甘いのがお好き? 第2話

文字数 3,023文字

 身体を起こすと、若月は上着を脱いで畳に落とし、ネクタイをほどいた。桃はおとなしく仰向けになったまま顔だけを動かして、畳に脱ぎ捨てられたスーツをじっと見ている。そのようすに苦笑しながらシュッと音を立ててネクタイを引き抜く。はっとしたように桃がこちらを見あげた。
 どうしたらいいのかわからない、というふうに視線が揺れる。
 シャツの(ボタン)をふたつほど外して襟元をくつろげながら、ふたたび桃に覆いかぶさる。片手で眼鏡を外して枕許に置くと、至近距離で桃を見つめてささやいた。
「愛しています」
 とたんに、桃の顔がさらに赤く染まる。甘く色づいた頬に軽く唇を落としながら、緊張をあらわに強張った身体をゆっくりと撫でる。その手の感触にびくんと震えた彼女がなにかをこらえるようにぎゅっと目を閉じた。
 拒絶されているわけではないと思うが、手が止まる。

「桃さん、いやですか」
 尋ねると、すぐに首を横に振って否定する。
「じゃあ、目を開けて、ぼくを見て」
 少しのまのあと、桃はおそるおそるといったようすで瞼を開き、若月を見あげた。だが、まるで熱いものに触れたかのようにぱっと目を逸らす。
「ご、ごめんなさい」
 消え入りそうな声で謝りながら、彼女は若月の腕に触れる。
「あの、若月さん、眼鏡を外すと、なんだかいつもと雰囲気が違って、それで」
 その言葉に、ああ、と思った。
「怖い、ですか」
「少しだけ。でもそれより」
「それより?」
「どきどき、します」
 桃の言葉に、思わず口許がほころぶのが自分でもわかった。
「もっとどきどきしてください」
 そう答えて、桃が着ているニットの裾から手を滑り込ませてじかに肌に触れる。
「あっ」
 ふいをつかれたように短く声をあげた彼女を見つめながら、なめらかな肌をてのひらで味わう。深くまで進んでいくと、薄い皮膚の下、心臓が早い速度でどくどくと脈打つのが伝わってくる。
 火照った顔。たっぷりと水分を含んだ瞳が助けを求めるように若月をとらえる。羞恥と、たしかな熱を帯びた眼差しに吸い寄せられるようにして唇を重ねた。桃に眼鏡がぶつかる心配がなくなったので、触れる角度を深くして、心置きなく唇を貪る。

 何度肌をあわせても、毎回、桃ははじめてのときのように緊張して身体を固くする。もう少し、安心して身をあずけてくれてもかまわないのにと思う反面、こうしてキスを繰り返すうちにくたりとしてきて、若月にすべてをゆだねてくれる過程がたまらなく愛おしくもある。
 要するに、自分は桃にめろめろなのだと若月は思う。すっかり溺れきっている自覚がある。まったくもってクレイジーなほどに。
 もし彼女をうしなうことになったら。おそらく、若月はもう、ひととして生きていけない。息をしているだけの、ただの抜け殻になるだろう。
「ん……」
 キスの余韻でとろんとした表情をしている桃は、若月が服を脱がせても抵抗せず、ぐったりとシーツに身を沈めている。薄暗い部屋のなかでも、あらわになった白い肌は目に鮮やかで。細い首筋に光る華奢な鎖が肌を彩り陰影を落とす。その姿はまるで、いつまでも眺めていたい、この世にたったひとつの美しい秘宝のようだった。
 だが、眺めているだけではとても満足できない。

