第31話 アフリカの、美しい街
文字数 2,426文字
「夜は絶対に出歩かないでください」
出発前に飛行機のチケットから現地のレンタカーの手配までをアテンドしてくれた総務課の社員から萱場はきつく言われていた。
オリンピック開催に向けて治安が良くなったとは言いながら、まだまだ強盗多発の危険な街であることには変わりない。
だが、ケープタウンはそれ以上に、世界の中でもとても美しい街として知られている。
萱場は助手席に日奈を乗せて空港からケープタウン市街に向けてセダンを走らせていた。日本と同じ右ハンドル左側通行なので言わば運転のプロである萱場はなんの苦痛も感じなかった。
そして、英語表記・英語音声のカーナビをもすらすらと使いこなす様子を見て日奈が感嘆の声を上げる。
「タイスケさん、さすがですねえ! 英語ペラペラじゃないですか!」
「・・・俺はカーナビと英会話なんてしてないぞ」
「いやいや。わたしなんてこの単語何て書いてあるかすら識別できませんよ」
「日奈、英語の授業ちゃんと聞いてるのか? 学校の授業や先生をバカにすると自分の成長が止まるっていつも言ってるだろう」
「冗談ですよ。習った単語の範囲はばっちりですよ」
まっすぐ続くハイウェイの脇にある原発や草原を車窓から見ながら日奈が萱場に訊いた。
「でも、ほんとによかったんですか? 現地での移動も全部自分で運転なんて」
「この方が自由だ。安く上がるしな」
萱場は簡単にそう答えて、この広大な国土での疾走を心から堪能していた。
街の中心部が近づくと都会的な高層ビルが見えてくる。
合わせてその背景には空との切れ目がない海が広がる。
映画のような風景だ。
いや、実写とは思えないその美しさは、アニメ映画の名作にあるような、丘から続く道路から街と海を眺め下ろすワンカットという形容の方が適切だろう。
・・・・・
日奈と萱場の宿泊先は選手村ではなくケープタウン中心部にあるホテルになった。治安面からも選手村に入りたかったのだが、宿泊施設に限りがあり、どちらかというと結果をあまり期待されていないふたりは有望なメダル候補の選手たちに譲らなければならなかった。萱場のストイックさ、潔癖さは普段からの生活志向から滲み出たもので、試合そのものはともかく、現地での生活については極力自腹で2人分を出すことを会社にも伝えていた。
「わあ・・・素敵ー!」
決して高級ではないけれども、安全で清潔なホテルを東城トランスポートの優秀な総務課員は紹介してくれた。
レースのカーテンを、びっ、と開けて日奈は窓から都会の街を見下ろす。
「ほら、早く自分の部屋に戻って荷解きして来い」
「まあまあ、お隣同士の部屋なんですからそう急かさないでくださいよ。それよりコーヒーでも淹れますよ」
「日奈、念のために水道水は使うなよ」
そう言って萱場は冷蔵庫からペットボトルのミネラルウォーターを取り出して日奈に放る。
日奈はどぼどぼとケトルに水を注ぎ込んで鼻歌交じりで湯を沸かす。
「今のうちにスケジュールを説明しておくぞ」
「修学旅行みたい」
「明日はまず午前中にハイスクールの体育館で高橋・小林ペアと合流して軽く練習。その後男子シングルスの決勝を午後から観戦だ」
「中国のマイク・リーとシンガポールのアニク・ウェイ。世界ランク1位・2位の頂上対決! 楽しみですっ!」
「ああ。俺も楽しみだ。それから明後日からは本番会場アリーナでの練習時間も割り当てられる。主にフォーメーションの確認をするからしっかり睡眠を取って脳をクリアにしておけよ」
「はあ・・・アフリカまで来て頭を酷使ですか」
「勝ちたいならもっと興味を持て。言うまでもないが、五日後が初戦だ。心身ともに涼やかに臨もう」
「時代劇がかった言い回しですねえ」
「そんな単語はない。それと食事なんだがな」
「はいはい、待ってました!」
「夜間外出するなと言われたが、食わんわけにもいかんしなあ・・・」
萱場の出した答えは、『ウォーターフロント』だった。
