01.【二人きりの授業】

文字数 6,730文字

 アダルブレヒト・カレンベルクは、ビクトリア魔法学校に勤める教官である。担当教科は破壊呪文。教官の資格は持つものの、教師とは違う為これまでクラスの担任を受け持ったことは無い。しかし、三十五歳でありながら生徒達と近い価値観を持ち、親しみやすい性格であることから、担任を持つ教師よりも生徒達からの人気は高かった。更に、艷やかな黒髪とミステリアスな灰色の瞳、鼻と目の下にうっすらと残るそばかす。ひょろりとした体躯は決して頼もしい体格では無いが、一つ一つのパーツがセクシーだと評されており。誰にか、というと。やはりこの学校の女生徒や女教師達からである。兎に角、彼の周りには女性が絶えなかった。しかし、彼は今の生活に不満を抱いている。何故なら、どれだけ女生徒や女教師に言い寄られようと、彼自身の想い人からは微塵も好意を向けられていないからだ。

tsuduri

あぁ、くそ。ベルタからの頼みじゃなきゃこんなことやってられるか……!
 彼は真ん中で分けた前髪をぐしゃりと掻き上げ舌打ちする。事は、彼の想い人──ベルタが編入生の後見人を引き受けた所から始まる。校長からの通達で、一応教師教官全員に打診はかかったのだが。仕事量の割に薄給な彼らにその話を引き受けるものはおらず、魔法教育委員会に話が回されそうになっていたところ。対象者の名を聞いた瞬間にベルタが手を上げたのである。最初は一体どうしたことかと首を捻っていたアダルブレヒトであったが、彼女自身から説明を聞いて納得した。──エイミー・ツムシュテークは、ベルタ・ペンデルトンの姪だったのだ。


 殺風景な廊下を早足で歩く。ビクトリア魔法学校は現在長期休暇中だ。故に、警備員以外は普通であれば此処に残る者など居ない。たまに用事がある教員が訪れる程度だ。アダルブレヒトも本来はその筈だった。しかし、エイミーの後見人にとなったベルタに、エイミーの世話をするよう依頼され、彼は始業式までの数週間を此処で過ごす羽目になったのである。何故ベルタ自身が迎えないのか。そう聞きたかったが、好意を寄せる相手に「お願い」と言われてしまえば断れる筈も無い。


 学校の玄関を出て、仰々しい構えの門へと近づく。すると彼は、門の入り口に目的の人物が居るのを見つけた。この時間に此処で待っているよう、ベルタから告げて貰ったのだから、今此処に立っているということはきっとそうなのだろう。懐から薄い茶の杖を取り出し、一振りする。そうすれば、人の力だけでは到底開けられそうもない大きな門が、けたたましい音を立てながらゆっくりと開いていった。流石にその音には、門の外で佇んでいた少女も気づいたらしい。アダルブレヒトの方を振り向くと、彼女はにこりと笑い、スカートの裾を軽く摘んでお辞儀した。

tsuduri

初めまして、エイミー・ツムシュテークと申します。
そして彼女が顔を上げた瞬間、アダルブレヒトは思わず目を見開く。エイミーの姿が一瞬、彼の想い人と重なったからだ。勿論、姿形がそっくりというわけではない。ツンと上を向いた鼻や、小さくも厚みを感じる唇は似ているものの、髪色も瞳の色や目の形も、声も体格も違う。それでも、彼女の纏う雰囲気や一つ一つの仕草はベルタと全く同じで。アダルブレヒトは自己紹介するのも忘れ、彼女に見入ってしまう。

tsuduri

まぁ、それもその筈か……。
魔力を持つ者が居ない家系で魔力を得たということは、ベルタの血が濃く入っているわけで。彼女に聞こえぬよう呟いたのだが、何かを言ったことには気づいたらしい。彼女が不思議そうに首を傾げると、アダルブレヒトは神経質そうに何度か咳払いして口を開いた。

tsuduri

アダルブレヒト・カレンベルク。此処の教官だ。

まぁ……!この度は長期休暇中にも関わらず、わたくしの魔法基礎のご指導や学用品購入の付き添いを買って出てくださり、誠にありがとう存じます。

至らない点が多々あるかと思いますが、よろしくお願いいたします。

あぁ、いや……。
エイミーの丁寧過ぎる物言いに圧倒され、言葉がつかえる。この話し方といい、スカートの裾を摘む仕草といい。時代錯誤も甚だしいというかなんというか。アダルブレヒトは苦笑いすると、目にかりそうな鬱陶しい前髪を耳にかけ「それじゃあ」と口を開く。

