66話 混沌
文字数 2,678文字
「こうめ、大丈夫!?」
「マジ、酷でぇよな!」
いつも私から話では聞いていたものの、実際に目にしたのは初めてで、予想をはるかに超える母の実態に、怒りを隠し切れない木の実ちゃんたち。
「平気。慣れてるから」
本音半分、プライド半分で、そう答えた私。人前で罵倒されるほど、惨めなことはありませんが、もうそれすらも慣れっこになっていました。
「それにしても、何て酷い母親なんだ! 呆れて物も言えない!」
「あれじゃ、ただ自分の感情をぶちまけてるだけじゃないよね!」
「ホント! 自分の子供に手を上げるなんて、考えられない!」
「手どころか、足でしょ!? 頭おかしいんじゃない!?」
「ああ、もう、思い出しても気分が悪いわ!」
「母親失格って、ああいう人のこと言うのよ!」
「それ、同感!」
国枝氏のボヤキをきっかけに、私の母に対する悪口で盛り上がる、小夜子さんとひろ子さん。
幼い頃は、そうした母の言動に嫌悪感を抱いた母親たちから、自分の子供への影響を懸念して、一緒に遊ぶことを禁じられたり、意図的に仲間外れにされて孤立したことが何度もありました。
中には、そうしたいじめに加わることなく、変わらず接してくれる人もいましたが、母が原因で娘の私が辛く惨めな思いをしていた事実を、今でも母だけが知りません。
「あ~ぁ、目くそが鼻くそを笑ってる~」
「他人のふり見て、我がふり直せっつーの」
ヒートアップする母親たちの悪口を聞いて、私たちにだけ聞こえる声で、ぼそっと毒づく聖くんと朋華ちゃん。
どんなに正論であっても、やはり子供にとっては、目の前で他の大人たちから母親の批判を聞くのは辛いものがあり、ふたりの言葉には、私自身が救われた気がしました。
「それじゃ、遅くなったけど、今から病院へ行こうか」
「はい」
「私も行く!」「僕も!」「私も!」
「僕も、一緒に行きたい…」
他のみんなに混じって、それまでほとんど口を利かなかった冬翔くんも、そう言いました。
保さんが役に立たない状態でしたから、出来れば彼には自宅に残ってもらいたいところですが、『今はみんなと一緒にいたほうが良い』という瀬尾先生のアドバイスで、冬翔くんも病院へ同行することになりました。
保護者として祖母が付き添い、国枝氏と茉莉絵さんの車二台に分乗して、病院へ向かった私たち。
当時最先端だったCTで詳細に検査をしたところ、肋骨に骨折箇所が複数あり、肺や内臓を傷付けてはいないものの、一か所が大きく折れていたため、手の骨折の治療と合わせ全身麻酔での手術となり、術後の経過観察のために、今晩一晩入院することになりました。
「大丈夫! 僕たちが付いてる!」
「ずっとここで待ってるからね!」
「うん。行って来るね」
「頑張れ!」「しっかりね!」
手術室に入る私に、手を振って見送ってくれた四人。
手術台に横になると、点滴の針を刺され、
「それじゃ眠くなるから、ゆっくり呼吸をして」
「はい…」
「じゃあ、一から数を数えようか?」
「1、2、3…」
看護師さんに言われ、数を数え始めたのですが、5までは覚えているものの、そこから先の記憶はぷっつり途切れていました。
一方、北御門家に残った祖父と、フランツさん・ひろ子さん夫妻、小夜子さん、瀬尾先生の五人は、手分けをして葬儀の準備に取り掛かりました。
菩提寺へ通夜・葬儀のお願いの電話をすると、その連絡を受け、すぐに懇意にしている葬儀社から担当者が派遣され、先ず最初にしておかなければならない学校はじめ、親戚、友人・知人等への連絡をフォロー。
葬儀は自宅で執り行うことになり、そのための祭壇の設えや屋内のセッティング、弔問客の食事やお礼の品など、決めることは山ほどあります。
そこへ、一旦病院から戻って来た国枝氏。
「遅くなりました!」
「おお、勝利くん! 悪かったね、みんなを病院まで送ってもらって」
「いえ。こうちゃん、今手術を受けてます。内臓に傷はないそうで、二時間くらいで麻酔から覚めるだろうって」
その報告に、ホッと安堵する一同。
「こっちはどんな感じですかね?」
「葬儀の内容に関して、決めてるところだよ」
「ちょっといいかしら? 葬儀社の方から、遺影の写真を選んでほしいって言われたんですけど」
「どれどれ?」
「夏輝くん、可愛い顔をして…」
「何でこんなことになったのかねぇ…」
