06.【エイミー・ツムシュテークの休日】
文字数 9,531文字
エイミーは柑菜と分かれてすぐ、美味しいと話題のハンバーガー屋でアボカドバーガーを購入した。前回はカフェでゆっくりした為、今回は逆に食べ歩きをしてみようと最初から決めていたのだ。勿論、実家では食べ歩きなど許されていなかった為、エイミーは禁断の食事方法に胸を高鳴らせる。人通りの少ない路地で壁に凭れハンバーガーにかじりつけば、やってはいけないと言われていたことをやっている背徳感に彼女はとても高揚した。数ヶ月前の自分では想像できなかった行動だ。噛み締めれば、同時にアボカドのとろける食感とパティの肉汁が染み出し、エイミーはその美味しさに打ち震える。
「ブレイン」そう呼ぶ前に、彼はさっさと駆けて行ってしまい。彼女はふっとため息をつく。ただの隣の席の寡黙な少年だと思っていたが、意外と普通な男の子のようだ。エイミーは普段より少し砕けた様子の彼を思い返しながら、中断していた店探しを再開させた。
まず向かったのは、レニを買ったペットショップだ。蜘蛛への使い魔デー用のギフトが無いかと探しに来たのだ。中は相変わらずペット用品が所狭しと並べられている。店主はエイミーの顔を覚えていたのか、彼女の顔を見るなり「動物好きの嬢ちゃんかい」と豪快に笑って彼女を裏に通そうとしたが、エイミーは彼のその手を制して言った。
「嬢ちゃんが飼ってる、蜘蛛だとかそういう生き物専用のギフトセットは無ぇんだ。そういうのを飼ってる人口が少なすぎてね。あるのは犬、猫、鳥類、小動物までだな」
「まぁ奴さん達はあんま知能が高いわけじゃねぇからなぁ。食いもんがいいんじゃねぇのか?贈り物だってことは理解出来ないだろうけど、ご馳走を目の前に出されて喜ばねぇ動物は居ねぇよ。蜘蛛みたいな本能しかない動物なら、尚更な」
彼の言う通り、一般的な蜘蛛よりはウサギグモの方が知能は高い。主人を認識できるし個体によっては懐いたり、主人を番の相手としてしまうという例もあるとエイミーはネットで聞いていた。とはいえ、犬猫のように高い首輪をしたって彼はきっと喜ばないだろう(そもそも首輪を付けられるような生き物ではない)。広い水槽を買ってやろうとも考えたが、魔法生物用の水槽はとても高価でエイミーの僅かな小遣いでは買えそうもない。となれば、やはり彼の言うとおり大好物を用意する他無いようだ。
エイミーは薬学科の生徒では無い為実際に扱ったことはないが、薬学には魔力を持った虫等がよく使用される。虫を乾燥させすり潰した粉末や、搾り出した体液など。それらは虫を主食とする使い魔のペレットやおやつ等にも使用されている為、レニへのプレゼントにはうってつけとも言えるだろう。エイミーは「それよ!」とカウンターに身を乗り出すと、店主に詰め寄った。
「まぁ、生き餌ならウチでも取り扱ってはいるけど……。折角の贈り物だしな、状態が良い生き餌を求めるんなら、魔法薬の材料を扱ってる直売店がいいだろ。そこなら状態のいい魔法生物がわんさか居るし、何より安く済むからな。粉末だとかの加工品だったらこの裏通りにあるドラッグストアで扱ってる。裏口から入ればそこが魔法使い専用だ」
「実際に店を構えてるわけじゃなくてな。今はネットだよ。このQRコードから飛べるから、それで注文しな」
店主はカウンターの隅に置いていたボックスからチラシを取り出しエイミーに渡す。その店の広告らしい。”使い魔の食欲が無くなったらこれ!野生を取り戻して元気に!”と大きな文字で書かれたその下に、店主の言った通りQRコードが記されている。
「おう、またな!」
相変わらず気の良い店主に見送られ、エイミーは店を出る。次に向かうのはドラッグストアだ。強い日差しを避けるべく持ってきたレースの日傘を差し、彼女は踊るように道を進む。