豪華客船『クイーン・エリザベス号』も寄港したことがあるバースに隣接した、ショッピングモールから映画館、屋外レストラン、コンサートホールまである超人気スポットだ。
オリンピック期間中で凄まじい混雑だろうが、常に人の目のある明るい場所が一番安全だろうと判断した。
さっそく最初の夕方、車で向かった。
・・・・・・
「タイスケさん、やっぱり英語ペラペラじゃないですか」
「そんなことないさ。たどたどしいし、そもそもウェイターも英語が母国語じゃないしな。お互い様さ」
夕暮れに潮風がなびく屋外テーブルのシーフードレストラン。
アフリカンのウェイターにスマートにオーダーをこなす萱場を見て日奈は惚れ直していた。
ワイン、ではなく、アップルタイザーでふたりは乾杯した。
「タイスケさん、ほんとにほんとにオリンピックですね。それからついでにわたしは海外初めてですよ。タイスケさんは?」
「シングルス時代に控えの随行で中国に遠征したことはあったな。あと、一応新婚旅行はシンガポールに行った」
「へえ、新婚旅行かあ・・・妙子さんって美人ですよね」
「な、なんだ急に」
「どっちからアプローチしたんですか?」
「・・・まあ、一応、俺だ」
「ほー。何て言って口説いたんですか?」
「そんなもん、忘れた」
「えー。いいじゃないですかー。わたしも恋愛の参考にしたいんですよ」
「日奈はそもそも男子に興味がないんだろう」
「そんなことないですよ。合波で共学になってから一応意識はしてますよ」
「じゃあ、好きなやつとかいるのか」
「まあ、好きというか、憧れというか」
「ほう。日奈は普段から男をぞんざいにあしらってるのにな。同学年か?」
びっ、と彼女は右腕をまっすぐ前に伸ばし、人差し指までも一直線に伸ばして真正面を指差す。
「? なんだ?」
「あなたですよ、タイスケさん」
萱場は日奈の宣告とアップルタイザーの炭酸で激しくむせる。
「わー。照れちゃてる。かわいー。おもしろーい」
「さっさと食え!」
出発前に飛行機のチケットから現地のレンタカーの手配までをアテンドしてくれた総務課の社員から萱場はきつく言われていた。
オリンピック開催に向けて治安が良くなったとは言いながら、まだまだ強盗多発の危険な街であることには変わりない。
だが、ケープタウンはそれ以上に、世界の中でもとても美しい街として知られている。
萱場は助手席に日奈を乗せて空港からケープタウン市街に向けてセダンを走らせていた。日本と同じ右ハンドル左側通行なので言わば運転のプロである萱場はなんの苦痛も感じなかった。
そして、英語表記・英語音声のカーナビをもすらすらと使いこなす様子を見て日奈が感嘆の声を上げる。
「タイスケさん、さすがですねえ! 英語ペラペラじゃないですか!」
「・・・俺はカーナビと英会話なんてしてないぞ」
「いやいや。わたしなんてこの単語何て書いてあるかすら識別できませんよ」
「日奈、英語の授業ちゃんと聞いてるのか? 学校の授業や先生をバカにすると自分の成長が止まるっていつも言ってるだろう」
「冗談ですよ。習った単語の範囲はばっちりですよ」
まっすぐ続くハイウェイの脇にある原発や草原を車窓から見ながら日奈が萱場に訊いた。
「でも、ほんとによかったんですか? 現地での移動も全部自分で運転なんて」
「この方が自由だ。安く上がるしな」
萱場は簡単にそう答えて、この広大な国土での疾走を心から堪能していた。
街の中心部が近づくと都会的な高層ビルが見えてくる。
合わせてその背景には空との切れ目がない海が広がる。
映画のような風景だ。
いや、実写とは思えないその美しさは、アニメ映画の名作にあるような、丘から続く道路から街と海を眺め下ろすワンカットという形容の方が適切だろう。
・・・・・
