50話 研究対象
文字数 2,529文字
現在、茉莉絵さんが所属している心理学部も、そうして出来た比較的新しい学部で、ゼミの瀬尾教授は、当時まだ日本ではほとんど研究されていなかった『児童虐待』をテーマに取り組んでいました。
当初、自分には関係ないと思っていたものの、虐待には暴力だけではなく、色んなケースがあることを知り、じつは自分もそうだったことに気付いたことは、茉莉絵さんにとって大きな成果でした。
大人としての自覚が希薄で、自分の親への依存が強い反面、子供に対して激しい執着を見せる母ひろ子さん。そうしたことを認識することにより、自分と母親の関係性を客観的に見たり、問題を繰り返す親に対する対処法も分かるというものです。
そう、茉莉絵さん自身、瀬尾教授の研究対象者でもあり、虐待以外でも研究素材としてとても興味をそそられる人材でもありました。
そんな彼女が持ち込んで来た新たなキャラクターに対し、彼が強い興味を示したのは言うまでもありません。瀬尾教授にとって、私たちのような子供は、またとない研究対象に成り得るのですから。
「もし機会があったら、瀬尾先生があんたたちに会いたいっておっしゃってたんだけど?」
「んー、分かった。今度みんなに会ったら言っとく」
「頼むな」
「おう!」
そう言って、ファイルを持って自分の部屋へ戻った聖くん。
正直、自分たちの中ではすでに解決していたことだったので、今更という気がしたのですが、さすがにこれだけの資料を揃えるのがいかに大変か想像すると、いくら姉でも無下に突き返すことは出来ません。
全部に目を通すのも面倒だと思いつつ、少し読み始めた途端、その内容にグイグイと引き込まれて行きました。
「なるほどね~、これも虐待なのか~」
「このパターンは、木の実だな?」
「これ、まるっきりうちのオカンじゃんか!」
そうして読み進むうちに、とある記述内容に釘付けになった聖くん。
それは、茉莉絵さんが『参考程度』と言っていた資料でしたが、時間の過ぎるのも忘れるほど、夢中で読み漁ったのでした。
その日、久しぶりのデートで、北御門家を訪れていた私。
朋華ちゃんのコンクールが終わってから、一度もジュース・デーは開かれておらず、何度か彼らから打診はあったものの、朋華ちゃんに尋ねると、返って来たのは『忙しい』という返事でした。
あれ以来、彼女への取材の申し込みが殺到していて、それらスケジュールは母、小夜子さんが管理しているため、以前にも増して自由になる時間が減っていたのも事実。
もっとも、今はまだ積極的に参加したくない心境であることも分かっているので、しばらくはそっとしておくことにしていました。
木の実ちゃんはというと、夏休みのとき同様、母、征子さんがレギュラーをしているお料理番組で、『母子で作る、クリスマスとお節料理』という冬休み特別企画の打ち合わせと収録で、このところご多忙中。
前回までは生放送だったこの企画ですが、やり直しが出来ない一発勝負であることから、収録じゃないとお仕事を受けたくないと言い張る木の実ちゃんの要望で、今回からは収録に変更となっていました。
というわけで、24日のイブには、みんなでクリスマス・パーティーをしようと計画した私たち。
桜淵は例年通り、終業式の翌日から12月30日までびっしりと冬期講習が組まれており、朋華ちゃんも、小夜子さんのニューイヤー公演に同行するため、26日の早朝にはアメリカに出発する予定。
最大のネックである小夜子さんは、23日と24日が地方でのクリスマス・コンサートで、帰宅は25日。よって、年内に全員が集まれるのは、24日の終業式が終わった午後しかありません。
聖くんと顔を合わせるのは気まずいものの、このまま疎遠になってしまうことだけは避けたかった朋華ちゃん。勇気は要りますが、蟠 りを解くチャンスでもありました。
「じゃあ、クリスマス・パーティは、朋華も参加するんだね?」
「頑張って、来るって言ってた」