tsuduri

取り敢えず入りなさい。ドイツとの気温の差で自律神経がバカになるだろう。少し休憩したら学校案内を始める。

あら、お気を遣わず。魔法政府の職員様にテレポートで連れてきて頂きましたので、特に疲れてなどいませんわ。まぁ、テレポートの直後はエレベーターで立ち座りを繰り返したような気持ちの悪さがありましたが……。でも、初めての体験によるワクワクには勝りません。カレンベルク様は初めてテレポートした時、胸が踊り出しそうな気分になりませんでした?
ここまで饒舌ならば、然程心配は無いだろう。アダルブレヒトはうんざりとした様子で小さく溜息を吐き、彼女へ顔を向けると同時に完璧な笑顔を見せる。他人には驚くほど愛想が良いのが彼の特徴だ。

tsuduri

そうだな、テレポートは物心のつく前に親に連れ回される時、嫌というほど体験をしていたから……。よく覚えていないよ。
まぁ!生まれた時から魔法に触れてこられたんですのね!
カレンベルク家を知らないのかい?
ええ、存じ上げなくて……。申し訳ありません。

ベルタからは全く魔法知識が無いとは聞いていたが、まさかここまでとは。アダルブレヒトはエイミーが辺りを見回している内に小さく頭を抱えた。十年以上教官をやっていても、ここまで魔法知識の無い者を相手にするのは初めてだったからだ。


 カレンベルク家は、魔法界に身を置く者であれば知らない者は居ない程の魔法一族である。貴族かと問われれば違うが、家系の者は皆能力を持ったエリートであるからして、魔法政府職員だったり、議員だったりと権力を持った人間しか居ないのだ。アダルブレヒトもエリート教育を受けたカレンベルク家当主の長男で、次期当主と噂されている。しかし、家族の希望とは裏腹に、アダルブレヒトは当主になることを避ける為、家から離れようと此処オーストラリアで教官の職に就いていた。彼が初老に足を突っ込みかけているというのに結婚をしないのも、ベルタに好意を寄せていながらそれらしいアプローチをしないのもそのせいである。

tsuduri

まぁ、知らない方が僕としては気が楽だ。

 そう呟きつつ、校舎に入れば、厳しい陽射しが遮られ幾分か涼が取れる。しかし、人が居ないせいか廊下にまで冷房は効いていない為、アダルブレヒトは急いで自身が受け持つ破壊呪文教科室へ続く扉を開けた。中は冷房を点けっぱなしにしているからか、快適な室温が保たれている。エイミーを革張りのソファに腰掛けさせ、自身は机から椅子を引っ張りだし、ソファの前に鎮座するローテーブルを挟んで向かいに置いた。そして、門を開けた時のように杖を一振りし。水出しのハーブティーを涼しげな薄いガラス製のグラスに注ぐ。

tsuduri

お茶も魔法で淹れられますのね……!素敵ですわ、カレンベルク様。
……Ms.ツムシュテーク。よければ僕のことはアル教官と呼んでくれないか?長たらしく呼ばれるのは苦手でね。
それは失礼いたしました。でも、嬉しい……。
嬉しい?
わたくし、お姉様や弟以外の方をあだ名で呼んだことがございませんの。親しくなれたみたいで大変嬉しく存じます。
そうかい?それは良かった。
忙しなく部屋中を見渡しながら目を輝かせるエイミーの姿に、思わず笑みが洩れる。変わった所はあるが、本当に純粋で素直な子らしい。ベルタはかなりこの子を気に入っていたようだが、その気持ちも分からないでもない。彼女は手紙の内容が良かったと言っていたが、実際に会えばもっと気に入ることだろう。

tsuduri

ところで、Ms.ツムシュテーク。
アル教官、わたくしのこともよろしければファーストネームでお呼びくださいませ。一応、ツムシュテーク家を破門された身ですもの。ファミリーネームで呼べば、わたくしのことをツムシュテーク家の者として見てしまうでしょう?
どうかな……。僕は特に気にしないけれど。いや、君がそうしたいならそうさせてもらおう。エイミー。
ふふ、家の者以外にファーストネームで呼ばれるのも初めてですわ。
心底嬉しそうな表情に頬が緩む。彼女が微笑むと、まるでベルタが笑っているかのようでどうしても目が離せなくなってしまう。生徒を贔屓するような主義は無かったが、危うく特別視してしまいそうになるのを抑え、アダルブレヒトはハーブティーのグラスを傾けた。

tsuduri

さて、本題に入るが。君は魔法がどのようにして形になるのかを知っているかい?
さぁ……。わたくしが知っているのは、想像したものが形になるということだけですわ。
うん、あながち間違いではない。魔法の根底は想像力だ。頭の中でイメージしたものが魔法になる。だが、僕らはまず基礎として、言葉に力を込めることを教えるんだ。
言葉に力を込める?
アダルブレヒトは「そうだ」と頷くと、杖を構える。そして。

