プレゼントにはリボンをかけて 第1話

文字数 3,183文字

 連日、若月さんが細やかな看病をしてくれたおかげで風邪をこじらせることもなく、わたしはまもなく快復した。
 いちばん心配だったのは、若月さんに風邪がうつってしまわないか、ということだったけれど、幸いそれは杞憂に終わってほっとした。

 師走も下旬に入り、職場の雰囲気も年の瀬を意識したものに変わり、なんだかあわただしい。休んだぶんしっかり働かなくちゃ、と黙々と作業をしていると、ぽんと肩を叩かれた。
「お昼よ。そろそ切りあげて、よかったらたまには外に食事に行かない?」
小沢さんだった。
「あっ、はい。ありがとうございます」
「あわてなくていいわよ。ちょっとお手洗いに行ってくるから、待っててね」
「はい」

 ファッション雑誌のモデルみたいに非の打ちどころのない美貌を、シンプルだけど上質な洋服に包んだうしろ姿をぼんやりと見送る。見惚れる、といったほうがいいかもしれない。
 ふと、視線を感じて振り返ると、若月さんがこちらを見ていた。目が合うと、彼は柔らかな笑みを浮かべる。そのやさしい眼差しに、頬が熱くなるのが自分でわかった。どうしたらいいのかととまどって、思わず目を伏せてしまう。ふつうに笑顔を返せばよかったのだ、と気づいたけれど、若月さんを見るとへんに意識してしまって、あたりまえのことができなくなる。
 思いきり視線を逸らしてしまったけれど、若月さん、気をわるくしていたらどうしよう。うつむいて青くなっていると、すぐそばにひとの気配がした。小沢さんが戻ってきたのだと思って顔をあげたわたしは、あっと目を見開く。
 若月さんが立っていた。
 彼はすこし身を屈めて、わたしを覗き込みながらささやいた。
「大丈夫ですか。あまり無理をなさらないほうがいい。まだ本調子ではないでしょう」
 職場の後輩の体調を心配して声をかけてくれた。だれが聞いてもおかしくはないそんな言葉なのに、相手が若月さんというだけで、わたしは過剰に反応してしまう。
「すみません」
 ふたたび真っ赤になって消え入りそうなか細い声でそういってから、はっとしてわたしは口を押さえる。おそるおそる窺うと、若月さんはいたずらっぽい笑みを浮かべてわたしを見下ろしている。いまのは、謝るのではなくお礼をいうべきところだった。

『必要以外でぼくに謝ったら襲いますよ』
 以前、冗談っぽくそういった若月さんは、その言葉を忠実に実行に移している。つまり、その。思い出して耳まで赤くなったわたしに、まるでなにもかもお見通しというふうに、若月さんはちいさく笑った。恥ずかしい。
 いたたまれない気持ちでうつむいていると、背後から救いの声が聞こえた。
「ちょっと。桜庭さんをいじめるんじゃないわよ」
「いじめるわけないでしょう。人聞きのわるい」
 戻ってきた小沢さんにしれっと答える若月さんは、さっきまでとは違う、ふだんどおりのポーカーフェイスに戻っていた。
「あたしたちはちょっと出かけてくるから。あ、そうね、若月はお弁当でしょ?桜庭さんの代わりに、みんなにお茶いれてあげて」
「えっ」
 驚いて声をあげたわたしにかまわず、若月さんはあっさりと承諾した。
「わかりました。ごゆっくりどうぞ」
「あ、あの、そんな」
「大丈夫。たまにはいいでしょ。いつも桜庭さんが気を遣ってくれてるんだから」
「いえ、あの、それはわたしが勝手に」
「どうぞお気になさらず。昼休みがなくなりますよ。いってらっしゃい」
「ほら、行きましょ」
 小沢さんになかば引きずられるようにして、わたしは席を立った。
「あの、若月さん、すみません」
 振り向いてそういったわたしに、すこし呆れたような、おかしそうな目をして若月さんは微かに笑った。
 いまのは謝るところだよね? わたし、間違ってないよね。
 そう思うけれど、最後に見た若月さんはなんだか意地悪そうな笑みを浮かべていて、わたしはますます頭に血がのぼってしまった。

