第11話 おわあ、海っていいなあ

文字数 1,747文字

 泰司は実際には陸の上、病院のベッドの上で亡くなっていた。長い洋上での不規則な生活の中、肝炎を悪化させて肝硬変となり、2か月間横浜の病院に入院し、亡くなった。萱場が中学校2年生の時だった。
 泰司は東城トランスポートの前身である‘東城海運’の長期傭船タンカー‘第二有徳丸’(だいに ゆうとくまる)の機関長だった。
 第二有徳丸は1000トンの国内タンカーで、京浜~東北地区を中心に工業用のA重油や軽油を運搬する内航船だ。いわゆる中東から原油を運ぶような巨大タンカーではないが、玉(ぎょく。運搬する石油製品の業界での俗称)を底の浅い港の桟橋にも運べる手頃な大きさの有徳丸は引っ張りだこだった。したがって、泰司は京浜地区に戻ってもすぐに玉を積み込んでまた東北へ向けて出港する、といった繰り返しでほとんど家に帰らなかった。近場の港に入港した時、母に連れられて船が停泊する港まで泰司に会いに行く、といった思い出が多い。
 そうしょっちゅう会えないことが更に父親への理想を大きくしたのかもしれない。
 だから、人生最後の二か月を‘陸の上の人’として過ごす泰司の姿を目の当たりにした萱場はショックだった。しかも、真っ黒に日焼けして精悍なイメージのあった泰司の肌と言う肌が、その日焼けを否定するかのように肝硬変の‘黄疸’で覆われ、鈍い、精気の無い色に染まるのが堪らなかった。
 しかし、泰司はこんこんと‘仕事’について自身の考えを萱場に説いて残していった。泰司は今までゆっくり話もできなかったことを萱場に詫び、毎日少しずつ次のような話をした。
「人間が止まってゆっくり考えることができるのは稀だ。特に船乗りなんかは自分が動かなくても波にもまれて船は常に揺れてる。自分の五体も揺れてる。そんな中で、作業をしながら緻密なことも考えなきゃいけない。
 エンジンの音と計器類に常に注意を払い、異常を絶対見逃してはならない。海の真ん中でエンジンが止まったら命に係わるからな。航海中はもちろん、港に着いてお客さんのタンクに玉を揚げる時も油断できない。荷揚げ用ポンプの設定を計算ミスして重油を港に溢れさせ、とんでも無い額の賠償金を払った船会社もあった。汚染で漁ができなくなったらその港の漁師さんの生活にも関わる。
 それからずっと海の上にいるだけで心が参りそうになることもあった。そんな時は反対に、心をおおざっぱにしなくちゃならない。
 俺は船会社に就職して船乗りになる時に父親が行ってこい、っていうんで四国の‘こんぴらさん’に航海安全を願ってお参りに行った。香川県の‘金刀比羅宮’だよ。
 長い長い階段を上って神社にお参りしてから景色を眺めるとな、真っ青な空の下に瀬戸内海がわあ、っと見えてな。おわあ、海っていいなあ、って朗らかな気分になったよ。
 海の上で気が滅入ってくるとな、そうやって‘こんぴらさん’にお参りした時のことを思い出してな、‘大したことない、大したことない!’ってなんだか笑い出したくなったもんだよ。
 ‘緊張’と‘大したことない!’の繰り返しの仕事だったな・・・」
 中2の多感な萱場は‘仕事’の話を聞きながら、知らずの内に‘人生’についても学んでいた。
 泰司の入院と前後して第二有徳丸も定検(定期検査)のために横浜のドックに‘ドック・イン’していた。定検が終わるまで陸上生活の船長以下の乗組員たちが、泰司の所にお見舞いに来た。
「カヤさん、どうだ、塩梅は?」
 泰司も‘カヤさん’と呼ばれていた。船長の問いに泰司はのんびりと答える。
「ん、ん・・・あんまり芳しくねえなあ」
 船長は気休めの言葉を掛けようとして躊躇した。それほど泰司の黄疸がひどかったのだ。辛うじてこう言った。
「有徳丸ももうすぐドックアウト、退院だ。カヤさんもじきに出られるさ」
 ありがとう、と言いながら、泰司は寂しげに答えた。
「有徳丸は‘健康診断’だけど、俺はほんとの病人だからな・・・・」
 泰司が寝入ると船員たちは口ぐちに‘お大事に’と言いながら病室を出て行った。最後に船長が、妻の安江(やすえ)と萱場にこう言った。
「安江さん・・・カヤさんに優しくしてやってくださいね・・・
 泰助くん、カヤさんの話をよく聞いておくといい・・・・」
 次の週、泰司は息を引き取った。
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