tsuduri

"eis".
母国語で「氷」と発し、グラスの縁に杖先をコツンと宛てれば。グラスの中のハーブティに氷が一つ浮かんだ。

tsuduri

言語は何でもいい。英語でも、中国語でも、それこそスワヒリ語でもね。別に何も言わずに唱えたっていいんだけれど、最初は言葉と一緒に唱えることを推奨しているんだ。何故か分かるかい?
より強くイメージする為、でしょうか?
驚いたな、正解だ。魔力を持つ者は大抵普通の人間よりも想像力が強い。だからといって、皆が皆なんでも魔法に出来るほどの想像力を持ち合わせているわけじゃないんだ。ほら、自分が頭の中で考えた化物を他の人はイメージ出来ないだろう?だから、出来るだけ言葉にして具体的にイメージ出来るように訓練する。それが初等部から始める基礎中の基礎だ。どれ、君の想像力が如何程か見てみよう。杖を貸すから、やってみなさい。
アダルブレヒトから差し出された杖を受け取り、軽く握り込む。生まれてこのかた、本物の杖を握ったことなど無かったが、本能的にだろうか。魔力の込め方は分かっているようだった。そして、先程のアダルブレヒトの見様見真似で一振り。

tsuduri

"蜘蛛"!
え……?
アダルブレヒトが彼女の唱えた物を理解する前に、彼のグラスの横には既に黄色の斑を持つ蜘蛛が姿を現し。長細い前足を一つひょいと上げると、エイミーは「まぁ愛らしい!」と声を上げた。それに反してアダルブレヒトは勢い良く席を立つと、椅子が倒れるのも厭わずエイミーの座るソファへと慌ただしく駆け寄る。

tsuduri

エイミー、なんて物を出すんだ!は、早く!早く消しなさい!
あら、どうしてです?
どうしても何もない!僕の前からソイツを遠ざけるんだ!
もしかしてアル教官、蜘蛛はお嫌いで?
好きな奴の方がどうかしてる!
まぁ、わたくしの一番好きな虫ですのに。
アダルブレヒトのグラスに付いた水滴を舐める蜘蛛に、エイミーは手を伸ばす。蜘蛛はその手が宿主の物であることに気付いたのか、なんの戸惑いも無く彼女の掌に乗り、手首から腕へと伝い歩いてきた。エイミーの腕に引っ付いていたアダルブレヒトは、蜘蛛がエイミーの腕を伝って近づいて来たことに慌てふためき、彼女の背中に隠れ固く目を瞑る。無意識に彼女の肩を掴んでいたらしい手に力が入り、エイミーはその痛みに小さく悲鳴をあげた。

tsuduri

す、すまない……。
もう、蜘蛛が消えてしまったではありませんか!
人に断りもなく蜘蛛なんて出すのが悪いと思うが……。
痛みで集中力が途切れ、魔法が解けたのだろう。アダルブレヒトがほっと胸を撫で下ろしたその時。エイミーはもう一度杖を振った。

tsuduri

"ヤモリ"!
だ、だから!どうしてそう気色の悪い生き物ばかり出すんだ!
蜘蛛の時と同じようにヤモリを掌へと招き入れるエイミーの肩に顔を埋め、またしても目を瞑るアダルブレヒト。よほど爬虫類や虫が嫌いなようだ。女子生徒である彼女にセクハラ紛いのことをしているのにも気づいていない。だが、エイミーは何も気にしていない様子で手に乗るヤモリを可愛がっていた。

tsuduri

でも、絵本に出てくる魔女はヤモリや蜘蛛を刻んで薬の材料にしていましてよ?
あぁ確かに薬の材料になる生き物達だ。でも最近ではソイツらを生で扱うのはそういう研究職の者だけだ。店頭では殆ど粉末や液体になって売られている。
あら、残念……。
君はこんなのを切り刻んだりしてみたいというのか?
切り刻むのは可哀想ですわね……。
はぁ……。使い魔に蜘蛛やヤモリを選ばないことを祈っているよ……。
彼の呟きは、ヤモリを弄んでいるエイミーの耳には届かなかった。「そんなことより」と、彼女の肩に頭を乗せ項垂れるアダルブレヒトに、彼女は率直な疑問を投げかける。

tsuduri

この国ではレディに抱き着くのは問題になりませんの?

