第37話 ジャップ!

文字数 2,047文字

 萱場と日奈は筋力を落とさない程度のウォーキングやストレッチといった軽い調整のみとし、翌日2連戦のハードスケジュールに備えた。
 夜は早く休みたかったので混み合うウォーターフロントではなく、やや危険だとは思ったがホテル近くのチャイニーズレストランに4人で出かけた。

「うーん、大満足です。やっぱり中華料理はどこの国でもハズレがないっ!」
「日奈は日本とここしか知らないだろう」
「でも、ほんとに美味しかったわ。横浜の中華街ともまた違う食材で」

 ゆかりは妙子と日奈に片方ずつ手をつないでもらい、ぶらんぶらんと上機嫌でレストランの駐車場を歩いていた。
 萱場がキーレスエントリーで車のドアを開けようとしていると、腹式呼吸の太い声が4人にかけられた。

「ジャップ!」

 白人の大柄な男が2人、薄い笑いを浮かべながら自分たちの車に背をもたれている。体格はいいが、2人とも萱場ほどの身長はないようだ。
 萱場が無視して車のドアを開けようとすると白人の1人が右腕をすっ、と伸ばした。

 最初は何かのジェスチャーかと萱場は思った。

 だが、男の手に握り込まれている銀色の物体が拳銃であると認識するのに時間はかからなかった。
 そして、明らかにゆかりに照準が定められていた。

「動いちゃダメだ」

 瞬時に状況を理解した萱場は妙子に囁いた。銃口がゆかりに向けられていることに無条件の母性で我が身を呈しようとしている妙子の気配を察したのだ。

 どう動くのが正解かわからない以上、不用意な行動は取れない。
 異常者には人の心の機微など通用しないからだ。

「何が目的だ」

 応対せざるを得なくなった萱場はシンプルな英文で端的に訊いた。それに対し、英語を母国語としない国の出と思われる銃を構えた男が独特のイントネーションで答える。

「まずはカネ」

 ゆかりに照準を定めたまま撃鉄を起こしながら、

「それから少し、お前をいじめたい」
「なぜだ」
「ジャップのくせにいい車に乗ってるからさ」
「レンタカーだ」
「関係ない。優遇されるべき俺たちがこんな辺境でちまちま生きてるのにオリンピックなんぞ優雅に観戦しにきやがって」
「どうしたいのか言ってくれ。可能な範囲でやってみよう」
「そうだな・・・まずは、ズボンを脱げ」

 一瞬だけ眉をピクリと動かしたが、萱場はすぐにベルトを緩め始めた。

「タイスケさん!」
「喋るんじゃない。別に問題ない」

 日奈に静かに言ってから萱場は何の躊躇もなくスラックスをするっ、と足首まで落とした。

「脱いだぞ」
「ぷふっ、負け犬野郎が。次はパンツだ」

 今度も萱場は何の躊躇もなくパンツに手をかける。妙子と日奈はきゅっと目をつぶり、割れるぐらいの力で奥歯を噛んだ。

「銃を下ろせ!」

 訛りのある鋭い英語が背後からかけられた。
 さっきまで萱場たちに料理を振舞ってくれていたオーナーシェフがコック帽を被ったまま早足で近づいてくる。
 まっすぐに伸ばされた右手に黒い拳銃を持ち、引き金に指がかけられていた。

「お前には関係ないだろ」
「うるさい! 早く銃を下ろせ!」

 白人の男はゆかりから照準を外し、オーナーシェフに銃を向ける。
 妙子と日奈はゆかりの手を引いて車の陰に身を隠した。

「撃つぞ!」
「知るか! (わし)を撃ったらウチの用心棒が必ずお前らを殺すぞ!」
「う・・・アレックスか・・・」

 白人の動きが止まる。
 そこにいる5人を睨みつけ、無言で自分たちの車に乗り込んだ。そしてせめてもの抗いのようにタイヤを軋ませ、猛スピードで走り去った。

「ありがとう」

 萱場が礼を言うとオーナーシェフはズボンを履くように萱場に促した。

「お客さん、本当に申し訳ない。以前から見たら随分改善はしたが、まだまだ強盗なんかは多いんです」
「本当に助かりました。命の恩人です」

 妙子と日奈も萱場の横に並んで深々とお辞儀をした。
 オーナーシェフは萱場に語り続ける。

「あなたは勇気がある。そして、強い」
「いいえ。わたしはパンツまで脱ごうとしました。弱虫です」
「そうじゃない。本当に勇気のある人間は最後まで冷静な判断を貫く。あなたはクールにベストな選択を瞬時に割り出した」
「・・・・」
「そして、強い人間は躊躇せずにそれを行動に移す。本当に体を動かすんです」
「本当に自分が強いのなら嬉しいのですが・・・」
(わし)には分かる。(わし)はアパルトヘイトの時代からの移民だ。この店をここまでにする間、自分が殺されそうになったこともあるし、殺しそうになったこともある。儂はさっきのあなたのようにして生き残ってきた」
「はい・・・」
「そして、勝った。勝ってこうしてあなたに料理を作ることができる・・・ご婦人たちにはショックだったでしょうがどうぞ水に流していただきたい。この国を怖いだけの国だと思わないでください」
「また、食べに来ます」
「ぜひ。お待ちしています。断言します。あなたは必ずや勝利者となるでしょう」

 オーナーシェフに見送られ4人はレストランを後にした。

 正直、恐怖と緊張と恥辱とで体はこわばっていた。

 けれども、心はほぐれていた。
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