06.【エイミー・ツムシュテークの休日】

文字数 9,531文字

 エイミーは柑菜と分かれてすぐ、美味しいと話題のハンバーガー屋でアボカドバーガーを購入した。前回はカフェでゆっくりした為、今回は逆に食べ歩きをしてみようと最初から決めていたのだ。勿論、実家では食べ歩きなど許されていなかった為、エイミーは禁断の食事方法に胸を高鳴らせる。人通りの少ない路地で壁に凭れハンバーガーにかじりつけば、やってはいけないと言われていたことをやっている背徳感に彼女はとても高揚した。数ヶ月前の自分では想像できなかった行動だ。噛み締めれば、同時にアボカドのとろける食感とパティの肉汁が染み出し、エイミーはその美味しさに打ち震える。

tsuduri

んん、美味しい……!
ソヨンが美味しいと言っていたのは間違い無いようだ。エイミーは目を輝かせて止まることなくあっという間にハンバーガーを平らげた。普段なら喋る相手がいる為ゆっくりになる食事だが、今日は一人。相棒が居ないというのは少し寂しくもあるが、これはこれでまた楽しもう。エイミーはそう決心して、食べ終わったハンバーガーの紙屑をゴミ箱に入れる。そしてまたメインストリートへ戻ろうとその方向へと向き直ると、そこで見知った顔と目が合った。ひょろりと背の高い赤毛。間違いなくブレイン・ローガンである。

tsuduri

あら、偶然ですわねMr.ローガン。
げ……。
ブレインの方も、相手がエイミーであると気づいたらしい。垂れた目を一瞬大きく見開くと、彼はすぐに顔を歪ませた。

tsuduri

まぁ、どうしてそんなに嫌そうな顔をしますの?
だってそりゃ……。君のせいで俺は君と噂になってる。
なんの噂ですの?
俺と君が付き合ってるっていう噂に決まってるだろ。知らないのか?
今ビクトリア魔法学校の高等部一年の間でヒートアップしている噂だ。あのトラブルメーカーがいじめられっ子だった男子生徒と……!?と、話題性たっぷりなそのニュースは、収束する気配が無く今でも噂をする者は多い。それが真実であろうとなかろうと、退屈な学校生活を送る者達にとって、このスクープは良い玩具以外の何物でもないわけで。その噂の渦中に居るブレインの反応は当然と言えるだろう。しかし、エイミーの方はというと、そうではないらしい。「ところで柑菜が何処に居るか知ってる?」と問いかけるブレインの声も耳に入っていないようだ。

tsuduri

付き合っ……!? まさかそんな、わたくしと貴方はまだ出会って二ヶ月も経っていませんのよ。それなのに、そんな……。恋人、だなんて……。
ブレインの言葉を聞いて、途端にエイミーは頬を赤らめ俯く。自身が騒がれていることは知っていたが、彼と所謂そういう関係であると噂されていることは知らなかったようだ。一気にしおらしくなってしまった彼女にブレインは、何か悪いことをしてしまっただろうかと慌てて駆け寄り彼女のその顔を覗き込む。ずっと他の女子生徒達からパシリ扱いを受けてきたからか、彼は女性の心情の変化に敏感なのだ。とは言っても、泣きそうな時や怒りに震える時など、マイナスな感情のみにしかその能力は適応されないが。

tsuduri

ご、ごめん。君の事が嫌いなわけじゃないんだけどさ。他の子に見られてまた勘違いされたくないんだ。
そ、そうよね……。その、そういう関係というのは少しわたくし達には早過ぎますわ……だってまだ知り合ったばかりですし……。
よくわかんないけど、とにかく君も気をつけたほうがいいよ。どこで誰が見てるのか分からないんだからさ。
聞いているのやら聞いていないのやら、恥ずかしそうに両手で顔を覆うエイミーに、ブレインは苦笑する。取り敢えず彼女がこちらを見ていない内に早いところ此処から離れよう。彼はそう決めて後退るが……。一歩後ろに踏み出したところで、「ぐぅ」という音がエイミーにも聞こえるほどの音で鳴った。思わず覆っていた両手を下げると、恥ずかしそうに腹部を押さえて俯いているブレインの姿がエイミーの目に映る。鳴ったのは恐らく彼の腹の虫だろう。時刻は正午過ぎ。何も食べていなければお腹が空いてもおかしくない頃だ。エイミーは彼が腹を空かせていることに気づくと、くすくすと笑い始めた。

