第32話 タイスケさんがトラウマなんて・・・
文字数 2,343文字
ケープタウン二日目。
朝は萱場の部屋で持ち込んでいたパックご飯とインスタントの味噌汁、フルーツジュースで済ませた後、予約を入れてあるハイスクールの体育館に車で向かった。
「ヒナ、久しぶり」
「レイナさーん、会いたかったですよー」
コート上では凌ぎを削る高瀬レイナと日奈だが、プライベートではファーストネームで呼び合うほど仲がいい。
「萱場さん、昨日ケープ入りしたばかりでお疲れのところすいません」
「いいよ、小林くん。君たちのペアが先にマイク・リー組に当たるんだから緊張もするだろう」
「ええ。それに今日の彼の男子シングルス決勝戦を観る前に自分たちも戦意を上げておきたいですからね」
「ああ・・・」
南アフリカ共和国にはジュニアの選手もそれなりにいるようで、オリンピック代表ペア同士の練習を高校生たちが体育館に見学しに来ていた。
同じ日本の高校生として張り切る日奈。
そんな日奈を観て高校生の女の子たちがさわさわと囁きあっている。
ひとしきり練習が終わった後、日奈は高瀬レイナに訊いた。
「レイナさん。あの子たち、わたしのプレーがシャープとか言って褒めてくれてたんですよね?」
「ヒナ。残念だけどそうじゃないわ」
「え」
「カヤバが娘をオリンピック観光に連れて来たんだ、って言ってたわよ」
「ひどーい」
「小学生ぐらいかしら、って」
「あ、レイナさん、そこは言わなくても」
小林のフォローもフォローになっていなかった。日奈はメラメラと闘志をあらわにする。
「レイナさん、わたしのスマッシュ、受けてください!」
突然のリクエストに高瀬レイナも付き合ってくれた。
日奈は見せつけるように、『失速スマッシュ』を連打する。
「どうだっ!」
ほんとに声に出してヴォルテージ最高潮の日奈に高瀬が静かに言う。
「『ドライブかな?』だって」
悔しがる日奈を脇に置いて高瀬は萱場に歩み寄る。
「カヤバ、体のキレが悪いわね。時差ボケ?」
「いや・・・大丈夫だ」
「ワタシたちは絶対マイク・リーに勝つわ。ワタシたちが金、カヤバとヒナは銀よ」
そう言って高瀬流に萱場に気合を入れた。高瀬の言う通り、勝ち上がれば萱場・佐倉組と高瀬・小林組が決勝で戦うことになる。
・・・・・・・・・・・
メインアリーナで行われたバドミントン男子シングルス決勝。世界ランキング1位・中国のマイク・リーと、世界ランキング2位・シンガポールのアニク・ウェイの対決。
大方の予想はマイク・リーの二連覇だろうと出てはいたが、ここまで圧倒的だとは誰も予想していなかった。
「シュッ!」
マイク・リーが放ったフォアハンドへのカットをダイビングして返すアニク・ウェイ。そのストロークは相手コートのバックハンド最深部にクリアされた。ピンチを凌ぐ最高の返球だ。
ウェイは体制を立て直してそのままレシーブの準備をする。
マイク・リーが素早くシャトルの下に回り込む。ただし、バックハンドのままだ。ハイバックのスゥイングに入った。一旦クリアーかカットだろうと会場の空気がやや緩んだ瞬間、
「ゾウッ!」
とリーが凄まじい気合いの声を発して背中越しにラケットをフルスゥイングした。まさか、と会場は固唾を呑んだ。
ハイバック・スマッシュ。
角度も、スピードも、オーバーハンドのスマッシュと遜色ない、いや、世界ランキング一桁の選手のオーバーハンドよりも破壊力があるのではないかという轟音を立ててウェイのコートを襲う。
コート左隅のライン上に叩きつけられ、そのままの勢いでアリーナ席の壁まで滑っていった。
世界2位のアニク・ウェイがこのショットにピクリとも反応できないままゲームセットとなった。
21 ‐ 10、21 ‐ 7、でマイク・リーの圧勝。あっさりと二連覇を決めた。
