第42話 激突! 知性 vs 感性
文字数 2,248文字
決勝の朝、そしてオリンピック最終日の朝、ケープタウンの街じゅうが音楽に彩られたような雰囲気に包まれていた。
敢えてBGMを指定するならば、かつてアパルトヘイトが終焉を迎え、ネルソンマンデラが大統領に就任して間もない1996年、このケープタウンでコンサートを行ったティナ・ターナーに敬意を払い、彼女の最大のヒット曲である『What`s love got to do』を多くの住人が選ぶだろう。
前日は『家族』4人でゆったりとした時間を過ごした萱場と日奈はその美しい街の空気とともにメインアリーナに早々と入った。
「タイスケさん」
「うん」
「ほんとに今までありがとうございました」
「どうした、急に」
「だって、聖悟で補欠だったわたしをオリンピックの決勝まで連れてきてくれて・・・タイスケさんには感謝しかないですよ」
「・・・いや、それは俺のセリフだな」
「え」
「選手としての現役最後に花を開かせてもらえたのは日奈のおかげだ」
「やっぱり・・・オリンピックが最後なんですね・・・」
「ああ。これが本当に俺の最後の試合だ。妙子にもまだ言ってない。日奈だけに伝えておくよ」
「分かってはいました」
「うん。だから、俺は今日、死ぬ覚悟で闘う」
「・・・わたしも、そうします」
「いや、日奈にはまだまだこの先も日本のバドミントンを引っ張ってもらわなきゃならない。少しでも日奈に故障の危険があると感じたら俺はそこで試合を止める。死ぬまで闘うのは俺だけでいい」
これがふたりの会話である。
決して大げさなわけでも中二病なわけでもない。
35歳の男と17歳の少女が、マイク・リーとマーメイ・チェンという異次元の強さを持つペアと闘うためにはスポーツを超えた覚悟が必要だった。
2人の会話の最中に、リー・チェン組がコートの前を通りかかった。
「挨拶しておくか」
萱場は日奈に促し、リー・チェン組に歩み寄る。
先に口を開いたのは、マイク・リーの方だった。
「カヤバか」
「今日は全力でプレーします。いい試合にしましょう」
「キミとの練習試合のことは覚えている」
意外だった。萱場が静止している数秒の間にマイク・リーはまた話し始める。
「その時私はまだミドルティーンだったな。ラブゲームで私のストレート勝ちだ」
「どうしてそんな試合を・・・」
「不思議か? 私は自分がやった試合は全て記憶している。国際試合・国内戦・練習試合、すべてだ」
「まさか・・・」
「カヤバ。私はバドミントンは最も頭脳を使う競技だと自負している。瞬発力・持久力・精神力。すべてが要求されるぎりぎりの攻防の中、紙一重での勝敗を決するのは、つまり頭脳だ」
萱場は発する言葉が無かった。表現こそ違え、『船の上で五体が常に揺れてる中で思考し・判断し・体を動かさなくてはならない』と諭してくれたタンカー乗りの父、泰司の言葉に通ずるものを感じたからだ。
「カヤバ。だから私はキミとのラブゲームも決して楽に勝ったつもりはない。私のIQ 180の頭脳を駆使してキミを叩きのめした」
「 180!」
余程集中力が上がっていたのだろう。日奈がネイティブ並みに流暢なマイク・リーの英語を聞き取り、素っ頓狂な声を上げた。
「私はこの頭脳でもって終始敵との戦いをシミュレートし、ベストな戦略を瞬時に判断できる。そして、その判断に反応できるよう肉体も鍛え上げている。カヤバ。決してキミを侮るわけではないが、もう私には自分たちの勝利が見えている」
「マイク。それも頭脳明晰な君の駆け引きか。試合前に俺たちにプレッシャーをかけるための」
「・・・カヤバ。私はキミがクレバーな選手だと評価している。おそらく頭も相当いい。サクラの方はそうでもないようだがね」
「日奈はとても賢い女だぞ」
「ふふ。因みに私のパートナーのマーメイはIQ 190だ。サクラはいくつかな?」
「え? え? 今なんて言ったの?」
今度はマイク・リーの語調が速すぎたらしい。きょとんとしてマイクに英語で訊き返す日奈に、代わりに萱場がやはり英語で答えた。
「サクラはクレバーな選手だってさ」
ははは、と萱場の答えに笑いながら、リー・チェン組は自分たちの練習コートへと歩いて行った。
「タイスケさん、マイク・リーがIQ 180って、ふざけてますよね」
「ふざけてる?」
「だって、バドミントンが強い上に頭までいいなんて・・・世の中不公平ですよね」
「・・・なんだ、ちゃんと聞き取れてるわけじゃなかったんだな」
「え? 何かわたし間違ってました?」
「まあいい。とにかくあの2人が完璧なアスリートだってことは嫌というほど分かった」
「タイスケさん、作戦は?」
「作戦か。作戦は、ない」
「ええ? 昨日組み立ててるとか言ってたじゃないですか?」
「パスタ作るのに没頭して忘れてた」
「肝心な時にダメですねえ」
「作戦はないが、闘うための指針はあるぞ」
「指針?」
「ああ、そうだ」
「何ですか? 教えてくださいっ!」
「全人格をもって闘う、だ」
「・・・なんですか、それ?」
「なんだ。この間日奈が言ってくれたことじゃないか。俺の人生はアドバンテージ持ってる、って。親父やお袋が『人生そのものが努力だった』ってな」
「まあ、確かにそう言いましたけど・・・」
「日奈の全人格で闘うんだよ」
「うーん。『根性だ!』って言われてるのと変わんないなあ」
「ふ。根性なら根性でいい。ど根性だ!」
そう言って萱場は日奈の頭をぽんぽんと撫でた。
