01.【予感の旋律】
文字数 2,304文字
あら、どなたか弾いているのかしら?
かな? けどこの学校内にピアノなんて……。
無いんですの?
覚えがないな。少なくとも屋外には無い。
気になりますわね。
気になるねぇ。けど茶々入れるなよ、演奏が台無しになる。
分かっていますわ。
ありがとうございました〜。
あの声……。
あれ? レイラ、ピアノ消えちゃったけど……。
あ〜、そういう仕様なの。あまり長い時間姿を保てなくてね〜。
……もしかしてあのピアノ、魔法で作り出してたのか?
うん、そうだよ〜。
聴衆とエイミーの口から驚きの声が上がる。それもそうだ。楽器を魔法で(時間制限付きとはいえ)作り出すのは、相当な魔力と想像力を必要とする。どうやら弾き手は、魔法も演奏もかなりの実力者らしい。
じゃあ、そろそろ失礼しますね〜。
次がいつかは決まってないから、気楽にね〜。
少しずつ聴衆が散ってゆく。やがて、同級生であろう女子と親しげに話す一人の生徒の姿が見えてきた。四対六に分けた前髪の六の方に編み込みを施し、シルエットがややぽっちゃりしているような気もする、その金髪の女子生徒こそ……。
……やっぱり。
さっきの演奏、素晴らしかったわ!
え、あ、ありがとう……?
さっきとは裏腹にキョドった声を出すレイラ。突然の割り込みに困惑してるのか、それともエイミーに覚えがあって動揺しているのか。無遠慮に話しかけるエイミーのブラウスの襟を、これまた無遠慮に引っ張って制す柑菜。しかし、そんな風変わりな彼女の姿を見るなり、レイラの表情がまた変わった。
あれ、あなた……。
うん、もしかして飛行科の教室にいた子? 中等部で色々やらかしてたらしいけど。
うわぁ、もう話回ってるのかよ……。
確か〜……カンナ・ミカミ、だったよね?
そのツインテールの子とは、お友達?
だな。迷惑かけたな。
いいよ〜、びっくりしただけ〜。
なんだかお二人、しれっと意気投合してませんこと……? あと柑菜。
早くその手を離してくださいます? 首が……。
二人の方が仲良いよ〜。髪飾りもお揃いだし。
ニコニコしながらそう言うと、彼女は腰掛けていたベンチから立ち上がり、脇に置いていた鞄を手に取る。そのまま校舎内に行くのかと思いきや、彼女は何かを思い出したように二人の方を向き直ると、パン、と手を叩いてからこんなことを言い始めた。
あ、そうだ〜。二人にも訊きたいことがあったんだ〜。
全然変なことじゃないよ〜、この時期のあるあるの質問。
二人はさ、今年のバレンタインは何する予定?
時は巻き戻り。
校舎の窓越しに中庭を見ていたブレインは、ベンチで半透明のキーボードを弾くレイラと、物珍しそうに演奏を聴く聴衆を、交互に見ていた。あの聴衆の中に紛れたい気持ちは山々だったが、それを自分の内気な性質は許してくれない。だから、他の人とはかなりの距離を置いた場所にいるしかなかったのだ。
聴衆の中に三上柑菜が混ざっていようものなら尚更だ。今、キーボードからピアノの音色で紡がれている音楽が、神秘的な響きを持つエチュードなのも相まって、"東洋の神秘"はますます神々しさを増していく。あっという間に心がキャパオーバーした彼は、思わず窓枠に手をつき、そして静かに目を閉じた。
……あー。
あの日……編入生として目の前に姿を見せた"神秘"に一目惚れしてから、早三年。今もなお、この気持ちが消えることはない。長らく引きずってきた、純粋な片想い。だが相手は自分の名前どころか、存在すら認知していないだろう。けどそれでも良い。"神秘"は触れたら崩れてしまうから。だからただ見ているだけで充分なのだ。
そうやって気持ちを落ち着けているうちに、いつの間にかピアノの演奏は止んでいた。目を開けると、中庭の人はまばらになりつつある。あの半透明のキーボードも消えていた。
……頑張ろう。
彼の鳶色の瞳はただ一人、ある少女を捉えていた。
柑菜の横で揺れる、星飾り付きのツインテール……エイミー・ツムシュテーク。今日こそは彼女に話しかけよう。全ては、柑菜のことをもっと知るために。……彼は人知れず、そう決意を固めるのだった。