第10話 報酬
文字数 3,549文字
「ふう」
アリエルを教会に送り届けたランツは、大通りを歩きながら小さく息を吐いた。ずいぶん体力を奪われていたようだったが、これで安心だろう。教会では、聖導具によって多種多様な治療を受けられる。
付き添いとして、ローディも一緒に残っている。付き添いと言うより、口裏合わせと言った方がいいかもしれない。治癒の魔術によって体力を奪われました、なんて正直に答えるわけにはいかない。
アリエル本人には、全てを正直に話した。自分の体に起こったことを、隠すべきではないと皆が判断したからだ。もちろん、あの状況で魔術以外に説得力のある説明が全く思いつかなかったというのもあるが。
ローディに説明を受け、彼女はひどくショックを受けていた。ルカに向ける視線には、あからさまに嫌悪の色が浮かんでいた。だがそれでも、命の恩人に礼を言う程度の節度はあったようだ。
当のルカの方は、アリエルの態度をさほど気にした様子はなかった。過去に同じような経験を何度もしているのかもしれないし、それに、
「ルカが魔術師だったとは、本当に驚いたよ」
「ちょっと……大きな声出さないでよ」
嬉しそうなランツの言葉に、ルカは少しきつい口調で言った。だがそれは、怒っているのではなく、どちらかと言うと照れているようだ。
魔術師にもう一度 会いたいというのが、ランツの子供の頃からの夢だった。生まれ育った村を救ったのが、魔術を操る冒険者だったのだ。多種多様な魔術で魔物を追い詰めるところを、一人こっそりと覗き見ていた。
その話をした時のルカの顔は、何とも言えないものだった。驚きと、喜びと。それからたくさんの他の感情が入り混じっていたが、ランツには読み取れなかった。
「変な人ね。魔術が好きだなんて」
ルカがぽつりと言葉を漏らした。ランツは首を傾げて言った。
「変ではないだろう。聖導具が好きなのと同じようなものだ」
聖導具が――特に派手なやつを――使いたくて世界樹教の神官を目指す、という人はたまにいるらしい。ランツも似たようなもので、むしろ道具に頼らない魔術師の方が、より格好いいと思っていた。
だがランツの台詞を聞いて、ルカは急に表情を変えた。
「……全然違うわよ」
その言葉の奥にある暗い思いを感じ取り、ランツは言葉を失った。それは憎悪のようであり、また絶望のようでもあった。
どんな過去があったのか。尋ねてみたい衝動に駆られたが、思いとどまった。きっと、話したくなんてないだろう。
無言で歩くうちに、目的の場所――ランツの行きつけの聖導具店に着いていた。入口を覗き込むと、中年の男性が気さくに声をかけてきた。
「やあランツ……おや? そっちは彼女さん?」
「なっ……」
と、絶句したのはルカの方だった。ランツは眉を寄せて言った。
「そんなわけないだろ」
「はは、そうかい」
店主であるその男性は、楽しそうにくしゃりと笑った。
ランツが中に入ろうとすると、ルカがぼそりと言った。
「……どういう意味よ」
「ん。俺にそんな甲斐性があるわけ無いって……なんで怒ってるんだ」
「べつに」
ふん、と鼻を鳴らすと、ランツを追い抜いてずかずかと歩いていった。首を傾げながら後を追う。店主が微笑ましいものを見るかのように目を細めていた。
「これを売りたいんだけど」
奥のカウンターに、ルカは三つの指輪を置いた。若干手つきが乱暴だ。
「ん? 聖導具かい?」
「たぶんね」
指輪はどれも同じ凝ったデザインで、赤い石がはまっていた。ランツには普通の宝石と区別が付かないが、見る人が見れば聖輝石だとすぐに分かるらしい。
これは、遺跡の銅像が守っていた柩 の中にあったものだ。あの混乱の中、ニアはちゃっかり回収していたらしい。「あ、忘れてた」などと言って懐から取り出した時には、全員ぽかんとしてしまった。ちなみにそのニアは、街に着くや否や、いつも通りふらふらとどこかに歩いていった。
「どれどれ……」
店主はその中の一つを手に取った。と思うと、目を丸くして言った。
