プレゼントにはリボンをかけて 第8話

文字数 3,085文字

 繊細な金色の鎖。その先端には、光を集めて閉じ込めたかのような光沢を放つ、小さな石が輝いていた。
 そのまましばらくのあいだ硬直していたわたしは、若月さんの声で我に返った。
「お気に召しませんでしたか」
「えっ、あ、ち、違います。あの、こんな高価なもの、いただけません」
 若月さんはほっとしたように、ちいさく笑った。
「そんなこと。ぼくは、それとは比べものにならないほど、値段のつけられない価値のある贈り物をいただきましたよ」
「え」
「受け取って、いただけませんか」
 そんな目でじっと見つめられると困る。うつむきかけたわたしの顎を掴んでそっと唇を重ねると、若月さんはささやいた。
「愛しています」
 そうして、わたしの手のなかの箱からネックレスを取り出すと、留め金を外してわたしの首にチェーンを回す。首筋にひんやりとした感触があった。
「あ、あの」
「じっとして。すぐに終わります」
 正面から抱きしめられるような格好で、若月さんの手ががわたしのうなじに触れる。思わずびくんと反応してしまった拍子に、目のまえの肩にぶつかる。
「すみません」
「そこは謝るところではありませんよ」
 微かに笑う気配がして、若月さんが身体を離した。わたしを見つめて満足そうに笑みを深める。
「綺麗だ」
「え」
 視線を落とすと、胸元に、きらりと輝くあの石があった。怖くて触れない。
 若月さんがわたしの手を掴む。
「ほんとうはペアリングにしようかと迷ったのですが、それはまた次に」

 そういって、わたしの膝に置いたままのリボンを手に取ると、わたしの手首にくるりと巻き、素早く蝶々結びをする。
 左手に飾られた、滑らかな質感の赤いリボンを呆然と見下ろす。
「若月さん?」
 とまどいながら、意図を尋ねるために顔をあげる。若月さんは口許に笑みを浮かべたまま、リボンを結んだわたしの手を引き寄せてキスを落とす。
「あなたをくださるのでしょう?」
 その台詞に、もうずっと血がのぼりっぱなしで、これ以上、赤くなりようがないはずの顔がさらに熱を持つ。
「好きなひとが、自分が贈ったものを身につけて、その身をすべてゆだねてくれる。男にとって、これほど幸せなことはありません。高村さんの言葉をお借りするなら、それが男のロマンです」
 淡々と、けれどもきっぱりとそういうと、若月さんは「失礼します」と断ってわたしの身体を抱きあげた。
「えっ、わ、若月さん?」
 とつぜんのできごとにびっくりしてあわてるわたしに、若月さんはいった。
「プレゼントは、受け取ったらすぐその場で開封するのが礼儀です」
「え?」
 すぐには意味が呑み込めずにぽかんとするわたしに、いたずらっぽい目をして若月さんが説明してくれる。
「だから、これからプレゼントの中身を拝見します」
 若月さんが向かう先は寝室で。
 さすがにわたしもようやくその意味を理解した。
「そ、そんな」
「いやですか?」
「――っ」
「桃さん。あなたがいけないのですよ。昨日今日と、ぼくが必死に我慢していたのに、ふい打ちでこんな可愛らしい贈りものをくださるから。ほんとうに、あなたはいつも、あっさりとぼくの理性を吹き飛ばしてしまう」
「……? す、すみません」
 よくわからないけれど、悪いことをしたみたいなのでとにかく謝る。すると、若月さんが呆れたように笑った。
「もう遠慮なく襲いますからね。覚悟してください」
「あ」

 そうして。
 若月さんは宣言したとおりにプレゼントを開けた。

 ***

 いい匂いがする。
 その匂いにつられてわたしは目を覚ました。
 床に置かれた間接照明が仄かに明かりを燈しているだけで、あたりは暗い。はっとして身を起こす。
 わたしは若月さんのベッドで眠っていた。隣に彼の姿はない。いつのまにか、柔らかな肌触りのバスローブを着せられていた。
 ふと違和感を覚えて首に手をやると、華奢な鎖と硬質な塊に触れる。そして、左手に巻かれたままのリボン。その感触で、あれは夢ではなかったのだと思う。
 思い出して、かぁっと顔が熱くなった。

