03.【メルボルンの街へ】
文字数 7,726文字
破壊呪文科室の窓が聖母マリアに変えられてしまってから二週間が経った。勿論、窓ガラスはアダルブレヒトの手によって元の殺風景な無色透明に戻されている。エイミーは長期休暇中の魔法学校の暮らしにもすっかり慣れたようで、校内案内の後は毎日与えられた部屋と破壊呪文科室を元気に行き来していた。アダルブレヒトはというと、長期休暇が減ったことを嘆いてはいたものの、エイミーが饒舌すぎるせいか、この二週間は全く退屈していない。それは、真夏のメルボルンの街中でも同じ事だ。
今日は学用品を買いに行くということで、エイミーとアダルブレヒトは朝から街へ出ていた。通常、魔法使いの為だけの街や店があるわけではなく(ある国も存在するそうだが)。魔法使い専用の店は普通の人間達が生活する場所を間借りしているような状態である。現に今彼らが入った文房具店にも、実は魔法使い用の道具が売られており。アダルブレヒトはエイミーを連れてレジへ向かうと、レジ横に売られている消しゴム三つに、赤と黄色のビニールテープそれぞれ一つずつを店主の目の前に置いた。それを認めた店主は、顎にたくわえた白ひげを弄びながらアダルブレヒトとエイミーを交互に見遣り、顎でレジカウンター横の裏口を指す。合言葉や特定の商品の組み合わせを見せると、人間達に隠されている魔法使い専用の店へと通されるようだ。
静かに。
会計を済ませたエイミーは、次にアダルブレヒトに連れられ制服の仕立てへと向かった。先程の古臭い文房具店とはうってかわって高級そうなブティックへと入店すると、アダルブレヒトは真っ直ぐ試着室へと向かう。店内の商品を何も見ずに試着室へ向かうものだから、普通の人間であろう客らは怪訝そうに首をひねっていたが。店のスタッフ達は二人が魔法使いであることに気づいたらしい。店主らしきマダムが、二人に着いて店奥の試着室へ急ぐ。
「ようこそいらっしゃいました。ビクトリア魔法学校の制服の仕立てでよろしいですか?」
「まぁご丁寧に。ふふっ、それでは中へ」
そこは試着室というよりもラウンジに近い内装で。一人がけのソファとローテーブル。制服らしきものが並んだクローゼットと、大きな姿見がエイミーを迎える。共に中へ入ったマダムはクローゼットから数種類、制服のセットを取り出すと次々エイミーの体に宛てていった。
「スカート、ハーフパンツ、キュロットにスラックス。丈も様々ありますよ。女の子に人気なのはスカートとキュロットですが……」
マダムは数個の巻尺を棚から取り出すと、杖を振り一気に彼女の着丈を測っていった。
仕立てを進めるエイミーを置いて、アダルブレヒトは書店へと向かう。他の店員には「仕立ての間に教科書を揃えてくるので、書店の斜向かいにあるペットショップで待っているように言ってほしい」と言付けしてあるから、恐らく心配は無いだろう。と、言いたいところだったが、彼女はお転婆が過ぎるため少々心配だ。無意識に書店へ向かう足を早める。その道中、自身の携帯電話が震えたかと思うと、誰からか連絡が入ったことに気づき、アダルブレヒトは路肩で足を止めた。液晶にはベルタ・ペンデルトンの文字。彼は液晶をタップし、ベルタとのチャットルームを開くと、目に飛び込んできた一言に思わず吹き出した。彼女からのチャットにはこう記されている。
“殺す”
ベルタは何もしていない相手に殺害予告をするような物騒な人物ではない。寧ろこれはアダルブレヒトのせいだ。彼自身も自覚していた。発端は、エイミーを試着室に送り届けた後から始まる。アダルブレヒトは、ベルタから毎日毎時間の様に送られてくる「エイミーは今何をしている?」という問いに疲弊していた。そのたびにきちんと返すのも飽き飽きしていたアダルブレヒトは、面白がってベルタのその問にこう答えたのだ。