裏路地を通りドラッグストアへと辿り着いたエイミーは、使い魔ショップの店主に聞いた通りに店の裏へ回る。この店には魔法使い特有の暗号等は無く。裏口から入れば魔力を感知し、直で魔法使い専用の店へ通されるという単純な仕掛けだ。中はいつぞや行った杖の店のように古びており、木の香りと漢方のような匂いが混じりエイミーの鼻腔を突く。燭台にはまだ変えたばかりの蝋燭が灯っているが、奥のカウンターまでその光は届かないようで、薄暗いせいか店主の顔はよく見えない。だが、確認できる限りではかなりの老人のようだ。彼は蝋燭の光を反射した瞳で鋭くエイミーを見遣ると、嗄れた声で彼女に語りかけた。
「いらっしゃい、何をお探しかね?」
「量り売りだよ。その箱に入ってるから掬ってこの袋に入れなさい」
老人はエイミーの真後ろを素っ気なく顎で指した。差し出された革の袋を受け取り、言われるままに薬品が陳列される箱へと近づく。”ヨロイムシの粉末”と神経質そうな字で書かれたその木箱を開ければ、中には黄土色のきめ細かな粉末が敷き詰められていた。ぶら下がっている紐に括り付けられた匙で必要そうな分だけ掬っていく。スプーンから零れ落ちた粉は、少量空中に舞い上がり、香ばしい香りを辺りに散らした。そんな折、背後から店主に話しかけられる。
「あんた、薬学科の生徒さんかい?」
どうやら、エイミーがビクトリア魔法学校の生徒だと分かったらしい。週末だけこの街に来る年頃の子供は殆どがビクトリア魔法学校の生徒な為、彼女の事もそうだと踏んだのだろう。薬学科だと思ったのは、この店が薬学用の教材が揃っている店だからか。エイミーは首を傾げていつもの調子で答える。
「そうだろう。見たことない顔だ」
老眼鏡をずらし、カウンター横の蝋燭を点け。老店主はじっとエイミーを見つめた。そこには先程の探るような視線は無い。薬学科の生徒で無いと知り、少々興味をそそられたようだ。
「いや、何。薬学科の生徒以外で若いモンが来るのは珍しいものでな。しかし、何故創造呪文科の学生が薬品の材料を? 何か作りたい薬でもあるのかね? ヨロイムシの粉末ということは、肉体増強剤か精力剤……はたまた」
エイミーが答えると、老店主は「ふむ、ケーキか……」と釈然としないような顔で呟いた。ドラッグストアに来た客が、薬品を作る以外の目的で買い物に来るとは思っていなかったのだろう。しかし、彼は暫し考え込んだ後「そういえば……」と口を開くと、明後日の方向を見つめ何かを思い出すようにしながら話し始める。
「この間も似たような事をしようとしてる奴が居たな……。クッキーを作るとかなんとか……」
先程使い魔ショップで聞いた話だ。エイミーは興味深そうに「それもビクトリア魔法学校の生徒ですの?」と問う。
「そうだな。学生だと言っていた気がするが……。確かインド人の男の子でな。それは間違いない。ただ、飼ってるのは恐らく爬虫類か何かだろう。買っていったのはネズミやトカゲの粉末だからな」
「儂にはその考え方は分からん。儂にとってそういった類の動物は魔法薬の材料でしか無いからの。それで、そのヨロイムシの粉末だけでよいのかね?」
老店主はエイミーの手に握られた皮袋をちらと見て言った。
「ふむ、そうだな……。粉末だけでは無くヨロイムシの分泌油も使うといい。バターの代わりになるだろう。蜘蛛にバターはあまりよくないかもしれぬからな。ただし、普通の油より酸化が早いから、少なめに使って保存しようと思わんように。一度封を開けたらすぐに悪くなるからの」
「13ドル10セントだ」
20ドル札を出し、釣りを貰い。エイミーはポーチにヨロイムシの粉末が入った皮袋と分泌油の小瓶を入れた。使い魔ショップの店主に聞いたレシピでは、後は普通のケーキの材料を買えばそれで終わりのようだ。彼女は明るく老店主に礼を言い、上機嫌に店を出る。このような陰気臭い店で明るく振る舞えるのは、エイミーぐらいのものなのかもしれない。
