第28話 闘う理由

文字数 3,311文字

 日奈の母校、笠野中学校。

 男女のバドミントン部員たちは、萱場と日奈のウォーミングアップを見ただけでため息を漏らしていた。

「軽く打ってるように見えるのに全部コートの一番奥にきっちり行ってるよ」
「見た? 今のハイバック。何であんなの打てんの?」

 クリアーからスマッシュに移る。
 最初は萱場が打ち込む番だった。
 萱場は男子選手としては決してスマッシュのスピードが速い方ではないがそれでも初速300キロ後半は出ている。しかも身長も高くリーチもある彼のジャンピングスマッシュは、ほぼ垂直に叩き込まれるのではないかという代物だ。バドミントン部員だけでなく、体育館の隣のエリアにいるバスケ部やバレー部も手を止めて見入っている。

 そして、その容赦ないスマッシュを日奈が執拗にレシーブする光景が更に中学生たちを唸らせる。

 これがオリンピック選手なんだ、と。

 最後に萱場と日奈は互いのラケットに白い一本のテープが張られたような錯覚に陥る高速で軌道が一切沈み込まないドライブを打ち合い、ウォーミングアップを終えた。

「じゃあ、恵陽くん、大成くん、始めようか」
「お願いしまっす!」

 萱場・日奈ペア vs 恵陽・大成ペア。

 恵陽・大成は、笠野中学男子バドミントン部の最強ペアだ。恵陽は先の夏に引退した三年生とペアを組んでダブルス個人戦で県3位。惜しくも全中(全国中学校体育大会)出場を逃している。三年生が引退した後の秋季大会は市単位のものだったため全県でのレベルを測ることはまだできないが、恵陽・大成ペアは軽く市ナンバーワンとなった。
 恵陽はこう思っていた。

『日奈ねえちゃんがオリンピックに出れるのは萱場さんが強いからだ』

「大成、日奈ねえちゃん狙ってけ!」

 ほう、と萱場は恵陽の掛け声に感心した。プレッシャーのかけ方を知ってるな、と。ただ、そんな程度で日奈が動じるかな、とも思った。

「ラブオール・プレイ!」

 主審を務める女子部キャプテンの声を合図に練習試合が始まった。

 恵陽が持てる技術を使っての細心のサービスをする。

「あっ!」

 一瞬の出来事だった。

 日奈がネット際に飛び込んで、プッシュと呼ぶことすらはばかられるような鋭さで恵陽の足元にシャトルを叩き込んだ。そして掛け声をかける。

「よっしラッキー、ナイスサーブ!」

 叩き込まれた自分のサービスを「ナイスサーブ」と揶揄され、恵陽はかあっ、と顔が火照った。一瞬にしてプレッシャーの虜となる。

 セカンドサーバーの大成も否応なくプレッシャーに縛り付けられる。
 萱場に対して放ったサービスはネットにかかったミスショットとなった。
 すでにショートサービスだと見切ってネット前に飛び込んで来ていた萱場も、

「ショウっ!」

 とすさまじい気合の声を上げる。

 コート上の恵陽・大成ペアだけでなく観戦しているバド部とその他の体育館にいる運動部全員が圧倒される。
 テレビ中継を見る限りはこの萱場・日奈ペアは他の選手たちよりも冷静でおとなしい印象を受けていたが、『戦場』であるコートの上で実際に体感すると、ここまで激しいのだということを見せつけられる思いだった。

「さあ一本!」

 日奈が自ら気合いの掛け声をかけてサーブを打つ。
 ゆっくりとしたモーションから放たれたバックハンドからのショートサービスはネットすれすれの軌道を描き、サービスライン上をめがけて移動して来た。
 なすすべもなく大きく後方にクリアーするしかない恵陽。

「うー・えッ!」

 後衛に回っている萱場がジャンプしてスマッシュを放つ。目に見えないスピードのスウィングと同時にシャトルが自陣に届いたのではないかというぐらいの刹那で恵陽と大成のちょうど真ん中に叩き込まれていた。

 そしてまた萱場は雄叫びを上げる。

 萱場・日奈ペアは相手が中学生だからといって一切手を抜かない。公式戦と同じように最高打点でのジャンピングスマッシュを放ち、超高難度のフェイントをかけたヘアピンを打つ。
 そして甘い球が上がれば容赦なくほぼ垂直に叩き込み、気合いの声を上げる。
 体育館全体が異様な雰囲気に包まれていた。
 テクニックもパワーも気合いも国内最高レベルのミックスペアのプレーを目の前にしながら、拍手することすらできない。それほどまでに圧倒的で一方的だった。

