57話 秘匿され続けた事実

文字数 2,334文字

 ふたりが口を利かなくなって、すでに三日。

 一応、冬翔くんは夏輝くんの分の食事も作ってはいましたが、意地もあって食べる気になれず、カップ麺や菓子パンで空腹を凌いでいたものの、食べ盛りの男の子ゆえ、到底それだけでは足りず。

 冬翔くんと顔を合わせるのが嫌で、帰宅後はずっと自室に籠っていましたが、皆が寝静まった頃合いを見計らって、余ったご飯でお茶漬けでも食べようとキッチンへ降りると、突き当りにある父親の部屋のドアが開いていていました。

 電気は消えていましたが、中から話し声が聞こえ、どうやら室内には冬翔くんもいる様子。ふと、こんな時間に彼が居ることを不審に感じ、きっと父親に告げ口でもしているに違いない思い、そっと近付いて聞き耳を立てた夏輝くん。

 すると、信じられない会話が飛び込んで来たのです。


「…前にも言ったが、正月におばあちゃんが来るときに、菊子おばさんと一緒に、こうめちゃんにも泊まるように、言っておいた」

「僕らがいるのに、こうちゃんが泊まりに来るはずないじゃん?」

「おばあちゃんと一緒なら、警戒はしないさ」

「やめたほうがいいって。そんなことして、バレたらどうするつもり?」

「そのときは、おまえがしたことにすればいい。うちのバカ息子が、大切なお嬢さんにとんでもないことを仕出かしました~、って謝るさ」

「そんな…」

「傷付けた責任を取って、将来的におまえと結婚させるという体裁で、うちに置いておくという手も悪くないな」

「無茶だよ、そんなの、むこうが納得するわけないじゃん?」

「傷物にされたことを隠したけりゃ、納得するしかないだろう」

「ってかさ、こうちゃんが夏輝の彼女だってこと、父さんも知ってるよね?」

「それならそれで、むしろ好都合だな。我が家に来させる口実にもなるし、親の私が公認していれば、泊まるのも問題ないからな。こっそり薬で眠らせてしまえば、好きに出来るというわけだ」

「性欲の捌け口だったら、僕ですればいいじゃん?」

「男より、女の子のほうが良いに決まってるだろう」

「だったら、相応の人見つけて、再婚すれば? だいたい、何でこうちゃんなんだよ?」

「小さい頃から思ってたが、夏に久しぶりにあの子を見て、ああ、やっぱり亜妃に似てるなと思った」

「似てるか?? 思ったことないけど」

「そもそも、お前たちの母さんと結婚したのは、亜妃が菊子おばさんに似ていたからだ」

「何それ?」

「誰にも話したことはなかったが、子供の頃から、菊子おばさんのことが大好きだった。若い頃の彼女は本当に可憐で、私の憧れであり、初恋の人だったが、如何せん年齢が違った」

「…だろうね」

「初めて亜妃に逢ったときは、神の巡り合わせだと思った。私のために、神様が彼女を誂えて下さったのだと」

「でも、母さんは…」

「そうだな。亜妃は、おまえさえ産まなければ、死ぬことはなかったのに。おまえさえ…!」

「…痛…!」

「でも、神は私に、ちゃんと彼女の代わりを用意して下さったんだ。成長したあの子は、まるで菊子おばさんの若い頃と、瓜二つじゃないか」

「それ、母さんじゃなくて、菊子ばあちゃんに似てるんじゃん? 孫娘なんだから、当たり前だけどさ」

「そんなことは、どちらでもいい。あの子を、私のものにしたい」

「さっきも言ったけど、こうちゃんは夏輝の彼女だよ? 夏輝のこと、あんなに大切にしてるくせに、何とも思わないわけ?」

「夏輝のことは、世界一愛してるさ。だが、それとこれとは別だ。ああ、今から正月休みが楽しみだ」

「クソが…させるか…」

「何か言ったか?」

「別に」

「ほら、さっさとしろ」


 そう言うと、会話は途切れ、気配だけが室内に響いていました。

 今の会話の意味を理解するのに、どれだけの時間が掛かったのか、震える足で室内を進み、恐る恐る電気のスイッチを入れると、目の前にはさらに信じられない光景があったのです。


「夏輝…!」「どうして…!」

「何…やってんだよ…?」

「いや、誤解だ、夏輝! 父さんたちは…!」


 そう言って、立ち上がった父親が夏輝くんに触れようとした瞬間、激しい吐き気に襲われ、トイレへ駆け込みました。

 嘔吐する息子を心配し、背中を摩ろうとした父親を、


「触るな…」


 と拒絶し、さらに嘔吐する夏輝くん。


「おまえに何かあったら、父さんはどうすればいいんだ! おまえだけが、私の宝物なんだよ!」

「黙れ…」

「今すぐ、病院へ行こう! な? そうしよう!」

「汚い…あっちへ行け…」


 苦しそうにそう言うと、再び嘔吐した夏輝くんを庇うように、冬翔くんが割って入りました。


「ここは僕がやるから、父さんはむこうへ行ってて」

「おまえなんかに任せておけるか! 夏輝に何かあったら、どう責任を取るつもりだ!?」

「僕は、夏輝の双子の弟だ!」

「退け! 夏輝は私が…!」


 そう言って、冬翔くんを振り払おうとしたのですが、逆に跳ね除けられ、立ち上がったお互いの目線の高さがほとんど変わらないことに気付いた保さん。

 まだまだ子供だと思っていた息子が、体格も力も拮抗して来ていることに、少し動揺する父親を無視し、苦しそうにしている夏輝くんに声を掛けました。


「大丈夫? 歩ける?」

「うん…」

「つかまって。部屋へ戻ろう」


 冬翔くんの手を借りて自室に戻り、ベッドに横たわると、枕元に洗面器を置きながら、


「吐きたかったら、ここに吐けよ」

「冬翔…ごめん、僕…」

「今そんなこと、どーでも良いから、とりあえず寝ろって」


 そっと握られた冬翔くんの手の温もりに、言い様のない安堵感を覚え、少しずつ吐き気が治まるにつれて、強烈な眠気に襲われた夏輝くん。

 自分が誰なのかも分からないほどの深い眠りの中で、生まれて初めて、一度も会ったことのない母親、亜妃さんの夢を見たのでした。







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