会場にマイク・リーの勝利者インタビューが流れた。
「二連覇おめでとうございます。ただ、世界選手権でもウェイ選手とは対戦していますが、ここまでの大差ではなかったですよね」
「私はオリンピック当日に照準を合わせて練習と自己管理をしている。世界選手権は4年間の内の一日の『プロセス』でしかない。私としてはもっと失点を抑えるべきだったと今日の試合を反省している」
「いや・・・すごいですねえ・・・」
世界最高のプレーを見せつけられて、日奈は感動と共に闘志を燃え上がらせていた。
「タイスケさん、最っ高でしたね! 絶対勝ち上がって、マイク・リー組とやりましょうね!」
「ああ・・・」
「タイスケさん?」
日奈が隣の席を見ると、萱場が俯いてこめかみのあたりを揉みほぐしていた。よく見ると、顔が真っ青で汗が浮き出ている。
「大丈夫ですか⁈ 体調悪いとか?」
「いや・・・すまん。日奈、何か飲み物をくれないか」
「は、はい」
日奈はクーラーボックスからオレンジジュースを取り出し、キャップを開けて萱場に渡す。
まるで潜水で呼吸できなかった時のような勢いで液体を吸い込んでいく。
「マイク・リー・・・やっぱり、強いな・・・強すぎるな」
「当然ですよ。不動のランキング1位なんですから。でも、やってやろう、っていう気にさせられますよね!」
「日奈、俺がシングルス時代に中国に遠征したことがあるって言っただろう」
「はい、海外行ったことある、って」
「対戦したんだ。マイク・リーと。練習試合で」
「え! すごいじゃないですか!」
「ラブゲームだった」
「え」
「一点も取れずに負けたんだよ・・・!」
試合での駆け引きのために汗をかくことすら我慢できる萱場。
その偉大なパートナーが、中国の英雄の前に大量の汗をかかされている。
オリンピックの決勝を戦い終わったマイク・リーは汗一滴かかず、呼吸もまったく乱れていないのに。
日奈がこんな萱場の姿を見るのは初めてだった。
「タイスケさん・・・」
朝は萱場の部屋で持ち込んでいたパックご飯とインスタントの味噌汁、フルーツジュースで済ませた後、予約を入れてあるハイスクールの体育館に車で向かった。
「ヒナ、久しぶり」
「レイナさーん、会いたかったですよー」
コート上では凌ぎを削る高瀬レイナと日奈だが、プライベートではファーストネームで呼び合うほど仲がいい。
「萱場さん、昨日ケープ入りしたばかりでお疲れのところすいません」
「いいよ、小林くん。君たちのペアが先にマイク・リー組に当たるんだから緊張もするだろう」
「ええ。それに今日の彼の男子シングルス決勝戦を観る前に自分たちも戦意を上げておきたいですからね」
「ああ・・・」
南アフリカ共和国にはジュニアの選手もそれなりにいるようで、オリンピック代表ペア同士の練習を高校生たちが体育館に見学しに来ていた。
同じ日本の高校生として張り切る日奈。
そんな日奈を観て高校生の女の子たちがさわさわと囁きあっている。
ひとしきり練習が終わった後、日奈は高瀬レイナに訊いた。
「レイナさん。あの子たち、わたしのプレーがシャープとか言って褒めてくれてたんですよね?」
「ヒナ。残念だけどそうじゃないわ」
「え」
「カヤバが娘をオリンピック観光に連れて来たんだ、って言ってたわよ」
「ひどーい」
「小学生ぐらいかしら、って」
「あ、レイナさん、そこは言わなくても」
小林のフォローもフォローになっていなかった。日奈はメラメラと闘志をあらわにする。
「レイナさん、わたしのスマッシュ、受けてください!」
突然のリクエストに高瀬レイナも付き合ってくれた。
日奈は見せつけるように、『失速スマッシュ』を連打する。
「どうだっ!」
ほんとに声に出してヴォルテージ最高潮の日奈に高瀬が静かに言う。
「『ドライブかな?』だって」
悔しがる日奈を脇に置いて高瀬は萱場に歩み寄る。
