02.【テレポート入門】
文字数 4,126文字
そして短期休暇が明けた数日後。エイミーは、創造呪文科室の内装をもの珍しげに見回しながら、ベルタと向かい合って着席していた。二人を隔てるのはシンプルなオフィステーブルのみ。普段のベルタの厳格な態度も相まってか、エイミーは僅かに緊張しているようである。ベルタもそれに気づきながらも、予定通りに個人授業を進めることにした。適正検査も終わったということで、早速こうしてテレポートの授業が始まったのだった。
ベルタはエイミーの質問に頷きながら、目の前の置物をじっと見つめた。そして瞬きを一つ。するやいなや、置物はしゅっと鋭い音を立ててその場から消え去る。そしてそれはすぐに飾り棚へと現れ、エイミーは手を合わせ小さく感激した。
本来ならばこの授業は創造呪文の教官が行う筈であった。しかし、こうしてベルタが授業をすることになったのは、彼女の強い希望があったからである。教官もこの授業自体は成績に関係ないこと。そしてベルタがエイミーを溺愛していることは知っていた為に快く代わったのだが。問題児であるエイミーの担当を個人的にしたくないという利害の一致があったのは二人の間だけの秘密だ。
母国語で呪文を唱える。すると杖先からチョロチョロと水が出て、コップの中身を満たし始め。あっという間に満杯になった。しかし、水の勢いは留まらず、急いで止めたにも関わらず水は少し溢れてしまったようだ。オフィステーブルを濡らしてしまい、エイミーはがっくりと肩を落とす。
杖をひと振りして溢れた水を消すベルタの言葉に頷き、言われた通りゆっくりと深く息を吸い込んで、そして口を開放した風船のように息を吐き出す。目を閉じて静かに深呼吸をしていると、魔力が体を緩やかな川のように流れているような感覚に陥った。コップに水を注ぐのも同じだ。緩やかな川。それを心の中で何度も呟きながら、杖先を傾ける。杖先から水が出始めた瞬間、エイミーは何かが変わったと直感的に思った。そしてその直感通り、水は高級な茶器から注がれる水のように弛みなく一本の線を描き、水しぶきを上げることなくコップの底に落ちてゆく。エイミーだけでなくベルタもまた、成功したと確信した瞬間であった。
彼女の喜びをそう切り捨てながらベルタがテーブルに置いたのは、針と糸だ。なんとなく何をするのか分かったエイミーは、終わりでないことに若干の落胆を見せつつも、意気込んで針と糸に向かう。こうしてベルタによるテレポートの授業は、幸先の良いスタートで幕を開けた。エイミーは飲み込みが早い。「恐らく史上最速記録でテレポートを習得することができるだろう」とベルタも踏んでいる程だ。少しコツを教えただけで出来るようになるのはある種の才能と言えるだろう。
しかしエイミー自身はそうは思っていないらしく、どこか不安げな表情を浮かべて焦ったように課題に取り掛かっていた。意気込みはしたものの、それは自信によるものではなく。飛行が出来ないなら成功させなければならないという、どこか強迫観念めいたものだったのだろう。肩に力が入る彼女を見てそれを察したのか、ベルタは彼女の肩をぽんと叩いた。
べルタが少し口端を上げて頷くと、エイミーは軽く息をつき、少しだけ体の力を緩めた。目に留まった時計をふと見遣れば、確かに授業が始まってからまだ十分程度しか経っていないことに、そして自分が焦りすぎていたことに気づく。エイミーはここで改めて今の状況と自身を見つめ直し、今必要であり優先されるべきことを思い出した。ベルタの言うとおりだ。焦っていてはテレポートは愚か、もっと簡単な魔法でさえ正しく発動させることができなくなるだろう。それがベルタの優しさであることを知り、エイミーは今まで少し怖がっていたベルタに対し、前よりも、もう少し心が開けそうな気がしていた。
目を細めたまま答えようとするエイミーだったが。ここで図ったように部屋の戸がノックされ。二人は同時に扉へと視線を向けた。きょとんとするエイミーに対し、ベルタはノックの主の正体が分かったのか、小さく舌打ちをし、続けて「どうぞ」と入室を促す。その言葉を待っていたかのように、勢いよく開いた扉から顔を出したのは、エイミーもよく知る人物。アダルブレヒト・カレンベルク、その人であった。彼は中に居るのがベルタだけではないと知ると、僅かに目を見開きつつも、うっすらと笑みを浮かべる。
ベルタの慌てた様子にアダルブレヒトはニヤニヤと笑みを浮かべる。どうやら三人で休憩をすることになりそうだが、エイミーとしてはいくらベルタへの見方が変わったとはいえど、二人きりは流石に気まずいと思っていた為、アダルブレヒトの方が居心地が良い事も相まってか、彼の訪問を素直に喜んでいた。ベルタはそれが気に入らなくて仕方がないのだが──。この三人の変な関係は、エイミーが卒業するその時まで続くことを、本人達はまだ知らない。