03.【運命の罠】

文字数 6,076文字

またか……。
 アダルブレヒトは破壊呪文科室の前でドアノブを握りながら、ため息をついて肩を落とした。またもや鍵が開いている。エイミーに潜り込まれて以来毎日きちんと確認しているつもりだったが、遂に油断してしまったか。恐る恐る扉を開ければ、侵入者の正体はすぐに分かった。いや、最初から予想はついていたのだが。

tsuduri

エイミー……。
ジトリと彼女を睨みながら、部屋の中に足を踏み入れる。彼女から返事は無い。それもその筈。エイミーはソファに寝そべって気持ちよさそうにすやすやと眠っていたのだ。ここのところ、エイミーは日中いつも眠たそうにしていた。いつも真面目に受けている授業中でさえ、うつらうつらとしたりポーッと宙を眺めていたりと、彼としても少々心配である。しかし、一体どうしたのかと聞いても、彼女は理由を言おうとはしなかった。ギクリと肩を震わせ。その後頬を赤くし「な、なんでもありませんわ」と吃りながら答えるだけである。いくら品のいい元お嬢様と言えど華の女子高生。他の友達に混じって夜な夜な遊んでいるのかと思ったが、確証があるわけでもなく、彼には罰則を与える権限が無いので、彼は何も言わないことにした。それより、さっさと教科室で呑気に眠る彼女をどうにか追い出さなくては。

tsuduri

起きなさい、エイミー。エイミー。

肩を揺さぶられ不快そうに眉を顰めた彼女は、薄く目を開き始めた。そしてアダルブレヒトの存在に気づき、慌てて起き上がる。

tsuduri

あ、アル教官……!す、すみませんわたくし、その、ご相談したいことがありましたのですが。毎晩の夜更かしが祟って眠ってしまいまして……。申し訳ございません!
なんだ、そうだったのか。と、アダルブレヒトは安堵の溜息をついて彼女の向かい側に座った。しかし、安心するにはまだ早い。鍵が開けられていた事に関してはまだ片付いていないのだ。アダルブレヒトは腰を据えてソファに座り込み、神妙な面持ちでエイミーを見つめる。

tsuduri

鍵は君が開けたのかい?
……ええと、その。はい……。
一体どうやって?
服装の件で校長室に呼ばれた際に。

彼女がそこまで呟いた時、アダルブレヒトは全てを察した。校長は校内にある全ての部屋の鍵を開ける事が出来る。だが、その暗号を全て暗記しているわけでは無い。勿論、メモが何処かに隠されているわけで。それが校長室に隠されていたとしてもなんらおかしくはないだろう。そして、それを生徒が見つけてしまうのも。アダルブレヒトは肩を落とし、顔を片手で覆った。

tsuduri

それで、相談というのは?
暗号は後で変えるとして、取り敢えずエイミーの相談とやらを聞いてやる。

tsuduri

実は、実技試験を落として補習授業が決まってしまいまして……。
実技試験。それを聞いて、アダルブレヒトは瞬時に飛行術の事を思い浮かべた。

tsuduri

何故それを飛行術の教官ではなく僕に?
え?えぇ、確かに一番問題なのは飛行術ですが、それだけではありませんの。他の試験も結果が芳しくなく……。
どういうこと?
話を聞いてみると、彼女が最近授業中にうつらうつらしている理由も分かった。アリーチェ教官からの指導だけでは上手くいかず、最近夜に寮を抜け出して飛行の練習をしているとのことで。その夜更かしした分が授業中に降り掛かっているのだろう。練習を始める以前はずっと規則正しい生活をしてきたようだし、そうなるのも不思議ではない。

tsuduri

せめて授業が無い時間に眠れるといいのですが、休憩時間だけでは寮に帰ってまた戻ってくるのも難しいでしょう?教室では静かに眠れませんし……。
そうだね……。まさか君が飛行術についてそんなに頭を悩ませていたとは気づかなかったよ。まぁ、教官相手に校則違反を何も隠そうとせず話すのにはびっくりしたけれど。
あっ!す、すみません。聞かなかったことに……。嫌だわ、やはり睡眠が足りていないせいか頭が働いていないのかしら。
エイミーは項垂れながら力無くため息をついた。どうやら睡眠不足にはかなり参っているようだ。しかし、アダルブレヒトに話したのはある意味正解だった。彼は余程の事がない限り、校則違反には目を瞑る質だ(単に面倒なだけだが)。もしもベルタに話していれば、罰則は免れなかっただろう。故に、アダルブレヒトは彼女の校則違反については何事も無かったかのようにスルーして話を進める。