全員でアルバムの写真を覗き込んだものの、どうしても悲しみのほうが先に立ってしまって決められず、
「子供たちに選ばせましょうか?」
「そうですね」「それがいい」
「手術が終わったら、茉莉ちゃんがおばさんを連れて一度戻って来ることになってますから、入れ替わりに僕が病院へ行くんで、その時に写真を持って行きますよ」
「じゃ、お願いしますね」
「ところで、保はどうですか…?」
「それが、全然…」
保さんの部屋を訪れると、頭から布団を被り、ベッドの中で泣いている様子。
「保、入るぞ?」
「…」
「この度は、ご愁傷さまでした。ホントに、何て言葉を掛けていいのか…」
「…」
幼なじみの呼び掛けにも返事をせず、小刻みに震えながらすすり泣く音だけが響きます。
すると突然、乱暴に布団を剥ぎ取った小夜子さん。
「ひとりで、悲劇の主人公ぶってんじゃないわよっ! 自分の子に何したか、あんた、分かってんの!?」
「ちょっ…! 笹塚さん、落ち着いて…!」
宥めようとした国枝氏の言葉を遮り、さらに激しく罵倒。
「あんたの亜妃への気持ちは、全部偽りだったの!?」
「うぅぅ…」
「大の男が、シクシク泣いてないで、答えなさいよっっ!!」
「なあ、保、夏輝くんが亡くなって悲しいのは分かるけど、おまえ喪主なんだからさ、もうちょっとしっかりしないと…」
「うぅ… うわあぁぁ~~んっ!!」
最愛の息子の名前を聞いた途端、大声で泣き出した保さんの姿に、今は何を言っても駄目だと悟ったふたり。
子供のように泣き喚く彼を部屋に残し、居間に戻ると、心配そうな顔で瀬尾先生が尋ねました。
「北御門さん、どうでしたか?」
「まったく駄目! 亜妃は、頼り甲斐があるなんて言ってたけど、あんな男だとは思わなかったわ!」
「そうですか」
「まあ、でも、保も自分の息子を亡くしたばかりだし…」
「自業自得でしょうよ! …って、ごめんなさい。国枝さんたちに言っても仕方ないのに、つい…」
「いえ、僕も同じ気持ちですから。しかし、今後は冬翔くんと二人きりになるわけだし、あいつも心を入れ替えて大切にするんじゃないかな?」
「多分、それはないかと」
そう言った瀬尾先生に、理由を尋ねようとした時、祖母と茉莉絵さんが帰宅しました。
「マジ、酷でぇよな!」
いつも私から話では聞いていたものの、実際に目にしたのは初めてで、予想をはるかに超える母の実態に、怒りを隠し切れない木の実ちゃんたち。
「平気。慣れてるから」
本音半分、プライド半分で、そう答えた私。人前で罵倒されるほど、惨めなことはありませんが、もうそれすらも慣れっこになっていました。
「それにしても、何て酷い母親なんだ! 呆れて物も言えない!」
「あれじゃ、ただ自分の感情をぶちまけてるだけじゃないよね!」
「ホント! 自分の子供に手を上げるなんて、考えられない!」
「手どころか、足でしょ!? 頭おかしいんじゃない!?」
「ああ、もう、思い出しても気分が悪いわ!」
「母親失格って、ああいう人のこと言うのよ!」
「それ、同感!」
国枝氏のボヤキをきっかけに、私の母に対する悪口で盛り上がる、小夜子さんとひろ子さん。
幼い頃は、そうした母の言動に嫌悪感を抱いた母親たちから、自分の子供への影響を懸念して、一緒に遊ぶことを禁じられたり、意図的に仲間外れにされて孤立したことが何度もありました。
中には、そうしたいじめに加わることなく、変わらず接してくれる人もいましたが、母が原因で娘の私が辛く惨めな思いをしていた事実を、今でも母だけが知りません。
「あ~ぁ、目くそが鼻くそを笑ってる~」
「他人のふり見て、我がふり直せっつーの」
ヒートアップする母親たちの悪口を聞いて、私たちにだけ聞こえる声で、ぼそっと毒づく聖くんと朋華ちゃん。
どんなに正論であっても、やはり子供にとっては、目の前で他の大人たちから母親の批判を聞くのは辛いものがあり、ふたりの言葉には、私自身が救われた気がしました。
「それじゃ、遅くなったけど、今から病院へ行こうか」
「はい」
「私も行く!」「僕も!」「私も!」
「僕も、一緒に行きたい…」
他のみんなに混じって、それまでほとんど口を利かなかった冬翔くんも、そう言いました。
保さんが役に立たない状態でしたから、出来れば彼には自宅に残ってもらいたいところですが、『今はみんなと一緒にいたほうが良い』という瀬尾先生のアドバイスで、冬翔くんも病院へ同行することになりました。