tsuduri

そ、それじゃあ。俺どっかで昼食取るから……。
えぇ、そうした方がいいかもしれませんわね。ふふ。あ、この路地を出てすぐ右のバーガーショップがとてもオススメでしてよ。
あー、ありがとう。じゃあ行ってみるよ。
逃げるように去ろうとしたが、彼ははたと何かを思いついたように足を止めた。そして彼女の方を振り返り言う。

tsuduri

ブレインでいいよ。同級生なんだからMr.ローガンじゃ変だろ。
え? えぇ、では──

「ブレイン」そう呼ぶ前に、彼はさっさと駆けて行ってしまい。彼女はふっとため息をつく。ただの隣の席の寡黙な少年だと思っていたが、意外と普通な男の子のようだ。エイミーは普段より少し砕けた様子の彼を思い返しながら、中断していた店探しを再開させた。


 まず向かったのは、レニを買ったペットショップだ。蜘蛛への使い魔デー用のギフトが無いかと探しに来たのだ。中は相変わらずペット用品が所狭しと並べられている。店主はエイミーの顔を覚えていたのか、彼女の顔を見るなり「動物好きの嬢ちゃんかい」と豪快に笑って彼女を裏に通そうとしたが、エイミーは彼のその手を制して言った。

tsuduri

入る前に少し聞きたいことがありますの。
「聞きたいこと? それは、今度の使い魔デーのことかい?」

tsuduri

あら、どうして分かりましたの?
そりゃあ分かるさ、この時期になると客が増えるもんでね。使い魔デー用のギフトセットも取り揃えてんだ。

tsuduri

まぁ、本当に? ではそれを見せてくださいます?
ワクワクしたようにエイミーは催促するが、店主の反応は何故だか鈍い。思わぬ店主の反応に首を傾げていると、彼は「実は……」と言いづらそうに切り出した。


「嬢ちゃんが飼ってる、蜘蛛だとかそういう生き物専用のギフトセットは無ぇんだ。そういうのを飼ってる人口が少なすぎてね。あるのは犬、猫、鳥類、小動物までだな」

tsuduri

えぇ!? そ、そんな……。

「使い魔へのギフトを探して此処に来たんだろ? ごめんなぁ。来年からはなんとか検討してみるからよ」

tsuduri

いえそんな、店主様は悪くありませんわ。でも、どうしましよう……。何を贈れば喜んでもらえるか……。

「まぁ奴さん達はあんま知能が高いわけじゃねぇからなぁ。食いもんがいいんじゃねぇのか?贈り物だってことは理解出来ないだろうけど、ご馳走を目の前に出されて喜ばねぇ動物は居ねぇよ。蜘蛛みたいな本能しかない動物なら、尚更な」


彼の言う通り、一般的な蜘蛛よりはウサギグモの方が知能は高い。主人を認識できるし個体によっては懐いたり、主人を番の相手としてしまうという例もあるとエイミーはネットで聞いていた。とはいえ、犬猫のように高い首輪をしたって彼はきっと喜ばないだろう(そもそも首輪を付けられるような生き物ではない)。広い水槽を買ってやろうとも考えたが、魔法生物用の水槽はとても高価でエイミーの僅かな小遣いでは買えそうもない。となれば、やはり彼の言うとおり大好物を用意する他無いようだ。

tsuduri

食べ物……。一般的に、ウサギグモの好物ってなんですの?
「そりゃあ魔法生物だろうよ。よく魔法薬に使われるワームだとか……あぁ、そうそう。甲虫の粉末を練ってクッキーを作ったって奴がいたなぁ」


エイミーは薬学科の生徒では無い為実際に扱ったことはないが、薬学には魔力を持った虫等がよく使用される。虫を乾燥させすり潰した粉末や、搾り出した体液など。それらは虫を主食とする使い魔のペレットやおやつ等にも使用されている為、レニへのプレゼントにはうってつけとも言えるだろう。エイミーは「それよ!」とカウンターに身を乗り出すと、店主に詰め寄った。

tsuduri

そういった物はどこで取り扱ってますの?

「まぁ、生き餌ならウチでも取り扱ってはいるけど……。折角の贈り物だしな、状態が良い生き餌を求めるんなら、魔法薬の材料を扱ってる直売店がいいだろ。そこなら状態のいい魔法生物がわんさか居るし、何より安く済むからな。粉末だとかの加工品だったらこの裏通りにあるドラッグストアで扱ってる。裏口から入ればそこが魔法使い専用だ」

tsuduri

その直売店は何処にありますの?

