73話 永遠の少年

文字数 3,175文字

 まだ文句を言い続けている母の言葉も、それ以上は耳に入らず、再び自室に戻った私。

 もともと、あまり物持ちではなく、ゆえに一つ一つの物に対し、それなりの思い入れがあるものばかりでしたが、絵や日記の他にもいろいろ捨てられ、ただでさえシンプルな室内が、輪を掛けて淋しくなっていました。

 以前にも、同様のことをされた際、取り戻そうと清掃局に問い合わせたのですが、一旦処理場へ運ばれてしまうと、順次焼却されてしまうので、取り戻すのは不可能に近く、すでに回収されてから時間が経過していたため、諦めるしかありません。

 みんなと過ごした時間を綴った日記や、夏輝くんの絵を失い、何だかもう自分でもよく分からなくなり始めていました。

 母が言うように、誰も私を友達だなどと思っていなかったのではないか、いや、そもそもそんな友達など最初から存在せず、すべては私の妄想だったのではないかと、記憶までがあやふやになってきたのです。

 溜め息をつきながらベッドに腰掛けると、ふと着替えが入ったバッグが目に留まり、中を見ると、衣類の間に一ヵ月ほど前に新調した日記帳が入っていました。

 昨日、保さんが入院したと聞き、念のためにお泊りの準備をした際、一緒に日記帳を入れたことを思い出した私。さすがに母もバッグの中までは(あさ)らなかったらしく、奇跡的にこの一冊だけが手元に残ったというわけです。


 ページを開くと、中には一枚の写真。


 それは、夏輝くんの棺に入れたものと同じ、初めてジュース・デーを開いた日に撮ったもので、母に見つからないよう木の実ちゃんに預けていたのを、葬儀が終わった後、寂しくないようにと手渡してくれたのでした。

 聖くん、朋華ちゃん、木の実ちゃん、冬翔くん、夏輝くん、そして私。目を閉じたり、転んだり、何枚も何枚も撮り直して、ようやく全員が笑顔で写った一枚。

 心まで母に破壊され、もう何が真実か分からなくなり、すべては幻想だったのかも知れないと思い始めていた私。でも、奇跡的に一枚だけ残った写真には、確かに私たち6人が一緒に過ごした『時間』と『絆』が存在していた証があったのです。

 そしてもう一つ、通学バッグに取りつけてあった、みんなでお揃いのチャーム。それを取り外し、そっと握り締めた瞬間、一気に現実が押し寄せ、私は初めて声を出して泣きました。




 さすがに、今回のことには温厚な祖父母も激怒し、母方の実家まで巻き込んだ大問題に発展したものの、本人は悪びれるどころか、私が告げ口をしたと逆ギレする始末。

 年末年始を実家で上げ膳据え膳で過ごし、里帰りから帰宅してからも、自分の正当性ばかりを主張する母。

 仮に、母に謝罪されたところで、処分された物たちが戻るわけでもなく、天と地がひっくり返っても、母が私に謝罪することなどあり得ないことも分かっていました。

 指の骨折も、その後リハビリ治療が必要だったのですが、抜糸が済むと、これ以上はお金の無駄だと強制的に治療を打ち切られ、勝手に通院出来ないよう、診察券も取り上げられてしまい。

 私の治療費全額を国枝氏が負担していたことも、彼に恩を着せられるようで、母のプライドが許さなかったのでしょう。

 かといって、自分が治療費を払う気などさらさらなく、日常生活に支障こそない程度に回復はしましたが、今も指は少し曲がったままの状態です。




 三学期が始まり、夏輝くんがいないことを除けば、世間は何も変わらない毎日。それでも、私たちを取り巻く環境は、これまでとは確実に変わって行きました。

 二年生を終了後、冬翔くんは治療を受けるため、瀬尾先生の紹介でカリフォルニアの学校へ転校。大学を卒業後も日本へは帰らず、今もアメリカで活躍しています。

 三年生の一学期が終了すると、聖くんはドイツの祖父母の元へ移り、ギムナジウムへ編入。無事アビトゥーアにも合格し、祖父の会社で念願の研究職に就きました。

 そして中学卒業と同時に、ウィーンの音楽学校に入学した朋華ちゃん。その後、色んな葛藤を抱えながらも、様々なコンクールを総なめにするなど、今では名実ともに世界が認める一流のピアニストです。

