甘いのがお好き? 第5話
文字数 2,669文字
そのまま眠ってしまった桃の傍らで、いつのまにか若月もうとうととまどろんでいたらしい。
目を覚ましたときにはすっかり日が暮れていて、あわてて飛び起きたが、桃はぐっすり眠っていて身じろぎひとつしなかった。
よほど体力を消耗したのだろう。
無理をさせた自覚はじゅうぶんにある。
幸い、明日は日曜日なのでこのまま休ませておいても支障はない。
桃のために食事の支度やその他もろもろの用意をしておきたかったが、今日はとくに、彼女が目を覚ましたときにそばにいたかったし、なにより若月自身がまだこうしていたい気分だった。
裸のまま桃を腕に抱き込んでふたたび眠りに落ち、結局、そのまま朝を迎えた。
***
翌朝、目を覚ました桃の狼狽ぶりはすさまじいもので。
行為の際、場合によっては前後不覚に陥り、そのときの記憶が曖昧になることがあるようだが、今回がまさにそれらしく。おぼろげに覚えてはいるものの、それが夢か現実か区別がつかないようで、なにやらひとりで赤くなったり青くなったりと賑やかな百面相を繰り広げていた。
めまぐるしく変わる表情をひとしきり堪能したあと、若月はにっこりと笑ってささやいた。
「いっしょにお風呂に入りましょう」
「えっ」
「身体を洗ってあげます」
「け、けっこうです、自分でやります」
真っ赤になってぶんぶんと首を振る桃を布団のなかで抱き寄せたまま、細い腰から足へと続くなめらかな曲線をゆっくりと撫でる。その仕草にびくんと反応する桃を見つめながら若月は続けた。
「自分ひとりで立てますか?」
「――――っ、」
「無理でしょう? いいんですよ、ぜんぶぼくに任せてください。用意をするので、お風呂と、あとで台所もお借りします」
「わ、若月さん」
「名前で呼んでください」
そういったとたん、桃は大きく目を見開いて耳まで赤くなった。激しく動揺しているのがありありとわかる。おそらく思い出しているのだろう。それが夢ではなかったことも。
「え……、あ、あ……」
「ぼくの名前を呼びながら縋りついてくるあなたはとても可愛かった。覚えていませんか。僕の膝のうえで、あなたはぼくの名前を呼びながら好きだといってくれた。たまらなかった」
思い出しただけで身体が熱を帯びる。
「ふたりきりのときだけでいい。名前で呼んでもらえませんか」
羞恥のせいか、桃はいまにも泣きそうな顔をしていたが、それでもしばらくの間のあと、こくりと小さくうなずいてくれた。受け入れてもらえたのが嬉しくて、愛しくて、桃を抱きしめて唇を重ねた。
そのあと。
桃といっしょに浴室にこもり、案の定、力が入らないらしい彼女の身体を背後から支えながら、髪の毛から足の爪先まで隈なく丹念に磨いていたのだが。
その首筋から太腿にいたるまで、ほぼ全身に散らした執拗な愛撫の証が視界に入るたび劣情に火がつき、身体を洗うという口実のもとに悪戯を仕掛けて桃を泣かせてしまったことは深く反省している。
白い肌に点々と咲く赤い花びら。
それを見てようやく、若月は彼女へ贈った花束の存在を思い出した。薔薇の花束は、桃の寝室、つまりあの部屋に置かれていた。若月はそれを見ていたはずだが、まったく認識していなかった。あの鮮やかな塊が、視界に、記憶に残らないほど、若月は全身全霊で桃だけをひたすら求めていたということだろう。
まったく、どうかしている。
浴室で若月がさんざんいたずらをしたせいでさらにぐったりしてしまった桃をふたたび寝室に寝かせて、若月はかいがいしく世話を焼いた。台所を借りて食事の支度をし、桃に食べさせ、あと片付けをする。
そうしてまた隣にもぐり込むと、今度はおとなしく抱き寄せるだけにして、まだ少し眠たげにうつらうつらとまどろむ桃とぽつぽつと言葉を交わしながら穏やかな時間を過ごした。
桃はあの花束をいたく喜んでくれたようで、枯れてしまうのが惜しいと、ドライフラワーにして残したいとつぶやいた。そう思ってくれるのは若月としても嬉しいが、花はいずれ枯れるもの。そのみずみずしさは生花ならではの輝きであり、はかなく散るからこそ美しい。若月はそう思う。
だから、毎年、バレンタインデーには花束を贈ることを約束した。