 日奈のファーストサーバーのままセットポイントを迎える。1セットだけの約束だったのでこれが実際にはマッチポイントとなる。

「オー、ゼ!」「オ!」「ゼ!」「オ!」「ゼ!」「オー!」

 息を合わせた日奈と萱場の掛け声。

 日奈がまたもや厳しいショートサービス打つと恵陽は窮屈な態勢で後方に上げる。
 甘いレシーブと見るや日奈は自ら瞬間移動のような鮮やかなフットワークでシャトルに追いつき、

「ゼっ!」

 と『失速スマッシュ』を恵陽の顔面めがけて打ち込んだ。

「わっ!」

 思わず逃げるようにシャトルを見送る恵陽。アウトではないかという一縷の望みをもって後方を振り返る。

 日奈の放った唸るようなスマッシュはコート最深部で見事な減速を見せ、ライン上に落ちた。

「マッチ・ウォン・バイ、佐倉・萱場」

 試合後、放心状態の恵陽に代わって、

「何かわたしたちにアドバイスをお願いします」

 と萱場と日奈は女子部のキャプテンから求められた。
 萱場と日奈を中心にして男女バド部員たちが車座になる。
 萱場が語り始めた。

「僕はこの佐倉日奈という選手と出会って自分自身がようやく大人になれたと思っています」
「え、なにそれ」

 日奈が茶化すと、黙って聞け、と萱場がつっこむ。笑い声が起こり、場が和んだ。

「彼女は努力の人です。まあ負けず嫌いの塊ですね」

 そう言って日奈と会ってからオリンピック出場が決まるまでのあらましを話した。そして最後にこう付け加えた。

「僕が彼女をすごいと思ったのはおばあちゃんの介護のために『オリンピックに出ない』と言い切ったことです。まだ10代前半の皆さんには理解しづらいかもしれませんが、この潔さが彼女のプレースタイルにすべて出ている。そして、皆さんのキャプテンである恵陽くんも」

 部員たちが一斉に恵陽を見る。萱場が続けた。

「恵陽くんは彼女をオリンピックに出場させるために自分が代わりにおばあちゃんを介護すると言いました。そのためにバドミントンを辞めると」

 えっ! と周囲が声を上げる。なんでなんで、という声も入り混じってざわめきが起こる。
 萱場はそのまま話す。

「僕は一応社会人です。タンクローリーで石油製品を輸送する仕事をしています。そしてバドミントンにも賭けています。こんな自分を大人だと思ってましたけれども、日奈さんと恵陽くん。ふたりの方が僕なんかよりもはるかに大人です」

 一瞬、しん、とする。

「キャプテン、辞めないでください!」

 一年生の男子が声を上げた。

「おばあちゃんの介護ってどんなことすればいいんですか? 俺らにもお手伝いさせてください」
「そうだぞ恵陽。日奈先輩のために辞めるなんてかっこよすぎだろ? 俺らにもカッコつけさせろよ」

 パートナーである大成も恵陽の背中をぽんぽんと叩きながら慰留する。

 女子部キャプテンも紅潮した顔で申し出る。

「恵陽くん、女子も手伝うよ。みんなでローテすれば練習への影響も最小限にできるでしょ。日奈先輩、わたしたちにもお手伝いさせてください。安心してオリンピックに行ってください!」
「わ、ありがと! わたしは遠慮しない女だからありがたくみんなの気持ちに甘えるよ。よかったね恵陽・・・って何涙ぐんでんの。感動しちゃった?」
「うるせー。さっきの試合があまりにも情けなかったから悔しいんだよ!」
「おー、そうかそうか。ならわたしはその恵陽の悔し涙に応えるためにも宣言するよ。金メダル、獲るぞー!」

 おおー! と体育館がどよめく。

「日奈先輩、言っちゃいましたね!」
「言っちゃった言っちゃった。絶対勝つ! みんなも頑張ってね!」

 と、体育館全部の運動部員たちに向かって日奈が叫んだ。はい!とかよっしゃー! とか、大騒ぎでみんなはしゃぐ。

 アスリートとしても人間としても急激に成長している中学生たちを見て萱場自身胸を高鳴らせていた。
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