ドラッグストアを出た後、最後の目的である新しいジャージとジーパンをアウトレットモールで買い揃えたエイミーは、早めに戻って柑菜を待とうとバス停へ向かっていた。レニへのケーキに使う他の材料は学校の厨房で貰うか、それが駄目ならネットで注文することにし、エイミーはもう一度メインストリートへ出る。そして新品のジャージが入った袋の中身を覗きニヤつきながら歩いているとその道中、花屋の前で見知った顔に出会った。いつものスーツ姿と違い、少しラフな格好をしていた為人違いかと考えたが──やはり、アダルブレヒトのようだ。彼は「ハァ……」とため息をつき、じっと店頭に陳列された花を見つめている。集中しているのか、エイミーの存在には気づいていない。
アダルブレヒトはエイミーのその問いに僅かに顔を歪め、片手で顔を覆った。構わずじっと見つめてくる彼女を指の隙間からチラと覗きつつ、彼は何やらしきりに唸りながら渋々頷く。そんな様子を見て、エイミーは彼が見ていた花を一瞥すると、ニコリと口角を上げてまたアダルブレヒトに向き直った。
なんだか先程からどうも煮え切らない返事ばかり。言うのが憚られる内容なのだろうか。そう考え、エイミーはアダルブレヒトに答えさせるのを諦めた。代わりに彼の反応を見て、何故彼が言うのを渋っていたのか、その理由を探し始める。しかし、答えはすぐに出た。恋人が居ないのにバレンタインデーに花を贈りたいと思っているという事は。閃き、エイミーは両手を合わせて組むと、きらきらと輝かせた目でアダルブレヒトを見上げる。
アダルブレヒトはあっさりと明かされてしまった事に眉根を顰めた。更に、何故だかエイミーの反応が良い。付き合ってもいない片想いの相手に、バレンタインだからといって花を贈るのは「重い」と最近の娘なら言いそうなものだが。現に、アダルブレヒトはそれが心配で今回どころか、今までバレンタインこのプレゼントを贈ったことが一度も無いわけで。しかし、何故彼女はこんなにも期待した目でアダルブレヒトを見つめるのか。不気味すぎるその笑みに苦笑しつつ、彼女が続けようとする言葉を黙って聞く。すると彼女は両手を組んだまま両目を閉じた。
そうだ、そういえばエイミーはこんな娘なんだった。アダルブレヒトは引き攣った口角を隠すのも止め、薔薇を掲げる彼女の腕を下げた。流石ロマンチックの代名詞とも言える女の子。目の前の男が片想いの相手に花を贈る勇気が無いと知っただけで此処まで妄想を膨らませられるとは。その妄想力に感服と困惑を浮かべつつ、彼は口を開く。
学校の中庭の片隅に咲く薔薇。手入れが面倒な割に目立たない場所に植えられたそれを見て、ある時ベルタは言った。「あんなところに植えられていてもすぐに分かるわ。わたし、そんな存在感のある薔薇が好きよ」と。なんでもない会話だったが、アダルブレヒトはずっとそれを頭の片隅に大事に仕舞い続けていたのだ。そして、エイミーの姿を見てその記憶が自然と蘇ってきたのである。
薔薇の前にしゃがみ込み、持っていた茎から手を離して、彼女はアダルブレヒトの方を振り返り問う。問われた彼はまだ悩んでいるようで「そうだな……」と小さく呟き、薔薇を穴が開くほど見つめていた。が、やがてゆっくりと頭を振り。
どちらも嫌すぎる。が、後者に関しては教員生命も危うくなってくる為、選ぶ余地は無いだろう。選択のように見えて、これは「前者を選ばざるをえない状況にする」策だ。半ば強制的ではあるが、アダルブレヒトのようなタイプには効果的とも言える。
エイミーはアダルブレヒトの言葉を最後まで聞く前に、彼の手首を掴み小走りでメインストリートを駆け始めた。何故そう急ぐ必要も無いのに生徒に付き合ってこんなに走らなければならないのか。頭の中はそんな疑問で一杯だったが、彼はその足を止めようとはしない。ただたた運動不足で鈍った身体に鞭打ち、エイミーと共にバス停への道をひた走る。あまり良い状況とは言えないが、周りに生徒らしき影は無い為あまり心配する必要は無さそうだし。アダルブレヒトはどこか懐かしい思いに浸りながら、目の前で揺れるツインテールを見つめていた。
更新 2020/4/7 つづり