「おお、こりゃ治癒の聖導具だね。需要が多いんだよ。質もなかなかいい」
「いくら?」
「そうだねえ。三つで金貨二百枚でどうだい?」
提示された額に、ランツとルカは思わず顔を見合わせた。二人とも、嬉しそうな表情をしている。予想以上に高い。
五人で分けると金貨四十枚。余裕で二月 は暮らせる額だ。
「それで頼む」
「ほいよ。全部買い取らせてもらっていいのかい?」
ルカの腰にある杖に目をやりながら、店主は言った。自分で使わないのかという意味だろう。
「売って分けるって決めたのよ」
ルカはそれを――実際には聖輝石がはまっただけのただの杖を、隠すようにしながら言った。
彼女は聖導具を使うことはできない。魔術を使う際のダミーにしているだけだ。
店主は特に疑ったりはしなかったようだ。金を取ってくるから、と店の奥に引っ込んでいった。
「これで二百枚か」
カウンターに並んだ指輪を眺めながら、ランツは言った。あの柩の中には、他にも聖導具が山ほど入っているんだろうか。ニアに聞いてみたが、「適当に手を突っ込んで取ったから知らない」だそうだった。
「またあの遺跡行きたいな」
「あたしは行かないわよ」
「稼ぎたくないのか」
ランツは眉を寄せて言った。ルカはすぐには答えなかった。しばらく迷うように視線を彷徨 わせていたが、やがてぽつりと言った。
「目標まで溜まったから」
「買いたいものでもあったのか」
「そうじゃなくて……」
口に出しかけた言葉は、だが途中で飲み込まれた。戻ってきた店主が、にこにことしながら重そうな袋をカウンター置いた。しゃらり、と心地よい音が鳴る。
聖導具で渡そうかとも言ってくれたのだが、そのまま金貨でもらうことにした。ルカの分を除いて、残りはランツが持つことになった。荷物の中に大事に仕舞う。
「そんな大金持ってよく平気な顔ができるわね」
財布を入れた胸元を押さえながら、ルカが言った。明らかにそわそわとしている。ランツは指をさして言った。
「この街の治安はいい。そういうことしてる方が狙われるぞ」
「わかってるわよ」
指から逃げるように体を捻りながら、ルカは不機嫌そうに言った。
しばし、二人は無言で街を歩いた。夕暮れの光が、世界を赤く染める。遺跡を出たのは朝早くだったのだが、アリエルを気遣いながらゆっくりと帰ってきたので、こんな時間になってしまった。
「……さっきのことだけど」
ルカがぽつりと言った。
「あたし、旅に出て探したい場所があるの」
ランツは横を歩く少女にちらりと目を向けた。彼女は真剣な表情で、少し先の地面をじっと眺めていた。
「……魔術師たちの、隠れ里があるって聞いて……」
「へえ、いいなそれ」
思わず口を挟む。
「俺もついていっちゃ駄目か?」
「え」
相手の方が立ち止まったので、ランツも自然と足を止めることになった。少女は目を口を開き、ぽかんとした表情を晒していた。
ランツは頭を掻 きながら言った。
「駄目だったら仕方ないが……」
「違う!」
その声の大きさに、ランツは少し驚いた。ルカも自分で自分に驚いたようで、慌てて口元を抑えていた。
「違うの。一緒に探してもらえないかって頼もうと思ってたから、びっくりして……」
「なんだ、そうなのか。もちろんいいぞ」
「よかった」
ルカは心からほっとしたように微笑んだ。初めて見た、ルカの優しい笑顔だった。ランツは思わずどきりとした。
「なんでそんなとこに行きたいんだ」
内心の動揺を誤魔化 すかのように、早口で尋ねる。そこまで興味があったわけではなく、軽い気持ちで口に出しただけだ――だが途端にルカの顔が曇るのを見て、思わず立ち止まった。
ランツが何も言えないでいると、
「……他にも人を探さないとね。結構遠いのよ」
ルカが口にしたのは、全く別のことだった。二人は再び歩き出した。
「ローディたちに相談しよう。来てくれるだろう」
何気なくそう言うと、ルカは自嘲ぎみに笑った。
「あの人は来ないでしょう」