保護者として祖母が付き添い、国枝氏と茉莉絵さんの車二台に分乗して、病院へ向かった私たち。
当時最先端だったCTで詳細に検査をしたところ、肋骨に骨折箇所が複数あり、肺や内臓を傷付けてはいないものの、一か所が大きく折れていたため、手の骨折の治療と合わせ全身麻酔での手術となり、術後の経過観察のために、今晩一晩入院することになりました。
「大丈夫! 僕たちが付いてる!」
「ずっとここで待ってるからね!」
「うん。行って来るね」
「頑張れ!」「しっかりね!」
手術室に入る私に、手を振って見送ってくれた四人。
手術台に横になると、点滴の針を刺され、
「それじゃ眠くなるから、ゆっくり呼吸をして」
「はい…」
「じゃあ、一から数を数えようか?」
「1、2、3…」
看護師さんに言われ、数を数え始めたのですが、5までは覚えているものの、そこから先の記憶はぷっつり途切れていました。
一方、北御門家に残った祖父と、フランツさん・ひろ子さん夫妻、小夜子さん、瀬尾先生の五人は、手分けをして葬儀の準備に取り掛かりました。
菩提寺へ通夜・葬儀のお願いの電話をすると、その連絡を受け、すぐに懇意にしている葬儀社から担当者が派遣され、先ず最初にしておかなければならない学校はじめ、親戚、友人・知人等への連絡をフォロー。
葬儀は自宅で執り行うことになり、そのための祭壇の設えや屋内のセッティング、弔問客の食事やお礼の品など、決めることは山ほどあります。
そこへ、一旦病院から戻って来た国枝氏。
「遅くなりました!」
「おお、勝利くん! 悪かったね、みんなを病院まで送ってもらって」
「いえ。こうちゃん、今手術を受けてます。内臓に傷はないそうで、二時間くらいで麻酔から覚めるだろうって」
その報告に、ホッと安堵する一同。
「こっちはどんな感じですかね?」
「葬儀の内容に関して、決めてるところだよ」
「ちょっといいかしら? 葬儀社の方から、遺影の写真を選んでほしいって言われたんですけど」
「どれどれ?」
「夏輝くん、可愛い顔をして…」
「何でこんなことになったのかねぇ…」
全員でアルバムの写真を覗き込んだものの、どうしても悲しみのほうが先に立ってしまって決められず、
「子供たちに選ばせましょうか?」
「そうですね」「それがいい」
「手術が終わったら、茉莉ちゃんがおばさんを連れて一度戻って来ることになってますから、入れ替わりに僕が病院へ行くんで、その時に写真を持って行きますよ」
「じゃ、お願いしますね」
「ところで、保はどうですか…?」
「それが、全然…」
保さんの部屋を訪れると、頭から布団を被り、ベッドの中で泣いている様子。
「保、入るぞ?」
「…」
「この度は、ご愁傷さまでした。ホントに、何て言葉を掛けていいのか…」
「…」
幼なじみの呼び掛けにも返事をせず、小刻みに震えながらすすり泣く音だけが響きます。
すると突然、乱暴に布団を剥ぎ取った小夜子さん。
「ひとりで、悲劇の主人公ぶってんじゃないわよっ! 自分の子に何したか、あんた、分かってんの!?」
「ちょっ…! 笹塚さん、落ち着いて…!」
宥めようとした国枝氏の言葉を遮り、さらに激しく罵倒。
「あんたの亜妃への気持ちは、全部偽りだったの!?」
「うぅぅ…」
「大の男が、シクシク泣いてないで、答えなさいよっっ!!」
「なあ、保、夏輝くんが亡くなって悲しいのは分かるけど、おまえ喪主なんだからさ、もうちょっとしっかりしないと…」
「うぅ… うわあぁぁ~~んっ!!」
最愛の息子の名前を聞いた途端、大声で泣き出した保さんの姿に、今は何を言っても駄目だと悟ったふたり。
子供のように泣き喚く彼を部屋に残し、居間に戻ると、心配そうな顔で瀬尾先生が尋ねました。
「北御門さん、どうでしたか?」
「まったく駄目! 亜妃は、頼り甲斐があるなんて言ってたけど、あんな男だとは思わなかったわ!」
「そうですか」
「まあ、でも、保も自分の息子を亡くしたばかりだし…」
「自業自得でしょうよ! …って、ごめんなさい。国枝さんたちに言っても仕方ないのに、つい…」
「いえ、僕も同じ気持ちですから。しかし、今後は冬翔くんと二人きりになるわけだし、あいつも心を入れ替えて大切にするんじゃないかな?」
「多分、それはないかと」
そう言った瀬尾先生に、理由を尋ねようとした時、祖母と茉莉絵さんが帰宅しました。