「若月とはうまくいってるみたいね」
 ランチタイムでほどよくざわつく店内。奥まった席で、熱々のチキンドリアをスプーンで掬っていたわたしは思わずそれを取り落としそうになる。瞬時に赤くなった顔で、向かいに座る小沢さんを見ると、パスタをフォークに絡めながらにっこりと笑っている。
「は、はい、あの、おかげさまで」
 無意味にドリアをつつきながらしどろもどろに答えるわたしに、小沢さんはぷっと噴き出す。
「やだ、なにその可愛すぎる反応! 若月がいじめたくなるのもわかる気がするわ」
「え、え、え?」
 豪快に笑い出す小沢さんをまえに、なにかおかしなことをしてしまったのかと動揺する。

 若月さんと交際することになって、わたしはそれをいった覚えはないのに、なぜか小沢さんにはばれていて。ものすごくきれいな笑顔で「おめでとう」とささやかれて、恥ずかしいやらうれしいやら、複雑な思いをしたのだけれど。
 男のひとと付き合ったことがない、という話をしたすぐあとのことだったので、なんだか余計に恥ずかしくて。でも、はじめてでわからないことだらけなので、なにかと気にかけて話を聞いてくれる女性が近くにいるのは、すごく心強い。
「ごめんなさい、桜庭さんがあんまり可愛いから」
 ひとしきり笑ったあと、小沢さんはそういっていたずらっぽい目をする。
「若月がベタ惚れなのもわかるわ。桜庭さんが休んでるあいだ、彼、あなたのことが気掛かりで、仕事もろくに手につかないみたいだったもの」
「えっ」
「いつも淡々としてるあの男が妙にそわそわしてて。おかげで珍しいものを見られたわ」

 あの若月さんが?
 小沢さんの言葉に驚いて、わたしは呆然とする。若月さんがそんなふうになるなんて想像もつかない。若月さんはいつも落ち着いていて余裕があって。
「あ、いまの話は内緒ね。男って、女のまえではカッコつけていたい生きものだから。とくに、好きな子のまえでは、ね」
 声をひそめてそういうと小沢さんは片目を瞑ってみせる。ちょっと見惚れてぼうっとするわたしに「食べましょ。冷めちゃうわ」とうながす彼女の胸許には、控えめに輝きを放つネックレスが揺れていた。

「それ、きれいですね」
「え? あ、ありがとう。気に入ってるの」
 小沢さんはすこし照れたように笑う。もしかして、と思ってわたしは尋ねた。
「彼氏さんからのプレゼントですか」
「違う違う。これはあたしが気に入って自分で買ったの。誕生日に。ちょっと奮発しちゃった」
「そうなんですか」
「うん。それまでは、貴金属なんて男に買ってもらうものだと思ってたんだけどね。あたしの場合、ひとりの男と長続きしないから、どんどん溜まっていっちゃって。別れた男からの贈りものなんて、もう身に着けられなくて。そうなるともったいないでしょ。だから、自分で気に入ったものを自分で買うことにしたの」
 ものすごい台詞を立て続けに耳にして、わたしは圧倒されてぽかんとしてしまう。男のひとから贈りものをもらうことはもちろん、自分でアクセサリー類を買うことすらめったにないわたしは、ただ驚いて呆然とするほかない。
「もしかして、引いちゃった?」
 わたしはあわてて首を振る。
「いえっ、そうじゃなくて。なんだかかっこいいなあと思って。わたし、ファッションにはほんとうに(うと)くて。いつも小沢さんに見惚れてしまいます。すてきだなって」
「いやだ、そんな大袈裟な」

 小沢さんは笑うけれど、事実だ。同性のわたしから見ても小沢さんはすてきで、いつも目を奪われてしまう。男の人ならなおさらだろう。
 そう考えてどきっとした。
 若月さんはどうなんだろう。
 こんなにきれいなひとがすぐそばにいるのに、どうしてわたしを好きになってくれたんだろう。
 心臓がへんなふうにどくどくと脈打つ。
「桜庭さん、若月に見立ててもらって、そのまま買わせちゃえばいいのよ。もうすぐクリスマスだし、若月なら喜んで選ぶと思うわ」
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