裏・三週間後 第2話

文字数 2,480文字

 真剣な表情で覗き込んでくる若月さんに戸惑う。
 この感じを言葉で伝えるのはとても難しい。答えあぐねていると彼が尋ねた。
「いやな感じですか? 気持ち悪い?」
「いえ、っあ」
 止まっていた彼の指がゆっくりと動きはじめる。はっきりとはわからないけれど、身体のなかでそれがうごめく鈍い感覚がある。
「いやじゃないでしょう?」
 まるで診察をする医師のような慎重な手つきでわたしの反応を見ながら、妙に確信を得た口調で若月さんがいう。
「わかりませんか。濡れています。ほら、音がするでしょう」
 そういってわざとその音を聞かせるように指を動かす。一気に羞恥心が込み上げてきて、覆いかぶさっている彼の胸を力いっぱい押しのける。
「いやっ」
「落ち着いて。恥ずかしいことではありません。こうなったほうがいいのです。あとであなたがつらい思いをしなくて済む。目を開けて、ぼくを見て」
 癇癪(かんしゃく)を起こしたちいさな子をあやすようにいいながら、抵抗するわたしの手首を掴んでそのてのひらに口づける。そうして呪文のように「好きです」と何度も繰り返す。
 その声があんまりやさしいので、ささやかれるうちにすこしずつ身体の強張りが解けてきて、彼の目を見る余裕ができた。
 視線を繋いだまま若月さんが尋ねる。

「もうやめますか? いまならまだぼくも自制できます。正直にいうと、これ以上続けていくともう途中でやめられる自信がない。あなたが泣いていやがっても止められないかもしれません」
 まっすぐに欲望を向けられてわたしは息を呑む。レンズ越しではない彼の眼差しは、いつもよりさらにはっきりと意思を伝えてくる。すこし怖いくらいに。
 掴んだままのわたしの手を軽く甘咬みしながら、彼はわたしの返事を待っている。
 恥ずかしさと未知への恐怖で身体が震えているのが自分でもわかる。彼から与えられるあの得体の知れない感覚が、怖い。
 わたしの意思とは関係なく反応を示す身体が、自分のものではないような気がする。その感覚になにもかも引きずられてしまいそうで怖い。
 だけど。
 若月さんはわたしを好きだといってくれる。彼がその気になれば、わたしの気持ちなんておかまいなしにわたしの身体を自由にできるはずなのに、彼はそれをしない。
 大事にされている、と思う。
 わたしにはなにもできないけれど、そんなわたしを求めてくれる彼の想いに応えたい。そう思う。
 わたしは彼のシャツを掴む。

「若月さんなら、いいです」
 驚いたように彼は目を瞠る。わたしの言葉が意外だったらしい。すっと目を伏せて息を吐くと、わたしの手を掴んでいた指先で唇をなぞる。
「ぼくを殺す気ですか。そんな顔でそんなことをいわれたら、心臓が持たない」
 触れられた唇から熱が注ぎ込まれる。わたしを見下ろす若月さんの瞳は、もう隠しようのないほどの欲望を湛えている。
 とたんに怖くなってその眼差しから逃れようと身をよじると肩を掴まれ引き戻される。
 熱い吐息とともに彼がささやいた。
「駄目です。もう逃がしません」

 若月さんは服を脱ぎ捨てるとわたしの身体に覆いかぶさり唇を重ねる。
 ゆったりとした、でも執拗な口づけにどんどん頭がぼうっとしてくる。そんなキスをしながらも、彼の指はわたしのなかを探り続ける。どちらにも集中できなくて、おかしくなりそうだった。
 ふいに指が抜かれて唇も離れる。
「最初はすこし痛いかもしれません。我慢しないでぼくにしがみついてください。爪を立てても咬みついてもかまいません。いいですか」
 唇を咬んでちいさくうなずくわたしの髪をひと撫でして「手を」とうながす。おずおずと両手を彼の背中に回すと「よくできました」というふうにふわりとキスをされる。
 開かされた足のあいだに指ではないものが押しつけられる。反射的に逃げかけたわたしの腰をとらえて彼はささやく。
「逃げないで。力を抜いて」
 そんなのは無理だ、と首を振る。わたしの不規則な呼吸がわずかに治まってきた頃合いを見計らって、若月さんはわたしのなかに入ってきた。

 痛い、なんてものではない。
 あまりの衝撃に背中をしならせて痛みを振り払うために頭を振る。喉の奥が凍りついたみたいに声が出てこない。
 漏れてくるのは声にならない鋭い空気の悲鳴。
 若月さんにしがみついていた手で彼の胸を押しやる。けれども彼の身体はびくともしなくて。
 押しのけるどころか反対に両手を握り込まれてシーツに押さえつけられる。顔の横でそれぞれてのひらを重ねたままシーツに張りつけにされて。
 耳許で宥めるように彼がいう。
「ゆっくり息を吐いて。そんなに力を入れると余計に痛くなります。ぼくを信じて」
「……っう」
「ほら、ゆっくりでいいんです。あなたを虐めたいわけじゃない。愛しています」
 そういって若月さんはわたしの顔じゅうにやさしく唇を落とす。肩で息をしながらなんとか呼吸を思い出して、いわれたとおりに息を吐く。吐いて、吸って。
 それを繰り返していると、ほんのすこしだけ楽になった気がした。目を開けると若月さんがわたしをじっと見つめている。
「そう、上手です。もう手を離しても大丈夫ですね?」
 わたしの返事を待たずに、彼は押さえつけていた手を解放する。そしてわたしの頭を両腕のなかに囲むようにして目を覗き込んでくる。
「あなたが欲しい。このまま続けてもいいですか」
 なにかを抑えるような掠れ気味の声。いままでまったくそんな余裕がなくて気づかなかったけれど、若月さんはなんだか苦しげな表情をしていた。
 わたしはもう一度彼の背中に手を伸ばす。それが答えだと彼はわかってくれた。

 恐らく、時間にすればほんの数分のこと。そのわずか数分のあいだがものすごく長く感じられた。
「まだ痛いですか?」
 ゆっくりとわたしのなかに身体の一部をおさめきった若月さんは、しばらくそのまま身動きをせずに、キスを繰り返してわたしの反応を観察していた。
 そしてあいまに甘い言葉をささやいてはわたしの名前を舌先で転がす。そのたびに、触れ合った部分から熱が生まれて身体の奥がじんじんと痺れるような感覚にとらわれる。
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