「実際に店を構えてるわけじゃなくてな。今はネットだよ。このQRコードから飛べるから、それで注文しな」


店主はカウンターの隅に置いていたボックスからチラシを取り出しエイミーに渡す。その店の広告らしい。”使い魔の食欲が無くなったらこれ!野生を取り戻して元気に!”と大きな文字で書かれたその下に、店主の言った通りQRコードが記されている。

tsuduri

まぁ……。何から何まで、ありがとう存じます。

「何、俺も嬉しいのさ。かわい子ちゃんがうちで買ってくれた珍しい蜘蛛を可愛がってくれてるみたいでな。ま、他に欲しいもんがあればまたウチで買ってくれや」

tsuduri

えぇ、是非そうさせて頂きますわ。それでは早速ドラッグストアに向かいますので、また!

「おう、またな!」


相変わらず気の良い店主に見送られ、エイミーは店を出る。次に向かうのはドラッグストアだ。強い日差しを避けるべく持ってきたレースの日傘を差し、彼女は踊るように道を進む。


 裏路地を通りドラッグストアへと辿り着いたエイミーは、使い魔ショップの店主に聞いた通りに店の裏へ回る。この店には魔法使い特有の暗号等は無く。裏口から入れば魔力を感知し、直で魔法使い専用の店へ通されるという単純な仕掛けだ。中はいつぞや行った杖の店のように古びており、木の香りと漢方のような匂いが混じりエイミーの鼻腔を突く。燭台にはまだ変えたばかりの蝋燭が灯っているが、奥のカウンターまでその光は届かないようで、薄暗いせいか店主の顔はよく見えない。だが、確認できる限りではかなりの老人のようだ。彼は蝋燭の光を反射した瞳で鋭くエイミーを見遣ると、嗄れた声で彼女に語りかけた。


「いらっしゃい、何をお探しかね?」

tsuduri

人を寄せ付けぬ雰囲気はあるが、エイミーは構わず彼に近寄り問いかける。

tsuduri

えーと、ヨロイムシの粉末をいただけます?

「量り売りだよ。その箱に入ってるから掬ってこの袋に入れなさい」


老人はエイミーの真後ろを素っ気なく顎で指した。差し出された革の袋を受け取り、言われるままに薬品が陳列される箱へと近づく。”ヨロイムシの粉末”と神経質そうな字で書かれたその木箱を開ければ、中には黄土色のきめ細かな粉末が敷き詰められていた。ぶら下がっている紐に括り付けられた匙で必要そうな分だけ掬っていく。スプーンから零れ落ちた粉は、少量空中に舞い上がり、香ばしい香りを辺りに散らした。そんな折、背後から店主に話しかけられる。


「あんた、薬学科の生徒さんかい?」


どうやら、エイミーがビクトリア魔法学校の生徒だと分かったらしい。週末だけこの街に来る年頃の子供は殆どがビクトリア魔法学校の生徒な為、彼女の事もそうだと踏んだのだろう。薬学科だと思ったのは、この店が薬学用の教材が揃っている店だからか。エイミーは首を傾げていつもの調子で答える。

tsuduri

いいえ、創造呪文を専攻していますの。

「そうだろう。見たことない顔だ」


老眼鏡をずらし、カウンター横の蝋燭を点け。老店主はじっとエイミーを見つめた。そこには先程の探るような視線は無い。薬学科の生徒で無いと知り、少々興味をそそられたようだ。


「いや、何。薬学科の生徒以外で若いモンが来るのは珍しいものでな。しかし、何故創造呪文科の学生が薬品の材料を? 何か作りたい薬でもあるのかね? ヨロイムシの粉末ということは、肉体増強剤か精力剤……はたまた」

tsuduri

あぁ、いえ。薬品をつくるわけではありませんの。飼っている使い魔の好物でケーキを作ってやりたくて。

エイミーが答えると、老店主は「ふむ、ケーキか……」と釈然としないような顔で呟いた。ドラッグストアに来た客が、薬品を作る以外の目的で買い物に来るとは思っていなかったのだろう。しかし、彼は暫し考え込んだ後「そういえば……」と口を開くと、明後日の方向を見つめ何かを思い出すようにしながら話し始める。


