第1話 世界樹と聖導具

文字数 3,857文字

 耳障りな悲鳴を上げ、ゴブリンの小柄な体が地面に倒れた。
 少年は剣を仕舞(しま)い、訝しげに辺りを見回す。ゴブリン、コボルト、巨大蜂(キラービー)、そして子供ほどの大きさの土人形(クレイゴーレム)。たくさんの魔物の死体が、森の中に転がっている。
「多いな」
 ツンツン尖った赤髪をガシガシとかき回しながら、少年はぽつりと呟いた。
「そう?」
 返事は背後から来た。振り返って目をやると、黒髪を短く切った少女がこてりと首を傾げていた。少年よりも少し年下に見える。
 彼女の愛らしい容姿は、だが魔物の血にまみれて凄惨としか言いようのないものになっていた。おまけに手には巨大なハンマーが握られている。大の大人でも持ち上げるのに苦労しそうなほどの重量を、軽々と扱っていた。
「ここはもう遺跡のすぐ近くだ。もしかしたら……」
 と、少年の言葉は、出し抜けの大声に遮られた。
「おーいランツー。先行きすぎだって」
 がさがさと音を立て、木々の間から二人の人物が現れた。どちらもずいぶん息が上がっている。
 ランツと呼ばれた少年は、ハンマーを持つ少女を指さしながら言った。
「ニアはついてきてるだろ」
 すると、先ほど大声をあげた少年が、呆れたように返した。
「あのね、君らみたいな体力バカを基準にしないでくれる?」
「鍛錬をさぼるからだろ、ローディ」
「あんなの真面目にやってられないよ」
 少年――ローディはわざとらしくため息をついた。鍛えた体に精悍(せいかん)な顔つきのランツと違い、彼は見るからに優男といった風貌だった。ブロンドの癖っ毛は念入りに手入れされていて、まるで貴族の子供のようだ。
「それにさ」
 と、ローディは、右手に掴んだ小さな手を掲げながら言った
「僕だけじゃなくて、アリエルちゃんだっているんだよ?」
「だ、だいじょうぶ、です」
 息も絶え絶えになりながら――どう見ても大丈夫そうではなかったが――アリエルと呼ばれた少女は気丈そうに言った。
「これくらいで音を上げていては、世界樹教の神官は務まりませんからっ!」
 掴まれていない右手の拳で、胸元をどんと叩く。彼女の大きな胸に思わず目をやってしまって、ランツは慌てて視線を外した。
 軽装の三人とは違って、彼女はゆったりとした緑のローブを身にまとっていた。随所に装飾やひらひらとしたフリルが付いていて、こんな森の奥では場違いな印象を受ける。
 だが、これが『世界樹教』の正装らしいと、ランツは昔ローディに聞いたことがあった。布教の旅も、どんな奥地にある遺跡の探索にも、この服で(おもむ)くそうだ。
「よし」
「何がよしなんだい?」
 胡乱(うろん)げな表情を向けるローディを無視して、ランツはびしりと前方を指さした。
「遺跡が危ないかもしれない。急ごう!」
「おー?」
 気の抜けた返事をしつつも、走り出すランツについていくニア。その後ろを、諦めたような表情のローディが追う。右手はアリエルの手をしっかり握っていた。
 森の中を、ランツは走る。地面から突き出す木の根を、慣れた様子で飛び越える。
 冒険者になってから、何度も繰り返し通った道だ。街から二時間ほどの道のりは、もうしっかり頭に入っている。
 やがて、木々の密度が低くなってきた。まばらに地面を照らしていた日の光が、徐々にその面積を増していく。
 最後の木を通り過ぎたところで、ランツは立ち止まった。目の前に広がるのは、見慣れた崩れかけの遺跡の姿――ではなかった。
 辺り一面が、黒い半透明の何かに押し潰されるように覆われている。液体と固体の中間のような、粘性のあるどろっとした物体が、膝ほどの高さまで積もっている。所々背の高い場所では、中に崩れた建物が透けて見えていた。
 よく見ると、粘液の表面は波打つように動いていた。一部が触手のように伸び出し、また元に戻る。そんな小さな突起が、無数に存在していた。
「魔力溜まりがこんなに……」
 ランツが歯軋りした。こうなってしまっては最早どうしようもない。この遺跡に入ることは、恐らく二度とできないだろう。
「うわ、こりゃひどい。早く戻って戻って」
 ようやく追いついたローディが、目を見開いて言った。その隣のアリエルが、愕然とした表情になった。
「せ、世界樹は!?」
「あれかな……」
 ローディが遠くを指さす。巨大な黒い塊の中に、背の高い枯れた木がうっすらと見えていた。アリエルはがくりと肩を落とした。
「そんな……」
「いやショックなのは分かるけどね? 早く戻らないと……」
 ローディの言葉を遮るように――もしくは応えるかのように、粘液の一部が大きく盛り上がった。小さな子供ほどの大きさになったところで、先端がぶちりとちぎれる。
 ちぎれた塊は、冒険者たちの方に飛んできた。表面がぐにゃりと歪んだかと思うと、巨大蜂へと形を変える。
 だが巨大蜂は、ニアのハンマーにあっさりと打ち返された。手を(ひさし)のようにしながら、吹っ飛んでいく魔物を見やる。
「よくやった」
 などと言いながらランツがニアの頭をぽんぽんと叩いているのを、ローディは呆れたように見ていた。
「だから早く帰ろってさ」
 新たにちぎれた塊をクロスボウで撃ち落としながらぼやく。黒い粘液の至る所から、魔物が生成されようとしていた。
 ランツは頷きながら言った。
「よし、街に戻るぞ!」
「おー」
 先ほどと同様、真っ先に走り出すランツの後ろを、他の三人はついていった。

