第45話 奸智と姑息の境界線
文字数 2,445文字
一歩も引かずにリー・チェン組に食らいつく萱場と日奈。
準決勝、準々決勝でやったのと同じく、2人は目まぐるしく攻守のフォーメーションを切り替え、敵を幻惑するようにコート内を走りに走った。
ラリーの継続性も質も準決勝までのレベルを遥かに超え、オーディエンスを十分満足させ、コート上の4人の一挙手一投足に沈黙とどよめきと歓声で答えた。
しかし、決勝へ来てリー・チェン組は王道のダブルスを展開する。
すなわち、準決勝までのようなシングルスのごときプレースタイルを完全に捨て、オーソドックスなフォーメーションと、その中にマイク・リー、マーメイ・チェンの個人能力の高さでしかできないプレーをぶっ込んでくる。
徐々に差は開き、6- 2となった。
萱場と日奈のポイントは、マーメイのミスとも呼べないきわどいミスで得た2点のみだ。
肩で息をし始めた日奈に萱場が声をかける。
「日奈、ブーイングに耐えられるか?」
「え? どういうことですか、タイスケさん?」
「このままじゃ試合にならん。『卑怯者』と呼ばれて我慢できるか?」
「何するつもりですか」
「俺のフェイントの引き出しを全て解放する。日奈をも騙すプレーをするかもしれん」
「え」
「そうしないとリー・チェンは簡単に見破るからな」
萱場のサーブ。
リーとほぼ同じ身長の萱場は突然爪先立った。
そのままサービスの態勢に入る。
『あ、タイスケさん。フォルト気をつけて』
日奈が心の中で心配したが、杞憂だった。
体幹を鍛え抜いている萱場の足はそのままの位置で微動だにせずショートサービスを送り出す。
レシーバーのマーメイはマイク・リー以上の高い打点からのショートサービスは初体験なのだろう。イン・アウトを見極めながら掬い上げる作業に専念した。
と、マーメイのクリアに対し、がばっ、と萱場がジャンプする。
「えっ⁈」
フォローというよりは味方に視界を遮られる形となった日奈は次のプレーをどうすればいいのか分からなかった。
「思考しろ、日奈!」
怒鳴りながら萱場はマーメイの返球にかするかかすらないぐらいの隙間を開けて、ぶん、と豪快に空振りする。
『そっか。ゆかりフォーメーションの常態版だ!』
日奈はさっ、と萱場の背後に身を隠すようにして縮こまり、ジャンプせずに失速スマッシュの態勢に入った。
『ならば、狙いはここだ!』
「せっ!」
日奈は、萱場の後頭部めがけてフルスゥイングした。
シャトルが自分の頭に激突しそうになる寸前、萱場は首を横に、すっ、と傾ける。しかもその瞬間に、プッシュのフェイクスゥイングのおまけつきで。
ステルスのように突如萱場の背後から現れた日奈の失速スマッシュに、さすがのマーメイも反応できずに思わず見送ってしまう。
ただ、マイク・リーはやはり超一級品だった。
すばやく後方ライン上にフットワークで移動し、イン・アウトを見極める。
ぎりぎりインだと判断し、フォアでクロスでネット前に柔らかく落とそうとリーが動き始めた時。
ダン!
