プレゼントにはリボンをかけて 第9話
文字数 3,287文字
遠くで鳴り続ける規則的な音を聞きながら、わたしはふっと目を覚ました。頭がぼうっとする。
カーテンの隙間から光が差し込んでいるのを眺めて、ああ、夜が明けたんだと思う。
えっと。
布団のなかで身じろぎをする。
記憶を手繰り寄せようとするけれど手応えがない。はっきりと思い出せない。微かな音がして、寝室のドアが開く。若月さんと目が合った。
「少々お待ちください」
そういって若月さんが部屋に入ってくる。その手には携帯端末ではない、家庭用電話の受話器が握られている。ベッドの傍らに立つと、若月さんはその受話器をわたしに差し出した。
「すみません。お祖父さまからお電話です」
「えっ」
わたしは勢いよく飛び起きた。
若月さんはなんだか申し訳なさそうに説明してくれる。
「昨日からずっと、桃さんのご自宅と端末にお電話をされていたらしいです」
「あっ」
家の電話は留守電にしてあるはず、と思ったけれど、携帯端末を忘れてきたことにようやく気づく。
「す、すみません」
あわてて受話器を受け取り、保留を解除して耳にあてる。
『桃か?』
祖父の声を聞いたとたん、びくっと背筋が伸びる。つい習性でベッドのうえで正座をしてから返事をする。
「はいっ」
『いくら電話しても出やせんから、もしやと思うて若月さんの家にかけたんじゃが。おまえ、若月さんのとこに泊まったんか』
「…………うん」
沈黙がおりる。
『そうか』
怒られる、と思ったのに、祖父はひとことつぶやいただけで、それ以上、追求してこなかった。
「あ、あの、シャンパンありがとう。おいしかった」
とっさにそうお礼をいってから思い出す。そうだ。シャンパン。
昨夜、若月さんにすすめられるままシャンパンを飲んで、それで。そのあとの記憶があいまいだ。たぶん酔ってしまったのだろう。
なにか、ものすごく恥ずかしいことをしたりいったりした気がするけれど、ぜんぶ夢だと思いたい。
『そうか。桃、正月はどうするんか』
「え? お正月?」
『帰ってこんのか』
毎年、年末年始には実家に帰るようにしている。だけど。いつもなら、考えるまもなく「帰るよ」と答えるけれど、いまは。
『若月さんもいっしょに帰ってきたらええ』
祖父の声は、そばにいる若月さんにも聞こえたようで。若月さんは驚いた顔をしてわたしを見つめる。
『若月さん、そこにおってんか』
「えっ、あ、うん」
『ちょっと代わってもらい』
「え」
とまどって若月さんを見あげる。彼はうなずいてわたしから受話器を受け取った。
「お電話かわりました。はい、ええ、いえ、予定はありません。ですが、ご迷惑では。はい、でしたら、お言葉に甘えてお邪魔させていただきます。はい、ありがとうございます。失礼します。お待ちください」
ことのなりゆきを呆然と眺めていたわたしは、ふたたび受話器を渡されて我に返る。
『桃、若月さんは来てくれてそうじゃ』
「う、うん」
『婆さんや智らが待っとるからの。気ぃつけて帰ってきい』
「はい」
通話を終えて、わたしは深々と頭を下げた。
「すみません」
「なにがです?」
「わたしが家に携帯を忘れてきたせいでこんな」
「なにも問題はありませんよ。こちらこそ、先日伺ったばかりなのに、また図々しくお邪魔することになって申し訳ないです」
「そんなことは。あの、ほんとうにいいんですか? ご迷惑では」
若月さんは目を細めて笑った。
「まさか。迷惑どころか、ありがたいと思います。お招きいただいて。それに、お叱りを受ける覚悟はできています」
「え」
「大事な孫娘に外泊をさせてしまった」
「そ、それは」
「殴り倒されても仕方ありません」
「そっ、そんなことは、しないと思います。たぶん。あるとしたら、お酒の飲み比べを挑まれるくらいだと」
きっとそうだ。お正月には親戚が集まって朝から酒盛りがはじまる。みんな酔っ払って次々と沈んでいくなかで、たいてい祖父が最後まで残る。だけど、さらにそのうえをいく酒豪の若月さんに祖父が勝てるわけがない。