「うわ! 試合前からセクハラですよ!」
ケラケラと笑い合いながら2人はシャトルを打ち始めた。
敢えてBGMを指定するならば、かつてアパルトヘイトが終焉を迎え、ネルソンマンデラが大統領に就任して間もない1996年、このケープタウンでコンサートを行ったティナ・ターナーに敬意を払い、彼女の最大のヒット曲である『What`s love got to do』を多くの住人が選ぶだろう。
前日は『家族』4人でゆったりとした時間を過ごした萱場と日奈はその美しい街の空気とともにメインアリーナに早々と入った。
「タイスケさん」
「うん」
「ほんとに今までありがとうございました」
「どうした、急に」
「だって、聖悟で補欠だったわたしをオリンピックの決勝まで連れてきてくれて・・・タイスケさんには感謝しかないですよ」
「・・・いや、それは俺のセリフだな」
「え」
「選手としての現役最後に花を開かせてもらえたのは日奈のおかげだ」
「やっぱり・・・オリンピックが最後なんですね・・・」
「ああ。これが本当に俺の最後の試合だ。妙子にもまだ言ってない。日奈だけに伝えておくよ」
「分かってはいました」
「うん。だから、俺は今日、死ぬ覚悟で闘う」
「・・・わたしも、そうします」
「いや、日奈にはまだまだこの先も日本のバドミントンを引っ張ってもらわなきゃならない。少しでも日奈に故障の危険があると感じたら俺はそこで試合を止める。死ぬまで闘うのは俺だけでいい」
これがふたりの会話である。
決して大げさなわけでも中二病なわけでもない。
35歳の男と17歳の少女が、マイク・リーとマーメイ・チェンという異次元の強さを持つペアと闘うためにはスポーツを超えた覚悟が必要だった。
2人の会話の最中に、リー・チェン組がコートの前を通りかかった。
「挨拶しておくか」
萱場は日奈に促し、リー・チェン組に歩み寄る。
先に口を開いたのは、マイク・リーの方だった。
「カヤバか」
「今日は全力でプレーします。いい試合にしましょう」
「キミとの練習試合のことは覚えている」
意外だった。萱場が静止している数秒の間にマイク・リーはまた話し始める。
「その時私はまだミドルティーンだったな。ラブゲームで私のストレート勝ちだ」
「どうしてそんな試合を・・・」
「不思議か? 私は自分がやった試合は全て記憶している。国際試合・国内戦・練習試合、すべてだ」
「まさか・・・」
「カヤバ。私はバドミントンは最も頭脳を使う競技だと自負している。瞬発力・持久力・精神力。すべてが要求されるぎりぎりの攻防の中、紙一重での勝敗を決するのは、つまり頭脳だ」
萱場は発する言葉が無かった。表現こそ違え、『船の上で五体が常に揺れてる中で思考し・判断し・体を動かさなくてはならない』と諭してくれたタンカー乗りの父、泰司の言葉に通ずるものを感じたからだ。
「カヤバ。だから私はキミとのラブゲームも決して楽に勝ったつもりはない。私のIQ 180の頭脳を駆使してキミを叩きのめした」
「 180!」
余程集中力が上がっていたのだろう。日奈がネイティブ並みに流暢なマイク・リーの英語を聞き取り、素っ頓狂な声を上げた。
「私はこの頭脳でもって終始敵との戦いをシミュレートし、ベストな戦略を瞬時に判断できる。そして、その判断に反応できるよう肉体も鍛え上げている。カヤバ。決してキミを侮るわけではないが、もう私には自分たちの勝利が見えている」
「マイク。それも頭脳明晰な君の駆け引きか。試合前に俺たちにプレッシャーをかけるための」
「・・・カヤバ。私はキミがクレバーな選手だと評価している。おそらく頭も相当いい。サクラの方はそうでもないようだがね」
「日奈はとても賢い女だぞ」
「ふふ。因みに私のパートナーのマーメイはIQ 190だ。サクラはいくつかな?」
「え? え? 今なんて言ったの?」
今度はマイク・リーの語調が速すぎたらしい。きょとんとしてマイクに英語で訊き返す日奈に、代わりに萱場がやはり英語で答えた。
「サクラはクレバーな選手だってさ」
ははは、と萱場の答えに笑いながら、リー・チェン組は自分たちの練習コートへと歩いて行った。
「タイスケさん、マイク・リーがIQ 180って、ふざけてますよね」
「ふざけてる?」
「だって、バドミントンが強い上に頭までいいなんて・・・世の中不公平ですよね」
「・・・なんだ、ちゃんと聞き取れてるわけじゃなかったんだな」
「え? 何かわたし間違ってました?」
「まあいい。とにかくあの2人が完璧なアスリートだってことは嫌というほど分かった」
「タイスケさん、作戦は?」
「作戦か。作戦は、ない」
「ええ? 昨日組み立ててるとか言ってたじゃないですか?」
「パスタ作るのに没頭して忘れてた」
「肝心な時にダメですねえ」
「作戦はないが、闘うための指針はあるぞ」
「指針?」
「ああ、そうだ」
「何ですか? 教えてくださいっ!」
「全人格をもって闘う、だ」
「・・・なんですか、それ?」
「なんだ。この間日奈が言ってくれたことじゃないか。俺の人生はアドバンテージ持ってる、って。親父やお袋が『人生そのものが努力だった』ってな」
「まあ、確かにそう言いましたけど・・・」
「日奈の全人格で闘うんだよ」
「うーん。『根性だ!』って言われてるのと変わんないなあ」
「ふ。根性なら根性でいい。ど根性だ!」
そう言って萱場は日奈の頭をぽんぽんと撫でた。
「うわ! 試合前からセクハラですよ!」
ケラケラと笑い合いながら2人はシャトルを打ち始めた。