と萱場が右足でコートを踏んで大きな音を立てた。
マイク・リーの手首がわずかに狂ったようだ。返球はネットのライン上ぎりぎりのところで引っかかった。
「ショウっ!」
萱場が自らのプレーを褒め称えるように声を上げる。
が、拍手はまばらだ。
マイク・リーが主審にゆっくりと歩み寄った。
「カヤバのネット前での空振りは威嚇行為ではないか」
萱場も2人の元に歩み寄る。
「私は届くと判断してジャンプした。結果空振りしただけだ。チェン選手を威嚇するつもりなどなかった。マイク、キミも長身の選手なら分かるだろう」
「では、サクラの放ったスマッシュを避ける時にスゥイングしたのは」
「日奈のスマッシュが自分に当たるのではないかという恐怖から身をよじっただけだ」
「最後に、床をふみ鳴らしたのは」
「キミがクロスに返球しようとしたのでネット側にとびこもうとしたんだ」
審判は萱場とマイクのやりとりを聞き終えると2人に告げた。
「故意ではないと判断する。だがカヤバ選手、誤解を招くプレーをしないように。次に類似するプレーがあれば反則行為とみなす」
「はい」
客席がさわめいている。
「さあ、もうひとついくぞ」
「でも・・・」
「日奈。俺はできることは全てやっておきたいんだ。それに、俺は今のプレーが卑怯だとは決して考えていない」
「それはそうかもしれませんけど・・・」
「すまん。日奈のまっすぐさを汚す行為なのかもしれん。だが、同点に追いつくまでだけ、許してくれないか」
「はい・・・」
オーディエンスに消化不良の疑問を残したままラリーが再開される。
マイク・リーがバックハンド最深部に上げたクリアを萱場がジャンプスマッシュする。
「はっ!」
気合の声とともに萱場は視線をマイクのバックハンドに向けていたが、スマッシュはマーメイのフォアハンドにストレートに打ち込まれた。
『よそ見』とも言える視線のフェイント。
高等技術だ。
マーメイは反応がわずかに遅れ、敵コートの浅い位置に上げるのがやっとだった。
コート後方からマーメイの返球向けて走り込んでくる萱場。そのままジャンプしてスマッシュのスゥイングに入る。
「あ!」
「!」
無表情のリー・チェンがにわかに驚愕の表情に変わったのを見て、日奈もほぼ自分の真横でジャンプしている萱場を見た。
「えっ⁈」
萱場は目を完全に閉じてジャンプしている。
そして、一体どこへシャトルが放たれるのか全く分からないフォームから渾身のスマッシュが打ち込まれた。
そのままリー・チェンが呆然と立ち尽くすど真ん中を打ち抜き、シャトルがコートに叩きつけられる。
「よっしゃあっ!」
萱場が怒号を上げる。
目をつぶってジャンプスマッシュを打つ。
冷静に考えればこれ以上の高等技術はない。まさに心眼で敵を居合い抜く武士の境地だろう。
最高のフェイントと呼べるものだ。
だが、会場は重苦しいざわめきに包まれていた。
『常軌を逸した』萱場のプレーを、何かおぞましいものでも見るように。
準決勝、準々決勝でやったのと同じく、2人は目まぐるしく攻守のフォーメーションを切り替え、敵を幻惑するようにコート内を走りに走った。
ラリーの継続性も質も準決勝までのレベルを遥かに超え、オーディエンスを十分満足させ、コート上の4人の一挙手一投足に沈黙とどよめきと歓声で答えた。
しかし、決勝へ来てリー・チェン組は王道のダブルスを展開する。
すなわち、準決勝までのようなシングルスのごときプレースタイルを完全に捨て、オーソドックスなフォーメーションと、その中にマイク・リー、マーメイ・チェンの個人能力の高さでしかできないプレーをぶっ込んでくる。
徐々に差は開き、6- 2となった。
萱場と日奈のポイントは、マーメイのミスとも呼べないきわどいミスで得た2点のみだ。
肩で息をし始めた日奈に萱場が声をかける。
「日奈、ブーイングに耐えられるか?」
「え? どういうことですか、タイスケさん?」
「このままじゃ試合にならん。『卑怯者』と呼ばれて我慢できるか?」
「何するつもりですか」
「俺のフェイントの引き出しを全て解放する。日奈をも騙すプレーをするかもしれん」
「え」
「そうしないとリー・チェンは簡単に見破るからな」
萱場のサーブ。
リーとほぼ同じ身長の萱場は突然爪先立った。
そのままサービスの態勢に入る。
『あ、タイスケさん。フォルト気をつけて』
日奈が心の中で心配したが、杞憂だった。
体幹を鍛え抜いている萱場の足はそのままの位置で微動だにせずショートサービスを送り出す。
レシーバーのマーメイはマイク・リー以上の高い打点からのショートサービスは初体験なのだろう。イン・アウトを見極めながら掬い上げる作業に専念した。
と、マーメイのクリアに対し、がばっ、と萱場がジャンプする。
「えっ⁈」
フォローというよりは味方に視界を遮られる形となった日奈は次のプレーをどうすればいいのか分からなかった。
「思考しろ、日奈!」
怒鳴りながら萱場はマーメイの返球にかするかかすらないぐらいの隙間を開けて、ぶん、と豪快に空振りする。
『そっか。ゆかりフォーメーションの常態版だ!』
日奈はさっ、と萱場の背後に身を隠すようにして縮こまり、ジャンプせずに失速スマッシュの態勢に入った。
『ならば、狙いはここだ!』
「せっ!」
日奈は、萱場の後頭部めがけてフルスゥイングした。
シャトルが自分の頭に激突しそうになる寸前、萱場は首を横に、すっ、と傾ける。しかもその瞬間に、プッシュのフェイクスゥイングのおまけつきで。
ステルスのように突如萱場の背後から現れた日奈の失速スマッシュに、さすがのマーメイも反応できずに思わず見送ってしまう。
ただ、マイク・リーはやはり超一級品だった。
すばやく後方ライン上にフットワークで移動し、イン・アウトを見極める。
ぎりぎりインだと判断し、フォアでクロスでネット前に柔らかく落とそうとリーが動き始めた時。
ダン!