 藍玉に残った私と木の実ちゃんは、そのままエスカレーター式に大学を卒業後、木の実ちゃんは母、征子さんと一緒に、大人気の親子料理研究家として活躍。

 一方、私はごく普通のOLになり、実家を出て念願の一人暮らしを始めるも、その後、実家の御家騒動に巻き込まれることになるのですが、それはまた、別のお話。




 変化は、私たち子供だけではありません。

 年明け早々、こちらの病院へ転院した千鶴子さんですが、年齢的に手術に耐えられる体力がないと判断され、投薬による治療を続けたものの、残念ながら快復には至らず、翌年に他界。

 そんな母親を看取ることもなく、ずっと入院したままの保さんはといいますと、身体も精神もボロボロになり、二度と社会復帰することはありませんでした。

 以前、国枝氏が『どんな厳しい制裁よりもキツイ罰を受けている』と言っていた通り、最愛の息子、夏輝くんの自殺が与えたダメージは、彼を廃人にさせるほど激烈なものだったのです。

 そんな保さんの後見人として、北御門家の資産や、経営する会社の膨大な美術品は、祖父母と実花子さん、そして国枝氏で管財し、実花子さんは冬翔くんが成人するまでの間の親権者となるため、ふたりは養子縁組。

 やがて成人した後、養子縁組は解消するのですが、その間ずっと細やかにフォローしてくれた実花子さんを、今でも実の母親のように慕っています。




 そしてもう一つ、私の身に起こったことが。

 夏輝くんが亡くなってしばらくしたある夜のこと、不思議な夢を見ました。

 膝ほどの深さの透き通った水の中に立つ私の側を、金色の大きな魚が優雅に泳いでいたのですが、不意に水の中に姿を消した次の瞬間、ほんの数メートル先に、夏輝くんが現れたのです。

 すぐに駆け寄ろうとするものの、金縛りに掛かったように、動くことも声を出すことも出来ず、そんな私に、金色の魚が語りかけて来ました。


『もう一度だけ、触れることを許す。但し、人として大切なものを一つ失うことになるが、それでも良いか?』


 と。勿論、答えはイエスでした。私には失うものなどないと思ったからです。

 その瞬間、身体が自由になり、夏輝くんの元へ歩み寄ると、力いっぱい彼の身体を抱きしめ、同様に、力強く抱きしめられる感触は、とても夢とは思えないほどリアル。

 言葉を交わすことは出来ませんでしたが、笑みを浮かべた彼の唇が『ずっと一緒だよ』と形作り、私もそれに頷いて答え、このまま時が止まることを願いました。

 どれくらいそうしていたのか、強い衝撃を感じて目が覚めた私。現実に引き戻されても尚、全身に残る夏輝くんの感触は、今でもはっきりと残っています。

 そして、代償として失った『人として大切なもの』ですが、その後の人生で、私は二度と恋をすることはなかった、ということ。ただ単に、夏輝くんを超えるお相手と出会えなかっただけかも知れませんが、その真相は不明。

 いずれにしても、私の中で後悔がないことだけは確かです。




 その後、誰も住む人がいなくなった北御門家は老朽化が進み、ちょうどその頃持ち上がった地域再開発計画で、古くからの街並みとともに、私たちの想い出が詰まったあの瀟洒な洋館は解体されました。

 大規模な造成工事により、今ではその一帯は巨大なショッピングモールに姿を変え、当時を偲ばせるものはどこにもありません。


 時が流れ、古びた日記帳を開くと、今でもみんなと過ごした日々が蘇ります。


 名前の通り、強烈な真夏の陽射しのように、強く私の心を掴んで離さない夏輝くん。彼は14歳の少年のまま、私たちの中に生き続けているのです。

 これまでも、これからも、永遠に…







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