20話 記憶の顛末

文字数 2,802文字

 それから10分もしないうちに、私たちを呼びに来た聖くんに連れられ外に出ると、門の前に停まった車から出て来たのは、パッと見、二十歳くらいのハッとするような美人でした。


茉莉絵(まりえ)さん!」

「話は聞いた。とにかく乗って! すぐ病院に向かうから!」


 彼女は聖くんの姉の茉莉絵さん。大学一年生で、その容姿から、モデルのお仕事もしていました。

 小学生の時から仲が良かった三人、茉莉絵さんも夏輝くんの病気のことは知っていて、免許を持っている彼女に聖くんがSOSを出し、こうして駆け付けてくれた次第です。


「冬翔は前で、道を教えて! 夏輝と女の子は後ろ!」

「あ、待って!」


 そう言うと、いつの間に用意したのか、後部座席にバスタオルを広げた木の実ちゃん。シートを血で汚さない配慮です。

 ドライバーを除いて、車には4人しか乗れないため、道案内の冬翔くん、患者の夏輝くんと傷を押さえている私、そして朋華ちゃんが乗り込み、聖くんと木の実ちゃんは自転車に乗り、二手に分かれて病院へ向かいました。




 到着した市大病院の外来エントランスに車を横付けし、私たちはそのまま主治医のいる血液内科へ直行。車を待つ間、冬翔くんが病院に連絡していたため、すぐに診察室に通されました。

 私たちを待っていたのは、主治医の保志野先生でした。年齢は60代後半くらいでしょうか、ロマンスグレーの髪と黒縁のメガネが印象的なドクターです。

 先生は私に、ゆっくりと握った手を離すように指示し、傷口をチェックすると、


「ほう。上手いこと止血したもんだ。あの時と同じだな」


 そうおっしゃり、すぐに止血の処置に入りました。


「あなたも、こちらへ来て、手を洗いなさい」


 気遣ってくださった看護師さんのご厚意で、処置室の水道をお借りして手や腕に付いた血液を洗い流し、診察室で付き添っていた冬翔くんの所へ戻ると、ちょうど処置を終えた夏輝くんが戻って来たところでした。

 先生の所見では、出血量の割に傷口はそれほど深くもなく、今回は縫合の必要もないとのこと。念のための止血剤(血液凝固因子製剤)を注射してもらい、このまま帰宅して大丈夫とのお墨付きを頂きました。

 これでようやく一安心でしたが、さっき先生がおっしゃった『あの時と同じだな』という言葉が引っかかっていた私。

 今日は土曜日で、午後からの診察は急患のみだったため、私たち以外に患者さんはいません。今なら、少しお話をしても大丈夫かなと考え、思い切って尋ねようとした時でした。


「保志野先生、訊いてもいい?」

「うん? 何だ、夏輝?」

「先生さっき、『あの時と同じ』って言ってたでしょ? あれ、どういう意味?」


 私が訊こうとした同じことを尋ねた夏輝くん。私も冬翔くんも、じっと保志野先生を見つめ、答えを待っていると、


「何だ、まだ若いのに、誰も覚えてないのか?」

「だから、何を?」

「前にも夏輝が手を怪我して、このお嬢ちゃんが患部を握ったまま、ここへ飛んで来たことがあったんだよ」

「それ、いつの話?」

「そうだな、三人とも幼稚園生だったから、ほんの10年位前か」

「10年って!」

「んな大昔のこと、覚えてるわけないだろ!」


 思わずそう突っ込んだ私たちに、保志野先生は目を細めて笑いながら、当時の事を話してくれました。



 正確には、今から9年前の出来事で、保志野先生によれば、そのときも怪我をした夏輝くんの腕を握り締めていたという私。誰が教えたわけでもないのに、それがちょうど良く止血する形になり、到着したときにはほとんど血は止まっていたそうです。

 印象的だったのは、結構な出血量だったにも関わらず、まだ幼い女の子が臆することもなく、自分も血だらけになりながら、傷を押さえていたこと。

 そして、その怪我の原因が、一緒に病院へ来ていた妹が噛みついたことによるもので、加害者である妹も額を怪我して流血しており、何よりその母親が手が付けられないくらい怒り狂うという、修羅場だったといいます。

 私たちは、すぐにそれが私の見た映像と一致することを確信し、もう一つの疑問を投げかけてみました。


「その妹は、何で額を怪我してたの?」

「引き剥がされて、転倒した際に、どこかにぶつけたらしい」


 その言葉に、私は全身から血の気が引きました。状況から考えて、おそらく引き剥がしたのは私に間違いなく、まだ幼いゆりに対し、怪我を負わせるほど乱暴に突き飛ばしたのだとしたら。

 実の姉とはいえ、女の子の顔に傷が残るような怪我をさせたとなれば、母が激怒するのも無理がありません。そして、あのときと同様、自分の意思とは関係なく、それら一連のことをやったのだとしたら、やはり私は…

 そんな私の不安を察して、代わりに尋ねてくれたのは、冬翔くんでした。


「妹の怪我は、こうちゃんのせい、っていうか…?」

「違う、違う! そうじゃないよ」


 保志野先生は顔の前で手を横に振り、優しい笑顔で説明してくれたのです。

 祖母たちの話によれば、確かに引き剥がしたのは私でしたが、それが気に入らなかったゆりは、地団太踏んで大泣きした挙句、自分で立ち上がった際に勝手に転んだはずみで、そばの家具にぶつけたのだそうで。


「何それ? こうちゃん、全然悪くないじゃん?」

「何でおばさんは怒ってたの?」

「ん~、まあ、中学生になったんなら、話してもいいか」


 そう言うと、苦笑しながら、さらに詳細を教えて下さったのです。

 ゆりが怪我をして病院で治療を受けているとの知らせを受け、怒り心頭で病院へ駆け付けた母。

 今と変わらず、当時も私が怪我をさせたと勝手に脳内変換され、外科で処置を終えた妹を連れて、血液内科にいた私のところまで来ると、周囲の目も憚らずに怒鳴りつけながら殴打。

 それを見た夏輝くんたちの祖母、千鶴子さんが、慌てて止めに入ったものの、今度は、ゆりが怪我をした責任は北御門家側にもあるのだから、治療費を負担しろと言い出す始末。

 それに対し、そもそも夏輝くんに怪我をさせたのはゆりであり、親として謝罪をするのが先決じゃないのか、治療費云々というのであれば、こちらこそ支払って欲しいくらいだ、と言われたことで、激高したのだそうです。

 誰が聞いても、母の言い分のほうがおかしいのは一目瞭然。それでも、どうしても納得出来なかった母は、裁判を起こすとまで言いだしたものの、祖父の会社(当時)の顧問弁護士に相談したところ、その内容ではほぼ勝ち目はないだろうとのこと。

 それどころか、もし敗訴すれば掛かった費用の総額を負担しなければならないことや、ゆりが夏輝くんに怪我をさせたことに対する保護監督責任として、逆に賠償金を請求される可能性などを説明され、あっさり引き下がったのだとか。

 そんなわけで、裁判沙汰だけは回避したものの、それ以来、大きな禍根を残したまま、千鶴子さんと母が犬猿の仲になったというのが、あの凄惨な記憶の顛末でした。







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