第19話 ちょこん、と乗っかる日奈

文字数 3,498文字

 午前の部のハイライトは騎馬戦だった。
 本来、騎手は軽い女子選手がいいと思うのだが、見ると男ばかりだった。
 特に、青団の柔道部は軽量級の選手を騎手に騎馬は重量級の選手で固め、‘重戦車’として、毎年恐れられていた。つまり、パワーに物を言わせた肉弾戦になるので、女子選手を入れる訳にはいなかいという各部の‘男のプライド’のようなものが一応はあったのだろう。
 しかし、バドミントン部には恥も外聞もなかった。
 バドミントン男子部員の騎馬の上に、ちょこん、と日奈が乗っかっていた。

 4団全てが入り混じっての生き残り戦だ。5分間、激突・謀略・漁夫の利など、あらゆる手を尽くして他団を潰す。
「野球部は許さん」
 なぜかそう闘志を燃やすのは文化部の一部と帰宅部の大半だ。‘ザ・体育会系’である野球部がとことん気に食わない生徒もいるのだろう。野球部は毎年集中砲火を浴びる。うっかりすると自団の中にすら敵がいる。
 しかし、今年は違う。今年はたった1人の女子がいるバドミントン部が最も目立っている。
「佐倉を女と思うな!」
 これが各団の事前徹底確認事項だった。手加減するどころか、やられる前にやらないと自分たちが危ない。日奈の運動神経だけでなく、小柄な体からは想像できない体力・パワーと、何よりもその‘ど根性’が恐ろしかった。
 
 太鼓がどんどんと打ち鳴らされ、各団戦闘態勢に入る。
「突撃!」
‘どおおー!’という異様な怒号と地響きで砂埃が巻き起こる。
 日奈はバド男子部長から頼み込まれて騎手を引き受けたのだが、次の条件を付けていた。
①騎馬は自分の指示通りに動くこと
②もし騎馬を崩したら3か月間、体育館のコートは女子部専用にすること。
男子部員は②は絶対に避けたい。決死の覚悟で臨んでいた。

「バド部だ!」
 サッカー部が寄って来た。日奈は騎馬に指示を出す。
「2歩右に寄って」
 サッカー部が何か喚きながら2mまで接近した。
「温室野郎どもが!」
 屋内の運動部を揶揄するつもりなのだろうか。なんだかよく分からないヤジを飛ばしながら、サッカー部の騎手が日奈の頭に縛ったハチマキめがけて右手をストレートのように打ち込んでくる。日奈は自分の騎馬の上に身を乗り出し、相手のストレートにかぶせ、左手をジャブのようにすっ、と放つ。
「おわっ!」
 サッカー部の騎手が声を上げた時には彼のハチマキは日奈の左手に握られ、しかも日奈の拳は既に胸元に戻っていた。
 自分より後に放たれた日奈の、しかもリーチも短い左手が、あっという間にハチマキを奪っていったことの理由が理解できず、彼は呆然としていた。
「やるな」
 この様子を見ていた萱場には不思議でも何でもなかった。日奈のスピードとパワーを生み出しているのは実は筋力ではなくその‘柔軟性’と体の‘バランス’なのだ。完璧に鍛えられた体幹が四肢の動きを安定させるだけでなく、しっかりとした遠心力を生み出しスピードを倍増させる。バランスが取れているから少しの力でも正しく外に伝わる。
 更に、先ほどのジャブは、律儀なまでに練習前後に自ら義務付けた入念なストレッチのお蔭だ。肩甲骨回りの柔軟性が生み出した代物だ。サッカー部の騎手もトレーニングはしているのだろうが、ストレッチまで徹底してやっているかは分からない。彼のストレートの動きはぎこちなかったが、日奈のジャブは、空気抵抗少なく最大効率で相手に届く‘居合切り’のようなものだったのだ。