「そっか、良かった。もう来なくなるんじゃないかって、聖がすごく責任感じて、心配してたから」
「まあ、そうでしょーね~」
「それにしても、告るため集まったのに、それがすっぽ抜けるってさ。確かに天然なとこはあるけど、そこまで酷くないと思ってたんだけどな~?」
「そうだね~」
まさかあの時、そんなことが起きていたとは知らない夏輝くんと、まさか、その現場を目撃されていたとは思ってもいなかった私。
最重要ミッションがすっぽ抜けるほどの衝撃を受けた聖くんの心理など、知る由もありませんでした。
ふと、いつもなら必ず私たちのデートに参加している冬翔くんが、いつまで経っても現れないことを不思議に思い、
「そういえば、ふうちゃんは?」
「たまには、こうちゃんと二人きりになりたいと思って、来ないように言っといた」
「そうなんだ。でも、大丈夫かな? なっちゃんと私で、仲間外れにしたみたいに思わない?」
「平気、平気。むしろ、もっと早く気を利かせたほうが良かったねって、本人も言ってたから」
「そっか」
頼みの綱の木の実ちゃんが、収録の打ち合わせで来られず、冬翔くんが今度は何を仕掛けて来るのかと考えるだけで不安だったため、今日は彼が来ないと知り、少しホッとした私。
あるいは、彼女が先手を打って、夏輝くんに『たまには二人きりでデートをしたら』とでも進言してくれたのかも知れません。
飲み物とお菓子を持って2階へ上がると、どうやら冬翔くんは在宅しているらしく、彼の部屋から音楽が漏れ聞こえていました。
「一応、ご挨拶だけしたほうがいいかな?」
「お気遣いなくって、本人が言ってた。ほら、入って」
そう言われ、冬翔くんには声を掛けず、そのまま夏輝くんの部屋へ。
南側に面した窓からは、暖かい日差しが差し込み、ぽかぽかした室内で他愛のない会話を楽しむ私たち。
考えてみれば、デートにはいつも冬翔くんが同席していて、最近は防衛上の理由で木の実ちゃんも一緒だったため、こうして二人きりのデートというのは、初めてのことでした。
それなのに、二人だとすぐに話題も尽きてしまい、いつも冬翔くんが気を使って場を盛り上げてくれていたことに、今頃になって気付いたのです。
当初、自分には関係ないと思っていたものの、虐待には暴力だけではなく、色んなケースがあることを知り、じつは自分もそうだったことに気付いたことは、茉莉絵さんにとって大きな成果でした。
大人としての自覚が希薄で、自分の親への依存が強い反面、子供に対して激しい執着を見せる母ひろ子さん。そうしたことを認識することにより、自分と母親の関係性を客観的に見たり、問題を繰り返す親に対する対処法も分かるというものです。
そう、茉莉絵さん自身、瀬尾教授の研究対象者でもあり、虐待以外でも研究素材としてとても興味をそそられる人材でもありました。
そんな彼女が持ち込んで来た新たなキャラクターに対し、彼が強い興味を示したのは言うまでもありません。瀬尾教授にとって、私たちのような子供は、またとない研究対象に成り得るのですから。
「もし機会があったら、瀬尾先生があんたたちに会いたいっておっしゃってたんだけど?」
「んー、分かった。今度みんなに会ったら言っとく」
「頼むな」
「おう!」
そう言って、ファイルを持って自分の部屋へ戻った聖くん。
正直、自分たちの中ではすでに解決していたことだったので、今更という気がしたのですが、さすがにこれだけの資料を揃えるのがいかに大変か想像すると、いくら姉でも無下に突き返すことは出来ません。
全部に目を通すのも面倒だと思いつつ、少し読み始めた途端、その内容にグイグイと引き込まれて行きました。
「なるほどね~、これも虐待なのか~」
「このパターンは、木の実だな?」
「これ、まるっきりうちのオカンじゃんか!」
そうして読み進むうちに、とある記述内容に釘付けになった聖くん。
それは、茉莉絵さんが『参考程度』と言っていた資料でしたが、時間の過ぎるのも忘れるほど、夢中で読み漁ったのでした。
その日、久しぶりのデートで、北御門家を訪れていた私。
