雪の華

文字数 3,035文字

 改札口の向こうに待ちびとの姿を見つけた。
 いつもの彼なら「おう、こっちじゃ」と陽気に手を振って知らせるのだが、それすらも忘れて、高村は近づいてくる幼馴染みの姿を見つめた。
 そんな高村に気づいて、彼女はぱっと顔を輝かせる。
「智兄!」
 あたり一面を覆う雪のように真っ白なコートを着た桃は、うれしそうに顔をほころばせて彼の名を呼ぶ。
 幼いころの面影を残した愛嬌のある顔立ち。つい数週間まえに会ったばかりなのに、高村は呆然と、その姿に目を奪われた。

 以前、会ったときとは違う。
 おとなしく、あまり目立たない、いってしまえば垢抜けない雰囲気の持ち主だった桃が、固く閉じていた蕾がうっすらと色づいてほころび、花ひらいたかのように、きれいになっていた。
「智兄? どうしたん?」
 いつのまにかすぐ目のまえに来ていた桃が、心配そうに顔を覗き込んでくる。高村ははっと我に返り、とっさに一歩後ずさる。
「いや。あんまりきれいになっとったから、つい見惚れた」
 それはまごうことない本心だったが、桃はかっと赤面すると、高村の胸を力いっぱい叩いた。
「もう! からかわんといてよ」
 クリスマスプレゼントの件でさんざんからかったのをまだ根に持っているらしい。高村の言葉をその延長線上のものと捉えたようだ。
 いつもと変わらない桃のうぶな反応になんだかほっとして、高村は笑った。そして、桃の背後に控えた長身の男に視線を向けて、会釈をする。
「遠いところをよう来てくださいました。こいつの祖父さんがまた無理ゆうて申し訳ないです」
 休日だというのにきっちりとネクタイを締めてコートを纏った若月は、眼鏡の奥の目を細めて口許に笑みを浮かべる。
「いえ、こちらこそ、わざわざお出迎えいただいて恐縮です」
 そういって頭を下げる若月は、桃より年下とは思えないほど落ち着いてしっかりしている。
 顔をあげた彼は、高村にだけ通じるよう、目で言葉を伝えてくる。高村も眼差しだけでそれに応えると、ふたりをうながした。
「さ、長旅で疲れたろう。はよう家に帰って休んだらええ。祖母さんが張り切ってなんやかんやこしらえとったで」

 ***

 年の瀬の帰省。
 今年は桃だけでなく、恋人の若月も招かれていっしょに帰省した。これは当然、桃の祖父母公認の仲だという証だ。
 いままでは出迎えを受ける側だった高村も、東京から引き揚げて実家に戻ったため、今年からは桃たちを迎える立場になる。
 以前、若月が桃の実家に挨拶に訪れたときと同じく、高村が最寄り駅まで迎えにきた。ふたりを後部席に乗せて家まで送りながら、高村はちらりとバックミラーに目を遣る。当たり障りのない会話をしながらも、若月の眼差しはそれとなく桃に向けられている。
 端から見ても、愛しいものを見る目つきだとわかる。彼が桃にぞっこんだというのはすでに承知していたが、こうしてあらためて目の当たりにすると、微笑ましいというか、見ているこちらが妙に気恥ずかしくなる。