「あの、うちのお正月、親戚が集まってひたすらお酒を飲み続けるだけなので、すごく騒がしいし落ち着かないと思いますけど、大丈夫ですか」
「大丈夫ですよ。ああ、でも、あなたもいっしょにお酒を飲まれるのですか?」
「え、あ、わたしはすこしご相伴にあずかるくらいですけど」
とまどいながら答えるわたしの傍らに腰をおろして、若月さんはわたしの手を取る。リボンを結んだままの左手を。
「それは困りますね。酔ってあんなに可愛らしいあなたを、ほかの男に見せたくない」
「えっ」
なんだか聞き覚えのある台詞に赤面しながら、あのときのことを思い出す。
若月さんといっしょに実家に帰ったとき。酔って若月さんにわがままをいってしまって。若月さん以外の男のひとのまえではお酒を飲まないと誓ったばかりだった。
「あ、あの、ほんとうにちょっとだけで、そんな、酔うほど飲んだりはしません」
飲まないのがいちばんだけれど、ふだんならともかく、お正月に祖父が注いでくれるお酒を断るわけにはいかない。
若月さんは声を立てずに笑うと、掴んだわたしの手を引き寄せて指先に口づける。
「お正月ですからね。仕方ありません。昨夜のあなたはとても可愛かった。あんなふうに甘えるのはぼくだけにしてくださいね」
そうささやかれて頭に血がのぼる。
昨夜ってまさか。
夢かうつつか判然としない、断片的に脳裡に浮かんでくる自分の痴態に狼狽する。
あれはぜんぶ、夢、じゃない?
心のなかを見透かしたように若月さんがいう。
「すこしは覚えているでしょう?」
「――――っ」
「真っ赤な顔をして酔っていないといいはるあなたがあんまり可愛らしくて、つい意地悪をしてしまった。許してください」
そういうと若月さんはベッドに入ってきて、わたしの身体を抱き寄せて布団を引きあげる。布団と若月さんの腕にくるまれて身動きがとれない。
「わ、若月さん?」
「もうすこし、このまま眠らせてください。今夜にはもう、クリスマスが終わってしまう」
そうだ。今日がクリスマスで、連休もおしまい。
「日曜日の午後って、あっというまに時間が過ぎてしまいますよね」
一拍おいて、ええ、という相槌が返ってくる。
「夕方の、あの寂しいような、もの悲しいような感じが、こどものころから苦手でした」
若月さんの手がわたしの頭を撫でる。続きをうながすように顔を覗き込まれて、思わず目を伏せる。
「桃さん?」
「あの、だから、えっと、次の約束があると、なんだか安心します。今日は終わっても、また次があるんだって思えて」
髪に触れていた手が止まる。若月さんの胸に額を押しつけて、しどろもどろにわたしはいう。
「だから、あの、お正月、若月さんといっしょにいられて、う、うれしい、です」
長い沈黙のあと、痛いくらいに強く抱きしめられてびっくりする。
「あ、あのっ、若月さ……」
「あなたというひとは」
すぐそばで若月さんが息を吐く。
「ほんとうに……。この状態でそんなことをいわれたら、おとなしく寝られるわけがないでしょう」
「え? あ、す、すみません、?」
「あなたがいけないのですよ」
「えっ、あの、若月さ」
唇を塞がれて、そのままシーツに押さえつけられて。
結局、クリスマスのほとんどをベッドのうえで過ごすことになったなんて、恥ずかしくてだれにもいえない。
と思っていた、のに。
***
翌日のお昼休み、小沢さんに誘われてランチを食べながら、クリスマスの報告をする羽目になって。
それだけでもさんざん恥ずかしい思いをしたのに、その夜には智兄からも電話があって。
プレゼントのことで、ふたりに相談を持ちかけたのはわたしなので、報告をしなくちゃいけないのはわかっているけれど。
恥ずかしくて死にそうだった。
そして、クリスマスの終わりに、名残惜しげに若月さんがほどいてくれたあの赤いリボンは、記念に、といって、若月さんの部屋の抽斗 に保管されている。
「また使うかもしれないでしょう?」
若月さんはそういっていたずらっ子のような目をして笑ったけれど。
もう使いませんから!!
