43話 状況証拠

文字数 2,679文字

 その後は、いつも通り木の実ちゃんと冬翔くんはお料理をしにキッチンへ、朋華ちゃんは少しの時間でも課題曲のレッスンと、それぞれが思いのままに過ごしていたのですが、


「そういえば、こうちゃん、この前ハンカチ忘れてったでしょ?」


 夏輝くんにそう言われ、


「あ、やっぱり?」

「僕の部屋に置いたままになってるよ」

「じゃ、取って来る」


 そう言って、2階の夏輝くんの部屋へ行き、テーブルに置いてあったハンカチをポケットにしまい、部屋を出て階段を降りようとしたときでした。


「!」


 不意に背中に受けた衝撃に、一瞬身体が宙に浮き、そのまま投げ出されるように落下し始めた私。

 周囲の光景がスローモーションのように流れる中、一瞬、視界の端に、踊り場から去る人影を見たのです。




 その頃、居間で朋華ちゃんのピアノをBGMにしながら、さっきの件で聖くんに抗議していた夏輝くん。


「ったく、聖が余計なこと言うから、変な疑いを掛けられたじゃないか!」

「悪かったって!」

「こうちゃんにフラれたら、おまえのせいだからな!」

「そうよ。自分の保身のために、他人を巻き込むなんて、最低」


 鍵盤に指を走らせながら、朋華ちゃんも加勢します。


「へいへい、結局、僕が悪者ですよ~」

「うわっ、逆ギレ!」

「反省してないわね」

「もー、やってらんねー」


 そう言って、ソファーから立ち上がった聖くん。


「あ、逃げた!」

「ちょっと、どこ行くのよ?」

「トイレで~す! ちなみに、うん…」

「言わんでいい!」「早く行きなさいよ!」

「では、あっしはこの辺でドロンさせて頂きやす~」

「ったく、いつの時代の何人(なにじん)なんだよ、あいつは~」

「見た目と中身のギャップがね~」


 そう言いながらも、それこそが私たちの中で彼の一番の魅力であり、それを一番分かっているのが、朋華ちゃんに違いありません。

 本当にトイレに行きたいわけではなく、これ以上ネチネチ言われては堪らないという口実であることは一目瞭然でしたが、とはいえ、言ったからには、一応行くふりだけでもしなければ格好が付かず。

 居間を出て、階段の前を通り掛かったとき、彼の目に飛び込んで来たのは、上階から落下してくる私の姿でした。


「!」


 考えるよりも先に身体が動き、咄嗟に身構えると両腕で受け止め、抱き抱えた格好のまま受け身のように床を転がりながら、壁に激突して停止。


「痛てて…」

「…ごめん! 聖くん、大丈夫だった!?」

「平気。それより、こうめは怪我は?」

「私も大丈夫」


 そのけたたましい音と振動に、驚いて各部屋から飛び出して来た面々。


「ちょっと、何これ!?」「いったいどうしたの!?」

「いやさ、こうめが階段から落ちて来たから、咄嗟に受け止めたんだけど」

「落ち…て!!」「何でまた!?」


 そのとき、みんなから少し遅れて、二階から降りて来た冬翔くん。騒然としている様子に驚きながら、


「どうしたの? 凄い音がしたけど、何かあった?」

「こうちゃんが階段から落ちたんだよ」

「マジ!? 怪我は!?」

「たまたま聖が下で受け止めたから、無事だったみたいだけど」

「そっか、良かった」


 ホッとしてそう言った彼に、ポーカーフェイスで頷く木の実ちゃん、対して、怪訝そうな表情を隠し切れないでいる朋華ちゃん。

 そんな事情など知らず、とにかく心配しながら私と聖くんを気遣う夏輝くん。

 それにしても、聖くんの判断力と瞬発力、そしてポテンシャルの高さには誰もが脱帽で、もし彼が受け止めていなければ、私は大怪我をしていたかも知れず、軽い打撲で済んだのは奇跡と言っても過言ではありませんでした。


「本当にありがとう。おかげで助かったわ…」

「僕からも御礼を言うよ。こうちゃんを助けてくれて、ホントにありがとう!」

「それにしても、やっぱ聖って凄いよね。落ちてくる人間を、無傷で受け止めるなんて、普通なら絶対無理でしょ」

「いやいや、こっちも必死だったし、スローモーションに見えたし」

「あ、私もスローモーションだった!」

「それ、命の危機を感じたときになるやつ!」

「命かけて女子を守るなんて、聖、あんた偉い!」

「あ…!」

「何?」「どうした、夏輝?」

「今、すごい(よこしま)なこと考えてしまった…」

「何なに?」「どんな?」

「その役、僕がやりたかった、って!」


 一瞬の沈黙の後、爆笑に包まれた私たち。

 その脇でも、同様の邪心を抱く女子が約一名。


~私が受け止められたかった~~!!~


 そんな朋華ちゃんの心の声が聞こえるようです。

 とりあえず、その場は和やかな空気で収めたものの、木の実ちゃんと朋華ちゃんの冬翔くんに対する怒りと不信感は増すばかり。

 とはいえ、転落する瞬間、チラッと見えた人影も、それが冬翔くんとは断言出来ず、あるのは2階にいたという状況証拠のみで、彼がやったという証拠はありません。

 誰かに背後から押された気がするのも私の主観でしかなく、第三者の目撃証言でもない限り直接聞くことも躊躇われ、結果、それも朋華ちゃんのストレスになっていました。




 悶々としたまま、自宅のレッスン室で課題曲を弾きながら、頭では色んな事が駆け巡っていた朋華ちゃん。

 このところ、鉄壁のガードの甲斐あって、冬翔くんの嫌がらせを回避出来ていただけに、今回の出来事はショックが大きいと言えました。


「異常よ…」


 女の子を階段から突き落とすなど、やって良いことと悪いことがあります。

 勿論、男の子なら良いというわけではありませんが、今回は聖くんの機転で打撲程度で済んだものの、もしそのまま転落していたとしたら。


「傷害事件に発展するわね…」


 何より気掛かりなのは、冬翔くんの嫌がらせが、徐々にエスカレートしてきているということ。

 このまま放置していれば、たとえ偶発的だとしても、いつかは大変な事故(事件)に発展する可能性が否定出来ず。


「本当に殺してしまうかも…」


 そもそもは、彼自身が父親からの虐待を受けていることがすべての元凶ですから、それを何とかしないことには、私への嫌がらせが治まることはないことも分かっているわけで。


「憎しみが憎しみを呼ぶ連鎖…」


 あまり喜怒哀楽を外に出さない性格なだけに、そうまでしないと自我を保てないほど、冬翔くんの心が病んでいるのだとしたら、予想もしないような突発的な行動に出るのではないかという不安も拭いきれず。


「楽になるなら、いっそ自分が…」


 その矛先が彼自身に向かうこともあり得、そんな形で大切な友達を失うことだけは阻止しなければなりません。

 大きく溜め息をつき、数秒間黙り込んだ後、突然何かに憑りつかれたように、もの凄い勢いで鍵盤を叩き始めました。







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