「この間も似たような事をしようとしてる奴が居たな……。クッキーを作るとかなんとか……」


先程使い魔ショップで聞いた話だ。エイミーは興味深そうに「それもビクトリア魔法学校の生徒ですの?」と問う。


「そうだな。学生だと言っていた気がするが……。確かインド人の男の子でな。それは間違いない。ただ、飼ってるのは恐らく爬虫類か何かだろう。買っていったのはネズミやトカゲの粉末だからな」

tsuduri

爬虫類も可愛いですわね。

「儂にはその考え方は分からん。儂にとってそういった類の動物は魔法薬の材料でしか無いからの。それで、そのヨロイムシの粉末だけでよいのかね?」


老店主はエイミーの手に握られた皮袋をちらと見て言った。

tsuduri

えぇ、何かオススメありまして? あぁ、出来れば安価なもので……。

「ふむ、そうだな……。粉末だけでは無くヨロイムシの分泌油も使うといい。バターの代わりになるだろう。蜘蛛にバターはあまりよくないかもしれぬからな。ただし、普通の油より酸化が早いから、少なめに使って保存しようと思わんように。一度封を開けたらすぐに悪くなるからの」

tsuduri

なるほど……。では、その小瓶のを二つ頂きますわ。おいくらでして?

「13ドル10セントだ」


20ドル札を出し、釣りを貰い。エイミーはポーチにヨロイムシの粉末が入った皮袋と分泌油の小瓶を入れた。使い魔ショップの店主に聞いたレシピでは、後は普通のケーキの材料を買えばそれで終わりのようだ。彼女は明るく老店主に礼を言い、上機嫌に店を出る。このような陰気臭い店で明るく振る舞えるのは、エイミーぐらいのものなのかもしれない。


  ドラッグストアを出た後、最後の目的である新しいジャージとジーパンをアウトレットモールで買い揃えたエイミーは、早めに戻って柑菜を待とうとバス停へ向かっていた。レニへのケーキに使う他の材料は学校の厨房で貰うか、それが駄目ならネットで注文することにし、エイミーはもう一度メインストリートへ出る。そして新品のジャージが入った袋の中身を覗きニヤつきながら歩いているとその道中、花屋の前で見知った顔に出会った。いつものスーツ姿と違い、少しラフな格好をしていた為人違いかと考えたが──やはり、アダルブレヒトのようだ。彼は「ハァ……」とため息をつき、じっと店頭に陳列された花を見つめている。集中しているのか、エイミーの存在には気づいていない。

tsuduri

あら……。教官?
エイミーが思わず声をかけると、彼は彼女の方を見て一瞬目を見開いた。そしてすぐに愛想の良い笑みを浮かべると、首を傾げて目の前の少女に問いかける。

tsuduri

エイミー。今日はミカミと一緒じゃないんだね?
はい。教官はどうして此処に?
今日は僕も休日なんだ。それで、ちょっと……。
お花を買いますの?


アダルブレヒトはエイミーのその問いに僅かに顔を歪め、片手で顔を覆った。構わずじっと見つめてくる彼女を指の隙間からチラと覗きつつ、彼は何やらしきりに唸りながら渋々頷く。そんな様子を見て、エイミーは彼が見ていた花を一瞥すると、ニコリと口角を上げてまたアダルブレヒトに向き直った。

tsuduri

悩んでいますのね。
あぁ、その通り……。
使い魔デーのプレゼント……。では無さそうですわね……。ということは。も、もしかして……! バレンタインデーの!?
興奮した様子のエイミーに「それだけは言い当てられたくなかった」とアダルブレヒトは内心毒づき、またもゆっくりと首を縦に振る。

tsuduri

……ご名答。
ということは教官、恋人がいらっしゃいますのね?
いや、そういうわけではなくて……。

なんだか先程からどうも煮え切らない返事ばかり。言うのが憚られる内容なのだろうか。そう考え、エイミーはアダルブレヒトに答えさせるのを諦めた。代わりに彼の反応を見て、何故彼が言うのを渋っていたのか、その理由を探し始める。しかし、答えはすぐに出た。恋人が居ないのにバレンタインデーに花を贈りたいと思っているという事は。閃き、エイミーは両手を合わせて組むと、きらきらと輝かせた目でアダルブレヒトを見上げる。

tsuduri

意中の方に差し上げますのね……!