そこで漸く、アダルブレヒトは自身が今とんでもない体勢でとんでもない場所に潜り込んでいることを思い出したのだった。急いで彼女から離れ、誤魔化しに咳払いをする。

tsuduri

た、度々すまない……。僕としたことが取り乱してしまった。
二人の間に気まずい空気が流れる。だが、重たい空気を醸し出しているのはアダルブレヒトだけで、実のところエイミーは特に何も気にしていない。その証拠に、彼女はクーラーから発せられる冷気に目を細めながら、優雅にハーブティーを嗜んでいる。まだ年端もいかぬ少女に翻弄されたことに舌打ちでもしたい気分であったが、自身も全く気にしていないという風を装うかのごとく、アダルブレヒトは倒れた椅子を起こし腰掛けた。

tsuduri

ま、まぁ。創造呪文はこのくらいにして。次は僕の十八番でもある破壊呪文についてお話しよう。これまでに魔法で何かを壊したことは?
ありませんわ。壊すということについては両親から口酸っぱく”やるな”と言い聞かされてきましたので。
そうか……。まぁ、魔力を持たない人間は物を壊されても元通りに直すことができないからな……。
そこが育ちの違いか。そう呟くアダルブレヒトをよそに、エイミーは借りている杖をゆらゆらと振り。空になったグラスに向かって「"壊れろ"」と呪文を放つ。しかし、彼女の意思とは反対にグラスにはヒビ一つ入らず。代わりに部屋の窓ガラスに満遍なくヒビが入り、大きな音を立て全て粉々になってしまった。

tsuduri

……エイミー、さては物が壊れるのを見たことが無いとか?
少なくともグラスが壊れるところは見たことがありませんわね……。家中カーペットが敷き詰められていましたし、キッチンには入ったことがありませんので
かなり難しいと言われる生き物を作り出す創造魔法に関してはほぼ完璧と言っても過言ではないほどであったが、破壊魔法の方はからっきしなようだ。思っていたより厄介な性質を持っているのかもしれない。アダルブレヒトは頭を抱えながら溜息を吐く。その姿はもうエイミーに隠そうともしない。そんな彼を苦笑しつつ見つめ彼女は「今、直してみせますから!」と席を立ち、窓があった場所に近づきもう一度杖を振った。

tsuduri

"直れ"!

彼女の言葉と同時に、粉々になったガラス片が空中へ舞い上がる。この反応は通常と同じだ。流石に上手くいくかと思われたが、しかし。その後の挙動がどうもおかしい。アダルブレヒトとエイミーは揃って同じ方向に首を傾げる。次にガラス片達は小刻みに震え始めた。すると、無色透明だったそれらはみるみるうちに様々な色に色づき始め。同じ色同士が結合しながら窓枠へと嵌められていく。そして出来上がったのが、聖母マリアが描かれたステンドグラスだった。部屋の内装はどう見ても教会のそれと反して簡素な作りだからか、全く似合わない。アダルブレヒトは額に汗しながらジトリとエイミーの顔を見遣る。

tsuduri

頭の中に別のイメージが少しでも割り込んでくると、別のイメージが反映されることが多々ある。そう、今君がこの信仰心を煽るような窓を創り出したようにね。
えぇ……。とても勉強になりましたわ……。
先に吹き出したのはアダルブレヒトの方だった。彼の笑い声を皮切りに、エイミーも安心したのか鈴を転がすように笑い始める。

tsuduri

罰則以外では殆ど誰も寄り付かない教科室も、日曜日には熱心なカトリック信者で一杯になるかもしれないな。
此処、一階ですから。部屋に入れなかった人達が窓の外側からも礼拝しますわね。
反転されたマリア様を拝むのか。はは、そりゃあ面白い。

 アダルブレヒトはベルタがエイミーを気に入ったことについて「その気持ちはわからないでもない」と感じていた。しかし、この事件のお陰でアダルブレヒトのエイミーに対する思いは大きく動く。

 これは、彼自身がエイミー・ツムシュテークをお気に召したその瞬間であった。









更新 2019/8/29 つづり

tsuduri

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登場人物紹介

エイミー・ツムシュテーク(Amy Zumsteeg)

ドイツ出身の15歳。お転婆お嬢様。魔力を持たない人間貴族の子孫だが、破門された。

三上柑菜(Mikami Canna)

日本出身の15歳。実家は元武家。捻くれ者。

アダルブレヒト・カレンベルク(Adalbrecht Kallenberg)

破壊呪文科の教官。35歳。アル教官と呼ばれている。

ベルタ・ペンデルトン(Bertha Pentleton)

エイミー属するA組の担任教師。33歳。エイミーの後見人。

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ブレイン・ローガン(Blain Logan)

A組の生徒。15歳。エイミーと仲が良く、柑菜に好意を持つ。

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レイラ・ナイトリー(Layla Knightley)

アメリカ出身の15歳。温厚な音楽少女。

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