 行きと同じく森の中を二時間歩いて、ランツたちは街に戻った。本当は川を下る船に乗った方が早い上に楽なのだが、もちろん乗車賃に使える余分な金などない。
 ランツたちが拠点にしているリレイの街は、中継所(リレイ)の名の通り、大森林地帯を抜けるために避けては通れない交通の要所だった。街道は南を除いた三方に伸びているし、街を貫く川は、遥か西の王都にまで繋がっている。
 一方で、ここは冒険者の街としても広く知られていた。周囲には聖王国時代の遺跡が無数に存在し、採り尽せないほどの『聖導具』が眠っている。冒険者にとっては夢のような場所だ。
 ランツが足を運んだのも、街の聖導具店の一つだった。もっとも今日は収穫が無かったので、売りに来たわけではない。物色するためだ。
 様々な不思議な力を持つ聖導具は、日常生活はもちろん、遺跡探索の際に特に重宝する。いくら歩いても疲れなくなる靴や、無限に水を生み出すコップ、魔物が近づくと警報を鳴らす置物など、喉から手が出るほど欲しいものばかりだ。
 もっともそのあたりの貴重な聖導具には、とんでもない値段が付いている。モノによっては金貨千枚以上だ。小さな家が買えてしまう。出回ること自体も稀だ。
 ランツが狙っているのは、明かりの指輪だった。ごくポピュラーな聖導具で、質の悪い物なら金貨数枚で買える。まあ、それでも彼にとっては高い買い物なのだが。
「ん、それ買うの?」
 後ろから覗き見るような格好のローディが、棚に並んだ指輪を指さしながら言った。シンプルなデザインの銀の指輪だ。だが宝石がはまっているべき台座部分は、空になっていた。
松明(たいまつ)で十分じゃない?」
「お前が言うなよ」
 ランツが不満げに返す。ローディとニアの二人とはよく一緒に冒険に出るが、明かりを持つのは大抵自分の仕事だった。ローディは矢の装填に両手を使うし、ニアは言わずもがなだし、片手剣に盾というスタイルのランツしか手を空けられないのだ。
「買えなくはないんだよな」
 店を出ながらのランツの言葉に、ローディが突っ込みを入れた。
「でも聖輝石代も馬鹿にならないよ?」
「分かってるよ」
 ランツは街の中心へと目をやった。リレイの中で最も背の高いもの(・・)が、そこにはあった。建物ではない。巨大な木だ。
 世界樹と呼ばれるその木は、人々の信仰の中心でもあり、また生活の(かなめ)でもあった。世界樹が魔力を吸収してくれるおかげで、押し寄せる魔力溜まり――あの黒い粘液に、街が埋もれずに済んでいる。たとえあの黒い噂(・・・)を信じていたとしても、離れて暮らすのは困難だ。
 同時に世界樹は、聖導具の使用の際に消費される、『聖輝石』という貴重な物質を生み出す。邪悪な魔力を浄化し精製しているのだ、と世界樹教の教会は説明している。聖輝石の生産に関しては教会が独占しているので、一般には知られていない。
(木の実みたいに成ってるのか?)
 ランツはじっと目を凝らしてみたが、それらしきものは見当たらなかった。教会の聖堂を縦に伸ばしたようなサイズだから、もし木の実ができるとしたら相当な大きさだろう。実の中に聖輝石が詰まっているところを、ランツは想像した。
 実際のところは、近くで見たことがないので何とも言えない。世界樹の周囲は立ち入り禁止になっていて、協会関係者でも一部の者しか近づくことはできないそうだ。
「で、出発の日取りなんだけど……聞いてる?」
「ん」
 意識を世界樹から離し、顔を向ける。ローディはわざとらしくため息をついた。
「次の仕事だよ。明日出発でいい?」
「ああ」
 ランツはとりあえず頷いた。内容は全く聞いていなかったが、まあ彼に任せておけば間違いはないだろう。
 再びため息をつくのは見なかったふりをして、特にあてもなく大通りをぶらつき続けた。
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