69話 悲しみの中で
文字数 2,371文字
昨晩降った雪で交通機関は麻痺し、普段、あまり雪道の運転に慣れていないドライバーによるスリップ事故が多発して、道路も大渋滞。
翌朝、退院許可が下りた私は、電車の再開を待つより歩いたほうが早いと判断し、一緒に泊まってくれた朋華ちゃんたちと、30分以上かけて徒歩で北御門家へ帰宅しました。
昨晩、夏輝くんに同伴して一足先に戻っていた聖くんたちと、半日ぶりに合流。一睡もせず、ずっと側に付き添っていた彼らは、祖母から少し眠るように促され、
「今のうちに、寝ておいでよ」
「私たちが、夏輝の側にいるから」
「んじゃ、頼むな。行こか、冬翔?」
「うん」
二階に上がって行ったふたりに代わり、夏輝くんの側に座った私たち。
「朋ちゃんたちは大丈夫なの? 夕べ、こうちゃんに付き添っていて、ちゃんと眠れてないんじゃない?」
「大丈夫です」
「私たち、三人で一緒に、病室のベッドで寝てたから」
VIPルームのキングサイズのベッドは、三人で寝ても全然余裕でしたが、こういう状況に加え、暗いと寝られない朋華ちゃんに合わせ、一晩中電気を点けっ放しだったため、あまり眠れなかったのは事実。
かねてからの念願だった学校行事以外での三人一緒のお泊りが、こんな形で実現するのも何だか微妙でした。
そんな中、毎週末のようにスキーに出掛けている茉莉絵さんにとって、この程度の雪道など朝飯前とばかり、朝一番で祖母を連れて鳩のお世話に行き、帰宅後すぐに役所回りに奔走してと大活躍です。
「ご苦労さま。茉莉ちゃんも、少しお休みなさいな」
「は~い」
祖母にそう言われ、私たちの所へ来て腰かけ、夏輝くんの顔を覗き込みました。
「夏輝のヤツ、穏やかな顔してんな~」
「写真の顔も、最高でしょ?」
私たちが遺影に選んだのは、桜淵の体育祭で旗手を務めたときのもので、一枚は、きりりとした表情で、こちらに目線を向けた顔のアップ、もう一枚は、校旗を掲げた全身写真です。
躍動感に溢れるその姿からは、普段、運動を禁じられていたことを思わせるものなど何もなく、健康な少年そのものでした。
今日が『友引』のため、お通夜は明日、葬儀告別式は明後日に執り行われることが決まり、しばらくすると、連絡を受けた親戚や、ごく親しい関係者の方たちが弔問に訪れ始めました。
そんな中、葬儀の打ち合わせにお見えになった桜淵の先生方と生徒会の皆さん。学校関係者だけでも相当数の来訪が予想されることから、生徒会が窓口になり対応してくださるとのこと。
生徒会は二年生に代替わりしていましたが、広瀬川さんはじめ前任の方々もご一緒で、年明けには国立大学の入学試験を控えている大切な時期にもかかわらず、ご本人たちの意思で来てくださったそうです。
私たちが電車で出逢ったあの日、偶然同じ電車に乗り合わせ、誤解から私たちを守ってくれたお兄さまたち。一人ずつ頭をポンポンすると、
「無理するなよ」
その言葉に込められた優しさに、涙が零れそうになりました。
その後も弔問客がぽつぽつと訪れる中、一人キッチンへ行き、お料理を始めた木の実ちゃん。時計を見ると、午後一時を回っていました。
いつものジュース・デーの習慣で、手伝いに行こうとした私を、今し方起きて来たばかりの聖くんが制止。
「その手じゃ、無理だろ?」
「あ、そっか」
「僕が行くから、冬翔とこうめは夏輝の側に居てやって」
「うん」「わかった」
「じゃあ、私はピアノを弾くわ」
そう言うと、朋華ちゃんは亜妃さんのピアノに向かい、私たちが大好きなドビッシーの曲を弾き始めたのです。
家中に漂う美味しそうな匂いと、美しいメロディーに、葬儀の準備に忙殺されていた大人たちも、居間に集まって来ました。
私と冬翔くんで飲み物を準備すると、まるでいつものジュース・デーのような雰囲気になり、出来上がったお料理は夏輝くんの大好物が並んでいます。