アダルブレヒトはあっさりと明かされてしまった事に眉根を顰めた。更に、何故だかエイミーの反応が良い。付き合ってもいない片想いの相手に、バレンタインだからといって花を贈るのは「重い」と最近の娘なら言いそうなものだが。現に、アダルブレヒトはそれが心配で今回どころか、今までバレンタインこのプレゼントを贈ったことが一度も無いわけで。しかし、何故彼女はこんなにも期待した目でアダルブレヒトを見つめるのか。不気味すぎるその笑みに苦笑しつつ、彼女が続けようとする言葉を黙って聞く。すると彼女は両手を組んだまま両目を閉じた。

tsuduri

陰ながら恋い慕う手の届かない彼女……。その心はどんなに美しい言葉でも、高価な宝石でも手に入れられない。……しかし!

そしてカッとその大きな目を開き赤い瞳を煌めかせ、エイミーは店頭に並ぶ赤い薔薇を取るとソレを宙に掲げる。

tsuduri

真紅の薔薇を一本差し出すことによって、彼女の凍った心はたちまち溶け出し……。救い出してくれた殿方を永遠に愛すると誓うでしょう……!

そうだ、そういえばエイミーはこんな娘なんだった。アダルブレヒトは引き攣った口角を隠すのも止め、薔薇を掲げる彼女の腕を下げた。流石ロマンチックの代名詞とも言える女の子。目の前の男が片想いの相手に花を贈る勇気が無いと知っただけで此処まで妄想を膨らませられるとは。その妄想力に感服と困惑を浮かべつつ、彼は口を開く。

tsuduri

えーと……。何から否定したらいいのか分からないけれど、取り敢えずそれは商品だから元の場所に戻しなさい。
そう指示すれば、エイミーは意外にも素直にアダルブレヒトの言葉に従った。取った薔薇をバケツに差し、その茎を軽く摘んだまますぅっと薔薇の香りを嗅ぐ。その姿を見てアダルブレヒトは驚いたように小さく口を開けると、彼女に歩み寄りふっと微笑んだ。

tsuduri

薔薇が好きかい?
えぇ……。好きよ。
奇遇だな。
あら、教官もですの?
いや、そうじゃなくて。僕の好きな人も薔薇が一番好きなんだ。

学校の中庭の片隅に咲く薔薇。手入れが面倒な割に目立たない場所に植えられたそれを見て、ある時ベルタは言った。「あんなところに植えられていてもすぐに分かるわ。わたし、そんな存在感のある薔薇が好きよ」と。なんでもない会話だったが、アダルブレヒトはずっとそれを頭の片隅に大事に仕舞い続けていたのだ。そして、エイミーの姿を見てその記憶が自然と蘇ってきたのである。

tsuduri

やっぱり血は争えないな。
何か言いまして?
いや、なんでも。
ふぅん……? あ、それより。お花買いませんの?

薔薇の前にしゃがみ込み、持っていた茎から手を離して、彼女はアダルブレヒトの方を振り返り問う。問われた彼はまだ悩んでいるようで「そうだな……」と小さく呟き、薔薇を穴が開くほど見つめていた。が、やがてゆっくりと頭を振り。

tsuduri

はぁ……。買っても、どうせ今年も彼女に渡せやしない。花を無駄にするだけだし、止めておくよ。
そう言って彼は自嘲気味に笑った。

tsuduri

えぇーっ!?

自分の事のように残念がるエイミー。彼女の中ではアダルブレヒトの恋が彼女を楽しませるエンターテイメントか何かと化しているようだ。


tsuduri

渡す自信が無いから買いませんの?
そうだね。まぁ、花なんて買わなくとも口説くことぐらい出来るさ。それに、今回バレンタインだからといって無理して告白する必要も無いだろう。
花を買う勇気が無いのに告白する勇気はありますの?
うっ……。
ぐうの音も出ない正論である。彼女の言う通りだ。ずるずる引き延ばしにしているからこうして十年も片想いを拗らせているわけで。アダルブレヒトは唸りつつ、エイミーと薔薇を交互に見比べた。そんな中、彼女は「そうだわ!」と手を叩くと、アダルブレヒトを見据え口角を上げる。そして。

tsuduri

もし今年もその方に渡せなかったら、わたくしに下さればいいのよ!
そんなどこかとんでもない方向へ飛んで行った彼女の話に、アダルブレヒトは呆けた様子で首を曲げた。

tsuduri

……は?
困惑する彼を他所に、彼女の話はどんどん飛躍していく。「そうよ、そうすればお花も無駄になりませんもの。ねぇ、どう思いまして?」等と楽しげに宣うエイミーに、徐々に思考を取り戻したアダルブレヒトは、思わず待ったをかけた。

tsuduri

何故僕が君に花を贈らなければならないんだ?それに、僕は教員だ。生徒である君にバレンタインのプレゼントを贈ったら大変な騒ぎになるだろう。
もう、その考えがいけませんのよ。意中の方に贈ることが出来れば、その心配はしなくてすみますわ。お相手にその薔薇を贈るか、それとも生徒に贈り噂されるか。どちらがマシでして?

