第30話 旅のお供に名画を

文字数 1,592文字

 萱場と日奈がケープタウンに出発する日を迎えた。
 オリンピック代表選手の門出となるとさぞ盛大だと思いきや羽田空港で出発を待つのは、萱場、日奈、と見送る妙子、ゆかりの4人だけだった。
 とても静かな旅立ちとなった。

「あー。空港のお昼ご飯ってだけで気分が盛り上がるね」
「食べすぎだぞ、日奈」
「クラブサンドとキーマカレーと稲庭うどんだからヘルシーでしょ」
「日奈ちゃん、今から気合入ってるね」
「妙子さんも一緒の便で行けばいいのに」
「わたしはゆかりを実家に預けに行かなくちゃいけないから。日奈ちゃんたちの初戦の前日には着くから待っててね」
「はい。楽しみにしてます。あーあ。やっぱり開会式出たかったなー」
「日奈、すまないな。俺に合わせてもらって」
「いいえ。むしろタイスケさんらしいですよ。ぎりぎりまで仕事して、会社の体育館で練習がしたいなんて」
「すまん。普段通りにしたいんだ。オリンピックはもちろん最高の舞台ではあるが、それでも日常の延長線上の出来事だと捉えたくてな」

 バドミントン混合ダブルスのトーナメントはオリンピック日程の後半だ。予定通りに進めば決勝戦はオリンピックの閉会日に行われる。
 なぜかというと、シングルスや通常のダブルスに出場する選手たちが混合ダブルスにも併せて参加するパターンが増えてきているからだ。

「タイスケさんはもうシングルスに興味ないのかと思ってました。だから男子シングルスの決勝戦の日程に合わせてケープタウンに行きたいって言った時はちょっと驚きました」
「俺だって世界最高のプレーを見たいさ。バドミントンが好きだからな。だけどそれだけじゃない」
「はい、分かってます」
「マイク・リーは俺たちの敵になるかもしれないからな」

 今大会のミックスダブルスはかつてないほどに注目されている。理由が、今萱場が名前を挙げたマイク・リーが参戦するからだ。

 マイク・リー。
 男子シングルス世界ランキング1位の座に5年間も君臨し続けている中国の英雄だ。前回大会の金メダリストでもあり連覇がかかっている。
 マイク・リーはこれまで一度もミックスダブルスで公式戦に出場したことはなかったが、シングルス以外にもう一個金メダルを取ることを公言し、中国側も彼のミックスダブルス出場を後押ししたのだ。

「タイスケさんより背が高いらしいですね」
「そうらしいな」
「でも顔はタイスケさんの方がかっこいいですよ」
「・・・そうか」

 わー、照れてるーとか日奈がはしゃいでいるうちに搭乗の時刻になった。

「じゃあ行ってくる」
「行ってきます。ゆかりちゃん、テレビで観ててね」
「日奈ちゃん、泰助さん、体調管理に気をつけてね」
「ありがとうございます・・・タイスケさん、いいですよ」
「ん? 何がだ?」
「だから、わたしあっち向いてますから妙子さんとチューとかしてもいいですよ」
「・・・行くぞ」

 また、わー、照れてるー、と言いながら日奈は妙子に手を振り、搭乗口への通路を歩いていった。

 ・・・・・・・

「タイスケさん、エコノミーでも結構ゆったりしてますね」
「まあ、長旅だからな。ちゃんと配慮した作りになってるんだろう」
「あの・・・もしかしてですけど・・・緊張してます?」
「・・・してる」
「え。飛行機乗ったことあるでしょう? 前に鹿児島にも来てくれましたし」
「国内の移動と海外は全然違うからな」
「ふーん。タイスケさんの弱点、また一つ発見!」
「またって、そんなに弱点なんかないだろう」
「奥さんに別れのチューすらできない弱々しさとか」
「ほっといてくれ」
「あ!」
「な、なんだ・・・」
「これ、観ましょうよ。ほら、タイスケさんの今の気分にぴったり」
「なんだ?」

 そう言って萱場は座席にあるモニターを覗き込む。日奈が指差している機内プログラムの映画タイトルを確認した。

「そうだな・・・名作だな」

 珍しく日奈の言葉に素直になる萱場。

『ローマの休日』 だった。
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