tsuduri

練習によって他の授業に支障が出てしまうのは、一教員としては見逃せないね……。とはいえ、僕が今思いつく解決策ではなかなか今の状況を脱するのは難しそうだ。
何か良い方法がありまして?
良いとは言えないけれど、まぁ……。方法が無い訳ではないね。
そう言いながら、アダルブレヒトは席を立った。そして、書斎机の引き出しから黒いファイルを取り出すと、ページをぺらぺらと何枚か捲る。

tsuduri

うーん。創立してから累計でたったの六人か……。
六人?なんの話ですの?

首を傾げるエイミー。そんな彼女を眉を顰めて見つめながら、アダルブレヒトはゆっくりと重たい口を開いた。

tsuduri

飛行術の実技テストを免除できるかもしれないんだよ。しかし、それには条件というのがあって。……それが、移送魔法の習得なんだけれど。
移送魔法?テレポートのことですか?
まぁ、主にテレポートの事だね。ただ、この魔法は魔力をかなり使うんだ。そもそも人体に影響を与える魔法というのは莫大な魔力を使うからね。
魔法の種類によっての魔力消費量については、初等部中学年辺りで学ぶ事で。入学前に詰め込みで学んだエイミーも、それは知っている。例えば、他の人や動物に姿を変えるだとか、ただ髪を伸ばすだけの魔法でもその魔力消費量は高く。物を一つ動かす魔法の倍以上は魔力を消費すると言っても過言ではない。高等部にもなれば、簡単な魔法であればこなす者も多少は出てくるものの、それでも魔力の消費量というのはネックだ。更に、自身を他の場所へ瞬時に送り込む魔法となれば、その魔力の消費量は半端なものではなく。純粋な魔法使い一族の生まれで魔力もそこそこ高いアダルブレヒトでさえ、移送魔法は一日に二、三回が限度である。だからこそ、それを学生の間に習得できた者も少なく、珍しいことなのだ。

tsuduri

小さい時に透明になる魔法で嫌な習い事から逃げた事がありますの。その後どっと疲れてしまったのは、その影響なのでしょうね……。
は?え、なんだって?

エイミーの言葉に、彼は目を丸くして一瞬硬直した。そして眉を顰め首を傾げながら、彼は訝しげな声で彼女に問う。

tsuduri

その透明化の魔法は、きちんと発動したのかい?
えぇ。五分で切れてしまいましたけれど。

エイミーの答えに、アダルブレヒトは何やら思い直したように顎に手を当て考え込むと、何やらぶつぶつと呟き出す。

tsuduri

確かに魔力が高く膨大だとは思っていたが、まさか幼児の内に透明化を五分間だけとはいえ完璧に習得していたとは……。これならもしかしたら。

なおも首を傾げたままのエイミーに気づいたアダルブレヒトは、腕を組んで少し口角を上げた。何か良い提案でもあるのだろうか。彼の言葉を待っていると、彼は大きく頷く。

tsuduri

移送魔法の練習をしよう。とは言っても、練習には学校からの許可が必要だから今すぐというわけにはいかないけれど。
わ、わたくし、テレポートが使えるようになりますの!?
いや、それはまだ分からないよ。全ては君次第さ。でも、必要な魔力や想像力は充分だと思うし。後は使いこなせるかどうかだね。
それでは、それでは!!飛行の補習を受けなくてもよくなるということですわね!?
エイミーはワクワクと弾んだ様子でアダルブレヒトの方へと身を乗り出した。が、一方で彼の顔は気まずげに逸らされる。そして、彼は重たい口を開くと、彼女を不幸のどん底に突き落とす言葉を言い放った。

tsuduri

移送魔法は一朝一夕で習得できるような魔法じゃないし、今度の短期休暇までに移送魔法をクリアして飛行術の補習から逃れるというのは、多分無理だろうね。補習はもう決まったことだし、受けるしかないよ。
それを聞いて、エイミーの顔がみるみるうちに青くなっていく。そして、現実を直視できないのだろうか。彼女はソファに力なくぺたんと座り込み、顔を俯かせた。そしてそのまま、またソファに倒れ込むように横になり、呆然とした様子で口を開く。