「なんでだ?」
「魔術師が、嫌いみたいだから」
「それは……」
「あの人が悪いんじゃあないわ。それが普通なのよ」
ルカは全てを諦めたような表情で言った。まるで、人生に疲れた老人のような顔だった。
どうしても反論しなくてはいけないような気がして、ランツは力強く言った。
「来てくれるさ。俺が説得する」
「……」
少女は何も答えずに、淡々と歩き続けていた。
アリエルを教会に送り届けたランツは、大通りを歩きながら小さく息を吐いた。ずいぶん体力を奪われていたようだったが、これで安心だろう。教会では、聖導具によって多種多様な治療を受けられる。
付き添いとして、ローディも一緒に残っている。付き添いと言うより、口裏合わせと言った方がいいかもしれない。治癒の魔術によって体力を奪われました、なんて正直に答えるわけにはいかない。
アリエル本人には、全てを正直に話した。自分の体に起こったことを、隠すべきではないと皆が判断したからだ。もちろん、あの状況で魔術以外に説得力のある説明が全く思いつかなかったというのもあるが。
ローディに説明を受け、彼女はひどくショックを受けていた。ルカに向ける視線には、あからさまに嫌悪の色が浮かんでいた。だがそれでも、命の恩人に礼を言う程度の節度はあったようだ。
当のルカの方は、アリエルの態度をさほど気にした様子はなかった。過去に同じような経験を何度もしているのかもしれないし、それに、
「ルカが魔術師だったとは、本当に驚いたよ」
「ちょっと……大きな声出さないでよ」
嬉しそうなランツの言葉に、ルカは少しきつい口調で言った。だがそれは、怒っているのではなく、どちらかと言うと照れているようだ。
魔術師に
その話をした時のルカの顔は、何とも言えないものだった。驚きと、喜びと。それからたくさんの他の感情が入り混じっていたが、ランツには読み取れなかった。
「変な人ね。魔術が好きだなんて」
ルカがぽつりと言葉を漏らした。ランツは首を傾げて言った。
「変ではないだろう。聖導具が好きなのと同じようなものだ」
聖導具が――特に派手なやつを――使いたくて世界樹教の神官を目指す、という人はたまにいるらしい。ランツも似たようなもので、むしろ道具に頼らない魔術師の方が、より格好いいと思っていた。
だがランツの台詞を聞いて、ルカは急に表情を変えた。
「……全然違うわよ」
その言葉の奥にある暗い思いを感じ取り、ランツは言葉を失った。それは憎悪のようであり、また絶望のようでもあった。
どんな過去があったのか。尋ねてみたい衝動に駆られたが、思いとどまった。きっと、話したくなんてないだろう。
無言で歩くうちに、目的の場所――ランツの行きつけの聖導具店に着いていた。入口を覗き込むと、中年の男性が気さくに声をかけてきた。
「やあランツ……おや? そっちは彼女さん?」
「なっ……」
と、絶句したのはルカの方だった。ランツは眉を寄せて言った。
「そんなわけないだろ」
「はは、そうかい」
店主であるその男性は、楽しそうにくしゃりと笑った。
ランツが中に入ろうとすると、ルカがぼそりと言った。
「……どういう意味よ」
「ん。俺にそんな甲斐性があるわけ無いって……なんで怒ってるんだ」
「べつに」
ふん、と鼻を鳴らすと、ランツを追い抜いてずかずかと歩いていった。首を傾げながら後を追う。店主が微笑ましいものを見るかのように目を細めていた。
「これを売りたいんだけど」
奥のカウンターに、ルカは三つの指輪を置いた。若干手つきが乱暴だ。
「ん? 聖導具かい?」
「たぶんね」
指輪はどれも同じ凝ったデザインで、赤い石がはまっていた。ランツには普通の宝石と区別が付かないが、見る人が見れば聖輝石だとすぐに分かるらしい。
これは、遺跡の銅像が守っていた
「どれどれ……」
店主はその中の一つを手に取った。と思うと、目を丸くして言った。
「おお、こりゃ治癒の聖導具だね。需要が多いんだよ。質もなかなかいい」
「いくら?」