枯れることを嘆かなくてもいい。今年も、来年もそのあとも、若月は桃に花を贈る。
思い出よりも、いまを、そして未来を大事にしたい。これから先、明日もあさってもその先も、桃といっしょに生きていきたい。
彼女との未来を、その約束を。
それが若月の望みであり、願いだった。
桃は、真っ赤な顔でうなずいてくれた。甘い睦言 に紛れ込ませた若月の本心を、祈りにも似た切実な想いを、気づいてくれたのかどうかはわからない。
いまはまだ、届かなくてもいい。
ただでさえ抑制が利かなくなっているいま、自分の貪欲さを一気に晒け出しては彼女を壊しかねない。焦ってはいけない。少しずつ、慎重に。
若月を好きだといってくれるその言葉が、表情が、どれほど彼を喜ばせてくれるのか、彼女はたぶん知らない。
それはなにより甘い、とっておきの甘露 。
その夜。
ようやく自分で動けるようになった桃が、若月のために作っておいたチョコレートを丁寧にラッピングして、おずおずと差し出してくれた。ずっと飾っておきたいほど嬉しかったが、それと同じくらい、桃が自分のために作ってくれたチョコレートを食べたいという気持ちもあり、その場ですぐに開封した。
「あ、あの、たぶん、大丈夫だと思うんですけど」
桃が不安そうに口にするが、彼女が作ったものならばどんなものでもかまわない。それに、包むまえにひとつ味見をしていたはずだが、と彼女を見ると、緊張のあまり味がわからなかったと小さな声で白状するので可愛らしくてたまらない。
カップに入った、ひと口サイズのチョコレート。それをそっと口のなかに入れて転がす。熱でじわじわと溶けはじめると、舌のうえに少しずつ甘さが広がっていく。時間をかけて、最後までじっくりと味わう。
桃が不安そうに若月をじっと見つめていた。
「あの、」
口を開きかけた桃を引き寄せて唇をあわせる。
「ん……っ」
そのままたっぷりとキスをして。チョコレートの味を共有したあと、若月はにっこりと笑みを浮かべてささやいた。
「とびきり甘くておいしいです」
甘いものは嫌いじゃない。
たとえば拷問のように甘ったるいものであろうと、桃が作ったものなら、あますところなく平らげる自信がある。
残りのチョコレートは家に持ち帰り、ひと粒ずつ味わって大事に食べたことはいうまでもない。
目を覚ましたときにはすっかり日が暮れていて、あわてて飛び起きたが、桃はぐっすり眠っていて身じろぎひとつしなかった。
よほど体力を消耗したのだろう。
無理をさせた自覚はじゅうぶんにある。
幸い、明日は日曜日なのでこのまま休ませておいても支障はない。
桃のために食事の支度やその他もろもろの用意をしておきたかったが、今日はとくに、彼女が目を覚ましたときにそばにいたかったし、なにより若月自身がまだこうしていたい気分だった。
裸のまま桃を腕に抱き込んでふたたび眠りに落ち、結局、そのまま朝を迎えた。
***
翌朝、目を覚ました桃の狼狽ぶりはすさまじいもので。
行為の際、場合によっては前後不覚に陥り、そのときの記憶が曖昧になることがあるようだが、今回がまさにそれらしく。おぼろげに覚えてはいるものの、それが夢か現実か区別がつかないようで、なにやらひとりで赤くなったり青くなったりと賑やかな百面相を繰り広げていた。
めまぐるしく変わる表情をひとしきり堪能したあと、若月はにっこりと笑ってささやいた。
「いっしょにお風呂に入りましょう」
「えっ」
「身体を洗ってあげます」
「け、けっこうです、自分でやります」
真っ赤になってぶんぶんと首を振る桃を布団のなかで抱き寄せたまま、細い腰から足へと続くなめらかな曲線をゆっくりと撫でる。その仕草にびくんと反応する桃を見つめながら若月は続けた。
「自分ひとりで立てますか?」
「――――っ、」
「無理でしょう? いいんですよ、ぜんぶぼくに任せてください。用意をするので、お風呂と、あとで台所もお借りします」
「わ、若月さん」
「名前で呼んでください」
そういったとたん、桃は大きく目を見開いて耳まで赤くなった。激しく動揺しているのがありありとわかる。おそらく思い出しているのだろう。それが夢ではなかったことも。
「え……、あ、あ……」