メンバー以外では、唯一ジュース・デーのことを知っている茉莉絵さんは、切なさを隠すように明るく振る舞い、私たちを心配して残ってくれていた広瀬川さんたちも、お料理に舌鼓を打ち、しばし穏やかな雰囲気に包まれました。
娘の作ったお料理を口に運んだ楢葉さん。
「この味、久しぶりに食べたよ。おまえが作る料理は、母さんの味そっくりだな」
「そりゃ、師匠だからね」
「なあ、木の実。父さんたちが離婚したこと、恨んでないか?」
「何で?」
「そのせいで、おまえ一人に苦労かけてしまったわけだし」
「別に、苦労なんて思ってないから」
「父さん考えたんだけど、もしも、もしもだけどさ、おまえと母さんさえ良ければ、洋輔 や晴哉 も一緒に、もう一度みんなで暮らせないかって…」
「無理だよ、それは」
言葉を選びながら、そう切り出した父親に、即答で却下する木の実ちゃん。
「だいたい、おっ母さんが了解するわけないし、お父っつあんだって、またあの人と暮らしたところでトレス溜めるだけで、上手く行くわけないじゃん?」
「だけど、おまえの負担を考えたら、親だし、それくらいの辛抱は…」
「子供にとって、いがみ合ってる親を見るほど、辛いことはないから」
「木の実…」
「あの人を操縦出来るのは、私しかいないし、私がいないと、あの人一人じゃ生きてけないでしょ? 絶妙なバランスが取れてるんだから、無理に崩さないで欲しいんだよね」
「だったらせめて何か、父さんに出来ることはないのか?」
その問いに、少し考えて、こう答えたのです。
「じゃあ、次の三者面談から、お父っつあんが出てくれる? 毎回ドタキャンして行方不明になられたら、先生にも悪いし、仕事先にも迷惑掛けるから」
「お安い御用だ。いつでも言ってくれ」
「宜しく」
「…にしても、美味いな」
「もしかしてお父っつあんさ、結婚するとき、胃袋掴まれたクチ?」
「胃袋だけ、な」
そう言うと、後は黙々と食べ続けました。
翌朝、退院許可が下りた私は、電車の再開を待つより歩いたほうが早いと判断し、一緒に泊まってくれた朋華ちゃんたちと、30分以上かけて徒歩で北御門家へ帰宅しました。
昨晩、夏輝くんに同伴して一足先に戻っていた聖くんたちと、半日ぶりに合流。一睡もせず、ずっと側に付き添っていた彼らは、祖母から少し眠るように促され、
「今のうちに、寝ておいでよ」
「私たちが、夏輝の側にいるから」
「んじゃ、頼むな。行こか、冬翔?」
「うん」
二階に上がって行ったふたりに代わり、夏輝くんの側に座った私たち。
「朋ちゃんたちは大丈夫なの? 夕べ、こうちゃんに付き添っていて、ちゃんと眠れてないんじゃない?」
「大丈夫です」
「私たち、三人で一緒に、病室のベッドで寝てたから」
VIPルームのキングサイズのベッドは、三人で寝ても全然余裕でしたが、こういう状況に加え、暗いと寝られない朋華ちゃんに合わせ、一晩中電気を点けっ放しだったため、あまり眠れなかったのは事実。
かねてからの念願だった学校行事以外での三人一緒のお泊りが、こんな形で実現するのも何だか微妙でした。
そんな中、毎週末のようにスキーに出掛けている茉莉絵さんにとって、この程度の雪道など朝飯前とばかり、朝一番で祖母を連れて鳩のお世話に行き、帰宅後すぐに役所回りに奔走してと大活躍です。
「ご苦労さま。茉莉ちゃんも、少しお休みなさいな」
「は~い」
祖母にそう言われ、私たちの所へ来て腰かけ、夏輝くんの顔を覗き込みました。
「夏輝のヤツ、穏やかな顔してんな~」
「写真の顔も、最高でしょ?」
私たちが遺影に選んだのは、桜淵の体育祭で旗手を務めたときのもので、一枚は、きりりとした表情で、こちらに目線を向けた顔のアップ、もう一枚は、校旗を掲げた全身写真です。