「そうだねえ。三つで金貨二百枚でどうだい?」
提示された額に、ランツとルカは思わず顔を見合わせた。二人とも、嬉しそうな表情をしている。予想以上に高い。
五人で分けると金貨四十枚。余裕で
「それで頼む」
「ほいよ。全部買い取らせてもらっていいのかい?」
ルカの腰にある杖に目をやりながら、店主は言った。自分で使わないのかという意味だろう。
「売って分けるって決めたのよ」
ルカはそれを――実際には聖輝石がはまっただけのただの杖を、隠すようにしながら言った。
彼女は聖導具を使うことはできない。魔術を使う際のダミーにしているだけだ。
店主は特に疑ったりはしなかったようだ。金を取ってくるから、と店の奥に引っ込んでいった。
「これで二百枚か」
カウンターに並んだ指輪を眺めながら、ランツは言った。あの柩の中には、他にも聖導具が山ほど入っているんだろうか。ニアに聞いてみたが、「適当に手を突っ込んで取ったから知らない」だそうだった。
「またあの遺跡行きたいな」
「あたしは行かないわよ」
「稼ぎたくないのか」
ランツは眉を寄せて言った。ルカはすぐには答えなかった。しばらく迷うように視線を
「目標まで溜まったから」
「買いたいものでもあったのか」
「そうじゃなくて……」
口に出しかけた言葉は、だが途中で飲み込まれた。戻ってきた店主が、にこにことしながら重そうな袋をカウンター置いた。しゃらり、と心地よい音が鳴る。
聖導具で渡そうかとも言ってくれたのだが、そのまま金貨でもらうことにした。ルカの分を除いて、残りはランツが持つことになった。荷物の中に大事に仕舞う。
「そんな大金持ってよく平気な顔ができるわね」
財布を入れた胸元を押さえながら、ルカが言った。明らかにそわそわとしている。ランツは指をさして言った。
「この街の治安はいい。そういうことしてる方が狙われるぞ」
「わかってるわよ」
指から逃げるように体を捻りながら、ルカは不機嫌そうに言った。
しばし、二人は無言で街を歩いた。夕暮れの光が、世界を赤く染める。遺跡を出たのは朝早くだったのだが、アリエルを気遣いながらゆっくりと帰ってきたので、こんな時間になってしまった。
「……さっきのことだけど」
ルカがぽつりと言った。
「あたし、旅に出て探したい場所があるの」
ランツは横を歩く少女にちらりと目を向けた。彼女は真剣な表情で、少し先の地面をじっと眺めていた。
「……魔術師たちの、隠れ里があるって聞いて……」
「へえ、いいなそれ」
思わず口を挟む。
「俺もついていっちゃ駄目か?」
「え」
相手の方が立ち止まったので、ランツも自然と足を止めることになった。少女は目を口を開き、ぽかんとした表情を晒していた。
ランツは頭を
「駄目だったら仕方ないが……」
「違う!」
その声の大きさに、ランツは少し驚いた。ルカも自分で自分に驚いたようで、慌てて口元を抑えていた。
「違うの。一緒に探してもらえないかって頼もうと思ってたから、びっくりして……」
「なんだ、そうなのか。もちろんいいぞ」
「よかった」
ルカは心からほっとしたように微笑んだ。初めて見た、ルカの優しい笑顔だった。ランツは思わずどきりとした。
「なんでそんなとこに行きたいんだ」
内心の動揺を
ランツが何も言えないでいると、
「……他にも人を探さないとね。結構遠いのよ」
ルカが口にしたのは、全く別のことだった。二人は再び歩き出した。
「ローディたちに相談しよう。来てくれるだろう」
何気なくそう言うと、ルカは自嘲ぎみに笑った。
「あの人は来ないでしょう」
「なんでだ?」
「魔術師が、嫌いみたいだから」
「それは……」
「あの人が悪いんじゃあないわ。それが普通なのよ」
ルカは全てを諦めたような表情で言った。まるで、人生に疲れた老人のような顔だった。
どうしても反論しなくてはいけないような気がして、ランツは力強く言った。
「来てくれるさ。俺が説得する」
「……」
少女は何も答えずに、淡々と歩き続けていた。