第19話 脱出

文字数 3,283文字

 椅子に腰掛け窓の外を眺めながら、ランツは物思いに(ふけ)っていた。魔術によるものらしい街灯が、明け方の村を(まぶ)しく照らしている。
 頭の中にあったのは、ルカのことだ。本当に、村に残るつもりなのだろうか。
 もしそうだとして……自分はどうすべきなのだろうか。ランツの思考は、そういう方向に傾いていった。べつに何もしない、別れてそのまま、という答えは、最初から選択肢に入っていない。
 村に住めるのは魔術師だけだ。なら、外から手伝うことはできないだろうか。
 極めて閉鎖的なこの村だが、外部と一切連絡を取っていないということはないだろう。どうしても外から買わなければいけないものはあるし、手紙を送りたい人もいるはずだ。そういった、連絡係になれないだろうか。
 もっといいのは、この村の――いや、この

の問題を、根本的に解決することだ。即ち、魔術が何故か忌避されているという、この状況を。
(可能なのか?)
 そんな大それたことが。
 少なくとも、魔術を広めることに大きなメリットがあることは、少し立ち寄っただけの自分にも分かる。例えば商人なら、魔術を使った商売に興味を持つだろう。
 いや、商人は教会の意見に逆らったりしないだろうか。もしそうなら、まずは世界樹教を説得する必要がある……。
(駄目だな)
 ランツは小さく首を振った。自分はこういうことを考えるのに向いていない。ローディあたりに相談してみるべきだろう。
 窓の外を見ていたランツは、小さく眉を寄せた。そのローディの声が、遠くに聞こえた気がしたのだ。しかも、一度ではない。
 窓を開けると、やはりローディの声だったこと、そして何を言っているのかがようやく分かった。即ち、
「逃げろ! 魔物が来るぞ!」
 ランツは勢いよく立ち上がった。椅子が転がり、音を立てる。
 手早く荷物をまとめ、部屋を出る。その頃には村全体が騒がしくなってきていた。
 真っ先に向かったのは、同じ階にあるニアの部屋だった。予想通り熟睡していたニアをたたき起こし、急いで準備させる。
 部屋の外で「入るわよ」と声がしたかと思うと、ルカが慌てた様子で入ってきた。着替え中のニアと、そばにいるランツ――一応目は背けていた――を見て一瞬硬直したものの、気を取り直したように言った。
「アリエルを起こしてくる。宿の入口で合流しましょ」
「わかった」
 ランツが答えるや否や、ルカは走り去っていった。
 村の喧噪は、やがて戦闘音に変わっていった。羽ばたきの音、魔術を放つ音、そして悲鳴。窓の外に目をやると、無数のワイバーンが空を舞っていた。
 集合場所では、女性陣二人に加え、ローディも集まって何事か相談していた。ランツは眉を寄せて聞いた。
「ギルは?」
「いないよ」
 ローディが冷たく言う。ランツが口を開こうとする前に、彼は言葉を続けた。
「魔物を操ってるのはギルなんだよ! 僕も危うく殺されかけた……」
 その言葉の意味が、ランツは一瞬理解できなかった。魔物を、操る? しかも、ギルが?
「怪しいとは思っいたけど、ここまでするなんて……いや、今はその話はよそう」
「戦いましょう!」
 アリエルが拳を握って言った。だが、ローディはきっぱりと首を振った。
「駄目だ。数が多すぎるよ。逃げよう」
「そんな! じゃあ村の人たちは……」
「うまく逃げてくれることを祈るしかない」
 その言葉に、少女は反論しようとしたようだった。だが、
「逃げましょう」
 ルカが言った。アリエルは信じられないといった表情をしていたが、やがて何かを察したように顔を伏せた。ルカだって、村を救いたいに違いない。だがそれよりも、仲間たちの安全を優先したのだ。
「逃げるってことでいいよね?」
 ローディが念押しした。今度は誰も反論しなかった。
「うん、なら作戦を立てよう。敵は数が多い。囲まれたら終わりだから、ゆっくり戦ってる暇はない」
「一気に走り抜けるか」