「カヤバ、体のキレが悪いわね。時差ボケ?」
「いや・・・大丈夫だ」
「ワタシたちは絶対マイク・リーに勝つわ。ワタシたちが金、カヤバとヒナは銀よ」
そう言って高瀬流に萱場に気合を入れた。高瀬の言う通り、勝ち上がれば萱場・佐倉組と高瀬・小林組が決勝で戦うことになる。
・・・・・・・・・・・
メインアリーナで行われたバドミントン男子シングルス決勝。世界ランキング1位・中国のマイク・リーと、世界ランキング2位・シンガポールのアニク・ウェイの対決。
大方の予想はマイク・リーの二連覇だろうと出てはいたが、ここまで圧倒的だとは誰も予想していなかった。
「シュッ!」
マイク・リーが放ったフォアハンドへのカットをダイビングして返すアニク・ウェイ。そのストロークは相手コートのバックハンド最深部にクリアされた。ピンチを凌ぐ最高の返球だ。
ウェイは体制を立て直してそのままレシーブの準備をする。
マイク・リーが素早くシャトルの下に回り込む。ただし、バックハンドのままだ。ハイバックのスゥイングに入った。一旦クリアーかカットだろうと会場の空気がやや緩んだ瞬間、
「ゾウッ!」
とリーが凄まじい気合いの声を発して背中越しにラケットをフルスゥイングした。まさか、と会場は固唾を呑んだ。
ハイバック・スマッシュ。
角度も、スピードも、オーバーハンドのスマッシュと遜色ない、いや、世界ランキング一桁の選手のオーバーハンドよりも破壊力があるのではないかという轟音を立ててウェイのコートを襲う。
コート左隅のライン上に叩きつけられ、そのままの勢いでアリーナ席の壁まで滑っていった。
世界2位のアニク・ウェイがこのショットにピクリとも反応できないままゲームセットとなった。
21 ‐ 10、21 ‐ 7、でマイク・リーの圧勝。あっさりと二連覇を決めた。
会場にマイク・リーの勝利者インタビューが流れた。
「二連覇おめでとうございます。ただ、世界選手権でもウェイ選手とは対戦していますが、ここまでの大差ではなかったですよね」
「私はオリンピック当日に照準を合わせて練習と自己管理をしている。世界選手権は4年間の内の一日の『プロセス』でしかない。私としてはもっと失点を抑えるべきだったと今日の試合を反省している」
「いや・・・すごいですねえ・・・」
世界最高のプレーを見せつけられて、日奈は感動と共に闘志を燃え上がらせていた。
「タイスケさん、最っ高でしたね! 絶対勝ち上がって、マイク・リー組とやりましょうね!」
「ああ・・・」
「タイスケさん?」
日奈が隣の席を見ると、萱場が俯いてこめかみのあたりを揉みほぐしていた。よく見ると、顔が真っ青で汗が浮き出ている。
「大丈夫ですか⁈ 体調悪いとか?」
「いや・・・すまん。日奈、何か飲み物をくれないか」
「は、はい」
日奈はクーラーボックスからオレンジジュースを取り出し、キャップを開けて萱場に渡す。
まるで潜水で呼吸できなかった時のような勢いで液体を吸い込んでいく。
「マイク・リー・・・やっぱり、強いな・・・強すぎるな」
「当然ですよ。不動のランキング1位なんですから。でも、やってやろう、っていう気にさせられますよね!」
「日奈、俺がシングルス時代に中国に遠征したことがあるって言っただろう」
「はい、海外行ったことある、って」
「対戦したんだ。マイク・リーと。練習試合で」
「え! すごいじゃないですか!」
「ラブゲームだった」
「え」
「一点も取れずに負けたんだよ・・・!」
試合での駆け引きのために汗をかくことすら我慢できる萱場。
その偉大なパートナーが、中国の英雄の前に大量の汗をかかされている。
オリンピックの決勝を戦い終わったマイク・リーは汗一滴かかず、呼吸もまったく乱れていないのに。
日奈がこんな萱場の姿を見るのは初めてだった。
「タイスケさん・・・」