プレゼントにはリボンをかけて 第3話

文字数 3,082文字

 若月さんがなんのことをいっているのかがわからなくて、わたしはとまどいながらも謝る。
「すみません」
「いえ、違うんです。あなたが謝る必要はありません。悪いのはぼくです。すみません」
 そういうと若月さんは視線を外して、テーブルの端に置かれていた伝票を手に取ると「行きましょう」とうながした。

 電車のなかでも、若月さんは硬い表情のまま無言だった。わたしが降りる駅に着くと、いつものようにいっしょに降りてアパートまで送ってくれる。そのまま乗っていればすぐ次が若月さんの家の最寄り駅なのに、わざわざそうしてくれるのが申し訳なくて何度も断ったのだけど、若月さんは頑として聞き入れてくれない。
 「迷惑ですか」と聞かれてしまうと、もちろんそんなはずがないので、わたしはそれ以上なにもいえず、結局、若月さんの厚意に甘えている。

 若月さんは毎日必ず、わたしの部屋のまえまでついてきて、わたしがドアを閉めてきちんと施錠するまで見届けてから、ようやく踵を返す。まだこういう関係になるまえ、はじめて若月さんを部屋に招待したときもそうだったけれど、戸締まりに関してはかなり神経質なひとだと思う。
 ドアのまえで、わたしはおそるおそる彼を見あげる。
「あの、よかったら、なかでお茶でも」
 このまま別れてしまうのはあまりに気まずいというか落ち着かない。
「お茶はけっこうですが、玄関まで、すこしお邪魔します」
 若月さんの返事にほっとしながらわたしは鍵を差し込む。ドアを開けて、玄関までってどういうことだろう、とふと疑問に思う。玄関の明かりを点けると、背後で内側から鍵を掛ける音がしてわたしは振り返る。
 そして。
 身体のどこかを掴まれたわけではないのに、気がついたときにはわたしは壁に背中を押しつけられるようにして、唇を塞がれていた。それがキスだと理解するまでのあいだ、わたしは頭のなかが真っ白になって、ただ硬直していた。若月さん、と呼ぼうと唇を開いた瞬間、生温かい塊が滑り込んできて、わたしの声は喉の奥へと押し戻された。
 強引だけど、乱暴じゃない。乱暴じゃないけれど、やさしくもない。
 そんなキスははじめてで、唇以外、どこも身体を拘束されているわけではないのに、わたしは金縛りにあったみたいに身動きができなかった。

 しばらくして、唇を離した若月さんはわたしの顔を覗き込むと、どこかが痛むみたいな表情をして「すみません」と謝った。首を振って、わたしはゆっくりと呼吸を整える。
 若月さんは壁に両肘をついて自分の身体を支えている。その腕のなかにわたしの頭を囲うようにして、けれども身体が触れないように注意を払っているのがわかる。
 肘の先の両手は拳を握っていた。
「すみません」
 若月さんが繰り返す。
「大丈夫、です。ちょっと、びっくりしただけで」
 わたしをじっと見つめたあと、若月さんは壁に頭を押しつけて息を吐いた。がっかりしている、あるいはものすごく反省している、そんなふうに見えるけれど。
「若月、さん?」
 沈黙のあと、若月さんはぽつりとつぶやいた。
「あなたが好きです」
 顔のすぐうえでそうささやかれて、わたしは耳まで赤くなる。若月さんの言葉はさらに続く。
「たぶんあなたが思っているより、もっとずっと、遥かに。あなたのことが好きで好きで仕方なくて、あなたのなにげないひとことに一喜一憂して振り回されて。こんなに自分を制御できないのははじめてです」
 突然のものすごい告白に、わたしは息を呑んでうつむくしかない。
 若月さんが、わたしの言葉に振り回されている? 信じられない。むしろわたしのほうが、彼の言動にいちいち反応して、みっともない姿ばかり見せているのに。
 そう思うけれど、心のなかで反論するだけで精いっぱいで、とても口にする余裕なんかない。
「あなたを恐がらせたくない。嫌われたくない。そう思うのに、触れたいという衝動を抑えきれない」

 思いがけない言葉を耳にしてわたしは顔をあげる。
「そんな、若月さんを嫌いになるはずがありません」
「いまのようなことをされても、ですか」
「び、びっくりしただけで、いやじゃないです」
「これから先、もっとびっくりするようなことをされるかもしれませんよ」
「えっ」
 若月さんはふっとちいさく笑った。
「冗談です」
 あからさまにほっとしたわたしに苦笑して若月さんは身体を起こす。さっきまでの硬い表情ではなく、見慣れたいつもの若月さんがそこにはいた。
「先ほど、いっしょに過ごせるならそれだけでじゅうぶんだといってくださったこと、とてもうれしかったです」
「え」
 あのときはあまり深く考えずに正直にいっただけで、あらためてその内容を認識すると、なんだかすごく恥ずかしい。もしかして、若月さんのようすがおかしくなった原因って、その台詞だったりする、のかな。いや、まさかそんな。
 ふいの思いつきに動揺するわたしに、若月さんはふだんどおりの口調でいった。
「恋人になってからはじめてのイベントなので、桜庭さんの希望通りにしたかったのですが。とくに要望がないようなら、ぼくが決めてもかまいませんか」
「は、はい」
 反射的に答えてから、クリスマスのことをいわれたのだと気づく。
 はじめてのイベント。そう、なのかな。いっしょに田舎に帰ったり、いろいろとあったので、なんだかそんな感じがしない。
「つまらないかもしれませんが、クリスマスに家族揃って家でチキンやケーキを食べながらゆっくり過ごす、というのを一度やってみたかったんです」
 すこしためらいがちにそういって若月さんはわたしを見た。家族揃って。
「わたし、でいいんですか」
「桜庭さんがいいんです」
「あ、えっと、じゃあ、智兄とかも呼んで賑やかなほうが?」
「お気持ちはありがたいのですが、できれば今回はふたりきりでお願いします」
「はい」
「ありがとうございます。わがままをいってすみません」
「わがままなんかじゃありません。楽しみです」
「――――、」
 若月さんはすっと目を伏せると指先で眼鏡を押しあげた。そして今日何度めかのため息をつくと、いつものように「おやすみなさい。すぐに鍵を掛けてくださいね」といって鍵を外した。
 わたしはとっさに彼の袖を掴む。

「どう、しました?」
「あの、わたしも、若月さんが、好きです」
 若月さんはふだんから惜しみなく、わたしにそういうことをいってくれるけれど、わたしは自分から気持ちを伝えることがなかなかできない。だからせめて、若月さんがくれた言葉には応えたいと思う。
 でも、そのタイミングがとても難しい。
「だから、あなたというひとはほんとうに」
 なんだかもう聞き慣れつつあるその台詞をつぶやいてくるりと身を翻すと、若月さんは触れるだけのキスをしてわたしを見下ろした。
「よりによって、このタイミングでそんなことをいうなんて。襲いますよ、本気で」
「えっ」
「これでも我慢しているんです。あなたの可愛いところをたくさん見られるのはうれしいのですが、できれば週末にお願いします。うんと可愛く甘えてくださることを期待しています」
 そういってにっこりと微笑む若月さんが、怖い。
 可愛く甘えるなんて、そんなの無理。でも期待してるっていわれたらやらなくちゃいけない気になる。それに、そういわれてみると、若月さんはまえにも「甘えてほしい」というふうなことをいっていた。わたしが風邪を引いて寝込んでいたときに。
 甘えるって、具体的にどういうこと? いままで意識したことがなかったからわからない。

 ***

 その夜。散々悩んだあと、救いを求めてわたしは電話をかけた。
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