プレゼントにはリボンをかけて 第2話

文字数 2,476文字

「えっ」
「クリスマスプレゼント。今週末クリスマスでしょ。若月とデートじゃないの?」
 クリスマス。そういわれると、たしかにそうだ。
「あら、もしかしてまだ予定入ってない?」
「はい。あ、でも、週末はたいていいっしょに過ごすようになっているので、たぶん今週も」
「そう。若月にしては、ずいぶんのんびりしてる気がするけど」
 意外そうな顔をして、小沢さんはパスタを口に運ぶ。わたしはうつむいてしばらく考えたあと、意を決して小沢さんに尋ねた。

「あのっ」
「なあに?」
「クリスマスって、みんな、小説や雑誌に書いてあるみたいに、なにかお祝いするものなんですか」
 わたしの言葉に、小沢さんは()せてあわてて水を飲む。
「す、すみません、大丈夫ですか」
「大丈夫」
 咳込みながら、小沢さんはびっくりした顔でわたしを見た。
「お祝い、といえばそうだけど。桜庭さんはいままでどうしてきたの」
「えっと、わたしがこどものころは、祖父が庭の木に飾りつけをしてくれて、それにお願いごとを書いた紙を吊して、夕食のあとにはケーキを食べていました。
「庭の木って、(モミ)の木じゃないわよね」
「はい。松の木です」
 小沢さんは今度は絶句する。
「やっぱりへんですよね。こども心に、絵本で見たのとずいぶん違うなと思っていたんですけど」
「そ、そうね。へんというより、斬新だと思うわ。でも、お願いごとを書いて吊すのは七夕じゃないかしら」
「あ、そうですよね。祖父母もよくわからなかったみたいで」
 小沢さんは水が入ったグラスを握ったまま、まじまじとわたしを凝視する。そうしてふうっと息を吐いた。
「ほんとう、桜庭さんにはびっくりさせられるわ」
「す、すみません」
「違うの、謝らないで。なんていうか、絶滅危惧種の天然記念物を見ているかんじ」
「えっと、」
「ずっとそのままでいてほしいわ」
「は、はい」
 なんだか小沢さんの眼差しが妙にやさしくて、わたしはどきどきしながらこくりとうなずいた。
 そのあと、小沢さんはわたしのために、クリスマスについての知識を教えてくれた。もともとはイエス・キリスト生誕の日だったけれど、現在の日本ではその意味はほとんど薄れて形骸化し、家族や恋人たちのイベントとなっている、とのこと。
 それでも、とくべつな日であることに変わりはないらしく。
「楽しい夜になるといいわね」
 女神のような笑顔で小沢さんはささやいた。

 その日の終業後、若月さんに誘われて、すこし早めの夕食に出かけることになった。
 職場をあとにして、駅方面に向かって並んで歩く。まだ六時まえなのに辺りはすっかり薄暗く、とても寒い。駅が近い大通りということもあって、仕事や学校帰りのひとびとでかなり混雑している。
 街を彩るきらびやかなイルミネーションに目を奪われているあいだに、若月さんとはぐれそうになる。振り向いた若月さんが無言でわたしの手を掴んで引き寄せた。冷たく渇いた大きな手をとっさに握り返す。若月さんは長身を屈めてわたしの耳許にささやいた。
「大丈夫ですか。人混みは苦手でしょう?」
 ふいの接近に驚いて、頬が熱くなるのがわかった。
「だ、大丈夫です」
 うつむいて答えながら、あれ、と思う。人混みが苦手だということを若月さんに話したかな。違和感に首を傾げるわたしの耳を柔らかなものが(かす)めて、びくっと身を(すく)める。顔をあげると、悪戯を仕掛けるこどもみたいな目で、若月さんがわたしを見下ろしていた。
 耳に触れたものがなにかわかって、わたしは真っ赤になる。その唇が、わたしにだけ聞こえる声で言葉を紡ぐ。
「そんな可愛い顔をされると我慢できなくなります」
「…………っ」
 ふいうちに、わたしは言葉を失って立ち竦む。若月さんはときどきこんなふうに、わたしが反応できないようなことをいう。それでなくとも最近、平常心を失いがちなのに、わたしは動揺してますますなにもいえなくなる。
 若月さんはとてもやさしいけれど、ときどきすごく意地悪だと思う。いやじゃない。いやじゃないけれど、どきどきしすぎてどうしていいのかわからなくなる。心臓が壊れてしまいそうで。

 ***

 個室になった座敷で、わたしと若月さんは当たり障りのない話をしながら食事を摂った。割烹おすすめだという大きなお膳には、旬の刺身や野菜を使った料理がきれいに盛りつけられていて、食べてしまうのがもったいないような気がした。
 食事が終わって、運ばれてきた熱いお茶を飲みながら、若月さんがいった。
「今週末のクリスマスですが」
 お昼にその話題が出たばかりだったので、びっくりして若月さんを見る。
「いっしょに過ごしていただけますか」
 あらためてそう申し込まれるとなんだか緊張してしまう。居住まいを正してわたしは答える。
「はい」
「ありがとうございます。桜庭さんは、どこか行きたい場所はありますか」
 そう訊かれて返事に詰まる。行きたい場所。週末ごとに、若月さんとは一緒に出かけたりしているし、どちらかといえばもともと出無精なわたしはそれでもうじゅうぶんに満足していて、これといって思いつかない。でも、せっかく聞いてくれているのに、とくにありませんというのもなんだか心苦しい。
 困り果ててそっと若月さんを窺うと、穏やかな表情でわたしを見つめている。急かすような素振りはない。若月さんはそういうひとだ。
 わたしは正直に答える。
「あの、わたしは若月さんといっしょに過ごせるなら、それだけでじゅうぶんで。行きたいところとか、そういうのは、すみません、思いつきません」
 若月さんは驚いたように目を(みは)ると、うつむいて、てのひらで口許を押さえた。急に具合が悪くなったのかと、わたしはうろたえて身を乗り出し、若月さんの顔を覗き込む。
「わ、若月さん? 大丈夫ですか」
「大丈夫ではありません」
「えっ」
 ふう、とため息を吐いて若月さんは顔をあげる。レンズ越しの眼差しの鋭さに、わたしは思わず身を退く。怒ったような顔つきでわたしを見据えたまま、低い声でつぶやく。
「あなたというひとは」
「え?」
「その顔であんな可愛らしいことをいわれたら、たまりませんよ」
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