tsuduri

うぅ……。初めての短期休暇が……。
残念だけれど、今回は諦めることだね。まぁ、補習と言ったって飛行術一教科だろう?何時間も補習するわけではないから、多少遊ぶ時間はあると思うよ。あぁ、でも……。睡眠不足の問題も解消しなくては。今回飛行以外はパスできたようだけど、次回はわからないからね。
そうですわね……。
移送魔法を習得するまでは、飛行練習も続けた方がいいのだろうけれど。だからといって今のように寝不足になってしまうんじゃあ良くないし。もう少し練習時間は短く取るようにするんだよ。
はい……。
それでも眠たくなるようだったら、空き時間にここで寝てもいいから。
しょぼくれていたエイミーは、彼の最後の言葉に勢い良く体を起こして背筋をピンと伸ばした。まさか此処で仮眠を取るのが許可されるとは思っていなかったからである。

tsuduri

医務室等ではなく、ここで……?
医務室は病人や怪我人が使うところだからね。寮に一々戻るよりも時間が取れるだろうと思ったのだけれど。
“こんなソファでよければ”と、言葉を続けるアダルブレヒトに、エイミーは思わず彼の手を両手で掴んだ。突然手を掴まれた事に驚いた彼は目を見開いて彼女を見遣り、慌ててすぐに目を逸らす。そんな彼の様子を彼女はものともせず、何度も「ありがとうございます!」と礼を述べながら、掴んだ彼の手ごとブンブンと振った。はしゃぐ彼女に、少しだけ笑みが零れる。贔屓し過ぎているだろうかと若干心配にはなったが、無邪気に笑う彼女にはもう、何も言えやしなかった。


──────────



 部屋の物を触らない、私室に入らない、誰にもこの事は言わないという条件で、破壊呪文科室への出入りを許可されたエイミーは、廊下の隅でしゃがみ込んでいる柑菜を見つけると、勢い良く彼女の背中に向かってダイブした。

tsuduri

かー……んなっ!!
あぁぁぁっ!?

思いがけず大仰に驚く柑菜に、エイミーは大きく目を見開き。彼女の背中に抱きついたまま固まった。しかし、柑菜が廊下の隅に何やらワイヤーのような物を仕掛けているのを認めると、彼女はそれをまじまじと見つめる。

tsuduri

なんだ、エイミーか……。で、相談はどうだった?
思っていた以上に良い成果が得られましたわ!今回の短期休暇は補習になりそうですけれど、わたくし、移送魔法を習得することに致しましたの。移送魔法を習得すれば、飛行の実技テストはなんと、免除になりますのよ!
高飛車なお嬢様のように高笑いするエイミーに、柑菜は額に汗しつつ「そうかそうか」と軽く往なして仕掛けを弄る。最後に識別魔法をかければ、特定の人物の足にワイヤーをひっかける罠の完成だ。

tsuduri

それに、寝不足の件については破壊呪文科室での仮眠を許されましたし……。はっ!これは内緒だったんだわ!柑菜、今のは聞かなかったことにしてくださいまして?
あー、うん。大丈夫、多分すぐ忘れるから。
柑菜にとっては割とどうでもいい情報なので、恐らく今の言葉に偽りは無いだろう。彼女にとって今一番大事なのは、この罠が作動するかどうかだ。柑菜はエイミーにその場に立っているよう命じ、そこから数歩離れると。エイミーに向かって手招きをした。何が何やら分からないエイミーは、手招きされるままに柑菜の元へと駆け寄る。しかし──。バチンッ!と何かが弾けるような音と共に、足首が紐のような物によって絡めとられ、エイミーは勢い良くその場に倒れ「びゃっ!」と短い悲鳴を上げた。

tsuduri

よーし、リハーサルは成功だな。
もうっ、柑菜!!
非難の声もどこ吹く風。柑菜は一生懸命足首に絡みつくワイヤーを取ろうと藻掻くエイミーをスルーし、その場から立ち去る。

tsuduri

せめて外し方を教えてから行って下さいませんこと!?
振り返らぬまま片手をひらひらと振る柑菜の背中をじとりと睨みつけ、エイミーは懸命ワイヤーを外しにかかるのだが。どうも上手く外せないようだ。そんな彼女の元に、大きな影が一つ。それに気づいたエイミーが顔を上へ向けると、其処には。