「ごちそうさま」
 勝負はついているのに、日奈にそう言われたサッカー部は悔しさのあまり、審判の眼を掠めて体当たりしようとした。
「誰が温室野郎だ!」
 背後から日奈たちと同じ白団のバレーボール部がサッカー部を潰した。
 ありがとう、とバレー部に声を掛けた日奈は次の獲物を自ら探す。
 日奈の体重が軽いので騎馬も機動力を発揮する。前後左右に動きまくり、瞬発力と萱場譲りの狡猾さで日奈は既に5組の騎馬を葬り去っていた。
「佐倉じゃなく、騎馬を潰せ!」
 バド部男子を蹴ったりして狙ってくるが、練習コートがかかっている。死んでも倒れんぞ、と男子も意地を見せて踏ん張る。日奈はアクロバティックに体を反らせ、くねらせてハチマキを奪い、寄って来た騎馬をたちまち返り討ちにする。
 大乱戦の中、気が付くと、残っている騎馬は柔道部とバド部だけになっていた。
「おい、こんなの初めてだぞ。どうなるんだ?」
「決着が着けば勝った方の団が点数総取りだろ?」
 応援団もざわつく。‘日奈せんぱーい!’と1年生女子の黄色い声も入る。
 残り時間1分弱。一騎打ちには十分な時間だ。日奈は柔道部の騎馬をじっくり観察する。
『さすがにどっしりしてる・・・』
 柔道は相手のバランスを崩して技をかける競技だ。柔道部の騎馬は重量感だけでなく、体の軸が全くぶれておらず、押してこられたらバド部の騎馬は耐えきれないだろう。そして、騎手はこれまたバランス感覚が発達していそうな体つきの選手だ。
『ま、いいか。やってみよう』
 日奈はあっけらかんと心を決めると、相手と向き合った。
 先に動いたのは柔道部だ。勢いをつけて走って来る。重量級なのに物凄く機敏な動きだ。正面ではなく、日奈たちの騎馬の側面に回り込む。横から崩すつもりだ。バド部の騎馬がうろたえる。
「動かないで!」
 日奈はそう騎馬に指示を出すと、大きく自分の体を完全に横に倒して迫って来る柔道部の騎馬の前に突き出した。何する気だ?と観客全員見入る中、
‘ぴしゅっ!’
と、日奈の腕が鞭のように振られ、柔道部騎馬の先頭の目の辺りを彼女の中指がぎりぎりかすめる。これは威嚇というよりも攻撃だ。
「うっ!」
と堪らず柔道部の騎馬は後退する。当然ながら騎馬は自分では手が出せない。足で後退するしかない。
柔道部が近寄る毎に日奈は間合いを見切りまるでラケットを振るような腕の振りで腕が最長到達点となる中指の爪の先が、鋭利な刃物のような効果を表すぎりぎりの距離・スピードで相手の目の数ミリ先を狙う。
「反則じゃないの?」
「いや、でも当ててないしな」
「ネコ科の猛獣だな」
 観客はヤジを飛ばす。
「柔道部、ビビってるぞ!」
 どっと笑いが起こり、柔道部も肚を決める。騎手が直接決着をつけるしかない。
 バド部騎馬の正面にゆっくり近づく。日奈は態勢を戻し、応戦の準備をする。柔道部の騎手も試合の時の構えのように‘行くぞ、行くぞ!’という闘志を込めている。
 堰を切ったように柔道部の騎手が、柔道の試合の組手争いのような激しいスピードと力強さで日奈のハチマキを狙う。
 日奈もさすがに手を組んでしまうと男子の腕力は侮れないと感じ、組まずによけ、払いのける。
 柔道部は日奈の手を掴んで逃げられないようにしてしまいたいのだが、
「やらしー!」
という1年女子からのヤジに躊躇してしまう。
「気にしないで」
 日奈がそう言って相手に笑いかける。柔道部の騎手は日奈と同じ2年生だ。はっ、と一瞬顔を赤らめる。よし、それなら、と、本気でやろうよという誘いかけに応えるべく日奈の手を握り掴もうとして手数を増す。・・・けれども・・・
 全く日奈を捕えることができない。段々と彼も疲れ始める。
 騎手たちの下では騎馬たちが、これも渾身の力で押し合っていた。だが、どう考えてもバド部の方が分が悪い。押され気味になり、後ろの騎馬が一瞬、バランスを崩す。日奈もそれに合わせてがくっ、と体が沈みこむ。絶好の機会と柔道部の騎手は渾身の右手を突き出す。
‘かわせない’
 そう思った日奈はやむなく左手で相手の右手を組んで受け止める。その間に騎馬は死ぬ気で態勢だけはなんとか立て直していた。
 右対左で手を組んだまま、相手は左腕を日奈のハチマキに伸ばしてくる。いくら日奈のバランス感覚がよくても、単純な腕力では男子柔道部員にはさすがに敵わない。しかも、利き手でない左手で受けている。
 このままねじ伏せられてしまうのかと全員が思った瞬間、日奈の左の肩甲骨が、猫のように関節の可動範囲を超える程ぐっと後ろに引かれ、それに連動して日奈の左腕が折りたたまれる。
 辛うじて均衡していた力を日奈の‘押せば引け’のお手本のような、しかも、移動範囲が予想をはるかに超える引き込みで彼は持って行かれる。
「あ!」
 彼の体はそれこそ柔道の技でもかけられたようにきれいに日奈の左手に引かれて倒される。相手の倒れ際、しゅっと右手を伸ばして日奈はハチマキを取った。
「勝負あった!白団!」
 審判の鋭い声を聞いて、応援団がわあっと歓喜の声を上げる。日奈は右手を高く上げて手にしたハチマキをくるくる回しながら自陣にゆっくりと戻った。
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