………若月さんって。
カーテンの隙間から光が差し込んでいるのを眺めて、ああ、夜が明けたんだと思う。
えっと。
布団のなかで身じろぎをする。
記憶を手繰り寄せようとするけれど手応えがない。はっきりと思い出せない。微かな音がして、寝室のドアが開く。若月さんと目が合った。
「少々お待ちください」
そういって若月さんが部屋に入ってくる。その手には携帯端末ではない、家庭用電話の受話器が握られている。ベッドの傍らに立つと、若月さんはその受話器をわたしに差し出した。
「すみません。お祖父さまからお電話です」
「えっ」
わたしは勢いよく飛び起きた。
若月さんはなんだか申し訳なさそうに説明してくれる。
「昨日からずっと、桃さんのご自宅と端末にお電話をされていたらしいです」
「あっ」
家の電話は留守電にしてあるはず、と思ったけれど、携帯端末を忘れてきたことにようやく気づく。
「す、すみません」
あわてて受話器を受け取り、保留を解除して耳にあてる。
『桃か?』
祖父の声を聞いたとたん、びくっと背筋が伸びる。つい習性でベッドのうえで正座をしてから返事をする。
「はいっ」
『いくら電話しても出やせんから、もしやと思うて若月さんの家にかけたんじゃが。おまえ、若月さんのとこに泊まったんか』
「…………うん」
沈黙がおりる。
『そうか』
怒られる、と思ったのに、祖父はひとことつぶやいただけで、それ以上、追求してこなかった。
「あ、あの、シャンパンありがとう。おいしかった」
とっさにそうお礼をいってから思い出す。そうだ。シャンパン。
昨夜、若月さんにすすめられるままシャンパンを飲んで、それで。そのあとの記憶があいまいだ。たぶん酔ってしまったのだろう。
なにか、ものすごく恥ずかしいことをしたりいったりした気がするけれど、ぜんぶ夢だと思いたい。
『そうか。桃、正月はどうするんか』
「え? お正月?」
『帰ってこんのか』
毎年、年末年始には実家に帰るようにしている。だけど。いつもなら、考えるまもなく「帰るよ」と答えるけれど、いまは。
『若月さんもいっしょに帰ってきたらええ』
祖父の声は、そばにいる若月さんにも聞こえたようで。若月さんは驚いた顔をしてわたしを見つめる。
『若月さん、そこにおってんか』
「えっ、あ、うん」
『ちょっと代わってもらい』
「え」
とまどって若月さんを見あげる。彼はうなずいてわたしから受話器を受け取った。
「お電話かわりました。はい、ええ、いえ、予定はありません。ですが、ご迷惑では。はい、でしたら、お言葉に甘えてお邪魔させていただきます。はい、ありがとうございます。失礼します。お待ちください」
ことのなりゆきを呆然と眺めていたわたしは、ふたたび受話器を渡されて我に返る。
『桃、若月さんは来てくれてそうじゃ』
「う、うん」
『婆さんや智らが待っとるからの。気ぃつけて帰ってきい』
「はい」
通話を終えて、わたしは深々と頭を下げた。
「すみません」
「なにがです?」
「わたしが家に携帯を忘れてきたせいでこんな」
「なにも問題はありませんよ。こちらこそ、先日伺ったばかりなのに、また図々しくお邪魔することになって申し訳ないです」
「そんなことは。あの、ほんとうにいいんですか? ご迷惑では」
若月さんは目を細めて笑った。
「まさか。迷惑どころか、ありがたいと思います。お招きいただいて。それに、お叱りを受ける覚悟はできています」
「え」
「大事な孫娘に外泊をさせてしまった」
「そ、それは」
「殴り倒されても仕方ありません」
「そっ、そんなことは、しないと思います。たぶん。あるとしたら、お酒の飲み比べを挑まれるくらいだと」
きっとそうだ。お正月には親戚が集まって朝から酒盛りがはじまる。みんな酔っ払って次々と沈んでいくなかで、たいてい祖父が最後まで残る。だけど、さらにそのうえをいく酒豪の若月さんに祖父が勝てるわけがない。
