プレゼントにはリボンをかけて 第5話

文字数 2,688文字

「えっと、つまり」
「なんでもないように見えて、案外、好みにはうるさいかもしれないってこと。厄介な相手ね」
「なんだかものすごくハードルが高くなった気がします」
 がっくりとうなだれるわたしに、小沢さんはあわてたようにフォローを入れてくれる。
「ごめんなさい! でも大丈夫よ。桜庭さんが選んだものなら、なんでも喜ぶに決まってるもの」
「そう、でしょうか」
「だって、あの若月よ?」
 真顔でさも当然のようにいわれて、わたしは言葉に詰まる。小沢さんはやさしい声で続けた。
「それに、寝不足になるほど悩むくらいなら、もういっそ本人に聞いてみたらいいんじゃない?」
「あ、」
 それは思いつかなかった。
「そうですよね」
「まあ、返事はだいたい予想がつくけど」
「えっ、ほんとうですか」
 小沢さんはにっこりと笑ってうなずく。
「あの若月が欲しがるものなんて、ひとつしかないもの」
「なんですか?」
「桜庭さん」
「はい?」
 名前を呼ばれたのだと思って返事をしたら、小沢さんは「違う違う」とひらひらと手を振って訂正した。
「そうじゃなくて。若月が欲しがるもの、の答えが、桜庭さん」
「えっ」
 危うく手にしていた湯呑みを落とすところだった。わたしの反応に驚いた顔で小沢さんがいう。
「そんなにびっくりすること?」
「え、だ、だって」
「断言してもいいわ。桜庭さんにリボンをかけて差し出したらぜったいに喜ぶわよ、あの男は」
 真顔で智兄と同じことをいう小沢さんに、わたしは真っ赤になりながら、しどろもどろに尋ねる。
「そ、それって、世間ではメジャーなプレゼント、なんですか」
「どうして?」
「わたしの知人も同じことをいっていて」
 小沢さんは噴き出した。
「やだ、気が合いそうな方ね」
 笑い終えると、小沢さんはいたずらっぽい目をしてわたしを見た。
「メジャーだと思うけど、実際にやったことがあるひとは少ないんじゃないかしら。相手にベタ惚れされてないと、怖くてできないもの」
「えっ、じゃあ」
「だから桜庭さんは大丈夫。安心して実行してちょうだい」
「そっ、そんなのできません」
「あら、どうして」
「だって、は、恥ずかしいです」
「恥ずかしくないわよ。公衆の面前でやれっていうならともかく、ふたりきりなのよ? しかも相手は百パーセント喜ぶってわかってるのよ?」
 小沢さんは智兄よりも遥かに上手(うわて)で、このままだと流されてしまいそうな予感がした。
「お、小沢さん、すみません。とりあえず、若月さんに直接聞いてみます」
「そうね。じゃあもし若月の返事があなただったら、リボン作戦実行してね」
「ええっ」
「楽しみだわ」
 どうして小沢さんが楽しみにするんだろう。そう思いながらも、上機嫌でお茶の用意を手伝ってくれる小沢さんに「ぜったいにいやです」ともいえず。
 大丈夫。若月さんがそんなことをいうはずがないもの。たぶん、きっと。
 大丈夫、だよね。

 職場からの帰り道、わたしは思いきって、隣を歩く若月さんに尋ねた。
「あの、若月さん」
「はい?」
 若月さんはすこし驚いたようにわたしを見た。よほど思い詰めた顔をしていたのか、そのまま足を止めてわたしを覗き込む。
「どうしました? 今朝からようすがおかしいようですが、もしかしてまだ体調がよろしくないのでは」
「ち、違います、そうじゃなくて」
 わたしはあわてて首を振る。そんな心配をかけていたなんて。動揺するあまり、なんの前置きもなく、単刀直入に聞いてしまった。
「若月さんが、いま、いちばん欲しいものはなんですか」

 若月さんは虚をつかれたように目を見開いた。わたしはおろおろと謝る。
「す、すみません。いきなりこんなことを聞いて」
「いえ、すこし驚いただけです。欲しいもの、ですか」
 そうつぶやいて、じっとわたしを見つめる。ふっと口許を緩めて微笑むと、若月さんは意味深なことをいった。
「もの、でなくてもいいのなら」
「は、はい」
 わたしはぎゅっと両手を握りしめて返事を待つ。しばらくの沈黙のあと、若月さんは微かに息を吐いて答えた。
「すみません。やっぱりいえません」
「え」
「すみません」
 重ねて謝罪の言葉を口にする彼に、わたしは急いで首を振る。
「いえ、そんな、わたしがこんなことを聞いてしまったから。すみません」
「謝らないでください。違うんです。ぼくが臆病なだけです」
「え?」
 若月さんはてのひらで口許を覆うようにして目を伏せる。
「おかしい、ですね。欲しいものを口にしてしまうと、それが二度と叶わないような気がして」
 うつむいてそういった若月さんの表情はわからない。けれど。わたしは思わず、すぐそばにある若月さんのコートの袖を掴んでいた。突然のことに驚いたように、若月さんが顔をあげる。わたしははっとして手を離した。かあっと頬が熱くなる。
 わたし、いま、なにを。
「すみません」
「どうして謝るんです」
 若月さんは笑っている。恥ずかしいけれどなんだかほっとしたわたしの手を、今度は若月さんが掴んで引き寄せた。
「え、あ、あのっ」
「せっかくあなたから触れてくれたのに、離すなんてもったいない」
 そういって、わたしの手を握ったまま歩きはじめる若月さんにあわててついていく。わたしの部屋まで送ってくれるところで、あまりひとどおりはない道だけど。
「いや、ですか」
 そう尋ねられると困る。若月さんにそんなふうに聞かれたら、わたしはいやとはいえない。
「いや、じゃない、です」
 ちいさくつぶやいて、若月さんの手を握り返す。
 若月さんは、わたしをとても大事にしてくれる。最初からずっと。へんなふうに卑下するつもりはないけれど、小沢さんみたいに美人なわけでも、なにか取り柄があるわけでもないわたしを、若月さんは好きだといってくれる。それなのに、わたしはいつも若月さんからもらってばかりで、なにもしてあげられない。
 若月さんのためになにかしたい。喜んでもらえるようなことを。
 そう、思う。

「ぼくは、貪欲な人間なんです」
 ふっと、若月さんがいった。
 考えていたことを見抜かれたみたいで、わたしはびっくりして傍らの若月さんを見あげる。
「こうしてあなたといられるだけでもうじゅうぶんなのに、それなのに、際限なく欲望があふれてくる。ぼくは、自分がこんなにも欲張りな人間だとは思ってもいませんでした」
 繋いだ指先に力が込められる。
「あなたを失いたくない」
「若月さん」
 どうしてだろう。ふいに泣きそうになって、そんな自分にびっくりする。悲しいわけでもないのに涙がこみあげてくる。
 胸が、苦しい。
 縋りつくように、若月さんの手をぎゅっと握りしめる。
「好き、です」

 わたしは覚悟を決めた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み