65話 毒母

文字数 2,764文字

 そのとき、電話のベルが鳴り、たまたま近くで受話器を取った小夜子さん。


「はい、そうですが…、えっ!? ちょ…ちょっと待って頂戴!!」

「ママ?」「笹塚さん、どうかしましたか?」

「北御門千鶴子さんが…! おばあちゃんが、心臓発作で病院に運ばれたって…!」

「何だって!?」「そんな…!」


 悪いことは重なるもので、警察から連絡を受けた千鶴子さんが、すぐにこちらに向かおうとしたところ、高齢の上、軽い心疾患があり、ショックで発作を起こして搬送されたと、病院からの電話でした。

 今は小康状態にあるものの、いつまた急変するか分からず、手術を含めた今後の治療方針を決めるためにも、至急家族に来て欲しいとのことでしたが、問題は、千鶴子さんがいる場所。

 母親代わりだった孫たちの手が離れてから、温泉地で悠々自適に別荘暮らしをしていたため、移動するだけでもかなりの距離と時間を要します。

 しかも、この状況で動ける家族はおらず、本来なら指示を出すべき一人息子の保さんに至っては、まったく役に立たない状態。かといって、いつ容体が変わるかも知れない千鶴子さんを、このまま一人で入院させておくわけにも行きません。


「どうします、おじさん?」

「この場は、実花ちゃんに頼むか?」

「そうね、それが一番良いわ」


 すぐさま、祖母の姪で、千鶴子さんにとって再従姪(はとこめい)の関係にあたる、祖母の実家『はとぽっぽ』の実花子さんに連絡し、事情を説明すると、快く引き受けてくれました。


「悪いわね、みっちゃん」

「とんでもない。私も千鶴子おばさんには可愛がってもらったんだもの。今すぐ出発して、向こうから逐一連絡を入れるから、どうするか指示してね」

「こっちで、何かやることはあるかしら?」

「じゃあ、鳩たちのお世話をお願い」

「分かったわ。それじゃ、ちーちゃんのこと頼んだわね」


 一先ず、千鶴子さんの付き添いを実花子さんに託し、ホッと胸を撫で下ろしたときでした。その人物が、室内に入って来たのです。




 いつの間にやって来たのか、みんなが集まっていた居間に現れた母。かつて、妹のゆりが怪我をさせられたと怒鳴り込んで揉めて以来、母にとってこの家は、千鶴子さんとの間に強い禍根を残す場所でした。

 一見して不機嫌と分かる顔で室内を見渡し、私を見つけるや、つかつかと歩み寄ると、いきなり平手で私の頬を打ち付けたのです。


「あんた、ここで何してんのよ!? 警察から電話があって、今からすぐに来いって言うから! いったい何やったの!?」


 私に答える隙も与えず、一方的に罵倒しながら、狂ったように何発も何発も顔や頭を叩き続ける母の振る舞いに、周囲の誰もが思考停止の状態になる中、逸早く我に返り、制止したのは国枝氏でした。


「あんたな! 一方的に手を上げる前に、せめて何があったかぐらい聞いたらどうなんだよ!?」

「他人の家のことに口出ししないでよ!」


 私と母の間に割り込み、そう窘めたものの、間髪入れず一蹴する母。そう、母にとって、この国枝氏も千鶴子さん同様、天敵の一人だったのです。

 国枝氏と私の父は仲の良い幼なじみでしたが、母とは初対面から馬が合わず、祖父母が彼と親しくしていることにまで、あからさまに不満を口にするほどでした。

 母にとって鬼門であるこの家で、予期せず鉢合わせた国枝氏に非難され、余程癪に障ったのでしょう。怒りの矛先を私に向け、足で蹴り始めたのです。


「あんたって子は、どうしてこう次から次へと問題ばかり起こすの!!」

「私は何も…」

「言い訳するなっ!! 親を困らせるのが、そんなに楽しいの!?」

「やめろよっ!」「もう、やめてっ!」


 そう叫び、床にへたり込む私を、身を呈して母から守ろうとしてくれた聖くんと木の実ちゃん。

 そのふたりにまで母の蹴りが当たりそうになり、反射的に繰り出された足を両手で受け止め、押し返したため、後ろ向きにひっくり返る格好で尻餅をついた母。


「こうめ、指…!」


 見ると、骨折した個所はさらに変形していましたが、何の痛みも感じない私。

 逆に、人前で不様に転倒させられたことで、母の怒りは頂点に達し、


「親に暴力を振るうなんて、恐ろしい子! あんたみたいな不良、産まなきゃよかった!」

「こうめちゃんは、暴力なんて振るってないじゃない!」

「そうだよ! 自分が一方的に殴る蹴るしたくせに!」

「そうやって、あんたの肩を持つ仲間がいるからって、いい気になってるんじゃないわよ!」


 少しでも反論しようものなら、誰彼構わず敵対視する有り様。


「だいたい、こんな騒ぎを起こして、ゆりが藍玉に入学出来なくなったらどうすんのよ!? 今まで何のために、あんたの高い授業料払ったのか、分かんないじゃない!」

「もう、いい加減にしないか!」

「お義父さんは黙ってて! こうめ、帰るわよ! さっさと来なさい!」

「こうちゃんは怪我をしているから、今から病院へ行かないといけないのよ!」

「怪我ぐらい、絆創膏でも貼っとけばいいわ!」

「無茶言わないで! 骨折しているのよ!?」

「骨折!? もう、いい加減にしてよ! 治療費いくら掛かると思ってんの!」

「さっきから黙って聞いてれば、金、金、金って、母親なら、先ずは娘の身体の心配をしたらどうなんだ!?」


 堪忍袋の緒が切れ、声を荒げた国枝氏をキッと睨み付け、強制的に連れ帰ろうと私の腕を掴んだ母の手を捩じ上げた国枝氏。


「痛いっ! 何するのよ!?」

「あんたが自分の妻なら、張り倒してるところだ! いくら自分の子供でも、言って良いことと悪いことがあるだろう! まさか、骨折の治療もさせないつもりじゃないだろうな!?」

「他人に口出しされる覚えはないわ! 自分の子をどうしようと、私の勝手でしょ!」

「あんたみたいな馬鹿親がいるから、落とさなくても良い命を落とす子供がいるんだよ…っ!」


 その言葉に、全員の視線が母に集中しました。

 他人のことは平気で批判しても、自分が非難されるのは許せず、


「夏輝くんが死んだのは、私のせいだって言うの!? 冗談じゃないわよ! あの子が勝手に自殺したんじゃない!」


 あまりにも配慮のないその言葉に、ざわつく室内。


「あんたは、本当に哀れな(ひと)だな」

「何よ、その目は!? そうやって、皆して私のことを馬鹿にして! 絶対許さないから、覚えておきなさいよ! 特にあなた!」


 掴まれていた腕を振り解き、国枝氏を睨み付ける母。


「こうめ、あんたも親に恥をかかせて、承知しないからね!」


 そう吐き捨てると、腹いせに持っていたハンドバッグを私めがけて振り下ろし、最後にもう一度、もの凄い目で国枝氏を睨みつけて、母は帰って行きました。

 これが、母と国枝氏の確執が決定的になった出来事でした。ふたりの因縁は、この十数年後にはっきりと勝敗が付くことになるのですが、それはまた、別のお話。







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