 ***

 十二月のなかば、桃が風邪を引いて寝込むよりまえのこと。

 高村の携帯端末に若月から連絡があった。山ばかりの田舎で電波状況がよくないのか、たびたび圏外になることがあるが、そのときは運よく繋がった。
 正直いえば、驚いた。
 名刺の交換をしているので互いの連絡先はわかるが、まさか、桃を通さずに直接連絡を取り合うことがあるとは思っていなかった。
 そのときのことを思い出して、高村は我知らず笑みを浮かべていた。
 突然の連絡の非礼を詫びたあと、若月はためらいがちに用件を切り出した。
「私事で恐縮なのですが、高村さんにお伺いしたいことがありまして、お電話させていただきました」
「いえ、かまいませんが、なんでしょう?」
「ありがとうございます。あの、クリスマスのことなのですが。できれば、桃さんといっしょに過ごしたいと思っています」
 予想外の内容に、高村は返事を忘れてぽかんとした。それを察したのか、若月は申し訳なさそうに謝罪する。
「ぼくの個人的なことでほんとうに申し訳ありません」
「あ、いや、大丈夫です。すみません、続けてください」
「恐れ入ります。それで、クリスマスに桃さんにプレゼントを贈りたいのですが、彼女、金属アレルギーなどはありませんでしょうか」

 ははあ。話が見えてきた。
 高村は記憶の糸を手繰り寄せながら答える。
「それはないはず。成人の祝いに、祖父さんと祖母さんからなんやアクセサリーをもらったゆうてましたけえ」
「そうですか」
 心なしかほっとしたように若月がつぶやく。
「ふだんから、あまりアクセサリーをなさらないようなので、もしかしてと思いまして」
 高村は笑った。
「あいつはもらったもんはぜんぶ、使わんとしまうくせがあるんですわ。もったいないゆうて。若月さん、もし身につけるものを贈るなら、しまい込まんと使うよううるさくゆうてやらんとダメです」
 電話の向こうで若月が笑う気配がした。
「わかりました。そうします。あと、ついでにといっては失礼ですが、いくつかお聞きしたいのですが」
「どうぞ」
「桃さん、人混みが苦手なようにお見受けしますが、いかがでしょうか」
 驚いた。よく見ている。
「ああ、ひとが多い場所は苦手やと思います。もともと田舎育ちですから。一箇所に人が集まっとるところなんかは怖いゆうとりました。満員電車なんか、最たるもんでしょう」
「そう、ですか」
「ほかには、なにか」
「ええと、好きな食べものは」
「こどもが好きそうなもんはだいたい好きやったはず。田舎じゃあ年寄りに合わせて山菜やら野菜やらばっかりでしたけえ、はじめて街でカレーやらスパゲティやらグラタンを食べたときには、えらい喜んどりました。魚はもともと好きやったと思いますが」
「わかりました。ありがとうございます」
「もうええんですか」
「はい。とても参考になりました」
「お役に立ててなによりです」
「あの」
「はい?」
「できれば、このことは内密にお願いします」
「ああ、もちろん、そのつもりです」
「ありがとうございます」

 そして、後日。
 若月から地酒が送られてきた。
 口止め料、というよりは、単純に礼のつもりなのだろうが、ほんとうに如才ない。桃はもちろん可愛いが、それにしても、桃にはもったいないくらいの男だとも思う。
 だから、旨い酒をもらった礼に、というわけではないが、桃から若月へのクリスマスプレゼントについて相談を受けたとき、若月がいちばん喜ぶであろうものを告げて、焚きつけておいた。
 クリスマスのあとで桃から聞き出したところ、思惑以上に上手くいったようでなによりだと思う。

 ***

 それにしても。
 この短期間で、これほどの変化を遂げるとは。おそらく桃自身に自覚はないのだろうが、女というのはまったく、内にどれだけの謎を秘めているのか。
 まあ、桃に磨きをかけたのはほかでもない、若月なのだろう。
 幸せになってほしいと願いつつも、自分にまとわりついていたあのちいさな少女がおとなになり、こうして手を離れていくのだと思うと、すくなくはない寂しさが込みあげてくる。

「智兄、どうしたん? 今日はなんか静かやね。大丈夫? 具合がよくない?」
 バックミラー越しに桃と目が合う。高村は瞬きをして視線を外す。
「なに、ちぃと雪が眩しいだけじゃ」
「ほんまやね、今年もえらい積もったねえ」

 高村の複雑な胸のうちなど露知らず、無邪気に窓の外を眺める桃の襟元には、若月が贈ったのだろう、金色の鎖が覗いていた。
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