朋華ちゃんのコンクールが終わってから、一度もジュース・デーは開かれておらず、何度か彼らから打診はあったものの、朋華ちゃんに尋ねると、返って来たのは『忙しい』という返事でした。
あれ以来、彼女への取材の申し込みが殺到していて、それらスケジュールは母、小夜子さんが管理しているため、以前にも増して自由になる時間が減っていたのも事実。
もっとも、今はまだ積極的に参加したくない心境であることも分かっているので、しばらくはそっとしておくことにしていました。
木の実ちゃんはというと、夏休みのとき同様、母、征子さんがレギュラーをしているお料理番組で、『母子で作る、クリスマスとお節料理』という冬休み特別企画の打ち合わせと収録で、このところご多忙中。
前回までは生放送だったこの企画ですが、やり直しが出来ない一発勝負であることから、収録じゃないとお仕事を受けたくないと言い張る木の実ちゃんの要望で、今回からは収録に変更となっていました。
というわけで、24日のイブには、みんなでクリスマス・パーティーをしようと計画した私たち。
桜淵は例年通り、終業式の翌日から12月30日までびっしりと冬期講習が組まれており、朋華ちゃんも、小夜子さんのニューイヤー公演に同行するため、26日の早朝にはアメリカに出発する予定。
最大のネックである小夜子さんは、23日と24日が地方でのクリスマス・コンサートで、帰宅は25日。よって、年内に全員が集まれるのは、24日の終業式が終わった午後しかありません。
聖くんと顔を合わせるのは気まずいものの、このまま疎遠になってしまうことだけは避けたかった朋華ちゃん。勇気は要りますが、
「じゃあ、クリスマス・パーティは、朋華も参加するんだね?」
「頑張って、来るって言ってた」
「そっか、良かった。もう来なくなるんじゃないかって、聖がすごく責任感じて、心配してたから」
「まあ、そうでしょーね~」
「それにしても、告るため集まったのに、それがすっぽ抜けるってさ。確かに天然なとこはあるけど、そこまで酷くないと思ってたんだけどな~?」
「そうだね~」
まさかあの時、そんなことが起きていたとは知らない夏輝くんと、まさか、その現場を目撃されていたとは思ってもいなかった私。
最重要ミッションがすっぽ抜けるほどの衝撃を受けた聖くんの心理など、知る由もありませんでした。
ふと、いつもなら必ず私たちのデートに参加している冬翔くんが、いつまで経っても現れないことを不思議に思い、
「そういえば、ふうちゃんは?」
「たまには、こうちゃんと二人きりになりたいと思って、来ないように言っといた」
「そうなんだ。でも、大丈夫かな? なっちゃんと私で、仲間外れにしたみたいに思わない?」
「平気、平気。むしろ、もっと早く気を利かせたほうが良かったねって、本人も言ってたから」
「そっか」
頼みの綱の木の実ちゃんが、収録の打ち合わせで来られず、冬翔くんが今度は何を仕掛けて来るのかと考えるだけで不安だったため、今日は彼が来ないと知り、少しホッとした私。
あるいは、彼女が先手を打って、夏輝くんに『たまには二人きりでデートをしたら』とでも進言してくれたのかも知れません。
飲み物とお菓子を持って2階へ上がると、どうやら冬翔くんは在宅しているらしく、彼の部屋から音楽が漏れ聞こえていました。
「一応、ご挨拶だけしたほうがいいかな?」
「お気遣いなくって、本人が言ってた。ほら、入って」
そう言われ、冬翔くんには声を掛けず、そのまま夏輝くんの部屋へ。
南側に面した窓からは、暖かい日差しが差し込み、ぽかぽかした室内で他愛のない会話を楽しむ私たち。
考えてみれば、デートにはいつも冬翔くんが同席していて、最近は防衛上の理由で木の実ちゃんも一緒だったため、こうして二人きりのデートというのは、初めてのことでした。
それなのに、二人だとすぐに話題も尽きてしまい、いつも冬翔くんが気を使って場を盛り上げてくれていたことに、今頃になって気付いたのです。