 明かりを頼りにベッドからおりる。脱ぎ捨てた、というか脱がされた服はどこにも見当たらない。仕方なく、バスローブ姿のままドアを開ける。もうすっかり日が暮れたらしく、照明が晧々と部屋を照らしている。物音がするキッチンを覗くと、若月さんが振り向いた。
「おはようございます。身体は、つらくありませんか」
「だ、大丈夫です」
「よかった。ちょうど夕食の支度をしていたところです。ああ、食事のまえに身体を温めたほうがいい。すぐに湯をいれてきます」
 わたしはあわてて若月さんの服を掴む。
「自分でやります。大丈夫です。あの、すぐに、食事の支度、お手伝いしますから」
 若月さんは目を細めて笑う。
「あなたはなにもなさらなくていい。すべてぼくに任せてください」
「そんな」
「ぼくがそうしたいんです。黙って甘えてください」
 そういうと、若月さんはわたしの左手を取ってリボンをほどく。
「お風呂のあとでまた結びましょうね」
「えっ」
「いやですか」
「…………いやじゃ、ないです」
「よかった」

 上機嫌でわたしの世話を焼いてくれる若月さんに申し訳なく思いつつもうまく断りきれなくて、結局、なにからなにまで任せてしまって。

 夕食のメニューは、買いものに出かけたときに購入したチキンに、若月さんお手製のグラタンとスープ、サラダ。それに祖父から送られてきたシャンパンと、ケーキもいっしょで。
 グラタンはわたしの大好物だけど、一から作るのはちょっと面倒くさくて、恥ずかしいけれど、自分で作ったことはない。だから、ホワイトソースまできっちり手作りをする若月さんを見て、ほんとうにすごいと思った。しかもそれがすごく美味しくて。
「若月さんって、なんでもできるんですね」
 思わずしみじみとつぶやくわたしに、若月さんは驚いた顔をして、すぐに柔らかく否定した。
「まさか。そんなことはありませんよ。どうしてそんなことを?」
「だって、仕事もできるうえに、こんなに美味しい料理も作れて。わたし、自分が恥ずかしいです。なんにもできなくて。結局はしてもらってばっかりで」
 若月さんが喜んでくれるならなんでもする、といったくせに、気がつくと、わたしのほうがしてもらってばっかりだ。
 若月さんは手にしていたフォークを置いてわたしを見つめた。
「仕事はともかく、ほかのことは、ぼくがそうしたいからやっているだけです。こうしてそばにいてくれるだけで、あなたがどれほど多くのものをぼくに与えてくださっているのか。言葉ではとてもいい表せません」
 その真剣な表情に気圧されてわたしは言葉を失う。若月さんははっとしたように瞬くと、表情を和らげて続けた。
「だから、なにもできないなんて、そんなことはぜったいにありません。あなたが自覚なさっていないだけです」
「すみません」
「どうして謝るんです」
「えっと、あの」
「またあとで襲いますよ」
「えっ」
 淡い色をしたシャンパンが揺らめくグラスを引き寄せて、若月さんは唇の端をあげる。
「いったでしょう? ぼくは貪欲な男なんです。クリスマスが終わるまでは、そのリボンを完全にほどくつもりはありませんよ」
 そういわれて、フォークを持った左手を見る。お風呂からあがったあと、ふたたび手首にリボンを結ばれて、いまもそのままだ。
 リボンをほどかないということは、えっと、つまり、わたしはプレゼントのまま、ということ?
 これからのことを仄めかされたのだと気づいて、頬が熱くなる。

 わ、若月さんって。

 わたしは動揺しながら、グラスに注がれたシャンパンをぐいっと飲み干した。
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