 柔らかな肌に顔を埋めて、目で、唇で、舌で、桃の全身をあますところなく堪能する。泣いたあとということもあってか、彼女の身体はいつもより熱くて、ぼんやりしているように見えるのとは裏腹に、より敏感になっているらしくとても感じやすい。若月が触れるたびにびくびくと身体を波打たせ、必死に声を押し殺そうとする。
「っふ……ぅ」
 こぼれる声を押さえるように口を覆う手を掴んで引き剥がす。その手を引き寄せ、てのひらに口づけた。
「駄目です。我慢しないで。声を聞かせてください」
「や……」
 いやいやをするように力なく首を振る桃を見下ろしながら、しなやかな指に軽く歯を立て、舌を這わせる。若月の手を振りほどいて逃げようとするが、離さない。そうして彼はもう一方のてのひらで桃の胸をやわやわと包み込み、その感触を楽しむ。
 唇も、頬も、手も、胸も。
 なにもかもが甘くて柔らかくて。溺れてしまいそうになる。
 細い手首をとらえたまま指からてのひらへ、てのひらから腕へと唇を滑らせる。内側の、薄い皮膚の下に透けて見える血管をたどるように進みながら、ところどころに強く吸いつき跡を残す。
「ん……っ」
 ふにふにとした二の腕を軽く食むと桃がびくんと震えた。すぐそばにある胸のふくらみに唇を寄せて、柔らかく、弾力のあるそれを味わう。頭のうえで、桃が微かな甘い吐息をこぼす気配がした。
「可愛い」
 ささやくと、桃の身体が反応する。
 若月の言葉や動作にいちいち素直に反応を示す彼女が可愛くてしかたない。ふくらみに唇を押しあてたまま、少しくぐもった声で若月はささやく。

「あなたはほんとうに、甘くて、柔らかくて、可愛くて。全部食べてしまいたい」
「…………っ」
 桃が息を呑んで身をよじらせる。若月は自身の身体で彼女を押さえ込み、その足のあいだに膝を割り込ませて閉じられないようにした。桃の手が若月の肩をぎゅっと掴む。顔をあげると、真っ赤になって泣き出しそうな表情をした桃が若月を見ていた。それが羞恥のためだとわかっているので、若月はあえてなにも聞かずに手を移動させ、桃の太腿をさらりと撫でる。そのまま奥へと指先を向かわせ、熱を秘めた繊細な部分にそっと触れた。
 桃の指が縋りつくようにして肩に食い込む。顔を背けて目を瞑った彼女を見下ろして、先ほどと同じ台詞を短く繰り返す。
「目を開けて」
 ふるふるとかぶりを振る桃を見つめながらゆっくりと指先を動かす。まだ触れたばかりなのにそこはすでにじゅうぶんに潤っていて、いままでの愛撫で感じてくれていたのだと思うと、男としての喜びとともにさらなる征服欲が掻き立てられる。
 いますぐに抱いてしまいたい。
 ずいぶんまえからもう、若月の下腹部はずきずきと疼き続けていた。一刻も早くこの熱をすべてぶつけてしまいたいと思ういっぽうで、羞恥にうち震えながらあえかに喘ぐ桃の姿をもっと見ていたい、という思いがせめぎあう。
 いま抱いてしまったら理性など一瞬で吹き飛ぶ自信がある。桃の反応を眺めるどころか、いっさいの加減なく乱暴な抱きかたをしてしまう気がした。
 余裕などない。
 自分はいま、どんな顔をしているだろうか。おそらく、長年培ってきたポーカーフェイスは無様に剥がれ落ち、欲望にまみれたひどい顔を晒しているだろう。
 桃には見られたくない。
 好きな相手に格好悪いところなど見せたくないし見られたくない。
 これまでの若月ならばそんなみっともない真似は絶対にしなかったし、許さなかった。

 だが、あの日。
 若月ははじめて、桃のまえで感情をあらわにし醜態を晒した。桃が無事であったことに心から安堵した瞬間、突きあげてきた雄の本能を抑えきれなかった。
 ひとりになったあと若月を襲ったのは、桃をうしなうかもしれないという恐怖と絶望だった。浅ましい自分の姿を目にして、桃の心が離れていってしまうのではないかと。
 あの澄んだ瞳に、自分に対する怯えや嫌悪が浮かんでいたら。
 とても耐えられない。
 そう思うと恐ろしくて、桃の目を見ることができなかった。
 うしないたくない。もう二度と。
 これほど強く深く、なにかを望んだことはない。
 そして、いま。
 桃は腕のなかにいる。
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