「それしか無いか……。ニア、ワイバーンを追い返すのは任せていい? 走りながらになるけど……」
「んー……」
 ニアは珍しく時間をかけて考えたあと、こう言った。
「うん、わかった」
「じゃあ走るか」
 ローディはそう言うと、ルカの方を向いた。
「もし立ち止まっちゃったら、ルカちゃんは魔術の集中を始めて欲しい。終わり次第どこでもいいからぶっ放して。とにかく敵を散らせればいいから」
「わかったわ」
「いつも通りランツは先頭に立って警戒をよろしく。敵はワイバーンだけとは限らないからね。アリエルちゃんはランツの補助と、あと誰かが怪我したらすぐに治療お願い」
 二人は小さく頷いた。
「よし、行くよ!」
 ローディの声とともに、ランツは駆け出した。
 村の中には、たくさんの戦闘の(あと)が残っていた。焦げた地面や破壊された建物、黒い粘液、そして動かない村人の体。ランツはそれら全てを無視し、村の入口へと向けてひたすらに走り続けた。
「ニア!」
 ローディが叫ぶ。彼女は大きく一歩踏み込むと、地面を蹴ってハンマーを真上に振った。急降下してきたワイバーンが、慌てて上空へと戻っていく。すぐに次の一匹がやってきたが、同じように撃退されていた。
 それを見て懲りたのか、三匹目はランツたちの前方、道を塞ぐように降りてきた。迂回するには道が狭い。一撃くらわせるつもりで速度をあげたランツだったが、
「よけろ!」
 言いながら横に跳ぶ。ワイバーンの口から撃ち出された火の玉が、一直線に迫ってくる。
 アリエルの悲鳴が響く。振り返りたくなる衝動と戦いながら、ランツは再び走り出した。火球を放つ暇を与えてはいけない。
 だがワイバーンは、落ち着いた様子で飛び上がった。ランツは空を見上げて歯噛みする。ずいぶん慎重なやつだ。
 今のうちに逃げるべきかと思ったが、そうもいかないようだ。ちらりと後ろを見ると、倒れたアリエルをルカが必死に治療している。しばらくは動けないだろう。
 ワイバーンは、様子を見るかのように滞空している。相手の攻撃のタイミングを見極めようと、ランツは敵の姿を凝視し続けた。連続では撃てないのか、火球を出してくる様子はない。
(まずいな)
 そうこうしている間に、周囲から別のワイバーンが集まってきた。最悪のパターンだ。囲まれるのだけは避けたかったのだが……。
「終わったわ」
 息をつきながらルカが言った。次の瞬間、意識の無いアリエルの体を、ニアがひょいと持ち上げた。左肩にアリエルを担ぎ、右手にハンマーを持って走り出す。
 ローディも、疲労困憊のルカの手を引きながら走った。ランツは少しもやもやとするものを感じたが、そんなことを言っている場合ではない。
 逃げようとしているのを察知したのか、ワイバーンの群れが一斉に降下を始めた。が、その軌道を遮るかのように、雷撃が宙を走る。魔物たちは慌ててブレーキをかける。
「こっちだ!」
 道の先にいたシグルドが、大きく手を振った。さっき魔術を使ったのも彼だろう。ランツは上を警戒しながら走った。
 シグルドについていった先では、火や雷が空を乱舞していた。十人以上の集団が、ゆっくりと前進している。どうやら交代で魔術を放っているようだ。ワイバーンは明らかに攻めあぐねている。
 ルカを上空への攻撃組に預け、ランツたちは集団に合流した。その頃にはアリエルも目を覚まし、何とか歩けるようになっていた。ローブの一部が焼け焦げ右腕が露出していたが、火傷の(あと)は残っていなかった。
「前から来たぞ!」
 集団の一人が声をあげた。ゴーレムの集団が、村の入口から次々と入ってくる。ランツは迷わずに前に出た。
 隣には、ハンマーを持ったニアの姿もあった。ひどく疲れた表情をしている。今にも倒れそうだ。
「大丈夫か」
 気遣わしげに問うたが、ニアはこくりと頷くだけだった。一瞬迷ったものの、小さく頷き返す。
「よし、行くぞ!」
 ランツは走り出した。
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