「あの、うちのお正月、親戚が集まってひたすらお酒を飲み続けるだけなので、すごく騒がしいし落ち着かないと思いますけど、大丈夫ですか」
「大丈夫ですよ。ああ、でも、あなたもいっしょにお酒を飲まれるのですか?」
「え、あ、わたしはすこしご相伴にあずかるくらいですけど」
とまどいながら答えるわたしの傍らに腰をおろして、若月さんはわたしの手を取る。リボンを結んだままの左手を。
「それは困りますね。酔ってあんなに可愛らしいあなたを、ほかの男に見せたくない」
「えっ」
なんだか聞き覚えのある台詞に赤面しながら、あのときのことを思い出す。
若月さんといっしょに実家に帰ったとき。酔って若月さんにわがままをいってしまって。若月さん以外の男のひとのまえではお酒を飲まないと誓ったばかりだった。
「あ、あの、ほんとうにちょっとだけで、そんな、酔うほど飲んだりはしません」
飲まないのがいちばんだけれど、ふだんならともかく、お正月に祖父が注いでくれるお酒を断るわけにはいかない。
若月さんは声を立てずに笑うと、掴んだわたしの手を引き寄せて指先に口づける。
「お正月ですからね。仕方ありません。昨夜のあなたはとても可愛かった。あんなふうに甘えるのはぼくだけにしてくださいね」
そうささやかれて頭に血がのぼる。
昨夜ってまさか。
夢かうつつか判然としない、断片的に脳裡に浮かんでくる自分の痴態に狼狽する。
あれはぜんぶ、夢、じゃない?
心のなかを見透かしたように若月さんがいう。
「すこしは覚えているでしょう?」
「――――っ」
「真っ赤な顔をして酔っていないといいはるあなたがあんまり可愛らしくて、つい意地悪をしてしまった。許してください」
そういうと若月さんはベッドに入ってきて、わたしの身体を抱き寄せて布団を引きあげる。布団と若月さんの腕にくるまれて身動きがとれない。
「わ、若月さん?」
「もうすこし、このまま眠らせてください。今夜にはもう、クリスマスが終わってしまう」
そうだ。今日がクリスマスで、連休もおしまい。
「日曜日の午後って、あっというまに時間が過ぎてしまいますよね」
一拍おいて、ええ、という相槌が返ってくる。
「夕方の、あの寂しいような、もの悲しいような感じが、こどものころから苦手でした」
若月さんの手がわたしの頭を撫でる。続きをうながすように顔を覗き込まれて、思わず目を伏せる。
「桃さん?」
「あの、だから、えっと、次の約束があると、なんだか安心します。今日は終わっても、また次があるんだって思えて」
髪に触れていた手が止まる。若月さんの胸に額を押しつけて、しどろもどろにわたしはいう。
「だから、あの、お正月、若月さんといっしょにいられて、う、うれしい、です」
長い沈黙のあと、痛いくらいに強く抱きしめられてびっくりする。
「あ、あのっ、若月さ……」
「あなたというひとは」
すぐそばで若月さんが息を吐く。
「ほんとうに……。この状態でそんなことをいわれたら、おとなしく寝られるわけがないでしょう」
「え? あ、す、すみません、?」
「あなたがいけないのですよ」
「えっ、あの、若月さ」
唇を塞がれて、そのままシーツに押さえつけられて。
結局、クリスマスのほとんどをベッドのうえで過ごすことになったなんて、恥ずかしくてだれにもいえない。
と思っていた、のに。
***
翌日のお昼休み、小沢さんに誘われてランチを食べながら、クリスマスの報告をする羽目になって。
それだけでもさんざん恥ずかしい思いをしたのに、その夜には智兄からも電話があって。
プレゼントのことで、ふたりに相談を持ちかけたのはわたしなので、報告をしなくちゃいけないのはわかっているけれど。
恥ずかしくて死にそうだった。
そして、クリスマスの終わりに、名残惜しげに若月さんがほどいてくれたあの赤いリボンは、記念に、といって、若月さんの部屋の
「また使うかもしれないでしょう?」
若月さんはそういっていたずらっ子のような目をして笑ったけれど。
もう使いませんから!!
………若月さんって。