裏・三週間後 第1話

文字数 2,557文字

 どうしよう。
 はじめて入った若月さんの寝室のベッドにちょこんと腰かけて、わたしはひとり悶々としていた。

 『次の週末、うちへいらっしゃいませんか』
 若月さんと付き合いはじめてから、週末は一緒に過ごすことが習慣のようになりつつあったので、わたしは深く考えずにうなずいたのだけど。
 あっさりと誘いを受けたわたしにすこし複雑な表情を浮かべて彼はいった。
 『先日ぼくがいったことを覚えていますか。あなたとキスの続きがしたい、と』
 そういわれてようやくわたしは彼の誘いの意味に気づいた。ものすごく動揺したけれど、いまさら「やっぱりやめます」なんていえない。
 だけど、若月さんはわたしのそんな心境なんてすっかりお見通しで。
 『いやならそういってください。無理強いはしたくない』
 いやじゃない。そうじゃなくて。
 若月さんはすごく優しいけれど、ときどき(ずる)いと思う。彼に「いや?」と聞かれたら、いやですとはいえない。どうしてだろう。いやじゃないと答えてしまう。わたしがほんとうにそう思っている、というのが大きいのだろうけど、あの瞳であの声で「いや?」とささやかれると、わたしは若月さんを拒絶できない。ぜったいに。

 そうしてわたしはいま、若月さんのベッドにいるわけで。
 先にバスルームを借りたわたしは、若月さんが戻ってくるまでじっと待っているしかなくて。このあとのことを考えると、逃げ出したいようなそんな気持ちになる。

 ドアが開いてわたしはびくっと顔をあげる。ふだんのスーツ姿を見慣れているため、洗いざらしのシャツにジーンズという軽装の若月さんはなんだかいつもと雰囲気が違う。
 眼鏡をかけていないのだ、と気づいたときには彼はわたしのそばに来ていた。
「そんな悲愴な顔をされると困ります。ぼくがいじめているような気分になる」
「すみません」
「またすぐに謝る。襲いますよ、今日はほんとうに」
 そういって若月さんはわたしを抱き寄せる。身体を固くしたわたしを安心させるように背中を撫でながら、髪に、こめかみに、頬に口づける。そうしてなんだかいつもよりも優しい声で「好きです」とささやいた。
 わたしは目を閉じて彼の胸に額を押し当てる。

「あの、」
「はい」
「わたし、あの、ほんとうに、男のひとと付き合ったことがなくて」
「はい」
「どうしたらいいのかぜんぜんわからなくて」
「大丈夫です。あなたはただ、そうやってぼくに(すが)りついていてくださればいい。あとは正直に。いやならいや、駄目なら駄目と、我慢しないでちゃんといってください。そうしたらぼくはそれ以上のことはしません。わかりましたか?」
 わたしはこくりとうなずく。
「顔をあげてください」
「はい」
 いわれるまま彼を見あげると、すぐに唇がおりてくる。()むように浅く唇に触れたかと思うと生暖かい舌が滑り込んできた。そういうキスはもう何度か経験したけれど、自分の身体のなかに他人の身体の一部が入ってくることに慣れなくて、どうしても緊張してしまう。だけどしばらくすると、触れ合った部分から全身にじわじわと熱が広がり、お酒を飲んだあとみたいにぼうっとしてくる。

 ふっと視界が反転して、わたしはベッドに押し倒された。部屋が暗くなり、ベッドサイドの小さな明かりが(とも)される。
 そしてふたたびキスをされる。
  わたしの咥内(こうない)を味わうようにゆっくりと舌が這いまわる。とてもやさしい触れかたなのに(から)めとられた舌が苦しくて、彼の腕にしがみついた。
  若月さんはわたしの手を掴むとそのまま自分の肩に回して、抱きつくような体勢を取らせる。
  左手でわたしの髪を撫でながら、彼はもういっぽうの手を服の下へ滑り込ませてきた。自分とは異なる体温を持つ手が、じかに肌に触れる衝撃に、わたしは目を開けて彼のシャツをぎゅっと握る。
  そんなふうに人から触れられるのはもちろんはじめてだった。
 唇を離してわたしの顔を覗き込みながら、若月さんはあの台詞をささやく。
「いやですか」
  と。
  わたしは唇を結んでふるふると首を振る。彼はわたしの額にこつんと軽く額を合わせると、ふたたび手を動かしはじめる。
  脇腹を撫でていたてのひらがどんどん奥へと進んできて、器用に下着をずらして胸にたどり着く。びくんと震えたわたしの頬を彼の吐息が掠める。
「あなたの肌はとても柔らかくて温かい」
  そうささやいた唇が耳朶(じだ)を甘く咬む。
「っあ、」
  くすぐったいのとはすこし違う感覚にびっくりして首を竦める。だけど若月さんはそのまま首筋へと舌を這わせてわたしの肌を味わう。
  決していやではないけれど、背筋がぞわりとして全身に鳥肌が立つ。

  その唇で、舌で、指で刺激を与えられてわけがわからなくなって。いつの間にか服も下着もすべて脱がされていて。
  わたしの唇も耳も首も胸も指も、もうなにもかも彼の唾液で濡れていて。喉の奥からは自分のものではないようなあられもない声が漏れてくる。
  恥ずかしくて口許を覆うと、若月さんはその手をとらえてシーツに押さえつけた。
「我慢しないで。声を聞かせてください」
  わたしはいやいやをするこどもみたいに(かぶり)を振る。
  そうしているあいだも、若月さんの指はわたしの身体の、ふだんはその存在すら意識しない、だれにも触れられたことのない場所を慎重に探り続けている。
  足を閉じようと思っても、それを阻止するようにあいだに入り込んだ彼の身体が邪魔をする。
「いや」
  無意識にか細い声がこぼれる。若月さんが顔を近づけてささやく。
「いや? どうして? 痛いですか」
  わたしは黙って首を振る。痛みはない。けれど。
「怖い」
「ぼくが、ですか?」
「違い、ます。そうじゃなくて」
「なにが怖いのですか」
  押さえつけていたわたしの手を離して、宥めるように髪を撫でる。そのやさしい仕草に、いままで目の(ふち)でなんとか留まっていた涙がひと筋こぼれる。若月さんが指先でそれを掬い取る。
「泣かないでください。あなたがいやならもうやめますから」
  彼の言葉に、壊れた人形みたいに小刻みに首を振る。
「身体が、へん、なんです」
「へん? どんなふうに」
  若月さんは辛抱強くわたしの頭を撫でながら額に唇を落とす。そしてささやいた。
「恥ずかしがらないで。大事なことなんです。ちゃんと教えて」
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