「ぼくの名前を呼びながら縋りついてくるあなたはとても可愛かった。覚えていませんか。僕の膝のうえで、あなたはぼくの名前を呼びながら好きだといってくれた。たまらなかった」
思い出しただけで身体が熱を帯びる。
「ふたりきりのときだけでいい。名前で呼んでもらえませんか」
羞恥のせいか、桃はいまにも泣きそうな顔をしていたが、それでもしばらくの間のあと、こくりと小さくうなずいてくれた。受け入れてもらえたのが嬉しくて、愛しくて、桃を抱きしめて唇を重ねた。
そのあと。
桃といっしょに浴室にこもり、案の定、力が入らないらしい彼女の身体を背後から支えながら、髪の毛から足の爪先まで隈なく丹念に磨いていたのだが。
その首筋から太腿にいたるまで、ほぼ全身に散らした執拗な愛撫の証が視界に入るたび劣情に火がつき、身体を洗うという口実のもとに悪戯を仕掛けて桃を泣かせてしまったことは深く反省している。
白い肌に点々と咲く赤い花びら。
それを見てようやく、若月は彼女へ贈った花束の存在を思い出した。薔薇の花束は、桃の寝室、つまりあの部屋に置かれていた。若月はそれを見ていたはずだが、まったく認識していなかった。あの鮮やかな塊が、視界に、記憶に残らないほど、若月は全身全霊で桃だけをひたすら求めていたということだろう。
まったく、どうかしている。
浴室で若月がさんざんいたずらをしたせいでさらにぐったりしてしまった桃をふたたび寝室に寝かせて、若月はかいがいしく世話を焼いた。台所を借りて食事の支度をし、桃に食べさせ、あと片付けをする。
そうしてまた隣にもぐり込むと、今度はおとなしく抱き寄せるだけにして、まだ少し眠たげにうつらうつらとまどろむ桃とぽつぽつと言葉を交わしながら穏やかな時間を過ごした。
桃はあの花束をいたく喜んでくれたようで、枯れてしまうのが惜しいと、ドライフラワーにして残したいとつぶやいた。そう思ってくれるのは若月としても嬉しいが、花はいずれ枯れるもの。そのみずみずしさは生花ならではの輝きであり、はかなく散るからこそ美しい。若月はそう思う。
だから、毎年、バレンタインデーには花束を贈ることを約束した。
枯れることを嘆かなくてもいい。今年も、来年もそのあとも、若月は桃に花を贈る。
思い出よりも、いまを、そして未来を大事にしたい。これから先、明日もあさってもその先も、桃といっしょに生きていきたい。
彼女との未来を、その約束を。
それが若月の望みであり、願いだった。
桃は、真っ赤な顔でうなずいてくれた。甘い
いまはまだ、届かなくてもいい。
ただでさえ抑制が利かなくなっているいま、自分の貪欲さを一気に晒け出しては彼女を壊しかねない。焦ってはいけない。少しずつ、慎重に。
若月を好きだといってくれるその言葉が、表情が、どれほど彼を喜ばせてくれるのか、彼女はたぶん知らない。
それはなにより甘い、とっておきの
その夜。
ようやく自分で動けるようになった桃が、若月のために作っておいたチョコレートを丁寧にラッピングして、おずおずと差し出してくれた。ずっと飾っておきたいほど嬉しかったが、それと同じくらい、桃が自分のために作ってくれたチョコレートを食べたいという気持ちもあり、その場ですぐに開封した。
「あ、あの、たぶん、大丈夫だと思うんですけど」
桃が不安そうに口にするが、彼女が作ったものならばどんなものでもかまわない。それに、包むまえにひとつ味見をしていたはずだが、と彼女を見ると、緊張のあまり味がわからなかったと小さな声で白状するので可愛らしくてたまらない。
カップに入った、ひと口サイズのチョコレート。それをそっと口のなかに入れて転がす。熱でじわじわと溶けはじめると、舌のうえに少しずつ甘さが広がっていく。時間をかけて、最後までじっくりと味わう。
桃が不安そうに若月をじっと見つめていた。
「あの、」
口を開きかけた桃を引き寄せて唇をあわせる。
「ん……っ」
そのままたっぷりとキスをして。チョコレートの味を共有したあと、若月はにっこりと笑みを浮かべてささやいた。
「とびきり甘くておいしいです」
甘いものは嫌いじゃない。
たとえば拷問のように甘ったるいものであろうと、桃が作ったものなら、あますところなく平らげる自信がある。
残りのチョコレートは家に持ち帰り、ひと粒ずつ味わって大事に食べたことはいうまでもない。