“エイミーは試着している。僕も付き添っているが、僕はやっぱりスカートが好みかな”
そして”殺す”の二文字が送られてきたわけだが。ベルタが殺意を覚えた原因は恐らく二つ。アダルブレヒトが試着に付き添っているということと、彼が聞いてもいない制服の好みを語ったことだ。勿論試着に付き添っているというのただのハッタリである。現に彼は今エイミーの教科書を買いに書店へ向かっているし、スカートが好みというのも出鱈目だ。否、スカートが好みなのは嘘ではないが、二十歳も離れた子供の制服に好みもクソもないというのが正直な気持ちである。普段なら、冗談と見抜き呆れた様子の返信がくるのだが、愛姪のこととなると見境がなくなってしまうらしい。文面から伝わってくる殺気に、アダルブレヒトはくつくつと笑みを噛み殺しながら、書店へと歩を進めるのだった。
「まぁ!まぁまぁまぁまぁ!なんて可愛らしいのかしら」
所変わってブティックでは、マダムの一段と高い声が試着室に響く。鏡に映るのは、制服を着込んだエイミーの姿だった。服の仕立てといえば最低でも数日はかかるものだが、魔法界では一瞬だ。巻尺が勝手に全身を測り、測り終わったそばからマダムが杖を振れば、勝手にミシンが動き滞ることなく作業が終わる。あれよあれよという間に出来上がった制服は、ただの公立学校の制服だというのに、一級品のように着心地良い。エイミーは姿見の前でくるりと一回転して、スカートがはためく様を眺めたり、両手を広げローブの丈を確認したりと様変わりした自身の姿を楽しんでいた。
なんとなくだが、エイミーは何故ペットショップに行くのか察しが付いていた。それは、幼少から様々な小説やアニメで見た使い魔という存在だ。もし本当にそうなら、エイミーは使い魔を得られるということだろう。彼女は根っからの動物好きだ。魔力のせいで殆ど家から出たことのない彼女にとって、ペットの存在は彼女の唯一の癒やしであり、楽しみだったのだ。故に、エイミーの両親は彼女が望む動物を、飼えるものであればなんでも買い与えた。犬、猫、うさぎ、モルモット。時にはヘビ、イグアナ、サソリ。家の中にどれだけペットが増えようとも彼女は世話を怠らず。今でも使用人に毎日全てのペットの写真を携帯電話に送るよう頼んでいるほどだ。それほどに動物好きなエイミーはさっさと会計を済ませ、足早に斜向かいのペットショップへと急ぐ。
オーストラリアでは子犬や子猫の店頭販売が禁じられている為、店頭に動物は並んでいない。売られているのは飼育用品のみである。だが、使い魔に関してはその限りではない。使い魔とされる動物は普通の動物よりも頭が良く、魔法使い達も愛玩の為に飼うわけではなく必須パートナーして動物達を迎えるからか、虐待や捨てられる心配が殆ど無いのだ。それに、普通にペットを買うよりもずっと安価なのである。
エイミーは浮き足立ちながら斜向かいのペットショップへと入店した。勿論、杖の店やブティックと同様、合言葉を言わなければならないのだが。店主はエイミーの姿を見るやいなや、彼女を地下へと促した。ビクトリア魔法学校の制服を試着したまま着替えずに来たので、魔法使いだと察したのだろう。逸る気持ちを抑え、ゆっくりと中へ歩を進めると、充満する獣臭さが鼻につき顔を歪める。それに気づいた店主は、豪快に大口を開けて笑い、エイミーの背中を思い切り叩いた。
「ハッハッハ!臭いだろう。表のペットショップは新築だが、ここには数十年分の動物の匂いが染み付いてるからな。それで、何をお探しで?」