と萱場が右足でコートを踏んで大きな音を立てた。
マイク・リーの手首がわずかに狂ったようだ。返球はネットのライン上ぎりぎりのところで引っかかった。
「ショウっ!」
萱場が自らのプレーを褒め称えるように声を上げる。
が、拍手はまばらだ。
マイク・リーが主審にゆっくりと歩み寄った。
「カヤバのネット前での空振りは威嚇行為ではないか」
萱場も2人の元に歩み寄る。
「私は届くと判断してジャンプした。結果空振りしただけだ。チェン選手を威嚇するつもりなどなかった。マイク、キミも長身の選手なら分かるだろう」
「では、サクラの放ったスマッシュを避ける時にスゥイングしたのは」
「日奈のスマッシュが自分に当たるのではないかという恐怖から身をよじっただけだ」
「最後に、床をふみ鳴らしたのは」
「キミがクロスに返球しようとしたのでネット側にとびこもうとしたんだ」
審判は萱場とマイクのやりとりを聞き終えると2人に告げた。
「故意ではないと判断する。だがカヤバ選手、誤解を招くプレーをしないように。次に類似するプレーがあれば反則行為とみなす」
「はい」
客席がさわめいている。
「さあ、もうひとついくぞ」
「でも・・・」
「日奈。俺はできることは全てやっておきたいんだ。それに、俺は今のプレーが卑怯だとは決して考えていない」
「それはそうかもしれませんけど・・・」
「すまん。日奈のまっすぐさを汚す行為なのかもしれん。だが、同点に追いつくまでだけ、許してくれないか」
「はい・・・」
オーディエンスに消化不良の疑問を残したままラリーが再開される。
マイク・リーがバックハンド最深部に上げたクリアを萱場がジャンプスマッシュする。
「はっ!」
気合の声とともに萱場は視線をマイクのバックハンドに向けていたが、スマッシュはマーメイのフォアハンドにストレートに打ち込まれた。
『よそ見』とも言える視線のフェイント。
高等技術だ。
マーメイは反応がわずかに遅れ、敵コートの浅い位置に上げるのがやっとだった。
コート後方からマーメイの返球向けて走り込んでくる萱場。そのままジャンプしてスマッシュのスゥイングに入る。
「あ!」
「!」
無表情のリー・チェンがにわかに驚愕の表情に変わったのを見て、日奈もほぼ自分の真横でジャンプしている萱場を見た。
「えっ⁈」
萱場は目を完全に閉じてジャンプしている。
そして、一体どこへシャトルが放たれるのか全く分からないフォームから渾身のスマッシュが打ち込まれた。
そのままリー・チェンが呆然と立ち尽くすど真ん中を打ち抜き、シャトルがコートに叩きつけられる。
「よっしゃあっ!」
萱場が怒号を上げる。
目をつぶってジャンプスマッシュを打つ。
冷静に考えればこれ以上の高等技術はない。まさに心眼で敵を居合い抜く武士の境地だろう。
最高のフェイントと呼べるものだ。
だが、会場は重苦しいざわめきに包まれていた。
『常軌を逸した』萱場のプレーを、何かおぞましいものでも見るように。