どちらも嫌すぎる。が、後者に関しては教員生命も危うくなってくる為、選ぶ余地は無いだろう。選択のように見えて、これは「前者を選ばざるをえない状況にする」策だ。半ば強制的ではあるが、アダルブレヒトのようなタイプには効果的とも言える。

tsuduri

……確かに、前者の方が幾分マシに思えてきた。
ふふ、そうでしょう!
でも君はいいのか?
何がですの?
相手に贈れなかったからという理由で薔薇を贈られることになるかもしれないんだよ。虚しくないのかと思って。
あぁ、わたくしのことはお気になさらず。これからわたくしは飽きるほど薔薇を頂く予定ですし……。その予行演習のようなものと思う事に致しますわ。
フフンと不敵に笑い、エイミーは腰に手を宛てて見せる。その自信は一体どこからやってくるというのか。まるで「女の子には絶対に年頃になると白馬の王子様が迎えに来る」と信じているかのようである。だが、彼女が夢見がちな乙女であると知っているアダルブレヒトは、これぐらいではもう驚かない。彼が「随分自身があるんだね」と半ば話を流すかのように言うと、エイミーは頬にかかる横髪を手の甲で払って得意げな表情で口を開く。

tsuduri

だって、わたくしとってもキュートですもの。
当然とでも言うようなその言い草に、アダルブレヒトは軽く吹き出した。

tsuduri

否定したかったが、流石に否めないな。
でしょう?
……それじゃあ自信満々な君に倣って、僕も思い切って花を買うことにするよ。
そうこなくては!
嬉しそうにぴょんぴょんと跳ねるエイミーを横目に見つつ、アダルブレヒトは先程エイミーが手にしていた薔薇を一本取った。それは、エイミーの瞳と同じ様に深く、赤く色付いている。見つめていると、まるで彼女から力を分けて貰ったかのようだ。ラッピングして貰った薔薇を紙袋に入れて隠すと、未だ嬉しそうに外で跳ね回るエイミーに向かって呼び掛ける。

tsuduri

エイミー、君の方は買い物済んだのかい?
えぇ、バス停に向かっていたところでしたの。
それなら急がないと。門限に間に合う最終のバスに遅れる。まぁ僕は人の居ないところに行ってテレポートすれば……
まぁ、大変! 柑菜を待たせてしまいますわ!

エイミーはアダルブレヒトの言葉を最後まで聞く前に、彼の手首を掴み小走りでメインストリートを駆け始めた。何故そう急ぐ必要も無いのに生徒に付き合ってこんなに走らなければならないのか。頭の中はそんな疑問で一杯だったが、彼はその足を止めようとはしない。ただたた運動不足で鈍った身体に鞭打ち、エイミーと共にバス停への道をひた走る。あまり良い状況とは言えないが、周りに生徒らしき影は無い為あまり心配する必要は無さそうだし。アダルブレヒトはどこか懐かしい思いに浸りながら、目の前で揺れるツインテールを見つめていた。




更新 2020/4/7 つづり


tsuduri

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登場人物紹介

エイミー・ツムシュテーク(Amy Zumsteeg)

ドイツ出身の15歳。お転婆お嬢様。魔力を持たない人間貴族の子孫だが、破門された。

三上柑菜(Mikami Canna)

日本出身の15歳。実家は元武家。捻くれ者。

アダルブレヒト・カレンベルク(Adalbrecht Kallenberg)

破壊呪文科の教官。35歳。アル教官と呼ばれている。

ベルタ・ペンデルトン(Bertha Pentleton)

エイミー属するA組の担任教師。33歳。エイミーの後見人。

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ブレイン・ローガン(Blain Logan)

A組の生徒。15歳。エイミーと仲が良く、柑菜に好意を持つ。

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レイラ・ナイトリー(Layla Knightley)

アメリカ出身の15歳。温厚な音楽少女。

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