混じりの声が洩れる。彼女の膝を抱えあげ、体重をかけて奥まで突きあげる。内部を擦るたび、どろどろに蕩けた粘膜が若月をきつく締めつけてくる。たまらない。
「ああ……、熱い」
 掠れた声が口をついて出た。
「あなたのなかは、とても熱い」
 若月の背中にまわされた両手がそれぞれ、ぎゅっと拳を握るのがわかった。それが汗でつるりと滑る。若月の腕を掴んで止まった手に、彼はささやく。
「もっと強くしがみついて。爪を立てていい。もっと強く」
 桃がくしゃりと顔を歪めて首を振る。
「で、できな……」
「桃さん」
「あっ」
 ふいに桃の身体が跳ねた。
「やっ、いやっ」
 彼女がもっとも感じやすい場所を見つけてそこを攻め立てた。いやいやと頭を振りながら若月の身体にしがみついてくる。
「可愛い」
「や……っ」
「愛しています」
 背中にぴりっと痛みが走る。若月ももう限界が近い。皮膚に食い込む爪を感じながら、叩きつけるように激しく腰を打ちつける。
「っや、あ、あああぁ……っ」
 ぞくぞくするほどなまめかしい声をあげて桃が背中をのけ反らせる。同時に、彼女のなかに深く埋めた自身が締めつけられ、若月はそのまま熱を放った。
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