日奈と萱場の宿泊先は選手村ではなくケープタウン中心部にあるホテルになった。治安面からも選手村に入りたかったのだが、宿泊施設に限りがあり、どちらかというと結果をあまり期待されていないふたりは有望なメダル候補の選手たちに譲らなければならなかった。萱場のストイックさ、潔癖さは普段からの生活志向から滲み出たもので、試合そのものはともかく、現地での生活については極力自腹で2人分を出すことを会社にも伝えていた。
「わあ・・・素敵ー!」
決して高級ではないけれども、安全で清潔なホテルを東城トランスポートの優秀な総務課員は紹介してくれた。
レースのカーテンを、びっ、と開けて日奈は窓から都会の街を見下ろす。
「ほら、早く自分の部屋に戻って荷解きして来い」
「まあまあ、お隣同士の部屋なんですからそう急かさないでくださいよ。それよりコーヒーでも淹れますよ」
「日奈、念のために水道水は使うなよ」
そう言って萱場は冷蔵庫からペットボトルのミネラルウォーターを取り出して日奈に放る。
日奈はどぼどぼとケトルに水を注ぎ込んで鼻歌交じりで湯を沸かす。
「今のうちにスケジュールを説明しておくぞ」
「修学旅行みたい」
「明日はまず午前中にハイスクールの体育館で高橋・小林ペアと合流して軽く練習。その後男子シングルスの決勝を午後から観戦だ」
「中国のマイク・リーとシンガポールのアニク・ウェイ。世界ランク1位・2位の頂上対決! 楽しみですっ!」
「ああ。俺も楽しみだ。それから明後日からは本番会場アリーナでの練習時間も割り当てられる。主にフォーメーションの確認をするからしっかり睡眠を取って脳をクリアにしておけよ」
「はあ・・・アフリカまで来て頭を酷使ですか」
「勝ちたいならもっと興味を持て。言うまでもないが、五日後が初戦だ。心身ともに涼やかに臨もう」
「時代劇がかった言い回しですねえ」
「そんな単語はない。それと食事なんだがな」
「はいはい、待ってました!」
「夜間外出するなと言われたが、食わんわけにもいかんしなあ・・・」
萱場の出した答えは、『ウォーターフロント』だった。
豪華客船『クイーン・エリザベス号』も寄港したことがあるバースに隣接した、ショッピングモールから映画館、屋外レストラン、コンサートホールまである超人気スポットだ。
オリンピック期間中で凄まじい混雑だろうが、常に人の目のある明るい場所が一番安全だろうと判断した。
さっそく最初の夕方、車で向かった。
・・・・・・
「タイスケさん、やっぱり英語ペラペラじゃないですか」
「そんなことないさ。たどたどしいし、そもそもウェイターも英語が母国語じゃないしな。お互い様さ」
夕暮れに潮風がなびく屋外テーブルのシーフードレストラン。
アフリカンのウェイターにスマートにオーダーをこなす萱場を見て日奈は惚れ直していた。
ワイン、ではなく、アップルタイザーでふたりは乾杯した。
「タイスケさん、ほんとにほんとにオリンピックですね。それからついでにわたしは海外初めてですよ。タイスケさんは?」
「シングルス時代に控えの随行で中国に遠征したことはあったな。あと、一応新婚旅行はシンガポールに行った」
「へえ、新婚旅行かあ・・・妙子さんって美人ですよね」
「な、なんだ急に」
「どっちからアプローチしたんですか?」
「・・・まあ、一応、俺だ」
「ほー。何て言って口説いたんですか?」
「そんなもん、忘れた」
「えー。いいじゃないですかー。わたしも恋愛の参考にしたいんですよ」
「日奈はそもそも男子に興味がないんだろう」
「そんなことないですよ。合波で共学になってから一応意識はしてますよ」
「じゃあ、好きなやつとかいるのか」
「まあ、好きというか、憧れというか」
「ほう。日奈は普段から男をぞんざいにあしらってるのにな。同学年か?」
びっ、と彼女は右腕をまっすぐ前に伸ばし、人差し指までも一直線に伸ばして真正面を指差す。
「? なんだ?」
「あなたですよ、タイスケさん」
萱場は日奈の宣告とアップルタイザーの炭酸で激しくむせる。
「わー。照れちゃてる。かわいー。おもしろーい」
「さっさと食え!」