躍動感に溢れるその姿からは、普段、運動を禁じられていたことを思わせるものなど何もなく、健康な少年そのものでした。
今日が『友引』のため、お通夜は明日、葬儀告別式は明後日に執り行われることが決まり、しばらくすると、連絡を受けた親戚や、ごく親しい関係者の方たちが弔問に訪れ始めました。
そんな中、葬儀の打ち合わせにお見えになった桜淵の先生方と生徒会の皆さん。学校関係者だけでも相当数の来訪が予想されることから、生徒会が窓口になり対応してくださるとのこと。
生徒会は二年生に代替わりしていましたが、広瀬川さんはじめ前任の方々もご一緒で、年明けには国立大学の入学試験を控えている大切な時期にもかかわらず、ご本人たちの意思で来てくださったそうです。
私たちが電車で出逢ったあの日、偶然同じ電車に乗り合わせ、誤解から私たちを守ってくれたお兄さまたち。一人ずつ頭をポンポンすると、
「無理するなよ」
その言葉に込められた優しさに、涙が零れそうになりました。
その後も弔問客がぽつぽつと訪れる中、一人キッチンへ行き、お料理を始めた木の実ちゃん。時計を見ると、午後一時を回っていました。
いつものジュース・デーの習慣で、手伝いに行こうとした私を、今し方起きて来たばかりの聖くんが制止。
「その手じゃ、無理だろ?」
「あ、そっか」
「僕が行くから、冬翔とこうめは夏輝の側に居てやって」
「うん」「わかった」
「じゃあ、私はピアノを弾くわ」
そう言うと、朋華ちゃんは亜妃さんのピアノに向かい、私たちが大好きなドビッシーの曲を弾き始めたのです。
家中に漂う美味しそうな匂いと、美しいメロディーに、葬儀の準備に忙殺されていた大人たちも、居間に集まって来ました。
私と冬翔くんで飲み物を準備すると、まるでいつものジュース・デーのような雰囲気になり、出来上がったお料理は夏輝くんの大好物が並んでいます。
メンバー以外では、唯一ジュース・デーのことを知っている茉莉絵さんは、切なさを隠すように明るく振る舞い、私たちを心配して残ってくれていた広瀬川さんたちも、お料理に舌鼓を打ち、しばし穏やかな雰囲気に包まれました。
娘の作ったお料理を口に運んだ楢葉さん。
「この味、久しぶりに食べたよ。おまえが作る料理は、母さんの味そっくりだな」
「そりゃ、師匠だからね」
「なあ、木の実。父さんたちが離婚したこと、恨んでないか?」
「何で?」
「そのせいで、おまえ一人に苦労かけてしまったわけだし」
「別に、苦労なんて思ってないから」
「父さん考えたんだけど、もしも、もしもだけどさ、おまえと母さんさえ良ければ、
「無理だよ、それは」
言葉を選びながら、そう切り出した父親に、即答で却下する木の実ちゃん。
「だいたい、おっ母さんが了解するわけないし、お父っつあんだって、またあの人と暮らしたところでトレス溜めるだけで、上手く行くわけないじゃん?」
「だけど、おまえの負担を考えたら、親だし、それくらいの辛抱は…」
「子供にとって、いがみ合ってる親を見るほど、辛いことはないから」
「木の実…」
「あの人を操縦出来るのは、私しかいないし、私がいないと、あの人一人じゃ生きてけないでしょ? 絶妙なバランスが取れてるんだから、無理に崩さないで欲しいんだよね」
「だったらせめて何か、父さんに出来ることはないのか?」
その問いに、少し考えて、こう答えたのです。
「じゃあ、次の三者面談から、お父っつあんが出てくれる? 毎回ドタキャンして行方不明になられたら、先生にも悪いし、仕事先にも迷惑掛けるから」
「お安い御用だ。いつでも言ってくれ」
「宜しく」
「…にしても、美味いな」
「もしかしてお父っつあんさ、結婚するとき、胃袋掴まれたクチ?」
「胃袋だけ、な」
そう言うと、後は黙々と食べ続けました。