沢山のペットを飼っていたエイミーだが、三人の姉はそれについてあまりいい顔はしていなかった。糞尿の匂いや鳥の羽が嫌だったそうだが。その気持ちも今ばかりはわかるような気がする。
「人気なのは梟だ。ちょいと値は張るが、あのヘドウィグみたいに手紙を届けたりも出来る。まぁ、メールが普及したこの時代に、わざわざ手紙を届けることも殆ど無いがな」
「よっぽど動物好きなんだなぁ。そしてかなりの金持ちと見える……。じゃあこれなんかどうだ?ほら、こいつはこの店で一番珍しいけど、一番安いヤツだ」
そう言って店主が取り出したのは、正方形の水槽。中は蒸気が全面に付いてしまっているせいかよく見えないが、恐らく哺乳類の入っている水槽ではないだろう。まじまじと中身を見ようと目を凝らすエイミーの傍らで店主は水槽の蓋を開ける。漸く中の様子が分かるのかと上から覗いてみると。そこには、ふかふかと敷きつめられた腐葉土に鎮座する蜘蛛の姿があった。
ビロードの様な濃灰の毛並みが生え揃った身体。大きな黒目二つとその外側、斜め上にはまた二つ小さな目が付いていて、覗くエイミーの様子を窺っているようだ。店主が手に乗せ身体をひっくり返せば、背中や足に生えた毛よりも柔らかそうな薄灰色の毛が腹部を覆っている。足もアシダカグモやらと比べれば短く、どちらかというとタランチュラやハエトリグモに近い、全体的にずんぐりむっくりとした体型だ。分かり易く猫で例えれば、マンチカンだろうか。虫というよりは哺乳類に分類されてもおかしくないほど可愛らしく、ちょっと間抜けな顔つきをしている。頭を動かすと、上に付いた二本の耳のような触覚が揺れるのも特徴的だ。
「グロシンハラジログモだ。魔力の篭った場所でしか生活出来ないから、普通の人間の前には姿を現さない珍しい蜘蛛でな。あぁでも、魔法使いが傍にいればちゃんと生きていられるから心配しないでくれ。餌は自分で捕れるし、放し飼いも出来る。心配ならここで食用のミルワームやコオロギを買っていったっていいんだぞ。頭も良くて、人間の言葉もある程度なら理解できるみたいだ。何より懐くと、撫でろってアピールしてきたりするんだ。それに感情も備わっていて、嬉しいとピョンピョン跳ねたりする。腹が白っぽいのも目がデカいのも加え、よくウサギグモとも呼ばれてるんだ。可愛いだろう?」
ひっくり返された身体を元に戻し、蜘蛛はエイミーをじっと見つめる。「ボクの主人になるの?」とでも言いたげだ。
店主の見様見真似で、エイミーも蜘蛛をハンドリングしてみる。とても大人しく、足で彼女の手の感触を確かめているのだろうか。何度か足踏みすると、掌の中心に身体を沈める。一番落ち着くポジションが決まったらしい。その様子を嬉しそうに見つめるエイミーに、店主はフッと笑った。
「まぁ、そうだな。嬢ちゃんは心配無さそうだし。コイツにするかい?」
蜘蛛は我関せず、といった風に彼女の手に座ったまま身動ぎ一つしない。彼にとっては名前などどうでもいいのだろう。エイミーは「仕方ありませんわね」と肩を竦め、そのまま彼をレニと名付けることにした。母国語で小さな天使という意味だ。
「値段は150ドルだ。大丈夫かい?」
ちょっとした遊び心からだろうか。店主はレニをエイミーの手から取り上げレジスターに乗せ、彼の腹に器用にもピンク色のリボンを緩く巻き付けた。一般的に怖いとされる見た目の生物にリボンを付けると、とても間抜けに見える。エイミーと店主はその姿に思わず吹き出し。レニは迷惑そうにリボンを解こうとしていた。
その後、教科書を買い揃えたアダルブレヒトと合流し、レニと対面した彼の叫び声が表のペットショップにまで響き渡るのは言うまでもないことだろう。
更新 2019/8/31 つづり