tsuduri

また面白いことになってんなぁ、えーっと。エイミーだっけ?エイミー・ツムシュテーク。

tsuduri

ふ、フレデリック……!
フレデリック・グールド、その人が彼女を見下ろし佇んでいた。彼は腕を組んでニッと笑うと、懐から杖を取り出す。そしてエイミーの脚を掴むと、彼女の足首に絡んだワイヤーに杖先を近づけた。エイミーは、突然脚を掴まれた事に動揺し、頬を赤く染める。

tsuduri

あ、あのっ……。
”解けろ”

tsuduri

次の瞬間、絡まっていたワイヤーはしゅるしゅると緩んでいき。エイミーの足首から外れ、綺麗に束ねられた。それを見たエイミーは、瞳を輝かせてフレデリックをじっと見つめる。自分も最初から魔法で解けばよかったのではないかという思いが彼女の頭を過ぎったが、今は助けてくれたフレデリックの事しか頭にないようだ。

tsuduri

そ、その……。ありがとう存じます。二度も助けて頂いて。
困ってる後輩はほっとけないからさ。

tsuduri

……優しい方ですのね。
そんなこと無いよ。優しくないから、見返りを求めるし。

tsuduri

見返り?何かして欲しいことでもございまして?
あぁ。ソヨンって子知らない?今、Aクラスを覗いたんだけど居なくてさ。

tsuduri

あら、ソヨンでしたら破壊呪文の追試に行っている筈ですわ。全然合格出来そうにないと嘆いていましたもの。何か急ぎの御用でも?
あぁ、ちょっと借り物をしてたもんだからさ。魔法史のレポートで、今アジアの魔法史について調べてんだ。あ、後。よかったらカンナ・ミカミにも俺が用事があるって事伝えといてくれない?

tsuduri

えぇ、それくらいなら構わなくてよ。
じゃあよろしく!

tsuduri

え、えぇ。あの、助けて下さってありがとうございました。

忙しそうに駆けて行くフレデリックに、頬を緩めながら手を振る。その間もずっと胸は高鳴っており、頬の紅潮は引く気配を見せなかった。エイミーは火照る頬に手をあて、ため息をつく。爽やかな笑顔、艷やかなオリーブ色の髪と瞳。逞しい腕。助けて貰った時のそれを思い出し、エイミーは一人ぼそりと呟いた。

tsuduri

きっとこれが、運命……。ですのね。

そして静かに、これから何度も感じることになるであろう運命という言葉を噛み締める。

 そんな夢見心地の感覚を打ち破るように、先程聞いたバチン!と弾ける音がエイミーの耳に入った。思わず音のした方を振り返ると同時に、一人の女子生徒がゴンと鈍い音を立てて地に伏せる。慌てて駆け寄れば、女子生徒はばっと顔を上げてエイミーを睨みつけると、思い切り表情を歪ませ地の底から出るような低い声で唸った。

tsuduri

あんたねぇ〜……!エイミぃ〜……!?

tsuduri

イ、イライザ!?ちが、わたくしじゃ……!!だってわたくしも今引っかかったばかりで……!あ”ーーーっ!!柑菜ぁぁぁぁぁあ!!

エイミーは怒れるイライザによって、ワイヤーを使った魔法でその場に一時間ほど吊るされていたという。

tsuduri

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登場人物紹介

エイミー・ツムシュテーク(Amy Zumsteeg)

ドイツ出身の15歳。お転婆お嬢様。魔力を持たない人間貴族の子孫だが、破門された。

三上柑菜(Mikami Canna)

日本出身の15歳。実家は元武家。捻くれ者。

アダルブレヒト・カレンベルク(Adalbrecht Kallenberg)

破壊呪文科の教官。35歳。アル教官と呼ばれている。

ベルタ・ペンデルトン(Bertha Pentleton)

エイミー属するA組の担任教師。33歳。エイミーの後見人。

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ブレイン・ローガン(Blain Logan)

A組の生徒。15歳。エイミーと仲が良く、柑菜に好意を持つ。

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レイラ・ナイトリー(Layla Knightley)

アメリカ出身の15歳。温厚な音楽少女。

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