54話 トラップ

文字数 2,273文字

 それでも、そんなことは一切顔に出さず、いつも通り、楽しく三人でお茶の準備をしていると、


「しまった! バニラエッセンスを切らしてたの、忘れてた!」


 そう言って、慌てて財布を取り出す夏輝くん。


「前にも、同じようなシチュエーションがあったような」

「それ、今じゃなきゃ駄目?」

「知ってるだろ? 僕のバニラエッセンス愛を! というわけで、すぐに買って来るから、ちょっと待ってて!」

「また、雨に降られるんじゃない?」

「傘持ってけよ」

「心配ご無用! 僕は晴れ男だから! じゃ、行って来る!」


 玄関で夏輝くんを見送った途端、会話がなくなる私たち。

 とりあえず、沸いたお湯をポットに入れるため、キッチンへ向かおうとしたときでした。


「こうちゃん、夏輝に何か言ったの?」


 そう声を掛けられ、小さく首を横に振った私。


「何も言ってないよ」

「聖や、木の実たちには?」

「別に…」

「じゃあ、何で前回のデートのとき、夏輝は僕に席を外してくれって言ったんだよ? 今までそんなこと、一回もなかっただろ」

「ごめん! 私たち、ふうちゃんを仲間外れにしたわけじゃな…」

「そんなこと聞いてんじゃない!」


 そう叫ぶと、乱暴に壁に押し付け、両手を私の首にかけた冬翔くん。


「言ったよな? 夏輝に、あのこと少しでも喋ったら、殺すって」

「喋ってない…」

「信じられるか!」


 首に掛けた手に、力が加わります。


「ふうちゃ…苦し…」

「頼むから、消えてくれ! こうちゃんがいれば、みんな傷つく!!」

「やめ…!」

「もう二度と、ここへは来ないと言え!」

「嫌…!」

「だったら、僕が殺す! 過ちが起きる前に…!!」


 渾身の力で締め付けてくる彼の両手から伝わる殺意を感じ、必死で抵抗するものの、まったく歯が立ちません。

 あまりの苦しさに、少しずつ意識が遠くなり始めたときでした。


「やめろっ!!」


 その言葉とともに衝撃があり、床にはじき出された途端、激しく咽込んだ私を抱え起こしたのは、さっき出掛けたはずの夏輝くんでした。

 どうやら、買い物に出掛けたふりをして、裏口から屋内に戻り、私たちの動向を陰から見ていたようです。

 一番見られてはいけない相手に見られてしまったショックで、言葉を発することも出来ず、その場に立ち尽くす冬翔くん。


「大丈夫? ゆっくり呼吸して。痛いとこはない?」


 声にならず、小さく首を横に振った私の背中を摩りながら、


「ごめん。怖い思いをさせて。でも、もう大丈夫だから」

「待っ…ゴホッ、ゴホッ!」

「喋らなくていいから。それより、冬翔」


 そう言うと、睨み付けるようにして、冬翔くんに尋ねました。


「どういうことだよ?」

「夏輝…どうして…」

「聖から、最近おまえが、こうちゃんにどんなことしてたのか聞いた。正直、信じられなかったし、何かの間違いであって欲しいと思った」

「…」

「何なんだよ、これ? 分かるように説明しろよ?」

「…」

「冬翔!」

「違うの…なっちゃん、…ふうちゃんは…」

「やめろ…黙れ…!」

「こうちゃん、何か知ってるんだね? 何なの?」

「それは…」

「うん、それは?」


 絶体絶命の状況に、両手の拳を握り締めてぎゅっと目を閉じる冬翔くんを見ると、やはり私の口から伝えることは出来ず。


「ごめん…やっぱり、言えない…」

「こうちゃん?」

「直接、ふうちゃんから聞いたほうがいいと思うから…」


 夏輝くんは少し考えて、こっくり頷くと、


「分かった。今日はもう帰った方がいい。駅まで送るよ。歩ける?」

「うん」


 そう言うと、冬翔くんを一人残し、北御門家を後にした私たち。

 駅までの道のり、交わす言葉が見つからず無言のまま歩き、私を心配した夏輝くんは、わざわざ一緒に電車に乗り込み、私の自宅があるターミナル駅まで同行してくれたのです。




 折り返しの電車が来るまで、ホームのベンチに腰かけ、ポツリポツリと話す私たち。


「冬翔のしたこと、ホントにごめん…。ちゃんと本人の口から、理由を聞くよ…」

「ふうちゃんを、責めないであげてね…。私なら大丈夫だから…」

「もう二度と、あんなことさせないから…」

「うん…」


 どんなに問い詰めたところで、冬翔くんが絶対に口を割らないことは分かっていましたが、それで夏輝くんが納得するとも思えません。

 ホームに滑り込んで来た電車に乗り込み、ドアのガラス越しに手を振る夏輝くんの唇が『また…』と形作ったものの、動き始めた電車から、その先を読み取ることは出来ず。

 雑踏の中、一人ぽつんとホームに残された途端、言い様のない不安が込み上げてきました。これからどうなってしまうのか、いったい私はどうしたら良いのか。

 何かとんでもないことが起こりそうな恐怖に、独り立ち尽くしていると、


「こうめ…?」


 不意に背後から掛けられた声に振り向くと、そこにいたのは茉莉絵さんでした。


「やっぱり、こうめだった! 今、帰り? それともどっか…」

「茉莉絵さん…」

「どした? 何かあった?」

「茉莉絵さん…!!」


 その先は言葉にならず、涙だけが零れ落ち、尋常でないことを察した彼女。


「落ち着いて。何があった? ゆっくりでいいから、話してみ?」

「ふう…ちゃんが…」

「冬翔が、どうした?」

「虐待…されてる…の…」

「誰に!?」

「お…じ様…」

「マジか!? それで?」

「でも…なっちゃんには…知られたく…なくて…」

「それがバレた?」

「まだ…でも…!」

「分かった、もういい。もう喋らなくていいから」


 それ以上、言葉にならない私にそう言うと、近くの公衆電話からどこかへ電話を掛けた茉莉絵さん。

 電話を切ると、私に一緒に来るように言い、それに従ったのです。







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